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がちゃり、と兄さんの部屋のドアが開く音がした。ボクはそれを聞いて廊下に出る。と、鉢合わせた格好になる兄さんが驚いたようにボクを見た。
「びっくりした…。おまえ、居たのか」
ボクは大抵外出しているから、今日も居ないと思っていたのだろう。そういう兄さんは、コートを着込んでいた。
「兄さんは?どこかに行くの?」
わざと聞くと。
「ああ…。ちょっとウィンリィの所へ行ってくる」
と、予想通りの答えが返ってきた。
理由はわかっている。さっき、ヘンリーがロックベル家に向かって歩いていくのを、ボクも自室の窓から見たから。多分、兄さんもそれを見たのだろう。
「ふーん。ボクも行こうかな?」
何気なさそうに呟いてみると、兄さんの視線が彷徨った。
「な、なんで…?」
聞いてくる兄さんの視線はボクから逸らされていて。少しボクは不快に感じる。
「しばらくウィンリィの顔を見てない気がするから。ね、ちょっと待ってて。すぐに支度する」
兄さんの返事を待たずに、ボクは部屋へと取って返し、上着を掴んで戻った。
「じゃ、行こうか。兄さん」
にっこりと笑って兄さんを促す。兄さんは何かを言いたげにしていたが、おとなしくボクの後ろに付いてきた。
ウィンリィの家には、やはりヘンリーが来ていて。
丸テーブルに並んで座っていた。空いている椅子はウィンリィの隣かヘンリーの隣。
ボクがヘンリーの隣に座ろうと身を乗り出す前に。兄さんが、飛びつくようにヘンリーの隣の椅子へと腰を下ろした。嬉しそうに。
その為、ウィンリィの隣にヘンリー。ヘンリーの隣に兄さん。兄さんとウィンリィの間にボク、という円形が出来た。
面白くない。
ボクは隣の兄さんと、向かいのヘンリーを睨み付けた。
「これ、この間話した医学書」
ヘンリーが、分厚い本をウィンリィへと差し出した。
「あ!それ、先週出たばっかのやつ!?」
ウィンリィが受け取ろうとするのを、兄さんが横から口を出す。
「そうだよ。外科手術の最新の報告が載ってる。セントラルから取り寄せたんだ」
ヘンリーがにこにこと答える。
「へー、いいなー。なぁ、次、オレにも貸してくれよ?」
兄さんが小首を傾げてヘンリーを見上げる。おねだりの表情だ。
その様子にヘンリーは笑って、「いいよ」と答えた。
ウィンリィが機械鎧技師として、外科の知識を欲しがるのはわかる。兄さんが錬金術師として、医学に関心を示すのもわかる。
けれど。
気に入らない。
あんな表情を他の人間に見せるなんて。兄さんが何かをねだる時。どんな表情で、どんな仕草で、どんな声音で。どんな風に甘えてくるのか。ボクは知っている。そんな風にされると、小柄な兄さんはとても可愛くて。どうしたって、その願いを叶えてあげたくなった。それなのに。他のやつにもそんな、ボクにしたように、甘えるなんて…。
ヘンリーに対して憎悪が生まれる。
だって、兄さんがボクに甘えてくれたのは。この身体を取り戻す前。ボクが鎧だった頃だからだ。
今のボクには、兄さんは甘えてくれない。必要最小限の言葉しか交わさない。
しばらく4人で外科関係の話をした。4人とも専門的に勉強しているので話が弾んだ。尤も、ボクは兄さんとヘンリーのことが気になって上の空だったけれど。
「あら。コーヒーがもう無いわね」
そう言って、ウィンリィがポットを手に立ち上がった。キッチンへと消える。
すると兄さんが急に、
「ヘンリー、服に何か付いてるぞ」
と、ヘンリーの腹部へと身を屈めた。ボクは固まる。
「んん?」
兄さんはヘンリーの腹部に顔を寄せたまま、そのセーターに付いたゴミを摘んで、しげしげと眺めている。
「兄さん」
ボクは、屈み込む兄さんのセーターを引っ張る。けれど、兄さんは気にも留めない。
「ヘンリー、おまえ、また途中で猫と遊んで来たんだろ?」
いたずらっぽく笑って兄さんが言う。
「あちこち猫の毛だらけだぞ」
兄さんは楽しそうに笑って、身を起こした。
「ええっ?うわあ、本当だ」
ヘンリーが、初めて気付いたのか、自分のセーターを見下ろして焦っている。
マヌケなやつ…。
ボクは心の中で呆れた。
「それがさ、この間から見掛ける猫なんだけど、すっごく可愛いんだよ」
ヘンリーは楽しそうに笑う。ああ、本当に猫が好きなんだな、とボクは思った。ボクだって猫は好きだ。そんな風に言われると、毒気が抜かれる。しかし。
「綺麗な金色の毛並みでね、瞳も綺麗な金色なんだ。礼儀正しくて、上品で。控えめに懐いてくれてさ、ほんとに、ほんとに可愛いんだよ!」
ヘンリーはそう興奮気味に話した後。兄さんを見て言った。
「ちょっとエドに似てるかな?」
途端に兄さんが真っ赤になった。目が潤んでいる。それはそうだ。「ほんとうに可愛い」猫が「自分に似てる」なんて好きなひとに言われたら。誰だって嬉しいだろう。けれど当然、ヘンリーにそんな意図などある訳はなく。にこにこと相変わらず、能天気な笑みを浮かべている。
ムカムカする。こんなやつの、大して意味も無い言葉に。そんな反応をする兄さんに。無神経にこんなことを言うヘンリーに。
「お待たせー」
そこに、ウィンリィがポットとケーキを持って入ってきた。
ぱっ!とヘンリーがウィンリィを見て、嬉しそうに笑う。
その瞳の輝きを見れば、ヘンリーがどんなにウィンリィのことを好きなのかがわかった。一方、兄さんは。そっと、そんなヘンリーから瞳を逸らしていた。
片思いなんて、止めたらいい。兄さんに相応しい人間なら、きっと他にたくさんいる筈なのに。
この間、ロイに「他に好きなやつがいる相手を思い続けていたって、いいことないぞ」と言っていたのは。兄さん自身の経験だったのだろうか?
それなら。
諦めればいいのに。
諦めて、くれればいいのに。
ボクは重たい気持ちを胸に抱え。兄さんと帰った。
「ヘンリーのやつさ、医者の家系だろ?あいつも医者になる勉強してるんだけどさ。あいつが本当になりたいのは獣医なんだぜ」
兄さんが、浮かれたようにそう言う。
そんなに、あいつのことを話すのが楽しい?
ボクはまた、ムカムカとする。
「でも、親に言い出せないらしくて。それに、セントラルみたいな都会ならまだしも、リゼンブールには獣医なんて基本的に必要ないしなぁ」
ここにいる動物は、大抵が家畜だからだ。医者に見せるまでもなく、皆経験で家畜の身体のことは知っている。つまり、獣医は不要なのだ。
「動物好きのいいやつなんだけどなぁ…」
少し寂しそうに兄さんは言った。
あいつのことを案じているのだ。
「そんなの、本人が決めることだろ。ヘンリーはウィンリィが好きなんだしさ。ここでウィンリィと共同で仕事をするのもいいんじゃない?」
ボクは、わざと兄さんを傷つけるように言った。
「そうだな。ウィンリィが機械鎧技師で、ヘンリーが外科医なら、いい設備になるだろうな…」
兄さんは、小さくそう呟いた。
ああ、兄さんは。
この恋を諦めているのだ。もう、既に。
このひとは。
本当に、ただ、思い続けるだけの恋をしようというのか?
ボクの中に、ヘンリーに対する憎しみが沸き起こった。
このひとに、こんな恋をさせる、あいつを呪った。
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