白  石
 ● ぼくの細道
 国見峠を越えると伊達藩に入る。
 このあたり、今では広々とした国道4号線や高速道路、JR東北本線、新幹線が走っているが、逆に言うとそれらが一箇所に絞り込まれて建設されるほど山に囲まれて狭い。
 鐙摺、と呼ばれるところがある。
 馬がすれ違うと鐙が擦れ合うほど狭い、という意味で、奥州街道有数の難所だった。
 一般の通行に難所ということは、軍事的には有効ということで、古来、「伊達の大木戸」と呼ばれる国境の番所(入国管理事務所)がおかれていた。
 国境を守るのは、仙台藩きっての重臣、伊達政宗の軍師といわれる白石城主片倉小十郎。知略に優れ、これには徳川幕府も一目置いたという。そのために「一国一城」令の例外として仙台藩は一国二城を許された。許されたというよりも、江戸幕府にとって危険なやつは城を持たせて目立つところにおいておけ、ということだったのではないか、と思う。
 
 さて鐙摺を抜けた芭蕉翁は、街道沿いの田村神社に立ち寄った。ここには飯坂・医王寺の章で述べた、佐藤兄弟の嫁の甲冑姿の像がある。が、芭蕉翁が訪れたのはそういう怪しげな遺物を見るためだったわけではなかろう。
 翁は、奥の細道の旅でたびたび「田村神社」に詣でている。東北地方には「田村神社」が多い。この神社は、武の神、坂上田村麻呂を祀った神社で、もともと武士として長短二刀を腰に差していた芭蕉翁にしてみれば、もっとも身近な神様だったのかもしれない。
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