禁 断 領 域

(2)




  2.一 条 の 光

 深夜。
 パソコンに向かった。

 何事によらず、問題の解決には、原点に立ち戻ることである。
 この問題の原点は、不知によるものとはいえ、明確に表示された注意を無視して禁を犯したことにある。その結果、激しい地獄の火に身を焼かれる存在となった。
 この状態からの解放には、再び聖なる霊との接触が必要と思われる。
 しかし現実は、聖なるもの、聖なる地域への接近すら不能なのである。

 地域の方は、地図を確認することにより、ある程度避けて通ることは可能である。
 しかし聖なる者、たとえば僧侶、牧師などは法服をまとっていなければ見分けようがない。実際、何もない路上で厳しい拒絶反応に出会ったことがたびたびある。
 確認のしようがなかったが、おそらく人ごみの中に「聖なる者」が存在 したのであろう。

 聖域には近付けない、聖なる者とは面接できない。
 書店や図書館の宗教書コーナーで、片っ端から関連する書籍を開いてみた。本はただの紙であるから触れることはできるが、文字が読めなかった。いや、読むことはできたのだが、まったく頭に入らなかった。
 何軒かの寺に電話をかけてみた。
 電話はつながったが、会話ができなかった。こちらの声はきこえているらしいし、先方の「声」も聞こえるのだが、それはただの音であって言葉ではなかった。
 手紙を出してみたが、返事はなかった。

 インターネット・エクスプローラーを開く。
 アクセス履歴を確認する。
 あの密教のサイトのURLは保存されていた。

 もしかしたら、これも消え失せているのではないか、また新たにこのサイトにアクセスすることもできないのではないか、という不安があった。
 インターネット・アクセスは、最後の手段であった。
 このページに記載されているであろうアドレスに、メールで問いかけようと考えたのである。
 手紙に返事がなかったことから考えると、メールでも同じようなものとも思えたが、手紙が便箋、封筒などの物的媒体によってつなげられるのに対してメールは、相手と直接の接触はない。

 それに、「原点」はこのサイトにあるのだから、解決の糸口もここにあるのではないかと考えた。
 手が震えて、ポインターをURL上に停止するのに苦労した。
 クリックすると、見覚えのあるページが開いた。

   おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに
   はんどま じんばら はらばりたや うん

 数度、繰り返して黙読した。
 もう一度音唱してみようか、という誘惑に駆られたが、思いとどまってページを精細に読んだ。

 注意書きと、前には読まなかった「講話」を読む。
 わかりやすい、柔らかい言葉で、この真言、光明真言を解説している。 一言一句、その意図するところを漏らすことなく読み取ろうと神経を集中する。
 光明真言は、大日如来の真言で、全宇宙の平和と安全を祈念するものだという。二度繰り返して読んでみたが、自分が当面している極限的な事態に関連のありそうな文言はなかった。
 それどころかこの真言は、明るく希望に満ちたものであることを教示していた。

 やはり、わが身に起こっている事態は、面白半分に禁を犯したものへの仏罰と考えるしかなかった。

 「お問い合わせ」「悩みごと相談」というふたつのリンクマークが見つかった。どちらもメールリンクであろう。
 「悩みごと」のほうを選択する。
 不安だった。
 考えられる限りの手段を試したあとの、いわば最後の道であった。このサイトが、万一閉鎖されていたり、アクセス拒否をされたりしたら、永遠の無間地獄をさまようところだった。

 別窓が開いた。
 メールソフトが起動するものと思っていたが、違った。

 「 おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに
   はんどま じんばら はらばりたや うん

 「ここはチャットルームです。
 「一般的なご相談で、多くの方のご意見を聞きたい方は、ここからお入りください。
 「秘密を要するご相談は、セキュリティで保護されたエリアでお話を伺います。下のバン(梵字=フォントがありません)をクリックして次のページにお進みください。お名前ほか、個人を特定できることは一切必要ありませんので、ご安心ください。
 「24時間、専門の僧侶が1対1で受け付けます」

 迷った末、とりあえず一般相談コーナーに入ってみた。
 ハンドル登録を求められ、完了するとすぐ、チャットルームがアクティブになり、テキストボックスが開いた。
 なんだ、これは!

 飴挨円∬‡@鰻穐ヨケ※※⊂√怨課茅距※●<
 襖荻Ш∠♯机環頚珪△●<型授曾申¥%※※※/〃袈
 九繰躯‡※☆彩墾些根収○▼●弱手煽浅
 摂濁黛◎∋¥¥瀧第茸奴=×♯9V轍殿土※+判噺畑◎●&発布
  ……

 データ表示によれば、3人、チャットに参加しているようであるが、ハンドルもログも、すべて文字化けしていて、まったく読めない。
 やはり、だめか。

 絶望を感じながら画面に次々表示される意味もない文字を眺める……

 なにっ!

 飴挨円∬‡@鰻穐ヨケ※※⊂√怨課
 茅距※●<襖荻
 
竜華:さかわさん、いらっしゃい
 Ш∠♯机環頚珪△●<型授曾申¥%※※※/〃袈

 無意味な文字の羅列の中に、ポツンと意味を持つ行が現れた。

 鰻穐ヨケ※※⊂襖荻Ш∠♯
 机環頚珪△●<型授曾申¥%※※
 
竜華:ご心配なく、ここの皆さんは、信仰の深い方たちです
 
竜華:安心して参加してください
 ※/〃袈九繰躯‡※☆彩墾些根収○
 ▼●弱手煽浅摂濁黛◎∋¥¥瀧第茸奴=×♯9V轍

 他のログは相変わらず読めないが、竜華という、察するに僧侶と思えるBLらしい人のログだけが、明らかに自分に向けて語り掛けていた。

 キーボードをたたく。
 入力。「こんにちは backspace こんばんは。さかわです enter」

 課茅距※●<襖荻Ш∠♯机
 
さかわ:こんばんは。さかわです
 環頚珪△●<型授曾申¥%※※※/〃袈九繰躯‡※☆
 彩墾些根収○▼●弱手煽浅摂濁
 
竜華:こんばんは。あらためて、いらっしゃいませ
 曾申¥%※※※/〃袈九繰躯‡※☆彩墾些根収○▼●弱

 入った!
 半分あきらめていた聖域との接触に成功した。もちろん、こちらの身分も、相手方がどういう立場のものであるかも不明だから、まだ不十分であるとはいえたが、とりあえず手がかりを得たことだけは間違いない。

 どういう風になっているかはわからないが、周りの文字化けチャットが続く中で、竜華氏との会話だけは明確に継続できた。まわりの文字が読めないだけに、かえって1対1の会話が浮き彫りになった。
 必死になってキーボードを叩く。
 ミスタッチも、誤変換も、一切無視して現状を説明する。
 悪ふざけで光明真言を弄んだことを詫び、救いを求める。

 竜華:さかわさん、これは大変難しい問題です
 竜華:ここでのご相談では不十分です
 竜華:午前2時を過ぎたら
 竜華:トップページ記載の番号に電話してください

 「わかりました」と送信して、通信を切断した。
 闇の中に、わずかな光明を見出した思いだった。
 心の中で、その光明に向けて真言を唱えた。

   おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに
   はんどま じんばら はらばりたや うん

 午前2時1分。
 震える指先で、指定された電話番号をプッシュした。
 「×××、×××××××。×××? ××、××××?」
 だめだ……
 3コールで、やわらかい女性の声が応えたが、あちこちの寺に電話を架けまくったときと同じだった。声は聞こえるが、言葉が聞こえない。

 「お願いだ! 竜華さんを、竜華さんと話させてくれ!」
 「××××、×××? ××、×××××? ……×××××」
 「頼む。私の声を聞き分けてくれ! 竜華さん、竜華さんを」
 「……××、××××。×××××」
 「もしもし、もしもし!」
 「……」

 声が途絶え、やがて切断音が響いた。
 絶望だった。
 いや! 望みはまだある!
 再びパソコンに向かい、インターネットに接続した。
 http://www.e.....or.jp/..../

 密教のサイトは生きていた。これだけが、ただひとつ許されたルートか。
 「悩み事相談」のバナーをクリックする……
 「ちがうっ!」
 開いたページは真っ白だった。

 ようやく探し出した一条の光が消えた。

   おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに
   はんどま じんばら はらばりたや うん

 汚れきった現世をあまねく照らす大日如来、その偉大なる力を持つ光明真言だが、神聖なる領域を侵した罪人には、それはむしろ呪いの言葉として響いた。

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