また見てござる (上) |
「おや、明神さん。どちらへ?」 「う? なんだ地蔵どんか。どこって、社(やしろ)へ帰るんだがね」 「あれあれ? 明神さん、どうしたね? あたしが居るってことは、ここは村はずれだよ。あんたのお社とはまるで方角違いだと思うんだけどね」 「え? ほい、しまった。道を間違えたわい」 「あはははは。お社はうっそうとした森ン中、ここはいやって言うほどお日さまに照らされて、あったかいけど埃っぽい街道筋、間違えようはないと思うんだけどね。ねえ、明神さん、なんかあったかね?」 社へ帰るといいながら、明神さんは、その場に佇んだまま腕を組み、空を見上げたり、地面に視線を落としたりして、しきりに何か考えている。 悩みと言うほど深いものではなさそうだが、目が宙に浮いていた。 「地蔵どん。あんたんとこにも村の人が願をかけることがあるだろ?」 「ああ、あるよ。みんな幸せになりたいからね。わたしんとこは、子供にかかわることが多いけどね、他にも病を治してもらいたいとか、家内安全、商売繁盛…… 明神さんや観音さんとこと同じだわ。もっともこっちは、明神さんや観音さんみたいに立派なお堂に入ってるわけじゃなく、道端に突っ立ってるだけの石の地蔵だからね、あんまり深刻な願掛けじゃないな」 「ふうん、そんなもんかね。お堂があろうがなかろうが、飲んだくれのあたしより、天上から地獄の底まで六道を駆け巡る地蔵さんのほうがご利益はあると思うんだがね」 「そんなことより、どうしたね。難しい願掛けでもあったのかい?」 「ああ、とんでもなく難しい、というか、願を叶えるのは簡単なんだがね、その願をかけた意図がまるでわからんのだよ」 やぐら下の茂作から、明神さんに、奇妙な願がかかった。 五日のうちに、ひとり娘の七重を病気にしてほしい、というのだ。それも人にうつる病気で、村八分同様、家族以外は誰も近づけないようにしてほしい。もちろん死に病ではなく、半年か一年経ったら、ケロッと治ってしまうのがいい、という。 「なんだね、そりゃ? 娘を病気にしてどうしようと言うんだね?」 「さ、それがわからんから弱ってるんだよ」 茂作は女房の糸とひとり娘の七重の三人暮らし。三人とも村いちばんの働き者だから、食べる口が少ない分、家作も豊かである。まじめで働き者のうえ、茂作は物事を深く考える性質だから、推されて村の名主名代、つまり副村長を務めている。 名主は世襲だから、時によってはとんでもないボンクラが村長になることもある。こういうときに、しっかりした名代が必要になるのだが、早い話が、いまの名主を見ればわかる。 今の名主はボンクラというわけではないが、もうひとつ考えが浅くて、たとえば村に揉め事があって、名主がでしゃばると解決はするが遺恨が残る。これに対して、名代の茂作が間に入ればたいがいきれいにかたがつく。思慮深く、誰もが納得する解決策を考え出すからだ。 「そういう茂作がね、いい加減な願掛けなどするはずはないだろう? ってことはその茂作の願である以上、これは叶えなけりゃならんと言うことだよ。だろ?」 「そりゃそうだ。茂作の願なら叶えにゃならん。……が、人にうつる病気で死に病じゃなく、半年経ったらケロッと治る病気なんかあるのかね?」 「知らんよ、そんなもん。それは地蔵どん、あんたから薬師如来さまにでも聞いておくれよ。なに、いざとなったら適当な病気にしておいて、半年後に治しちまえばいいんだから、そっちのほうはどうにでもなるが、ね」 「七重と言うのは、あの嫁かず後家の七重だろ? ことし、もう三十になるかな? 気立てが良くて、働き者で、頭もいいし、なんでもよく気がつく」 「ああ。ただ器量がね、あんまり良くないもんで、なんとなく嫁き遅れてしまったんだがね。あの子を嫁にやりたいって言う願なら、腕によりをかけるんだがね、病気にしてくれって言うのはね…… 理由がわからんことには、どうしようもない」 「茂作の家に、なにか変わったことはなかったのかね?」 「それを調べようと思ってね、昨日からまる一日、茂作の家の神棚にいたんだが、だめだ、茂作も女房も、当の七重まで、言葉断ちをしていて一言も口をきかん」 「家族同士で喧嘩でもしてるのかい?」 「あの一家が喧嘩なんぞするものかい。願のせいだよ。願掛けの代償に、五日間の言葉断ちをしてるんだ」 「ありゃりゃ、そりゃ難儀だなあ」 「律義者め。誰も見てない家ン中だ、家族同士の話くらい大目に見るのに」 明神さんは、もてあましたように愚痴をこぼした。 「でね、隣近所も回ってみたんだがね…… 村は平和なもんさ、なんにも変わったことはない。変わったことと言えば、下川の喜十ンとこで犬っころが死んだくらいだ。どうひっくり返したって、犬っころと七重じゃ関係がない。よしんば関係があったって、犬っころを生き返らせてくれって願なら話はわかるが、なんで七重が病気にならにゃあならんのか」 「ふう、だめだ。茂作に聞くしかない」 「その茂作が口をきかんのよ」 「というわけで、地蔵どんもお手上げなんだがね。観音さん、どう思う?」 「うむう、肝心の茂作が口を開いてくれなければ、これはもうやって来るのを待つしかないねえ」 「え? 待つって誰を?」 「だからさ、七重に会わせたくない人物よ」 「誰かを、七重に会わせたくないのかね、茂作は」 「だって、七重をうつる病気にして、誰も近づかないようにするってことは会わせたくない誰かが来るからだろ? しかも5日のうちに、って言うんだから、その誰かは6日目にやってくる」 「へえっ、頭いいねえ、観音さん。言われてみればその通りだよ」 「褒めたって何も出ないよ、明神さん。ついでにもうひとつ。その誰かが来るってことは明神さんに願がかかった前の日か、その前の日あたりにわかったんだろうから、そのあたりに茂作の家を訪ねたものいるはずだ。それがわかれば、もう少し事情が明らかになると思うがね」 「なるほど。誰かが来て、何かの話をもちかけた。その返事は6日後に、となったが茂作はいい返事をしたくない。そこで、急遽、七重を病気にしちまおうと思い立った」 「と言うことだろうと、私は思うよ」 「なんで七重を…… む? こりゃ縁談だね。七重に縁談が来た。わしゃそう思う」 「縁談なら、なんで七重を病気にするんだろう。こういっちゃ何だが、七重の縁談ならこの際だ、少々つりあわなくても茂作は断らんと思うがね。もし婿にするには好ましくない相手だって言うんなら、小細工をせずに断ればそれで済む」 「ふむう。そりゃそうだ。茂作はそういうことをあいまいに済ます男じゃない。……また元へ戻っちゃったなあ、どうもわからん」 「もしもし、お二人さん。いまの話、聞いちゃったよ」 「かまわんよ、地蔵さん。なにか思い当たることがありそうだね」 「ああ、あるね。この件に関係があるかどうかはわからんが、一昨日なら、ご城下から検地の役人が二人、村へやってきたよ」 「検地の役人? 検地なら先月の初めに終ったはずだがね」 検地と言うのは、年貢を課すための基本となる土地の面積や肥え具合等を調査することである。村中の田畑、家屋敷の面積を調べ、それぞれの等級に応じて石高(米の反当りの収穫量)をはじき出し、その石高に税率をかけて年貢が決まるのである。 年貢は、米かお金で納めることになるのだが、百姓はほとんど金を持っていないので、米で納める。これが実は大変で、作った米はあらかた年貢に消えてしまい、自分の口にはほとんど入らないのであった。実際、村いちばんの大地主の名主の家でも、米の飯は盆と正月に食べるくらいで、あとは雑穀の混ぜ飯が主であった。 大地主にしてこれだから、中小の百姓や小作人にいたっては、生涯、米の飯を口にしたことがなかった、などというのはざらであった。 年貢は、五公五民というのが原則であるが、ほとんどの藩で六公四民、七公三民といった重税が課せられていた。なかには九公一民などと言う酷税を課したものもあったが、これはさすがに幕府の知るところとなり、領主は処罰された。 「百姓は生かさず殺さず」が家康公以来の不文律であったのである。 この村の属する藩は、まあ標準的で、六公四民と決められていた。 五公五民なら重税であってもなんとか米が食べられそうにも思えるが、先に述べたように、対象となる土地は、田畑だけでなく家の建っている部分も含まれるし、ただの荒地でも開墾可能と見れば課税対象とされた。 それらすべてを米の収穫量に換算するのである。これはあくまでも計算上の収穫量であって、米の実収とは関係がない。今日的に言えば、所得税と固定資産税を一緒くたにして、まとめて米で払え、と言うわけである。 毎年、春一番が吹いて、農繁期入りする時期になるとお城から役人たちが数人やってくる。役人たちは三日ほど村に滞在して、各家ごとの石高を決めてゆく。この石高により各戸の年貢が決まるのだが、戸別の納税では、病気などで農作業ができなかったりして未納、滞納が発生するため、実際の納税は全戸の石高を合計して、村が責任を持つことになっていた。 そのため、検地は各戸はもとより、村全体の何よりも大事な行事であった。 役人にとっても、検地は重要な作業であった。 年貢がきっちり納められないと、藩の経営が破綻してしまい、自分たちの給料の遅配、欠配が起こることはもちろん、領主の転封や改易と言う事態になれば、失職して浪人になることにも繋がる。 そこで、課税と徴税は、徹底的に厳しく行うことになる。 もっとも百姓のほうも、役人の言うことに唯々諾々と従っているわけではなく、さまざまな手立てを講じて役人をたぶらかそうとする。隠し田を作って実収を上げるのはもちろんのこと、わざと田んぼを変形させて計測を難しくしたり、未調査の田んぼを計測済みのように錯覚させたり、あの手この手をくりだして役人を騙くらかす。 滞在中は、自分たちも食べたことのない山海の珍味と上等の酒を振舞い、絹の布団に寝かせる。特に酒は、浴びるほど飲ませるのだが、これは二日酔いにさせて計算を間違えさせるためだ。 夜明けと共に調査が始まるのだが、二日酔いのうえ、わざと塩辛い朝食を食べさせられて、二刻も経つと、役人たちは喉が渇くは疲れるはで、調査のほうはどうしてもおざなりになる。 初日こそ、勢い込んでやってきた役人たちも厳しく検地の作業を進めるが、二日目、三日目には単調な作業がばかばかしくなって、結局、前年並みの数字でお茶を濁すことになる。 「で? その検地の役人は、なにをしに来たのかね?」 「いや、それはわからん。明神さんは気がつかなかったかね?」 「知らんね。役人なら、名主の家に行ったのだろうがね」 「先月の検地に何か問題があったんだろうか?」 「あったとすれば、いまごろ村は大騒ぎになっているはずだね。役人がわざわざやって来て、いい話なんてありっこないからね」 「その割には村は静かだね」 「うん。名主の様子もふだんと変わらんし…… こりゃあ、関係が大有りだね、茂作の願掛けと。役人が来たのに名主が動かず、騒ぎの気配もない。動いたのは茂作だ。茂作が奇妙な願をかけた」 なすすべもなく五日が過ぎて、七重は病気になった。 なんの病気かはわからない。明神さんによれば「とりあえず熱を出した」んだそうだ。村には医者はいないから、熱が出れば寝てるしかない。 たいがいの病気は静かに寝て、薬草を飲ませておけば七日ほどで治る。ひどくなるようなら、村中の各家に伝わる先祖伝来の秘薬を総動員すればいい。 それでもだめなら、隣村の怪しげな呪術を使うお熊婆あか、三里ほど離れたご城下から医者を引っ張ってくるしかないが、ここ数十年、そんな騒ぎになったことはない。 明神さんは、「とりあえず熱が出した」だけで人にうつる病気ではない、とも言ったが、この時代、はやり病と言うのは民衆にとって何よりも怖い。だから、誰かが病気になると、よほどの用事がない限り、誰もその家には近づこうとしない。 つまり、七重が突然、熱を出して寝込んだと言うだけで、茂作の願は半分だけ叶った形になった。あとは半年後あたりに治ればいいわけだ。 もっとも熱を出して寝込んだと言っても、七重はしごく元気だった。 熱と言うものは、ふつう、どこか体が悪いから出るものだ。体がどこも悪くなくて熱があると言うのは、要するに普通の人より体温が高いと言うだけのことだから、日常生活には別段支障はない。 さて、なすすべもなく、と言ったが、この間何もしなかったわけではない。 茂作が言葉断ちをしていて、こちらからは何もつかめなかったので、地蔵さんは、地蔵ねっとを使って、お城の勘定方の情報を収集した。 ほとんど何もわからなかった、と言っていい。 わかったのは、六日前に村へやってきた役人のことだけで、肝心の何をしに来たのかがわからなかった。 ひとりは、勘定方与力、内藤与惣兵衛、二十七歳。 藩内でも切れ者で通っていて、いずれ組頭に引き立てられるのではないか、老臣たちの引きがあれば、勘定奉行への抜擢も夢ではない、とうわさされている。 もうひとりは溝口徳之助。今年お役に就いたばかりの平役人で、三十一歳。 この歳になって初めてお役に就くというのは珍しい。ふつうは元服後、数年の後、つまり十八歳にもなれば父親に替わって家の当主となり、お役に就くのだが、徳之助の場合は、父親が検地のエキスパートで、勘定方で重宝されていたことから隠居が遅れ、この年になってようやく代替わりが許されたということである。 勘定方というのは要するに経理部、事務職だから、算盤と書に秀でていなければならないが、この男はそちらのほうはそこそこで、なんと一刀流免許、藩営の道場の師範代と言う肩書きを持つ変り種だった。 「茂作は名主名代だから、茂作のところに役人が来ること自体は不思議ではない。ただそれは、名主が不在か、病気にでもなって職務ができないときだ。だが実際には名主は村にいてピンピンしている」 「どういうことだろうね。名主には聞かせたくない話か、もともと名主には関係ない話、っていうことかな?」 「うむ。名主には聞かせたくない話と言うことだと、なにやら陰謀めいてくるけど、そういうのは名主以上に村人に人望のある茂作には似合わないな」 「となると、名主には関係ない話ということだ」 「名主に関係ない、つまり村の公式の問題ではない。とすると、私的な問題と言うことになる。茂作の家の私的な問題か? そんなものに役人がなぜ関わるのか。役人の側の私的な問題か? 役人の私事に貧乏百姓がどう関係する?……ふむ」 「いずれにせよ、役人と私的なかかわりが出てきたので、茂作はその対策として、七重を病気に仕立て上げた」 「そういうことだね、明神さん。だが、なぜ七重なのか? なぜ茂作は自分自身を病気にしないのか? ……これは明神さん、あんたの勘通り、七重の縁談かもしれない」 「役人が七重に縁談をもって来たっていうのかい?」 「そうだよ。役人が持ってきた縁談だから、茂作は、受けることも断ることもできなかったんだ。それで窮余の一策、とりあえず七重を病気に仕立て上げたんだろう」 「うん、納得できる。それに違いない」 茂作は、武家、とりわけ役人が大嫌いだった。 名主名代という立場があるから、役人とはニコニコ顔で付き合いはするが、家へ帰れば、ひそかに塩をまいて身を清め、神棚に向かって、いつかはやつらを肥溜めに叩き込んでやる、と誓っている有様だった。 その役人がもって来た縁談など、どんな良縁でも、話を聞く前に断ってしまいたいところだろう。 だいたい武家と言うやつらは、ふだん百姓を虫けら以下にしか見ていない。そんな百姓に、縁談など持ってくるはずはないが、仮にそんな話を持ってくるとすれば、それはなにか腹に隠した魂胆があるに決まっている。 だが、相手は役人である。話も聞かずに断ってしまっては、いや話を聞いたとて同じこと、受けずに断ればどんな無理難題を押し付けられるか知れたものではない。 明神さんには、茂作の苦悩がよくわかった。 「どうすりゃいいだろうね。観音さん」 「うむ。縁談かどうかも含めて、もう少し情報がほしいところだね。ねえ、地蔵さん、その内藤なんとかと、もう一人の役人の家の仏壇か神棚にはねっとは繋がっているのかね?」 「もちろんだよ、観音さん。今そちらの情報を取っているところだ。ついでに役所がこの件にどう関わっているか、勘定奉行のところももう一度調べてみるよ。なんなら殿様のところも聞いてみようか?」 「殿様はいいよ。こんな貧乏村の百姓娘のことなんか、殿様は知らんだろうからね」 「そんなことないだろう。この村のことは、殿様はよく承知していると思うよ。だって、ほら、例のこじき坊主に騙されて、観音さんのお堂を立派な寺にしちゃったお殿様だもの」 「やれやれ、寺はできたけど、坊さんに逃げられちゃってね。そのうえ都に問い合わせたら、そんな仏像のことは知らん、と突っぱねられたらしい。だからお殿様は、この村の名前を聞くのもいやだろうよ」 「わかったよ。明神さん、観音さん。やはり七重の縁談だった」 「ほう。で? 役人が持ってきた七重の婿殿というのは、どこの誰だい?」 「いや、本人が来たんだよ。溝口徳之助」 「なんだって? 侍が百姓娘を嫁にすっるてえのかい? そんなばかな!」 「誰だってそう思うよね。だから内緒にしていたらしい。お城でそんなことがうわさにでもなったら、話が壊れるどころか徳之助とやらはお咎めを受けかねない」 「じゃ、ばらしちゃおうよ。溝口ナントカはお咎めを受けて、この話はなかったことになる。それで一件落着。茂作一家もホッとするだろう」 「まあまあ、明神さん、そう急ぎなさんな。役人が百姓に縁談を持ってくるのが妙なら、婿殿が当の役人だって言うのも妙じゃないか。なにか裏があるのかもしれない。裏があるんなら、そちらのほうもきっちりけりをつけないと、後で茂作一家が苦しむことになるよ。縁切りなんていつだってできるんだからもう少し事情を確かめてからにしようよ」 「観音さんはいつもそうやってのんびり構えるけどね、病気の七重のことを考えてみてよ。一日も早く楽にさせてやりたい」 「なにを言ってるんだか。七重は熱があるだけでどこも悪くない。ピンピンしてるんじゃなかったかな?」 「そりゃ、ま、そうだけど…… じゃ、ま、ここは観音さんの顔を立てて少し様子を見ようかね」 |
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