これからだ!

                            土屋正道

  念仏の大先達、曽我尾道英氏は今年八九歳、東京の品川区大崎に奥様と二人暮しです。月二回の例会に

は必ずお越しになり、比叡山、諏訪の唐沢山、愛知県津島、新潟の椎谷観音等、全国の念仏修養会には必ず

ご参加になりました。

 「必ず」ということがいかに大変なことかお判りのことと存じます。最近は自らを「不老道英」、「朴念仁」ならぬ

「朴念狂」と号して、念仏人生をどう過ごすか後輩の私たちに伝えてくださっています。修養会の行き帰りにお供

する機会がありますと、

「正道さん、私は『念仏は癖になるほど申せ』という教えに従ってきました。」

「念仏には、『時間と金を惜しむな』 と教えられました。」

「食い過ぎはありますが、念仏のし過ぎはありません。」

「『アイツは少々おかしい』と言われるくらい念仏申して丁度よかったですね。」

など、念仏者の心構えを伺うことができました。修養会当日だけではなく、参加されるため、一週間も十日も前

から体調を整え準備をされるそうです。最近ご高齢のため体調整わず修養会へ不参加のことが増えましたが、

ある時、同行の方が心配してお電話申し上げましたところ、

「ええ、今回は欠席しますが二〜三 年して体調が良くなったらまた伺 います。」と元気に仰られたそうです。

「もう無理だろう」というまわりの予想に反して、今年の八月唐沢山にも登られました。この精神力はどこから沸

き起こるのでしょうか?

 九月四日の例会の時、次の様におっしゃられました。

 私の心は、一時の状態を脱して良い状態にありますが、身体はどうにも動かなくなってまいりました。わがま

まを申しますが、好きなようにやらせていただきます。九〇歳を目前にして今までの一生をもう一度見直して、

さらに一歩前進したい。あと何カ月生きるかわかりませんが、最後の生きざまをしっかりやりたいので、どうか

見守っていただきたい。今は夜中の二時、三時に目が醒めると正座して三〇分から一時間念仏することが多く

なりました。

「できても、できなくても、やってみなければわからない。」

「やっただけのものはプラスになる。プラスになるようなやり方を工夫しなければいけない。」

近所に迷惑をかけてはいけませんから注意をしておりますが、これが今の念仏行です。

「肉体はおとろえます。しかし不思 議と念仏は違いますね。これからです!」

先にお帰りになられた曽我尾さんの決意を東京真生会の方々にお伝えいたしました。

 人間の生命だけで終らないことを確信し、永遠の生命、無量寿に生きる「不老道英」、曽我尾さんの心構え、

実践を手本としたいものです。