|
その日、アルフォンスは部屋の窓から外の様子を見ていた。
アルフォンスは生身の身体を取り戻してからというもの、抵抗力が弱いのか、体調を崩すことが多く、兄、エドワードの付き添いなしには外を出歩くことも出来なかった。
「兄さん」
今も、傍らにいるエドワードに呼び掛けた。
「うん?」
部屋の片付けをしていたエドワードがその声に顔を上げる。
「今日は秋祭りだね」
アルフォンスが見ていたのは、村の人々が祭りの準備をしているところだった。
「ああ、そうだな」
エドワードもそちらに視線を転じる。
「ねぇ兄さん。ボク、お祭りに行きたいな」
アルフォンスがポツリと呟いた。
「…駄目だ」
エドワードは即答した。
「どうしてさ」
理由はわかっていながらも、アルフォンスは問い掛けた。
「祭りだぞ?こんな小さな田舎村でも、どれだけの人が集まると思ってるんだ。そんな所に行ったら具合が悪くなるに決まってる」
アルフォンスが予想していた通りの答えだったが、アルフォンスは反論した。
「そんなの、決まったわけじゃないだろ。行ってみなくちゃわからないじゃないか。体調もいいし、平気だよ」
エドワードは顔をしかめた。
「駄目だ。人波に酔う。それに、あんなところで具合が悪くなっても、身動きとれないぞ?そうなったらどうするんだ」
「大丈夫だったら。兄さんは心配性なんだよ。ボクの身体のことはボクが一番よく知ってる。平気だって言ったら平気なんだよ」
エドワードはますます顔をしかめた。
アルフォンスの身体のことなら、アルフォンス自身よりもエドワードの方が知っていると言いたかったが、そんなことを言えばアルフォンスを怒らせるだけだし、アルフォンスが言い出したら聞かない頑固な面を持っていることをエドワードはよく知っていた。
だから、しぶしぶ頷いた。
「…少しでも具合が悪くなったら言うんだぞ?絶対だぞ?約束出来ないなら連れて行かない」
エドワードの言葉に。
アルフォンスは瞳を輝かせた。
「もちろん約束するよ!ありがとう。兄さん大好き!」
その、子供のような喜びように、エドワードは苦笑した。
日が暮れ始めた道を、エドワードとアルフォンスはふたりで歩く。
「アル、本当に大丈夫か?具合が悪かったらすぐに言うんだぞ?」
エドワードは心配げにアルフォンスの顔を見上げた。
「平気だよ」
アルフォンスはにっこりと微笑む。
やがて、祭りに向かう人々の波にふたりも合流し。すっかりと暗くなった道の先に、いくつもの明かりを見つける。
にぎやかな音楽が風に乗って流れてくる。
「楽しそうだね」
その祭り特有の、ざわめいた雰囲気に、アルフォンスは嬉しそうに笑った。
「そうだな」
エドワードはアルフォンスが嬉しそうなことが嬉しくて頷く。
やがて、ふたりはその明かりの中へと足を踏み入れる。
賑やかに歌い踊る人々。立ち並ぶ屋台。呼び声。はしゃぐ子供達。陽気に笑い合う大人達。
「おにいさん、おいしいよ。寄っていきなよ」
屋台の中から呼び掛ける女房の言葉どおり、美味しそうな果物が並んでいる。
「わあ。本当に美味しそうだ。兄さん、買って行く?」
アルフォンスの言葉に、エドワードも覗き込む。
「んー…。でも、今買っても荷物になるだろ?後にしないか?」
エドワードの言葉に、アルフォンスも頷いた。
「それもそうだね。おかみさん、また後で来るね」
アルフォンスは、屋台の女房にそう笑いかけると、エドワードと共に歩き出した。
「あいよ。待ってるからね」
その背中に、女房の陽気な声が響いた。
「すごいね。新鮮な野菜や果物がたくさんある。それに安い!」
アルフォンスが瞳を輝かせる。
「そりゃ、収穫祭だからな。元々は収穫を感謝して、神にその収穫物を捧げる行事だろ?」
エドワードは子どものような瞳をするアルフォンスに微笑みながら言った。
「そうだよね。あれ、じゃあ初物ってこと?」
アルフォンスはふと思いついて、目を丸くした。
「まあ、物によってはそうだろうな。…せっかく来たんだ。後で買って行くか?」
エドワードは、アルフォンスに食べさせたくなって言った。
長いこと、食べることの出来なかった弟に。
新鮮なものをたくさん食べさせてやりたかった。
「うん」
アルフォンスは満面の笑みを浮かべる。
やがて、ふたりは祭りの中央にたどり着いた。
人々が輪になって踊っている。
その輪の中央にはたくさんの食物が積み上げられていた。おそらくそれが、神への捧げ物なのだろう。
アルフォンスはその様子を近くで見たくて、前へと進んだ。すると。
「おにいさんも一緒に踊ろうよ」
輪の中から何本もの手が伸び、アルフォンスや、周りの見物人を輪の中へと引っ張りこんでいく。
「えっあのっ」
アルフォンスは慌てるが、「ほら、こうやって踊るんだよ」と踊ってみせる女の踊りを真似て踊ってみる。
「アル!?」
驚いたのはエドワードだった。アルフォンスがひとりで前へと進んでいくから、人ごみに押されて遅れた。
やっと視界が開けたと思ったら弟は輪の中で踊っていて。彼の体調を心配して、エドワードは顔をしかめた。
一周したアルフォンスが自分の目の前に来たところで、エドワードはアルフォンスを輪の中から引っ張り出した。
「わぁっ、兄さん!」
急に力任せに引っ張られて、アルフォンスは驚いて声を上げる。
「ったく。無茶すんなよ、アル」
眉間にしわを寄せて言うエドワードに。
「平気だよ。なんともない」
アルフォンスが上気した顔で言う。
「………」
エドワードは、そのアルフォンスの顔を見ると。
無言でアルフォンスの腕をつかんで歩き出した。
「え、兄さん、どうしたの?」
アルフォンスの声にも答えずに、エドワードはどんどんと歩いていく。
エドワードは立ち並ぶ屋台の間をすり抜け、祭りの明かりとは対照的に薄暗い場所へと足を進める。
「兄さん?」
エドワードはそこで足を止めた。通り過ぎる時に屋台から失敬してきた麻袋を地面に引くと、アルフォンスをその上に座らせた。
「兄さん、どうしたの?」
エドワードを見上げるアルフォンスに。
「おとなしくしてろ。今、飲み物を買ってきてやるから」
エドワードはアルフォンスの肩を押さえ、そう言う。
「どうしたの?ボク、平気だよ?」
アルフォンスが訴えると。エドワードは心配げに眉をひそめた。
「おまえ、熱があるぞ。のぼせたんじゃないのか」
エドワードがそう言ってアルフォンスの額に触れる。ひんやりと冷たいエドワードの手の感触に、アルフォンスは目を閉じた。
「…気持ちいい」
アルフォンスのその言葉に、エドワードはますます顔をしかめると、「おとなしく待ってろよ」と言い置いて、祭りの明かりの中へと戻っていく。
アルフォンスは熱に霞む目で、その後姿を追った。
「ほら、アル」
すぐに戻ってきたエドワードは、アルフォンスにジュースを持たせた。手を添えて飲ませる。
それは、林檎のジュースだった。
「…美味しい」
アルフォンスは、おっとりと微笑む。
「そうか。寒くないか?」
エドワードが上着を脱いで、アルフォンスの肩へと掛けてやる。
「平気だよ。兄さんこそ冷えちゃうよ」
アルフォンスの言葉に耳を貸さず、エドワードはアルフォンスの肩を抱き寄せた。
「ほら、もたれ掛かっていろ」
アルフォンスの身体は熱で火照っていたが、触れるエドワードの優しい温もりを感じて、おとなしくその身体を預けた。
「…ごめんね、兄さん」
ぽつりとアルフォンスが呟いた。
「なにが」
エドワードは祭りの明かりの方を見ている。
その横顔をアルフォンスは見ていた。
「ボク、どうしてもお祭りに来たかったんだ。お祭りって限られた時間にしかないでしょう。だから、その機会を逃したくなかったんだ」
「…そうか」
アルフォンスの言葉に、エドワードは短く答える。
「…今のボクには、毎日の生活もお祭りみたいなもんなんだけどね。…毎日、熱に浮かされているみたいな気がする。お祭りはいつか終わる。だから、目が覚めたら、今のこの熱は幻になっているような気がするんだ」
その言葉に、アルフォンスの肩を抱くエドワードの手に力が籠もった。
「バカ。そんなことがあるもんか。今の生活は一時の夢なんかじゃない。これから先、ずっと続いていくものなんだ。時間は掛かるかもしれないけど、おまえはいずれ、丈夫な身体になって、普通に暮らしていけるようになる。今のこの時間は、未来へと続いている」
アルフォンスは、ぼんやりとエドワードの言葉を聞いていた。
熱のせいか、目頭が熱くなるように感じた。祭りの明かりがぼやける。
「…うん、兄さん。そうだよね…」
小さなアルフォンスの声に。エドワードはアルフォンスを抱きしめた。
「そうだよ、アル。オレが言うんだから、間違いない」
全身にエドワードの温もりを感じて。強い力で抱きしめられているのを感じて。アルフォンスは強く思った。
この道は、幻でもなければ、ここで終わっているわけでもない。ずっと先まで続いている道なのだと。
他の誰でもない、エドワードがそう言うから。
きっと、そうなのだ、と。アルフォンスは信じた。
|