パーティのこれまでの活動状況を紹介します。 |
第1回 1996.6.30 SOUND PUB FUJIKAWA |
初の記念すべきパーティ。日曜日の夕方から夜まで。約70名の参加。マック西本氏の知人の藤川氏が経営するダンスホール。ビデオ装置も準備され、ダンスにはとても雰囲気のいい会場である。遠く庄原市や吉田町からもラティーノの参加があり、盛り上がった。彼らから、頻繁に開催してほしいリクエストがでる。中国新聞の夕刊にて紹介される。 | ||
夏だ!サルサだ!ランバダだ! | ||
初の土曜日開催。11時半まで。 | ||
DJ BAR Gで第1回目のパーティ。トニーハウズの紹介でこれまでと同じ条件で開催することに。店長の吉田さんはとても親切で応対が丁寧。スタッフのみなさんもとても感じのいい人たち。通常は、ヒップ・ホップのクラブであるが、この日ばかりはちっと雰囲気が違う。広島テレビのテレビ宣言の取材が入り、マカレナダンスが紹介された。この日は198人の参加があり、最高の盛り上がりであった。 | ||
120人参加。クリスマスを前に急遽開催。マック西本氏がサンタクロースになり、抽選によるプレゼントタイムを実施。当選者は壇上でダンスを踊ってもらった。景品も豪華でとても盛り上がった。 | ||
新年明けての最初のパーティ。 | ||
ウィング・クラブ。198人参加。会場を新たにウィング・クラブにして開催。当日は、初心者レッスン開催時に70人ほどの参加があり、多くの日本人で賑わった。広島ホームテレビの「ホップ・ステップ・ボランティア」と、ケーブルテレビの2局のテレビ取材が入った。ダンス・コンテストをやったが、参加希望者が少なく失敗。写真のボランティアグループ「フォト・ナイン」に依頼し、会場の様子を収めてもらう。 | ||
ウィング・クラブ。148人参加。FM広島の取材が入り、ペルー人、コロンビア人、メキシコ人、ブラジル人などラティーノを取材。 | ||
ウィング・クラブ。135人参加。 | ||
144人参加。レアンドロがDJに加わる。 | ||
ウィング・クラブ。148人参加。ブラジル人の女性がC&Cファクトリーのミュージックに合わせて中央で、
ソロの独特のブラジルダンスを披露。参加者から大喝采を受ける。 | ||
172人参加。最後までほとんどの人が帰らず、満員の中で踊っている。その乗りで夜12時近くまでノンストップ。お陰で店の人に迷惑を掛けてしまった。プエルトリコ系が目立って踊っている。踊りはうまい。 | ||
217人参加。昨年6月からスタートしたパーティも1周年を迎えた。今回もプエルトリコ人の参加がとても多く。過去最高の盛り上がりを見せた。多くの景品を用意し、サルサダンスコンテスト及びメレンゲダンスコンテストを実施。10チームほどの参加があったが、上位に残ったのは、ほとんどがプエルトリコ人たち。サルサの優勝者は男性・プエルトリコのティト・サンチェス(彼は第1回パーティから参加している)と、たまたま東京から参加してくれた女性・斉田さん。急造チームであったが、最強!メレンゲもプエルトリコの男性とセクシー女性が優勝。2位にはペルー人のラファイエルと女性・加藤さんが獲得した。そのあとは、抽選コーナー10人景品を用意し、当選者はステージでダンスをしてもらうという趣向。これらは、異常に盛り上がってしまった。
プロ野球カープのドミニカ出身の投手・ペルドモが突然現れた。ドミニカ人だけに、サルサでは踊らずメレンゲだけ踊る。何曲かリクエストして楽しく踊っていた。
| ||
217人参加。172人参加。久しぶりの日曜日の開催。でもかなりの参加があった。開催前には、RCCラジオ放送「元祖ヨコヤマ本舗」の取材がウィング・クラブから生放送される(約5分間)。出演はマック・ニシモト氏。放送後すぐに参加の連絡も入る。今回は、広島市内のホテルで夏限定のブラジル・サンバショーのダンサーを招待。6名の長身のダンサーがバイーヤの音楽で踊る姿はステージと違って本当に楽しく会場全体を虜にした。私自身これまの最高の楽しさであった。またまた、プロ野球カープのドミニカ出身の投手・ペルドモが現れた。ほかにも、ドミニカの選手といっしょで、当日の福岡での試合のあと来てくれた。また、昨年までカープに在籍し、今はヤンキースに移籍したドミニカ出身の選手と今年秋結婚する日本人女性も参加。彼女はこれからNYとドミニカで生活する以上、メレンゲとサルサを身につけなくちゃとステップの練習から。 | ||
114人参加。土曜日に我々のスタッフの関係者であるペルー料理のコック長であるホセ松村氏が急性心不全で亡くなった。カトリックであること、その息子さんのダニー松村さん(18歳)しか日本に身寄りがないことから、ダンス・パーティを支えるスタッフや仲間たちが駆けつけてくれて、葬儀や手続きを行った。パーティを通じて知り合ったラティーノと日本人の共同社会が支えになったのだと思う。このため、パーティ開催時が通夜の時間と重なり、わずかなスタッフで運営した。また、当日パーティ開催時に大型台風が広島直撃との天気予報で、参加者はとても少なかった。結果的に台風は広島を直撃しなかった。 | ||
147人参加。今日はカープのペルドモとともに、1軍のペレス選手がやってきた。ほとんど踊らずに見ていただけだったが、楽しく過ごしていた。参加者の中には、ロンドンでサルサを習ったことのある女性や、廿日市市のラテンダンスクラブの人たち、ジャザ・サイズのインストラクターなども参加して、多くの人がダンスに興じている。RCCラジオのレポーターも踊りに来てくれた。いつものことながら、ブラジルバイーアの曲をかけるとブラジル人女性のセクシーな踊りを皆でいっしょに楽しむパタンができている。 |
1997.3.1 |
竹屋公民館 16人 この日から定期的にレッスンを開始する。パーティがない土曜日をレッスン日とする。 |
1997.3.22 |
竹屋公民館。 10人 沖縄からペルー人参加。 |
1997.4.5 |
アステールプラザ 15人 ペルー人参加 |
1997.4.19 |
アステールプラザ 20人 ペルー人参加 |
1997.4.26 |
竹屋公民館 20人 うちペルー人が3人(女性1、男性2)。いいのりをしている。日本人もダンスがうまくなってきた。 |
1997.5.17 |
竹屋公民館 28人 ダンスを教えたことがあるペルー人が参加。とてもうまい。 |
1997.6.7 |
竹屋公民館 40人 最多参加者数。岡山市から参加もあり。 |
1997.6.14 |
竹屋公民館 17人 米軍基地でのパーティがあるため、参加者は少ない。 |
1997.6.28 |
竹屋公民館 13人 台風がレッスン開催直前に直撃。参加者も大幅減。初級と中級に分ける。 |
1997.7.5 |
竹屋公民館など 29人 会場を2個所にして、よりきめこまかなレッスンを実施。 |
1997.7.12 |
婦人教育会館 25人 新規参加者も多くなってきた。 |