■ ラティーノとダンスパーティ
外国人を知っているというと、「留学生?」「先生?」と聞かれる。 ところが、広島には実に多くの「労働者」としてのラティーノ(中南米出身者)が生活している。広島県内の外国人登録数(平成8年12月末)によると、多い順に@韓国・朝鮮
Aブラジル B中国 Cフィリピン Dアメリカ Eペルー Fイギリスと続き、中国人よりもブラジル人が多い。ブラジルとペルーを合わせると4035人。広島では自動車関連産業や、3Kと呼ばれる職業への労働力として彼らが供給されてきた。
ラティーノがたくさんいた頃は、市内にペルー料理店もあり、フォルクローレ(ペルーの民族音楽)の生演奏も常時行われていた。サッカー大会も開催されていた。特に、広島市の東部地区では、ポルトガル語やスペイン語を耳にすることが多い。しかし、日本の長引く不況のため、今では多くの人が広島、あるいは日本を去った。ある工場ではラティーノ用の寮が閉鎖された。
そのラティーノの生活に欠かせないのが、「ラテン音楽とダンス」。広島にはラテン音楽で踊れるところはない。「離れ離れになった皆のためにラテンのダンスパーティを始めたい。人は必ず集まる。」と友人のペルー人女性が切り出した。もちろん店を貸し切ってラテン音楽だけを流すのである。パーティのメインであるサルサは、ダンスのための音楽としてNYのスペイン語圏の住民を中心に発達した比較的新しい音楽スタイル。今では、中南米に広がり、ラティーノにとって連帯を促進する一種のアイデンティティ音楽としての側面を持っている。96年6月に第1回をスタート。驚いたのは、吉田町や庄原市からも参加があり、「古里を思い出した」「ここはリラックスでき、友達もできた」と、最高に盛り上がった。その後月1回から2回のペースで現在は、ウィング・クラブで開催している。
■ダンスはレッスン?
ラティーノは音楽とダンスを日常的に楽しむ。ステップは、パーティの中でで自然と覚えていく。社交ダンスにもラテンがあるが、日本に上陸したら社交界で自由に踊るというよりも、レッスンに通い踊るほうが主流になった。ラティーノのスタイルと社交ダンスの違いは、その表現方法にある。社交ダンスは、レッスン会場で踊ることが多く、競技大会も多いため、できるだけ動きを大きく、表情もアピールするよう観客に向ける。一方、ラティーノはクラブやホームパーティで踊ることが多く、小さく踊り男女互いに顔を向け合う。日常生活にダンスがあるかどうかの違いかもしれない。ラティーノの踊りに、あまりテクニックや決まりはない。「ノリ」と「楽しさ」と「セクシーさ」の3点が重要である。
ラティーノの日本への出稼ぎにともなって、東京ではサルサを踊れるクラブがとても賑わっている。その東京のサルサのクラブを最初に訪ねたとき、日本人同士が見たことのないようなテクニックで踊っているのにびっくりした。当時私はペルー人のパーティしか知らないシンプルなペルー式であった。ところが、ニューヨーク式やキューバ式、六本木式(日本式?)いろいろある。今や東京にはダンススクールが20クラスもあり、20代や30代の日本人であふれている。それを見たラティーノの中には、日本人は「教えられたらその通りしかしない」「すぐ難しいステップを勉強したがる」と皮肉る人もいる。音楽を楽しみ、自然と体が動いた結果が、ダンスのステップ−という流れではない。体全体でリズムを感じていないと思うのであろうか。
「ペルー人ってダンス知らないから」と東京のクラブで踊る日本人女性。サルサも日本人同士でないと踊れない「日本式サルサ」ができつつある。そういう私も今ではニューヨーク式のダンスを習い、ペルー人とは踊りにくくなってきた。しかし、所詮、日本人同士の「ノリ」は、ラティーノには追いつかない。
■ブラジル人対ペルー人
我々のパーティは、サルサを中心にしているが、ドミニカ発祥のメレンゲ、NYで人気のラテン・ラップ、世界的ヒットのマカレナ、コロンビアのクンビア、ベネズエラのガイタ、ブラジルのアシェーなどリクエストに応じて現在はやりのラテンダンス音楽はほとんどカバーしている。これらを組み合わせ皆に満足してもらうとするが、どうしても不満が出てくる。同じジャンルの曲が続いたり、乗りが悪い曲がかかると文句がでる。頻繁に換えると乗りにくくもあり、評判が悪い。この日のために、何日も選曲に費やす。DJを担当した私に「曲が悪い」とラティーノから頻繁にチェックが入る。必ずしも、曲の良さだけでは踊らない。彼らになじみがあるかどうか、歌詞はどうかが重要なのである。
サルサやメレンゲはスペイン語で歌うので、ポルトガル語圏のブラジル人の間には浸透していない。ブラジル人に人気があるのは、先ほどのサンバのリズムをもったアシェーやMPBという音楽。逆に、スペイン語圏のラティーノにはその音楽はあまり浸透していない。そこで、問題が起きる。もともと、ブラジル人を対象としたダンスパーティは県内にも他にあるが、サルサは全くかからない。何故かアメリカ系のディスコミュージックが多い。ブラジル音楽もあまりかからないのも不思議。我々のパーティがサルサを中心としているため、ブラジル系の音楽は少しだけにしている。これを不満に思って強行な要求をする人がいる。リクエストがかからないと「金を返せ、高い金を払っているのに」と怒り出して文句を言ってくる。(ちなみに、6時間出入り自由、1ドリンク付き1500円)。一方、ブラジル音楽をかけると、ペルー人などスペイン語圏のラティーノは踊らない。ただ、ブラジル人の女性達の踊りは、はじける素肌が魅力的でカッコイイので、日本人には人気がある。せっかく、私が東京、NY、マイアミ、キューバ、ペルー、メキシコで今流行しているものをと購入したのに。様々な人(国)を満足させるのは大変である。何も文句は言わず「とても楽しかったです」と声を掛けてくれるのは、日本人ぐらいである。
■強制送還
ラティーノたちも、男女を問わず、日本人と出会い結婚する人も多い。幸せな家庭を築いている人たちがいる一方、ビザが切れてそのまま、日本に滞在しているいわゆる「不法滞在」と呼ばれる人がいる。本国で仕事がなく、日本で働くことを選択し、家族のため、将来のために一生懸命生活している。一時的な滞在で入国したが、ビザが切れ、更新せずそのまま働き続けることがある。中には悪質な犯罪に関わっている人もいるというが、多くはビザが切れているだけで普通に生活している。
ところが、ある日突然生活が一遍する。入国管理局は情報を入手すると、何日も張り込みをし、自宅と職場の両方に早朝「○○はいるか!」と突然進入し逮捕する。職場に緊張感が走る。逮捕された側はとりあえず衣服や貴重品など身の回りの物をバックに詰め込んでそのまま留置される。数日後には茨城や大阪、長崎の入国者収容所へ移される。面会も可能であるが、ガラス越しで、係官付き。それから、1か月から2か月の収容所生活ののち、まとまって本国へ送り返される。飛行機便も直前でないと決定しない。飛行機代は当然自己負担。外部への電話連絡は最初と最後の2回しか許されない。
その間のアパートや職場はどうなるのだろうか。誰かが後片付けをしない限り、そのままの状態である。私も実際に関わったことがある。本人が勤めていた職場に行ったり、本人が連絡をとってほしいという人に電話をしたが、事情を説明すると、ほとんどの日本人は「あ、そうですか」だけ。「今どうしていますか」とか、「会ったり、手紙を出せますか」などとは聞いてくれない。中には「私には関係ない」と、とても冷たい。多くの日系人を含むラティーノから「日本人はいざというとき冷たい」と言われる。私もそう思う。
■サルサとはソース
1960年代半ばのニューヨークに住むヒスパニック系の人たちの間に生まれた新しいラテン音楽の名称。主としてプエルトリコ系のミュージシャンたちがキューバ風のバンド編成でキューバ音楽をベースにした独自のサウンドを追求していく過程でサルサが生まれた。サルサは、カリブ海から第2次大戦後に急増した移民の飛躍的増加がある。サルサは、彼らの最大の娯楽であるダンスのための音楽として発達すると共に、ニューヨークのヒスパニックピープルの連帯を促進する一種のアイデンティティ音楽ないしは人種ミュージックとしての側面ももち合わせた。のちに、ベネズエラやコロンビアなどの周辺諸国に広がり、人気を集めている。
昨年1996年は、日本映画でも「shall we ダンス」や雑誌やテレビでも取り上げられることも多く、「女性自身」や「トゥナイト」、「アエラ」や「ブルータス」など数多くサルサダンスが紹介されている。また、渋谷のクロコダイルというライブハウスを中心に日本人のサルサバンドが数多く出演しており、その腕前もかなりのもの。外国からサルサバンドを呼んでの大きなコンサートも頻繁に実施されている。大阪には本格的なサルサクラブ「パタパタ・デ・ラ・サルサ」が帝国ホテルに昨年春オープンした。
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■日本人とラテン
「参加者皆がこんなに楽しく踊っているのを見るのは初めてだ」と、これまでパーティ会場の一つとして使用したヒップ・ポップ系の店長。アメリカ系の現在のダンスミュージックには男女ペアでいっしょに踊るスタイルがないのである。私たちのダンスパーティにはラテンの国をはじめ、いろいろな国の人が来る。これまで、ペルー、コロンビア、ベネズエラ、メキシコ、ブラジル、アメリカ、カナダ、イギリスなどの国の人が参加し、中にはアジアの人もいた。サルサの本場であるプエルトリコもかなり多い。カープのドミニカ出身の選手も来てくれた。ドミニカはメレンゲの発祥地。メレンゲはサルサに比べて2ビートで踊りが比較的簡単。複雑なステップもなく、サルサと二分するパーティでの主流の音楽である。面白いのは、出身国によって踊り方に特徴があり、どこの国の人か踊りで分かる。最近日本人もかなり増えてきた。平均140人ぐらいの参加者のうち半数は日本人。ラテンダンスをはじめて体験する人がほとんどで、女性が圧倒的に多い。
ペルーの日本大使館公邸占拠事件をはじめとして、貧困・危険な国としてイメージが悪いラテンの世界。その上、日本人からすると「時間にルーズ」「約束を守らず、いいかげん」な人もいて、イライラすることが多い。気長に付き合わなければ付き合えない。でも、ダンスを踊れば、「アミーゴ(ともだち)」。すぐ受け入れてくれるのである。日本語を話す人も多い。「ラティーノのいい面を音楽とダンスを通じて理解してほしい」。我々のスタッフであるラティーノの言葉である。映画「Shall
we ダンス?」の終わり頃で、主人公が庭先で夫婦ではじめてダンスを踊るシーンは私はとても好きである。特に、恋人・夫婦同士で踊る楽しさを味わってほしい。
■ニューヨークとキューバ
サルサダンスの主流であるNY式とキューバ式。NY式は、男性がリードに徹し、女性に奇麗に踊ってもらい、社交ダンスに近い。NYのクラブでは皆服装をバッシと決めている。プエルトリコ系が多く、スペイン語が飛び交っている。会場全体が雰囲気が良く、踊りもクールかつ華麗。有名なバンドも多数出演し、最先端のサルサシーンである。そこへ、最初、うかつにもスニーカーを履いて行った私は追い返された。「スニーカーでは入れない」と、大きな黒人ガードマンががんとして受け付けない。ダンスクラブは、大人のおしゃれな社交場なのである。
一方、キューバというと、最近の人は「バレーボール」「野球」「カストロ」のイメージが強いようであるが、音楽通にとっては、「ラテン音楽のルーツ」といわれる国。村上龍はキューバにはまり、サルサバンドを積極的に日本に招いたり、96年には「Kyoko」(キューバ音楽やダンスをふんだんに取り入れた映画。高岡由紀主演)を監督した。東京では、国立民族舞踊団を招いての、サルサやマンボ、チャチャチャ、民族舞踊などのワークショップや、キューバへのレッスンツアーも開催されている。キューバ大使館主催のダンスコンテストも昨年から始まった。キューバ政府の観光政策により、旅行客もターゲットにしたクラブが活気を見せている。ハバナにはサルサ・クラブも多く、至るところで生演奏やダンスに接することができる。入口には、着飾った若い女性が男性旅行客といっしょに入ろうと待っている風景をよく見る。中では、イタリア人やメキシコ人がキューバ人に混ざって踊る。ニューヨークと違って、女性は腰をフリフリ、男性もこきざみに回転する。ノリが全然違う。回転しながらキスまでするカップルには感激してしまった。彼は、「血が違うのさ」と一言。その中に会場に、日の丸のはちまきをした日本人男性がキューバ人と踊っている。キューバにハマル日本人は多いのである。
ちなみに、私のキューバレポートを、サルサのホームページに掲載しているので見ていただきたい。http://www.kiwi-us.com/~mango/cuba/joguchi1.html
■ラティーノのダンスパーティ
ラティーノの世界では、週末だけでなく、誕生日パーティ、クリスマスパーティ、結婚披露パーティなど、人が集まればサルサやメレンゲでダンス。特に、大晦日は、ダンスをして新年を迎えるのが決まり。ペルーの新聞には大晦日のパーティの広告が並び、特設テントでの生バンド・ディナー付きの豪勢なものもある。ダンスは、年齢関係なく踊る。中学生の男の子とお母さんぐらいの年齢の女性が組んで踊ることもあれば、兄妹が踊ることもある。それも、1曲終わればパートナーを代えるので、頻繁にいろいろな組み合わせがおきる。今の日本にはない、誰でもが楽しめる音楽やダンスがあることがうらやましい。
パーティは、午後9時ぐらいから始まり、朝まで踊り明かすことが多い。以前、広島で午後6時から9時までのラテン音楽のライブパーティにラティーノを誘ったところ来たのが9時過ぎてから。「どこでパーティがあるのか探したが見つからなかった」と怒っている。会場の都合もあると説明するのだが、「日本はおかしい」と理解してくれないのである。
ダンスを誘うのは男性側。女性はイヤであれば断ることができるが、大抵は知らない人同士でも踊ってくれる。魅力的でダンスが上手い女性に誘いが集中してしまうことはよくある。若い人にとって、ダンスは男女の出会いの場であり、交流の場である。当然男女の関係に発展することもあり、結構密着して踊るエッチな者もいる。となると、恋人や夫婦にとって、クラブでパートナーが知らない人と踊ることは、とても耐えられないのかもしれない。実際、我々の広島でのパーティもダンス好きの妻子あるペルー男性が、「一人だけで行くわけにはいかない」と悔しがっていた。どちらか一方だけが踊りに出かけることは許されない。後で問題を起こさないために、パーティでカップルの片方を「勝手に誘う」ことは差し控えたほうがよい。
■広島のサルサ事情
サルサはスペイン語圏の文化。スペイン語であれあば、どこの国のバンドであっても楽しめる。一方、彼らにとって、アジア人は顔が同じなのに、言葉が全然違いコミュニケーションがとれないというのは不思議なのだそうだ。
その中にあって、ラティーノから絶大な人気を得た日本人サルサバンドが「オルケスタ・デ・ラ・ルス」である。NYマジソン・スクエア・ガーデンのサルサフェスティバルでトリを務め、国連平和賞を受賞し、グラミー賞にノミネートされるなど、輝かしい実績を持つ。日本では海外人気の逆輸入の形で知られるようになった。もちろん広島のラティーノたちの中でその名を知らない人はいない。そのリーダーが高校時代を広島で過ごしたことのあるカルロス菅野氏。ダンスもうまく、「サルサ・ダンス講座」のビデオも制作している。
サルサの評論家東琢磨氏も広島出身。「サルサ・ラテン・ディスク・ガイド」の編集長で、月刊「ラティーノ」という音楽誌に記事がよく載っている。ヴァージンメガストア広島店長の増田康明氏も前掲のガイドにインタビュー記事が掲載されており、大のサルサ・ファン。昔広島には「サルサ村」という店もあり、「オルケスタ’84」というサルサバンドもあった。戦後には、マンボやチャチャチャが大流行し、粋な若い男女がダンスを楽しんだ時代もあった。当時流行ったキューバ音楽の「ペレスプラード楽団」のコンサートは広島で今でも超満員である。
我々のパーティでは、社交ダンス経験者でサルサにハマッタ同僚のほか、パーティで知り合ったプエルトリコ留学経験者、日系ベネズエラ人などがダンスの指導やスタッフとして活躍している。日本人からは定期的なレッスンの要望が多く、今では毎週レッスンを開催している。着実につながりが出来てきた。ダンスを通して、広島に改めてラテン音楽を楽しめる場を提供していきたい。
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