「GROUND」についての思考

 

島に残された数多の人工物は、風化の果てにいずれ瓦解する運命にある。しかし徐々に変遷してゆく姿は、大きな時間の単位でしか認識することは出来ないだろう。ただ、現在も進行している変貌の過程を、垣間見ることの出来る部分がある。それを写真にしたのがこのシリーズである。

人間のための道具として作られた様々なものが、島の閉鎖とともに棄てられ、島に残された。それらは棄てられたことで人間の支配から開放され、道具としての用途や、名前を喪失したただの「もの」となった。言い換えれば自由になったのである。その証拠にものは風化の一途をたどる。風化とは人間によって強制的に壊されるのではなく、自然の為せるままになることである。
錆び付き、形を失いつつ、ものは人間の手垢と共に既成のイメージをも脱ぎ捨て、次第に想像を超えた姿に変貌する。そして今や無人の島に残されたものたちは、飼い慣らされた道具としての見慣れた姿を、もうどこにも留めてはいない。島は人間の意志の及ばない遠い世界となったのだ。

このシリーズでは、錆び付き崩壊寸前の姿で地面に半身を埋めている、かつての鉄製品を撮った。それらは物が大地に帰っていく途上の姿、つまり道具と地面との「狭間」の姿であり、すでに物体としか言えない鉄の塊である。
あるとき塊は擬態に見えた。ある種のカマキリが枯葉そっくりの身体を持ち、枯葉に紛れて我が身を守りながら、獲物を待つように。あるいはカメレオンが周囲の樹皮に合わせて身体の色を自在に変えるように。塊は大地と同化することを望んでいるようだった。
あるとき塊は脱皮を始めた生き物に見えた。完全無欠の鉄製品が、潮を浴び、太陽に焼かれ、変色し、内部から次第に膨れ、亀裂が走り、異様な形相となる。長い年月を経て、それらはいつしか臨界点に達し、あるものは音もなく崩れ去り、あるものは見事に弾け跳び、大地のなかに紛れ込む。それは消滅への脱皮なのか、それともイメージの解放なのか。
そしてまたあるとき、塊は誕生するものに見えた。「崩れ落ちようとする」のではなく、それらは逆に「地面からこの世に、生まれ出ようとするもの」に見えた。長い時間をかけて地面の一部が盛り上がり、固まり、何かを形作ろうとしている。混沌の中から生まれたという大陸のように。
塊は日によって印象を変え、発掘された古代の遺物にも、あるいは未知の生物の化石にも見えた。いや、本当は、それらの異形の塊は言葉で形容することの出来ぬ、ただ「そのもの」なのである。

 

このシリーズはカラーポジフィルムの作品で、蛍光灯を入れた大型のカラービュアーを使って展示する。地面をギャラリー内で再現するために、作品は床に設置する。(ただし、作品は実際の地面よりかなり拡大されている)。床に展示するのは、この作品には天地左右が存在しないからである。床に置くことで作品は周囲のどの方向からでも見ることが出来、見る人のスタンスを自由にする。壁への展示は、見る方向を強制することになる。

 

 

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