2010年8月23日(月)  甲子園。沖縄。

甲子園が終わった。
甲子園球場自体がなくなったわけでも、取り壊されたのでもないのに、そう書いて通じてしまう。野球に詳しくない人でもわかってしまう。それだけ「センバツ」や「夏の甲子園」は日本人には特別なのだろう。

今年、ぼくの母校は県予選の2回戦で負けたことを新聞で知った。ぼくが3年のときは3回戦まで進んだから、毎年それくらいまで行ってほしいと思っていた。ぼくのふるさとは県の北部で、過疎地というほどではないけれど人口の少ない、山に囲まれた盆地で、冬には雪が積もる。それに比べて南部は温暖な平野が広がり、多くの人が住み、日本を代表する工業地帯もある。
これだけで、野球部だけでなく、母校のほとんどのスポーツの程度が知れるだろう。クラスに野球部員が2人いたが、予選の試合に応援に行ったことはない。行きたい気持ちはあるのだけれど、試合はいつも遠い南部の球場だったから、学校を挙げて応援することなどなかった。試合に臨む部員たちは寂しかったと思う。
勉強ができなかったぼくは、授業を1日や2日さぼってもそれほど問題ではなく、そんなときくらい、ひとりでも応援に行くべきだったと思う。それを今ごろになって悔いている。バッターボックスに立つクラスメイトの名前を、大声で叫んでみたかった。南部の都市で大学に通ったり、就職した卒業生が球場に行ってくれただろうか。

単純なぼくは、甲子園とは永遠に縁がないとおもわれる高校の卒業生として、郷里と似た環境にある高校をいつもテレビで応援する。ただし、日本中から選手を集めているような私学の高校に心は向かわない。
今年は沖縄の興南高校に是非とも勝ってほしかった。センバツに続く連覇の偉業を期待した。興南は私学である。しかし選手たちはみんな沖縄の若者だ。
昔、沖縄の高校チームはあまりにもレベルが低かった。だから物心がついたころから勝ってほしいと願い続けていた。ところが豊見城(とみしろ)という高校が出場したときは目を疑った。それまでのひ弱なイメージとはかけ離れていたからだ。驚天動地のように感じたのは、1990年に沖縄水産高校が夏の甲子園決勝まで辿り着いたときだ。残念なことに1 : 0で天理高校に敗れたが、今にして思えば、その試合が分岐点だったのだろう。 沖縄水産は翌91年も決勝まで進んだ。

沖縄の高校が甲子園に初めて登場したのは、1958年の夏である。第40回大会を記念して、特別に参加を認められた。首里高校の生徒たちはパスポートを持って甲子園に旅立った。アメリカ統治下の沖縄は日本であって日本ではなかったのだ。日本に返還される1972年まで、沖縄の高校生は14年間もパスポートを持って甲子園に行った。
首里高校は一回戦で破れた。選手たちは甲子園の土を持ち帰ったが、植物検疫法に引っかかった。日本の土をアメリカ領に持ち込むことができなかったのだ。飛行機に乗ることなど夢のような時代である。沖縄に向かう船のデッキから、選手たちは土を海に捨てた。
小学校一年生のぼくは当時その出来事を知らず、後にテレビでその映像を見た。今も頭にこびりついている。

そのニュースは多くの日本人の心に刺さった。日本航空のスチュワーデス、近藤充子さんもそのひとりだった。石なら大丈夫ではないか。彼女は甲子園の小石を手に入れ、桐の箱に入れて選手たちに贈ったという。首里高校には甲子園出場を記念した碑が建てられ、その石が甲子園のグラウンドの形に埋め込まれているらしい。

「優勝旗が渡った時こそ、沖縄に戦後が来る」
91年の決勝戦の前夜にこう言ったのは、豊見城、沖縄水産を率いた名将・栽弘義(さい ひろよし・故人)監督である。栽監督は第二次大戦の沖縄戦で大やけどを負い、3人のお姉さんを目の前で失った人である。日本で唯一と言われる地上戦で死にかけた、その人の言葉を深く受け止めなければと思う。
しかし翌日、沖縄に戦後は来なかった。
沖縄県代表として沖縄尚学高校が初めて優勝したのは、1999年のセンバツだった。沖縄尚学の監督は、豊見城高校野球部OBで栽監督の教え子だった。栽監督は自分のことのように喜んだという。
その優勝で沖縄に本当の戦後は来たのだろうか。監督は、本当は野球の優勝だけを言いたかったのではないだろう。

高校野球が全国制覇をする、そのずっと前から、沖縄の米軍基地は面積で全国を制覇している。
日本にある米軍施設・区域の約75%が沖縄県にある。沖縄本島の18%、一時使用施設を含めると23%の面積を米軍が占拠しているという。戦時中に一番悲惨だった県は、今もこんな状態だ。

沖縄尚学は2008年にもセンバツで優勝し、今年はとうとう興南が春夏の甲子園連覇を果たすまでになった。もう高校野球の後進県ではない。
それでもぼくは沖縄の高校をこれからも応援するだろう。しかし、それだけでいいとは思わない。

 

 

(掲載を忘れていたために、賞味期限切れの内容になりました。)



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