如来のみ栄え

                                                         正道

 

 六月一九日、真生会卆寿祝の終了後、曽我尾さんをお宅までお送りいたしました。車の隣に座られた曽我尾さんが独り言のように言われました。

「不思議ですねえ。私のように中途半端で何にもできないものが、どういうわけか和裁のすばらしい技術を身につけてしまったんです。どうしてできたのか未だによくわかりません。」曽我尾さんは三越本店で和裁のお仕事を長年勤められた方です。

謙遜なさっていらっしゃるのだな。と思って聞いておりましたら次のようにおしゃりました。

「何十年も続けてきました和裁の仕事をある日を契機にスパッと止めてしまったでしょう?その後は和裁は一切しませんでした。今そのことを考えると大したものだと思うんです。自分はいいかげんなオヤジだと思っているんですがナゼさっと止められたのか?不思議ですねえ。」ご自分のことを話していらっしゃりながら、偉大な方のことを話していらっしゃるような奇妙な印象を受けました。さらに言葉を続けられて、

「自分がした和裁の仕事を見て、なんとすばらしい技術なんだろう。どうしてこんなことができたのか、よくわからないことがありました。私にこんなことができるはずはないのに、本当に不思議ですねえ。」よく神懸りなどと言いますが、自分で自分のしたことが信じられない。しかもその行為が尊敬できる、大いなる喜びとして感得されている。本当にうらやましいご心境を聞かせていただきました。私は南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と念仏を称えながら運転をしておりましたが、念仏の先達と一緒の車中にいる喜びを感じておりました。

「曽我尾さん、願いを持ち、念仏を申しているうちに如来様が自然とさせてくださるんでしょうね。」尊敬と親しみを込めて私は申しました。「そう、それしかないんですよ。」九十才のご老人は間髪を入れずに若若しい声で答えられました。