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■『軍艦島-眠りのなかの覚醒』
 2005年7月14日 山本純一さん

「好きな時にいつでもその世界に触れられる」という悦びは写真集ならではのもので、写真集『眠りのなかの覚醒』を好きな時に開き、幾度も見ています。
先日、飯沢耕太郎著の『写真について話そう』の中に、さい賀さんの『軍艦島』を評した文章を目にしましたが、実はこの文章より大辻清司氏の連載に書かれていた一節に、さい賀さんの心情がより現れているのでは、と思い記載をしてみます。

「この写真はどれも、特別のモノや特別の場所ではありません。
日常のありふれたモノや場所です。
しかしそれでいながら、なんとなくおかしい。なぜ、奇妙なのか、
そのときはよくわからないのですが、こんな場面にゆき当たると、
私は心をはずませて写真を撮りはじめるのです。」

この一節を目にしたとき、『眠りのなかの覚醒』の後半に写し出されているモノたちは、こんなはずんだ心で撮られたに違いないと思いました。
木魚、恵比須さま、優勝カップ、蓮の造花、ふぐのおひれ、東京タワーの置き物。
どれもチープなもので、おかしなものばかりなのですが、長い年月という衣を羽織ると、見違えるほどのパワーを持って迫り、木魚を木魚以上のものに見せてしまいます。これは見る私がそう見てしまうのか、さい賀さんのまなざしがそうさせるのか。
モノが持つ意味や存在をあらためて感じてしまった、モノクローム写真集でした。
失礼します。

こういう見方が出来るのは、あなたに素直な感受性があるからです。
「棄てられたことで、島は自由を獲得した。島に残された通俗的で見慣れたはずのものが、初めて見るもののように、新たな概念をぼくに突きつけた」。島でぼくはそう感じました。それは驚きでした。ただし、ぼくが感じた
そのままを追体験してほしいわけではありません。
自分の眼で見て、感じたことを大切にして下さい。あなたは見ることの自分の視座を持っています。素晴らしいことです。
メールありがとうございます。


■『天主堂-光の建築』
 2004年6月19日  関 和浩さん 

まず感じたのは、手取天主堂、江袋天主堂など数ヶ所に使われている、左右ほぼ均等の画面構成となるページが非常に面白いと思いました。ベルサイユ宮殿の「鏡の間」のような面白い構成だなと感じました。一見左右均等のように見えるものの、よく見ると左右それぞれが別々の景色で、それらが合わさる事で、ひとつの風景を作っているとでも言えば良いのでしょうか、このような構成というのは「写真集」という手段ならではのものだと思います。
「次はなにが出るのだろう?」という期待感にわくわくしながら、自分の手でページをめくる醍醐味は「本」という手段にしかありえません。
カラーとモノクロという事で感じた事があります。「shijima」展のおり、旧・野首天主堂の室内を撮影した作品があったと記憶しているのですが、モノクロの方は当然ながら光と影のみが存在し、時間や空気といったもの全てが凍結され、何も動くものが無い静寂感を強く感じさせます。
それに対し「天主堂」のカラー作品は、静寂ではあるものの、空気や木のにおいなどが想像でき、どうかすると、奥の扉を開けて誰かが入ってくるような期待感さえ抱かせます。作品としては、それぞれの良さがあるのでどちらが良いとは言えませんが、以前先生の言われた「コンセプト」の違いによって、同じ風景を撮影しても、このような違いになるのか、という事が良く分かった気がします。
個人的に一番気に入った作品は75ページの手取天主堂の写真です。先生のHPにも同じ作品がありますが、やはりパソコンの画面上で見るのとは大違いで、とても美しく感じました。パソコンの場合、写真集と比べても半分以下の魅力しか伝わってこない気がします。今回掲載されなかった他の天主堂作品も個展、もしくは写真集として拝見する事ができれば良いな、と考えています。

メールありがとうございます。



■『軍艦島-眠りのなかの覚醒』に対して感想を下さった方々に感謝します。2003年8月で一旦掲載をやめたのですが、その後も送られてきますので、継続します。これらの文章はこちらが意図的に削除した部分はありません。



■2004年1月30日  辻 明子さん

以前、ホームページより『軍艦島』リクエストを行い、この写真集を郵送していただきました。そのときの約束が、「感想を送ること」でしたので、遅ればせながら、メールいたします。(実はなんどもメールを差し上げようと思ったのですが、今まで上手く文章にできなかったのです)

今日まで、軍艦島の写真集を何度眺めたかわかりません。
はじめは、その奇怪な島の風貌と巨大な建物が朽ちてゆく様のグロテスクさに目を奪われました。しかしながら、いつしか、入島禁止というタイムカプセルのような機能による人々の暮らしのぬくもりと、それをかき消そうとする自然のダイナミズムのかもし出すなんともいえない空気に、目をくぎ付けにされていることに気が付きました。
同じような風景を私は以前アメリカのデトロイトで見たことがあります。ゴーストタウンと呼ばれるその街は、かつてのフォード城下町としての繁栄を凋落を体現しているのでした。そこでの、人工の巨大建築物の衰える様子の悲しさ・そこのすさんだ暮らしは、人間の営みのもろさと愚かさと愛おしさを感じさせるものでした。
デトロイトと軍艦島の共通点、それは、巨大建築物が滅びていくというところにあります。つまり、一つの産業のみに依拠していた町が、その産業の衰退とともにすさんでいく現実です。そこには、単に建築物の崩壊のみならず、様々なことが進行中なのであり、そして何か人々に訴えかけるものがあるのです。
上手く文章にすることはできませんが、私は、「人間の作ったものが滅びること・古くなること」からいろいろなことを感じます。雜賀さんの写真を見ていると、その「いろいろなこと」をさらに、虫眼鏡で拡大して眺めているような感覚に陥るのです。そうして自分の感じることを増幅し、胸をいっぱいにすることができるのが、なんとも心地よいのです。今まで私は「写真」というものを楽しむ習慣が無かったのですが、これを機会に大変興味を持つことにもなりました。この点も大きな収穫の一つです。次は、生の写真展なども機会を見つけていってみようと思っています。
本当にこの写真集を見ることは、喜びを感じます。この写真を私に届けて下さった雜賀さんに、心からお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。これからも、雜賀さんの写真と文章を楽しみにしております。変わらぬご活躍を是非是非お願い申し上げます。 それでは。

今まで写真に関心のなかった人に、興味を持ってもらえたことは、嬉しいことです。いい写真家は結構います。他の写真家の作品も見て下さい。ところで、ぼくは島を滅びの「悲しさ」というような感情論ではなく、全く違う次元で見ています。この写真を見る人たちにも「悲しさ」から自由になって、いろいろなことを感じてほしいものです。あなたは既にその兆しがありますね。
メールありがとうございます。



■12月4日  宮本 佐紀子さん

私は写真に狂っている関係で偶然、市の図書館で雜賀氏の写真集(新潮社版)に出会いまして、それからずっと気になっていました。最近、本屋でリニューアルした『軍艦島』を発見して、手元に持つことができました。
物言わぬモノたち、モノクロの画面からわっと強烈な衝撃が飛びこんできました。人が住まなくなった建物のにおいと潮を含んだ湿って重い空気があまりにも伝わりすぎてきて、あたかも自分がそこに立っているようで、異様な刺激に少し気分が悪くなるほどでした。
実は私が軍艦島を知ったのは、小さい頃買ってもらった小学館の図鑑でした。島を空撮した写真が一枚と子供向けの文が少しでしたが、海に排出された生活用水が島を縁取り、当時の活気をあらわしていたように思います。それから30歳を過ぎて、このような形で再会するとは予想だにしていませんでした。エネルギーが石油に移り変わったように、石炭の島も記憶の片隅に 追いやられていたかのようにです。
学生時代から通われたとのことですが、ホームページの74年の作品を拝見すると、その見る目や感じ方がニュートラルかつ的確で、大人びた雰囲気さえ感じました。私はその頃はそこまで考えていなかったし、問題意識はあっても「意識しているつもり」だったのかなと。巻末に近い撮影記録も胸に迫りました。特に”お父さん、お母さん、千鶴、洋一と書かれた歯ブラシ置きには、それぞれの大きさの歯ブラシがあった。醤油が半分とソースが3分の1残っていた。…”というくだりには涙があふれてきました。今そこにある生活が、ある日ぷつりと途切れてしまう、そんな悲しさを感じます。
あれ以来、心に何か「ずしん」と残っていて、どうしてもお手紙が書きたくなり、淡交社の方からホームページを紹介していただきました。うまく文で気持ちを伝えられるか心配ですが、私の心に大きなインパクトを与えたことは確かです。これからも時々本棚から取り出して、この「ずしん」の理由を、ページを めくりながら探していると思います。
どうかお体にはお気をつけて、ますますのご活躍をお祈り申し上げます。

「あたかも自分がそこに立っているようで、異様な刺激に少し気分が悪くなるほどでした」これは作家にとって嬉しい言葉です。それから、ぼくの写真には問題意識などは全くないことを断っておきます。また「追想・軍艦島」という文章は閉山時の単なる記録であり、写真とは直接つながりがありません。あなたはこの文章に縛られずに写真を見て下さっていると思いますが、写真の解説と誤解して読む人が多いため、今回の出版では、掲載をやめることも検討しました。
メールありがとうございます。



■5月29日  高山真喜さん

写真集が届いてから、何度となく本を開きました。そして何度もこう思いました。 何度も何度も「あぁ、良いなぁ。」と思いました。私は文章や言葉で気持ちを表すのがニガテなので、 こう言う簡単な言葉しか思いつかなかったのかもしれませんが、それは羨望の「良いなぁ」でもあり、 納得の感動の「良いなぁ」でもあるのだと思います。
最初はただただ「良いなぁ」と思うばかりでしたが、何度も本を開いていくと、その「良いなぁ」も しみじみとしたものに変わっていきます。雑賀さんの歩いた道のりなんかを想像してみたり、 出合った建物、風景、風なんかを想像してみたりもしました。そしてしみじみと「良いなぁ」と思うのです。 そして、この軍艦島の写真集が私の原点なのだと思いました。

現代の人間は想像力が鈍っていますが、想像することは非常に正しいことです。その上で自らも行動して下さい 。(端島へ行くことを奨めているのではありません。あなたにとっての端島を見つけてはどうですか。)
メールありがとうございます。



5月15日  三浦美紀さん

写真集は軍艦島の風景が多いのだろうなぁと勝手に想像していました。しかし実際は風景とは全く異なるものでした。風景のような写真もありますが、なにか違うという印象を受けました。また、多くの残された「物」達の写真からその圧倒的な何かを感じました。
以前、ペヨトル工房から出版されていたWAVEなどでも拝見した事があり、印象に残っていましたが、写真集で見るとその時の印象よりも強烈な何かを発しているのがわかりました。なにかキリリとしているんです。印刷によってこんなにも印象が変わるものなのだとも改めて思いました。それから、先生の追想から追記までを読んでその圧倒的な存在感が出ている理由がわかりました。
人間が与えた価値観から解放され、新たな生を生き始めていた「物」達の存在感、匂いというか、躍動感のようなものが写真から滲み出ていたんですね。先生の文章を読み、改めて写真を何度も見ているうちに自分が何故廃墟に惹かれるのか、魅力を感じるのかわかったような気がしました。人間が住んでいた時とは全く別の存在感、たとえ壊されていくその過程にさえも言葉では現すことが出来ない「物」としての存在感、パワー、その魅力に無意識に惹かれてしまっていたのかもしれません。それは自分も自由になりたいという憧れのようなものなのか?とまで思ってしまいました(笑)
今まで漠然と好きだと思っていて、もしかして壊れた物を好きだなんておかしいのかな?と思っていましたが、明確な理由を教えて頂いたような気がして間違ってなかった!と嬉しく思いました。私の勝手な思い込みかもしれませんが。。
今回、復刊して頂いて本当に嬉しいです。それだけでなく、新しい発見まで与えて頂いて感謝しています。ありがとうございました。

新しい発見があったのは、あなたの力です。あなたがそれを見出せる力を潜在的に持っていたということです。ものを本当に見るとは、新しい発見があるということです。写真を撮るという行為も同じで、見慣れたものに新しい発見がなければ、写真を撮る意味もないし、良い写真にもなりません。それは写真集の「眠りのなかの覚醒」「追記」に書いた通りです。
メールありがとうございます。



■4月22日  玉村修二さん

写真集は初版 (『軍艦島-棄てられた島の風景』のこと - 雜賀注) と比べてサイズが小さくなったことが心配でしたが、写真のクオリティはとても良く感じました。 静止した刻、そして空気、それが感じられる写真集であったことが嬉しかったです。黒の締まり具合がとてもよいなぁと思いました。
見る写真の中で、私がとくに感じる写真がいくつかあります。 錆びた扉、剥がれた壁、家庭科室の人形、大黒様の写真が、ぐっと来るものがあったんです。積もった塵がその時間の長さを感じ、物としての使命を終え、じっと何かを待つようにそこにただずんで居る・・・。そこにある物は、崩れ行く運命しかないのだけれども、その最後までじっと待つ・・・。なんだかその辺りに、使っていた主をじっと待っているような気がして切なくなります。
街角の写真では、やはり、止まった時間、空気というのを感じます。イメージ的には、夏なのですが、いつか自分が見た光景が、想い出がそこにあるようなものを感じるんです。この写真集には、想い出というものがそこに映し出されているような気さえしてきます。人々が残した物と同時に、人々は想い出も残してきた・・・。その想いが、それらの一つ一つに込められている・・・。そんな気がしてしまいます。
今まで未収録であった写真も掲載されていてよかったです。映画館の中、キリストなど新たな衝撃を受けました。 とてもよい写真集をだしていただき、本当にありがとうございました。

新しい写真集はコンセプトは同じですが、『棄てられた島の風景』と写真をかなり差し替えました。新潮社版をお持ちの方は比べて見て下さい。一見同じに見えても違う写真だったりします。写真のセレクションと印刷は『眠りのなかの覚醒』の方が格段に良いはずです。これをする為に新潮社版の復刊ではなく、新しい写真集としたのです。
メールありがとうございます。



4月19日  塚越文子さん

雜賀さんの軍艦島の写真をはじめて見たのは高校2年のふと立ち寄った写真展でした。よく覚えてないんですが、他にも何人か出展していて、その中の一人だったことを覚えています。そのときは、雜賀さんの名前も書きとめず、でも衝撃的でその後ずっと忘れられない島、風景でした。何年か経って、思い出して検索したところ雜賀さんのHPを見つけたときは感動ものでした。そして同時に、絶版という事を知って、ひどく落ち込みました。せっかくまた出会えたのに・・と泣きたい気持ちでした。でもその後図書館などを活用し、再び目にすることはできましたが、今回復刊ということを知ったときは「また出会える!」と小躍りしたい気分でした。
閉山となって、廃墟となって、どんどん朽ちていき、荒れ果てていくのになぜこんなにも惹かれるのでしょうか。閉山して30年経った今ならもっと自然に侵食されていると思います。私は、そんな侵食されていく様を見たいのかもしれません。決して人間より自然のほうが偉大だとかそういうことを言いたいんじゃなくて、人間がのこしたものが、自然に還って一部になっていく様を見たいんです、きっと。これからもっと 何十年も経ったら、きっともっと人の気配や痕跡が空気に溶けて、自然に還っていくんだと思います。
雜賀さんの写真は「時が止まった」そこだけ、そのままに残された、という感じを強く受けましたが、軍艦島はたった今でも風が吹いて鳥や虫を育て、ちゃんと息づいているんですよね。なんだかとても不思議で、そう思うたびに軍艦島に吹く風を、打ち寄せる波を思ってしまいます。
今思えば本当に、ひとつの出会いでした。何気ない気持ちで入った写真展で、そんなにも私の気持ちを捉え、そして今もなおこんなにも心の奥深くに残ることがあるなんて! 本当にありがとうございました。復刊に関わった人すべてにも心からお礼を言いたいです。

同じものを見ても、人によって見方や感じ方が違います。この写真集はあくまでもぼくの主観で制作した「雜賀雄二が見た軍艦島」です。ぼくの写真が見た人のなかに残り続けることあるとすれば、それほど嬉しいことはありません。

メールありがとうございます。

 



4月13日  杉浦弘太郎さん

住む主の居なくなった部屋、歓喜の声が 消え去った映画館、走り回る子ども達の居ない学校…。1ページ1ページをめくる度 に、「島の空気」が感じられました。閉山による集団離村は、全国的に見てここだけではないにも関わらず、「他とは違う何か」と言うオーラが発せられているように、私には感じました。それは、以前ここに住んでいた人達が抱いていた、「愛着の強さ」から来るのかも知れません。閉山前の写真を一緒に収録したことで、より一層、心に響いたのでしょう。
今後、この島に人が戻って来ることはまず無いでしょう。自然の力は偉大です。建物も朽ち果て、何れは土に還るでしょう。しかし、端島に関わった全ての人々の中で、島は生き続けるのです。最後になりましたが、素晴らしい本をありがとうございました。

人がいた頃の写真とテキストに、あまり引きずられないで見て頂ければ嬉しいです。端島も他の廃村も、人々の思いは同じだとぼくは思います。世の中で変わらないものは何一つありません。島も次第に姿を変えていきます。
メールありがとうございます。



■4月10日  高木菜穂子さん

写真をじっと見ていると、スーッと引き込まれる感覚に何度も陥ります。 特に、屋外の写真はあたかも自分がその場にいて歩いているような、 そして自分の目で建物を見上げているような、そんな感じがしてしまいます。 自分でも不思議なのですが、「なつかしい」とすら思ってしまうのです。
また、写真には人なんていないのに、子供達が走り回っている様子や大人たちが井戸端会議をしている様子が脳裏に浮かび、かつての島の楽しそうな風景とはこんな感じだったのかな?等と思ってしまったりします。 屋内に残された、茶わんや学校で作った工作物やアニメのシール達なんかは絶対にヒソヒソと楽しいおしゃべりをしていそうで、ページをめくるたびに「ニヤッ」としてしまいます(笑)。
人がいなくて、建物も壊れているのに、なぜか「暖かい」と感じてしまう写真ばかりだなと感じました。でも、ちょっと引いて物質的な角度からのみ見てみると、また違った事も思います。個人的に、古い近代建築が好きなものですから、36ページのもの等は胸が痛みます。現在もいろいろな問題から壊される危機にある近代建築はたくさんありますが、このような姿にさせないように次世代につなげていかなければ等とも思ってしまいました。
現在の軍艦島がどのようになっているか私にはわかりません。この写真にある軍艦島の世界はもうありませんが、私達の目に見えないどこか時間が止まったところで存在し続けていると思いたいです。素敵な写真集をどうもありがとうございました。

残されたものが人の目の及ばぬ島で会話をしたり、うごめいているというのはぼくも感じることです。写真集にも書きましたが、住民のいた頃が幻になったように、この写真集の光景も既に幻です。
メールありがとうございます。



■4月5日  牛嶋祥子さん

涙が出ました。行ったことも住んだこともない土地だというのに、何故だか「私はここを知っている」という懐かしい気持ちに襲われたからです。でもそれは、廃虚としての軍艦島に対してでしかないことが分かりました。
軍艦島は、ひとつの建築物として見た場合でも充分に興味深いところですが、今回の写真集で最も衝撃を受けたのは、「追想・軍艦島」にあった「人間が生活する」軍艦島の写真でした。かつては人が住んでいた、というのは当然知っていましたが、知識として知っていたに過ぎなかったのです。あの写真を見た時に、島は今でもこの人たちのモノなのだと思いました。
そして再び写真を観て行くと、錆びたドアや荒れた畳、置き去りにされた茶碗に、今は眠っているだけであるかのような静けさと神々しさを感じました。これからも、何度も何度もこの写真集を観ると思います。大事にしていきたいと思っています。どうもありがとうございました。

「島は今でもこの人たちのモノ」これは重い言葉です。ぼくもあらためて感じ入るものがあります。島に渡る人たちがこういう気持ちを持ってくれたらと思わずにはいられません。
メールありがとうございます。



■4月3日  瀬尾晃正さん

写真集は十日ほど前に届いておりましたが、じっくり鑑賞したいのと、(毎晩、就眠前にページをめくっておりました)興奮が冷めて少し冷静になってから、メールを差し上げた方が良いかと思い、このような時期になってしまいました。
初めて写真集を手に取った時「思ったよりサイズが小さいかな」という印象でしたが、本のデザインがシンプルで、奇をてらったところが無く、写真とのマッチングも良いので大変好感が持てました。
写真自体は雜賀さんのwebサイトでも一部公開されておりますし、私自身も以前より「ランド・オブ・パラドックス」や「WAVE 18 フォト新世紀」等で、断片的には見ておりましたので、おおよそ「知っているつもり」でいたのですが、写真集をめくった瞬間、それは愚かなことだと悟りました。
ある意味ショックでした、印刷が良いとこんなにも写真が違って見えるとは・・・。雜賀さんが印刷時にオリジナルプリントの再現にこだわったのが理解できたような気がします。それからというもの、美しい雜賀さんの作品を鑑賞する毎日です。出来ればもっと大きなサイズで・・・というのは贅沢すぎますよね。
改めて作品群を拝見しますと雜賀さんの一貫した冷静な眼差しに胸が空かれる思いがすると同時に、写真家としての強いスタンスにちょっとした感動を覚えたり、(やはり閉山直後の「人のいる最後の端島」を見ているだけに感傷に流されるのが普通だと思いますから)その「強さ」が作品全体に漂う、えもいわれぬ美しさの源なのではないかと勝手に解釈したりしております。
こうなりますと俄然「月の道-Borderland」も綺麗な印刷で見てみたいと、ついつい思ってしまいます。(もちろんそれが並大抵の事でないことは十分理解しております)
今後も「いまどきの廃墟ブーム」とは全く関係無いところで、軍艦島をモチーフにした作品を造り続けられることを、誠に勝手ながら期待いたしております。

この写真集は小振りですが、素晴らしい本に仕上がったと自負しています。関わって下さった方々の「良いものを作ろう」という気持ちの結集のお陰だと思います。『月の道』も好評でしたが、今までで最高の印刷です。
ものがそこに本当に存在するような写真を撮りたいと思いました。ぼくが見たままを、写真を見る人にも見て欲しかったからです。そして何かを感じて欲しいと思いました。そのためには写真を再現出来る良い印刷が不可欠だったのです。
あなたの「知っているつもり」の気持ちを、この写真集で変えられたのは嬉しいことです。

メールありがとうございます。



■3月30日  江川夕子さん

まず表紙を見て、際立ってくっきりした、白と黒のコントラストがとても美しく、また不思議な、物語上の建物のように見えました。
建物の中、外観、人が触れなくなったものたちが自然に形を変えてゆく様が、感傷を交えずに、そのものそのままの姿で写されているように感じました。10年放っておくと、潮風にもさらされたりして、こんなになってしまうのか。P73のおろしがねも、何年も、じっと身動きもせず埃に埋まり、身を委ねている姿が、なんだか不思議です 。所有者を無くしたものたちが、自ら動く事もなく、束縛される事もなく、ただ、そこにある、その姿が新鮮に見えました。裏表紙(P92) の、映画館のイス(で、よろしいのでしょうか) は、10年経ってあの状態、今は、姿かたちもないのでしょうね 。
閉山して30年近くたってしまったのですから、10年後に雜賀さんがお撮りになった軍艦島の姿も、おっしゃるとおりすでに過去になっていて、今は全く違う姿に変貌している事と思いま す。
端島に住んでいた方々が、泣く泣く島を後にし、島を思い偲ぶすがたが、雜賀さんの手記からも、よく分かりました。私は、閉山の月から5ヶ月前に産まれましたので、軍艦島のことなど、全く知りませんでした。雑誌で軍艦島をみて、こんな所が 日本にあるのか!と、びっくりしたものです。
廃墟になってしまった軍艦島を撮るのではなく、端島が閉山となる3ヶ月前から、そこに住む人々やモノの様子をつぶさに記録した雜賀さんが10年後に撮った軍艦島だからこそ 、何だか、そこ(写真たち)から愛おしさが伝わってくるような気がします。
手記の中、気になることは、猫たちの存在でした。私が、無類の猫好きだからかもしれませんが、その後、猫たちはどうなったのか。人がいたから食べ物もあり、のら猫も暮らしていけたでしょうが、人が全くいなくなったあと、果たして島に訪れる鳥を捕ったり、虫を食べたりできたのでしょうか。
また、写真の中の、朽ちていく建造物のそばで、力強く生きている植物たちが、目に止まります。土もわずかで、肥料などなくても、しっかりと根を張り、コンクリートが見えなくなるまでに覆い尽くした植物たち(P24 .25、P12・3のススキもすごいです)など、生命力の強さに、 神秘的だとまで思ってしまいます。モノクロでも、植物の色がくっきりと、頭に浮かんできます 。P25の写真は、大きく伸ばして額に入れて飾ったら本当にすばらしいと思います(私の趣味ですね)。
どれもこれも、非現実的な雰囲気であって、でも、本当に実在したものだというその事実が、とても不思議です。

現在の街中では、廃墟はすぐ解体され、また存在しても不良達や浮浪者の溜まり場となり、人為的に破壊され、ただ単に、 汚く、危険なものとしか扱われません。同潤会アパートなど、80年近くの時を経た建造物もあっという間に壊されてしまいました。街の中に、廃墟をぽつんと残しておけ、という方が無理でしょうけど…。
それを考えると、軍艦島はこれからのちもずっと、自然に身をおき、風や波にされるがまま、自然のままに姿を変えてゆくことのできる、貴重な存在だと思います。たまに、雜賀さんのようなカメラマンの方がその姿の一部分でもカメラに収め、写真をこの世に送り出してくれたら、私としてはとても嬉しい限りです。
感想文などと、とても呼べるシロモノではなく、お恥ずかしい限りです。でも、何度も何度も、繰り返し見て、読ませていただきました。(長文でしたので、雜賀の判断で削除した部分があります。)

昭和館(映画館)は12、3年ほど前の台風で、完全に倒壊しました。建物は既にいくつかが消滅しました。また写真集後半の「モノ」は、現在ほとんどが存在しません。これらは自然の為せる業であり、空しいというよりもそれが自然な姿なのです。今は人の気配も失われ、ただの荒れた島ですが、野鳥は多くサンクチュアリの感があります。
メールありがとうございます。



■3月28日  舘野季子さん

写真だけでなく、追想 (著者のテキストのこと- 雜賀注) も書かれていたことにこの本への復刊の喜びを感じました。
雑賀さんの写真は何故か季節の風と空、日差しの強さ弱さまで感じてしまいます。その雑賀さんの「動」の世界を撮れる力と、軍艦島の誰も居ないという「静」が調和して軍艦島に流れる不整脈な時間が感じてしまいます。こんなに素晴らしい写真集が復刊した事に心から喜んでいます。雑賀さん、淡交社の皆様、お疲れ様でした。

確かに本は著者の力だけで出来るものではありません。オリジナルプリントを印刷で出来るだけ忠実に再現するために、日本写真印刷の方たちは、難しい要求ぼくのを聞いて下さいました。
メールありがとうございます。



■3月 26日  石田悦久さん

こんばんは。石田といいます。「軍艦島」ついに!昨日届きました!!前回(?)の 「軍艦島」は図書館から散々借りまくり穴のあくまで鑑賞しました。その本を・・・ 「ようやく」というよりも「ついに」手に入れた!と素直にそう思います。(しかもご本人のサイン入り!) サイズが小さくなってどうなるだろうか?と思っていたのですが、意外にも手に取って見やすい、という事に気付き「これなら店先で気になった人は、すっと手にとって手軽に見れるだろうなあ。」と思いました。
写真も結構入れ替わっていて、まさしく「復刻」というより「リニューアル」「新装」でなく今現在、この21世紀に現れた「新刊」になっています。 完成した本の表紙をじ〜っと見ていると・・・手軽に本の復刻が出来る時代に、自分の作品に責任とこだわりを持って復刊に臨む作者がどれだけいるんだろう?と思わずにいられませんでした。
こういう形で「軍艦島」が復活して本当に嬉しいです!充実した時間を過ごせる本を提供していただき有難うございました!!(私の熱い眼光で本に穴が開くのも時間の問題です!う〜ん、そうすると・・その度買い直さなければ?!)この勢いで次は「月の道」でしょう!
今は、人々がイキイキしていた温度の感じる端島を知りたくてしょうがありません。

いい本を作ろうとすればするほど手間ひまが必要ですが、最後まで手を抜かず印刷も見届けました。それだけにこういうメールは嬉しいです。早く穴を開けて、もう一冊買って下さい。また現状では『月の道』の復刊は無理です。
メールありがとうございます。



3月 26日  関 和浩さん

今回は新版の刊行おめでとうございます。 私なりの写真集の感想をお送りします。
この写真集に掲載されている作品は、写真という手段によって切取られた一瞬の姿にもかかわらず「物に対して経過した長い時間」というものを非常に強く意識させます。建物などの外観については、軍艦島特有の厳しい自然環境ゆえに、激しくその形を変化させてきた動的な風化の姿。それに対して建物内部に残された物たちには、建物とは正反対に何にも触れられない極めて静かな環境ゆえ、非常にゆっくりと変化が進んできた静的な風化の姿が見られます。
これらは、いずれも人為的に作り出すことのできない物の姿で、軍艦島という極めて特殊な世界の時間と環境とが複雑に絡み合う事で初めて生み出された世界だと思います。
私は軍艦島の現状の姿に対して悲壮感というものは感じないのですが、この写真集を観ると、その時間の流れの中に自分が取り込まれたかのような一体感を感じると同時に、自分の過去に対する懐かしさのようなものを感じます。そして、今回このような形で新たな作品も拝見する事ができ大変うれしく思いました。
余談なのですが、やっと運良く「月の道」を入手する事ができま した。 古書店で15,000円でしたが、図書館の本に比べて圧倒的に程度が良く非常に幸運でした。 私のようにほしくて仕方の無い方がまだ大勢みえると思いますので、こちらの復刊もぜひ。 また閉山前の写真集も、いつの日にかぜひ実現してください。 楽しみにお待ちしております。

遠いところを「Shijima」展に来て下さり、有り難うございました。『軍艦島-棄てられた島の風景』をあんなに大切にしている方は他にいないでしょう。嬉しい限りです。『月の道』も入手できて良かったですね。
メールありがとうございます。



■3月23日  薄井 勝さん

ローマなどの古代遺跡を見ると、「当時の人はどんな生活をおくっていたんだろうか?」と不思議な気持ちになりますが、軍艦島も「この特殊な環境で、人々はどんな暮らしをしていたのだろうか」と思います。歴史は古くないかもしれませんが、私にとってはもう「遺跡」です。短い感想ですいません。これからもご活躍下さい。

どんな暮らしだったかを自分なりに想像してみて下さい。想像することは大事なことです。
メールありがとうございます。


 

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