■FASCINASION LATINAの新聞登場


サルサで盛り上がる広島の夜
(中国新聞朝刊2001.08.16)


太陽のダンスがやって来た〜サルサ・ダンス教室〜
(ほのぼのひゅーまん通信2000.09.22)


「Latin Dance Night with パラダイス山元」開催
(リビングひろしま2000.08.19)


ラテンダンスブームの兆し−リズムに乗ってストレス解消−広島市のバー週末にレッスン
(読売新聞朝刊2000.06.28)


世界のサルサと交流
(読売新聞朝刊2000.06.18)


「ブラジル500年祭」広島でも−18日に在住日系人やNGO
(中国新聞朝刊2000.06.16)


広島でブレイク〜中南米ダンス&ミュージック
(リビングひろしま2000.02.05)


私の休日−心もはずむサルサダンス
(中国新聞朝刊1999.10.28)


ファシナシオン・ラティーナ−友達づくりはダンスにお任せ
(中国新聞朝刊1999.10.06)


ニューヨーク発ラテンダンス−サルサ同好会相次ぎ発足−男女ペア高い接近度−決まりごとなく簡単−主婦や会社員練習に熱
(中国新聞朝刊1999.09.29)


広島の日系人社会もっと理解深めて
(中国新聞朝刊1999.02.25)


インターネット交差点−ファシナシオン・ラティーナ・ヒロシマ−ラテンの魅力を発信
(中国新聞夕刊1999.01.05)

■FASCINASION LATINAの紹介WEBSITE


ひろしまの市民活動を応援するデータベース
ひろしま情報a-ネット。団体・サークル情報からキーワード検索でファシナシオンで検索してみてください(2005.03)


ひろしまNPOセンターの団体情報データベース
ひろしまNPOセンターHP の団体情報。50音別で「フ」と入力し検索してみてください。(2002.05)


広島県内の文化・芸術団体の情報ネット
ブンカッキーネットひろしま。文化・芸術団体情報から、検索条件を指定して探してみてください。(2005.03)


働く人のためのボランティア情報サイト
勤労者ぼらんてぃあ・ねっと。「待ってます!あなたの力」のコーナーで、広島県→文化・芸術で検索してみてください。(2005.03)


国際交流基金・国際交流活動団体・機関データベース
国際交流基金のHPからファシナシオンと入力して検索してみてください。(2001.12)

■FASCINASION LATINAの雑誌等登場


ファシナシオン・ラティーナHP紹介
(ホームページアクセス広島 2001.07.15発売号)


ラテン系の人らと交流〜毎月ダンス会を催す〜
(月刊レジャー広島 2000.8月号)


サルサダンス指導
(もうひとりの自分発見マガジン「タノシビト 14号」2000.04.01)


■FASCINASION LATINAの成立ち

広島にもラテン・ダンス・パーティを!BYセシリア

1996年 5月、ペルー人女性のセシリアから「山口にサルサ音楽を聞いて踊れるところがある。広島からもわざわざ出掛けている。広島に是非そういう場をつくりた い。」と持ち掛けられる。条件は、@ドリンク付きで1500円まで。会場でいくら飲んでもいいが、入場時はできるだけ安く。A音楽はラテン音楽のみ。サル サ、メレンゲ、ラテン・ディスコ。 B土曜日の夜か日曜日。 C時間は4時間ぐらい。

我々の初代理解者サウンドパブ藤川

MAC社交ダンス経験者で顔の広いマック西本氏と会場探しをスタート。会場を貸し切ることになる ため、人数が少なければ1500円では赤字が出てしまう。さんざん探したあげく、板張りで音響設備も整っており、全面はガラス張りの「サウンドパブ藤川」 の会場にたどりついた。マック西本氏の知り合いの藤川さんのところである。ダンスパーティにはもってこい。ドリンクも店のほうで手配してもらえる。金額も 1500円で1ドリンク付きに。当面日曜日の夕方〜夜にかけて行うことに話がまとまる。通常は社交ダンスの人で賑わう会場であるが、ラテンダンスに興味を 持つ藤川氏が我々のために一肌脱いでくれたのだ。
(写真は、ファシナシオン・ラティーナの創設者の一人、マック西本さん)

チラシ配布に、国際交流協会、国際センター、タワー、バージン も好意的に協力

まず、チラシづくりと、PRだ。ラティーノに呼びかけようとスペイン語で作成。日本人にも分かるよう にと英語表記とする。この時点では日本語バージョンをつくる予定はなかった。チラシは、広島市国際交流協会、ひろしま国際センター、タワーレコード、バー ジン・メガ・ストアなどに置いてもらうことに。皆さん好意的に受け入れてくれた。得に国際交流機関での情報を見て来られる人が毎回何人かいる。新聞への情 報提供もお願いし、中国新聞のイベント欄で取り上げてもらう。これには文化部の増田記者の力があった。ラティーノにはセシリアが中心となって声をかけるこ とに。もちろん、「多くの日本人にも来てもらい、ラティーノとの交流をしてもらいたい」と日本人にも声を掛ける。マック西本氏もかなり多くの人に声を掛け る。

ミニコミ誌も協力

タウン情報ひろしまの堀内氏が最初に協力していただき、ダンスパーティの記事が掲載される。その後、 ぴーぷるやレジャー情報、ウィンク、フリークにも定期的に案内を出してもらっている。フリークでは写真も掲載してもらった。これらの情報誌を見て来る人は たくさんいて、情報誌の力を感じさせるとともにとてもありがたい限りである。英文情報誌アウトサイダーでもサルサの特集記事を掲載してもらった。つたない 私の英語をトニーハウズ氏がリライトしてくれ、彼にはとても感謝している。

ダンスパーティ情報

1997年からは、広島の社交ダンスのパーティ情報を自費で発行されている星野さんが、我々のラテ ン・ダンスパーティを掲載してくれることになった。毎月1回発行されているが、広島市内のパーティはほとんどなく、我がパーティぐらいが定期的に行われて いる。そのためか、高齢者の社交ダンス愛好家の方々からの問合わせが最も多い。

ブラジル人に人気のエ・オ・チャン

福山駅の近くにはブラジル人によるブラジル人を対象としたディスコがあった。当初そこに出掛けてPR に努めるものの、会場ではもっぱらアメリカのディスコミュージックが中心でブラジル音楽もラテン音楽もほとんど流れない。呉駅にもブラジル人によるダンス パーティがある。ここも、ロック音楽が中心であった。とはいうものの、超ヒットのブラジル音楽が僅かならがかかる。E O CHANである。ステップや振りが決まっていて、ブラジルの女の子たちが踊る様子は、見てもとても楽しい。

ファシナシオン・ラティーナの由来

レアンドロ我々のグループは、ダンスのサークルではなく、広島に住むラティーノたちのためにラテン音楽を 中心としたさまざまなイベントを企画・運営する集団としてスタートした。しかし、日本人の参加も多いことから、現在では、日本人のためにラテンの文化の良 さを紹介することを積極的に行うこととした。そのため、他の同種のイベントにも積極に参加あるいは協力している。
当初団体名は、事務上「サルサ&ラテン・ダンスパーティ」としてが、固いので、名前を考えることに。ベネズエラ人、ペルー人、日本人で検討した結果、活動 の目的を「ラテンの魅力を伝えよう」というコンセプトで結果「ファシナシオン・ラティーナ」(魅惑のラテン)となった。
(写真は、ファシナシオン・ラティーナの命名者であり、最初のころのラティーノの代表メン バーであるベネズエラのレアンドロ)