「月の道-Borderland」についての思考

 

隔離され、閉ざされた空間という印象を、軍艦島ほど強く感じさせる場所は他にないだろう。それは島を取り巻く、切り立った高い岸壁のせいだった。海上に立ちはだかる壁は、この島を古代の都市国家、あるいは監獄にも思わせた。船の上から初めて岸壁を見上げたときの畏怖の念は、その後いつまでもぼくの心に残り続けた。
1988年の冬の夜、ぼくは岸壁の上にいた。そのとき月の光に照らされた岸壁の上が、まるで道のように見えることに気がついた。道は永遠にどこまでも続いているようだった。道を挟んで片方には波動を続ける海、もう片方には黒い塊と化した軍艦島があった。その光景を見ているうちに、ぼくはこの光景こそあるものの象徴ではないかと感じた。

朽ち果てた場所はただでさえ死を感じさせるが、無人のアパートが建ち並ぶ人工島は、まさに「死」そのものである。片や島を囲む海は、地球上のすべての生物の母であり「生」の源でもある。
死の島と生の海、そして両者を分かつように存在する岸壁。ぼくはその岸壁に仏教の「中有=ちゅうう」という時間と空間を見たような気がした。中有とは死者が完全な死(あの世)に至るまでの49日間であり、生と死のどちらにも属さず、霊魂がさまよう生と死の狭間である。
それまで観念的でしかなかった「生、中有、死」という存在が、現実の光景「海、岸壁、軍艦島」に重なって見えたのだ。
ぼくは月の道(岸壁の上)を歩きながら、目の前に展開する生(海)と中有(岸壁)と死(軍艦島)の写真を撮っていった。

この作品は、夜、月の光だけで撮った。なぜなら、おぼろげな月下の世界は、すべてのものを葬り去る闇夜ではなく、陽光あふれる昼間の世界でもない。その狭間に位置するからである。生と死の狭間としての岸壁と、光と闇の狭間としての月光の世界。それらは共に中有を具現するもののように思えた。
微弱な月の光に頼る撮影では、長時間の露出を必要とする。長い露出の結果、フィルムには現実にありえない光景が定着される。というのも長時間の露出では、撮影中に動かなかったものだけがその姿をフィルムに残すことが出来る。動き続けたものは現実の姿を消滅させ、存在したことを物語る微かな痕跡しか残せない。
軍艦島は眼に映る姿そのままをフィルムに定着した。しかし荒れ狂う冬の海は波形が消え、鏡のような穏やかな海として記録された。轟音とともに岸壁に砕ける波頭も、幻のように漂う白い霞にも似た痕跡だけが残された。
しかし実は、写真の上で消滅したものこそ生命あるものと言える。明確な姿を残すものは動かぬもの、すなわち屍に他ならない。一枚の写真の中に時間を封じ込める長時間露出という撮影方法が、生と死を明確に提示した。

このシリーズは延々と岸壁が続くだけの単純な構図と、ほのかな月光だけの撮影で、島のディテールや具体的な情報を押さえた作品をつくりあげた。作品を構成する要素をそぎ落とすことによって、通俗的な廃墟のイメージを越えた、普遍的な時空が立ち現れてくることを望んだ。

写真を順にたどることで島を一周することができる。写真#1 - 22は右廻りで島を一周している。#35 - 54 は左廻り、#23 - 34はどちらにも属さない岸壁の写真である (共にHPには未掲載)。
右廻り左廻り共に、最初と最後の写真は同じ場所を撮ったものであり、一周したことを示している。


 

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