地雷はどこに埋っているか?

            土屋正道

 

 ジュースが入ったコップを想像してください。そしてそのコップが海に浮んでいる様子を思い描いてみてください。さて、コップの内側に接しているのはジュースか?海の水か?

「何を馬鹿なことを、ジュースに決 まってるじゃないか。」とお思いでしょう。しかし地球はまるい。海の水が接している方が内側で、ジュースが接している側が外側だっていいはずです。なぜこんなことを申すかといえば、人はまわりの環境を“外界”だと思っているが、果たしてそうなのでしょうか?視点を変えてみようと思うからです。戦争、飢餓、環境破壊、ますます地球は混沌としてきました。世間を相手にせず仏様の世界を願うことは結構ですが、世間を“外界”として自らの関わりを考えないとしたら…。しょっぱい海水には背を向けて、自分だけ甘いジュースを抱え込んでいていいのでしょうか?

 先日、東京カテドラルという教会で「地雷被災者レットさんを囲んで諸宗教を持つ人たちの祈り」という会に出席しました。仏教各派、キリスト教のカトリック、プロテスタント両派の合同の祈りの会です。カンボジア人のレットさんは地雷を踏み両足を負傷、膝から下を切断しました。二三六人に一人が地雷被災者というカンボジアでは物乞いをして生活せざるを得なかったそうです。

 現在、地球に埋っている地雷は約七十か国に一億二千万個。さらに毎年、四十六か国であわせて二千五百万個作られているそうです。地雷を見つけることは難しく、紛争が解決しても何十年も地雷は残り、無差別に人を殺傷し続けます。田畑は荒れ、農作業が麻痺して貧困から脱することができません。

 レットさんは幸い難民キャンプで車椅子製作技術や英語を習得し、カトリックの支援団体に雇われ同じ様な地雷被災者の指導員になりました。そして地雷廃絶の運動をするNGO(=民間団体)の世界的連帯「地雷廃絶国際キャンペーン」の一員として、世界中を回り地雷をなくすよう訴えてきたのです。そのかいあってか、「地雷廃絶国際キャンペーン」は今年のノーベル平和賞を受賞し、一二月三日にはカナダで地雷禁止条約の署名が行われました。

 カンボジアの僧侶で、平和行進を指導し、これまでノーベル賞候補になること3回というマハ・コーサナンダ師は、世界の人々に訴えます。

「世界を平和にするには、まず心を平和にしなければなりません。憎しみ、むさぼり、偽りという心の中の

地雷をとりのぞかなくてはなりません。…中略…世界は私たちの家であり、すべての人は兄弟姉妹なのですから、慈しんで護り、世話をすることは私たちの義務です。地雷をとりのぞき、私たちの家を安全にすることは、私たちの家族を護ることです」

 ひるがえって自身の信仰はいかがなものか?世界平和は人任せにして、いや自身の身と心の平安を願うだけで、世間の憎しみ、むさぼり、偽りを遠くで眺め「私はアアはなりたくない。」「私には念仏があってよかった。」などと安心してはいないか?そんな自分に、「罪悪生死の凡夫」という深い懺悔の心があるでしょうか?如来の本願に心底身を投出した念仏をしているでしょうか?

「平和は私たち自身からはじまる。」本当の念仏が沸上がるまで、世間の罪悪を、自らの身体と言葉と心の罪業と受取り、懺悔し、善き願いを起こせるまで念仏申そうではありませんか。