禁 断 領 域

(1)



   おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに
   はんどま じんばら はらばりたや うん

   1.白 い 闇

 道路が突然、大波のようにうねり、車ごと撥ね飛ばされた。
 地震かと思ったが、違った。他の車は、何事もなく、整然と走りつづけている。
 路肩に投げ出されて横転した車からようやく這い出ると、付近にいた人々や緊急停止した後続車両の運転者らが駆け寄ってきた。
 「大丈夫か? 怪我はないか?」
 皆が叫んでいる。「死んだんじゃない?」という声も聞こえた。
 怪我はしている。それも大怪我だ。だが「大丈夫だ」と答える。
 全身打撲。左腕は全く感覚がない。額に裂傷があるらしく、ぬらぬらとした血が滴り落ちている。腹部には、シートベルト切断とウィンドウガラス破砕用に車内に常備しているレスキュー用のナイフが深々と刺さっていた。
 誰が見ても大丈夫なはずはないのだが、「大丈夫だ」と断言できた。

 そんなことよりもいま起こった現象についての解明が先だった。
 ここには何も見当たらない。この道路には何もないはずだった。
 善意で救助に当たる見も知らぬ人々に感謝しつつ、周辺の施設や建物に目を凝らす。
 「あった」
 血でかすむ目に、やや離れた路外に小さく掲げられた看板が映った。
 浄観寺月極駐車場。そう書かれていた。
 やはり、ここは聖なる地だったのだ。
 それを確認して、意識を失った。

 意識を取り戻したのは、病院のベッド、正しくは手術台の上だった。
 何人もの医師や看護婦に囲まれていた。どうやら腹部の手術が行われている様子だった。
 「やだ! 目が!」
 女の金切り声が響いた。意識の回復に、看護士の一人が気づいたようだ。室内の様子が急にあわただしくなった。

 「実のところ、手のつけようがなくてね。時間の問題だった。手術といったって、まさか刃物が腹に刺さったままの死体を葬儀屋に渡すわけにもいかないからね。抜いておこう、という程度のものだった。死ぬ前から不謹慎だが、要するに清拭のつもりだった。ただねえ・・・」
 医師はカルテに目を落とし、ため息をついて続けた。
 「不思議といっていいかどうか、いつまでたっても心臓が止まらないんだよ。身体中の血液がほとんど全部流れ出してしまっているのにね、心臓は働き続けていた」

 それで生き返ってしまった。わかっていることだった。
 医師には理解できないだろうから説明は省いたが、今までに何度も経験していることだった。何度も死に瀕したが、死ななかった。

 事故発生から半日後には体力が回復し、自分の足で歩いて病院を出た。
 警察のパトカーが待っていて、警察署への同行を求められた。
 単独事故だとはいっても、車が横転し、運転者が、一度は医師に見放されるほどの重傷事故だったのだ。警察としては、事故原因をきちんと究明しておかねばならないのだという。
 車に欠陥が認められず、道路にも問題がない。ならば考えられるのは、運転者の過失、つまり速度の出しすぎとか、飲酒もしくは薬物使用による運転操作ミス、ほかに、たとえば貨物車からの積荷の落下や、路外からの投石等、犯罪も考えられるからだ。

 事故原因はわかっている。しかし、それを説明しても警察官にはとうてい理解できないだろう。だから、「速度の出しすぎによる運転ミス」だったと主張した。
 他人やその財物への加害行為がなかったこともあって、首をかしげながらも警察の聴取は終わった。
 担当官にしてみれば、死んでいて当然のけが人が、半日程度で体力を回復して歩いて警察にやってきた。そんな薄気味の悪いヤツからいくら事情を聞いても埒があかない。そう悪いヤツでもなさそうだから、早いとこ厄介払いをしてしまおう、といったところだろう。

 事故原因は、聖なる霊による罰である。
 事故のあった個所は、見かけはただの道路だが、おそらくかつて寺の境内、寺域であったのだろう。浄観寺なる寺の経営と思われる駐車場が認められたことでそう推測できる。

 邪悪なるものの接近に、聖なる霊が激しい拒否の意思を示したものである。
 これと同じことが、いままで何度も繰り返されている。
 寺に限らず、神社、教会、その他、まがい物ではない聖域に近づくと必ず、なんらかの事故が発生した。要するに、霊域がその霊力によって張り巡らせたバリアによって、跳ね飛ばされたわけだ。
 霊力が強ければ強いほど、反発力も強いので、今回のような重大事故になるし、逆にどんなに豪奢な社殿があっても、霊力の無いまがい物の場合はなんの事故も起こらなかった。

 裸になってみるとわかるが、全身すさまじい傷痕に彩られている。
 どの傷をとっても普通の人間なら生きてはいられない怪我によるものだった。

 「死ぬるを許さず」 それがこの身に与えられた罰であった。
 人のすべての活力は、死の存在で裏打ちされている。必ず死ぬという諦観と死後への恐怖が生への執着を生み出し、生き抜くための人の積極行動を引き出している。
 不死は、人の願いだが、それを手にしたものは生きながらの地獄を味わうことになるのである。

 「死にたい。死なせて欲しい」
 それが願望であり、そのための求道の道を歩んできた。

  おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに
  はんどま じんばら はらばりたや うん

 ある深夜のことだった。
 ネットサーフを楽しんでいて偶然、ある密教のサイトにアクセスした。
 冒頭に注意書きがあった。

 【ご注意】
これは、きわめて力の強い 光明真言 です。
この真言は、扱いを誤りますとたいへん危険です。ここに記す【注意】は必ず守ってください。
 1. 真言 を唱えるときは、大日如来を念じ、宇宙と人類の平和を祈りつつ、唱えてください。
 2.特に修行未熟の方は、午前0時から2寺までの間は、唱えないでください。
 3.無用無縁の方は、みだりに音唱しないでください。

 なにを馬鹿な。16ポイントのひらがなで書かれた、意味不明の呪文。2度ほど黙読し、3度目に音読した。

 大地を揺さぶる轟音とともに、何百万ルクスの光明が現出した。光明に目を焼かれ、次の瞬間、暗黒の中にいた。
 闇が濃度を増していた。濃度に比例して全身に圧力が加わる。何百気圧、何千気圧、いや何百万気圧か、計り知れない圧力がかかっていた。
 無音無明、超高圧の世界であった。意識だけの世界であった。
 時間の経過はわからない。

 圧力が解けた。
 目を開くと、後でわかったことだが、司法解剖の最中であった。
 二人の医師による全身の視認所見が終わり、これからメスで切り開こうという、まさにその瞬間であった。
 「ぐぉっ!」っと奇声を発し、医師と助手が気を失った。不審な死体を切り刻むのには慣れた人たちだったが、この段階で生き返ってくるものには出会ったことがなかったようだ。

 全身数百箇所に骨折が認められ、すべての臓器が破裂しており、生きているのが奇跡だと医師は言った。
 「なぜ、こうなったのかね?」
 その疑問は当然だった。家でデスクに向かっていた人間が、そのままの姿勢で何千メートルの海底に沈んだかのような状態で発見されたのである。
 病死でも自然死でも、服毒死でもない。明らかに外的要因による死、つまり事故死であった。だから司法解剖が必要だったのだろう。
 「圧死」
 それが、死体発見現場で「遺体」を検案した医師の所見である。

 なぜ死ななかったのか、はじめは自分にも理解できなかった。
 だが、こうなった原因は鮮明な記憶により、理解できた。
 深夜、午前1時近い時刻に、あの真言を、禁を犯してふざけて音唱した。
 聖なるものを冒涜するほどの気持ちはなかったが、その行為が禁断の領域を侵したのであろう。

 その日以降、次々と、さまざまな災難が襲ってきた。
 死なないといっても苦痛がないわけではない。あまりの痛み、苦しみにいっそ死んでしまいたいと願った。
 だが、死は許されなかった。

 自ら首を吊ったこともあったが、一週間ほどぶら下がり、苦しみぬいたあげく救出された。
 ビルの屋上から飛び降りたり、農薬を飲み込んだり、さまざまな手段で死を掴み取ろうと試みたが無駄だった。そのつど、医師や看護士を気絶させるだけで終った。
 自らの意思で死のうとして、それが達成されなかったことにより、自分に下された仏罰がなんであるかを悟った。
 「死にたい。死なせて欲しい」

 死んで平穏を取り戻すには、侵した禁断領域から出なければならない。
 その方法は? それを知るものは、あの密教の僧侶しかいない。

 絶望という言葉の意味を知ったのは、このことに気づいた後であった。
 先に述べたように、霊域にはバリアが張られており、密教の僧侶どころか、聖域にすら接近することが出来ないのである。
 それは、まさに地獄であった。

   おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに
   はんどま じんばら はらばりたや うん

 死は解放である。死は平穏である。死は快楽である。死は静謐である。
 死には終わりがない。
 死を失ったものの求道にもまた終わりがない。

「禁断領域(2)」へ