|
アルフォンスは生身の身体を取り戻して。エドワードと共に、リゼンブールで普通の生活を送っていた。
その生活はアルフォンスにとって、幸せで、幸せで、幸せなものだった。
いつも隣にエドワードが居る。呼べば答えてくれる。手を伸ばすと…その柔らかな身体に触れることが出来る。近付けば、その甘い匂いを嗅ぐことが出来る。
それが、アルフォンスの望んでいたもの。渇望していた全て。
そうして、エドワードを愛しいと思う気持ちは抑えようもなくなっていて。けれど、告げられる筈もなく。アルフォンスは、ただその傍らに居られることに満ち足りていた。満ち足りようとしていた。
恋人のように触れることは出来ないから。その金色の髪の毛にくちづけて。そのすべらかな頬に触れて。そのしなやかな身体を抱きしめて。そのふっくらとした唇に唇で触れる。
そんなことは、到底望めるものではないから。側に居られるだけで、それだけで充分に幸せなことだから。
アルフォンスは自分にそう言い聞かせ。エドワードに対する自分の気持ちについては、心の奥底に押し込めようと日々、努力をしていた。
そんなある日。アルフォンスは信じられない言葉をエドワードの口から聞いた。
「…なにそれ。リゼンブールを出て行くって…」
アルフォンスは呆然と問い返した。
「セントラルの、ある研究所から声が掛かったんだよ。話を聞いてみたら面白そうな研究だしな。やってみようかと思って。軍も辞めちまったし、そろそろ働かなきゃならないと思ってたところだし、丁度よかった」
エドワードはあっさりとそんな風に言う。
「…なんで兄さんにわざわざセントラルから声が掛かるのさ」
アルフォンスは声を抑えて言った。
「軍は辞めても鋼の錬金術師の名前は未だに有名らしいぞ。それに時々、論文も発表してるしな。その辺りからオレが候補に上がったんじゃないのか?」
エドワードはそんなアルフォンスの様子を気にした風もない。
「わざわざセントラルに行かなくても、リゼンブールで出来る仕事があるんじゃないの?」
アルフォンスは恨みがましく言う。
「ここで仕事ったってなぁ…。結局はセントラルから来る仕事だろ?だったらセントラルに出て直接働いた方が効率がいい」
アルフォンスは唇を噛んだ。軍で働いていた時の蓄えがあるとはいえ、もちろん遊んで暮らしていられる身分ではない。今まではロイのツテで時々仕事を回してもらっていたが、そろそろ自力で仕事を得なければならない時期だろう。
思って、アルフォンスはため息を吐いた。
「わかったよ、兄さん。セントラルに行こう」
アルフォンスとしては、リゼンブールでの穏やかな暮らしに未練があったが、仕方が無いと諦める。しかし、エドワードは、きょとん、とアルフォンスを見つめた。
「何言ってるんだ、アル?おまえは学校があるじゃないか。セントラルにはオレひとりで行くんだぞ?」
アルフォンスは一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「何言ってるの?兄さん。学校なんてそんなの…元々、行く必要なんかないじゃないか。ボクらが行ったって教わることは何もないし…現に兄さんだって行ってない。兄さんがセントラルに行くならボクも行く。当たり前じゃないか」
アルフォンスの言葉にエドワードは眉根を寄せた。
「おまえこそ何言ってる。おまえを学校に行かせているのは学問の為じゃないぞ。おまえに学生生活をさせたいからだ。友達と遊んだり、勉強したり、学校でしか学べないことが沢山ある。おまえにはリゼンブールで、そんな学生生活を送って欲しいんだよ」
アルフォンスにも、エドワードの言っていることはわかる。しかし、納得がいかない。
「それは確かに貴重なことかも知れないけど!兄さんを働かせてボクだけが学校に行っているっておかしくない?兄さんだって学校に行ったっていい。ボクだって働かなくちゃいけない」
エドワードとアルフォンスは対等な筈だ。一緒に学校に通い、一緒に旅をした。確かにエドワードだけを軍に入れてしまったことはアルフォンスには悔やまれることだが、だからこそ、エドワードにも普通の生活をやり直して欲しいとアルフォンスは思う。
「おまえはそんなこと考えなくていいんだ」
アルフォンスの気持ちも知らずに、エドワードはそんなことを言う。
「そんなわけないだろう!」
堪らずアルフォンスは強い口調でエドワードの言葉を否定した。
「いいんだ。オレは軍にいた人間だしな。そんなのが普通に学校に通えるわけない」
エドワードの言葉はアルフォンスの胸に突き刺さる。
「だったらボクも働く」
エドワードだけに重荷を背負わせたくないとアルフォンスは思った。これまで、エドワードにはひどい重荷を背負わせてきたのだから…。しかし。
「アル。おまえは学校を卒業しろ。これはオレからの頼みだ」
「…!」
そんな風に言われて。アルフォンスには反論する言葉がなかった。エドワードはアルフォンスの兄であると同時に、アルフォンスを救ってくれた恩人でもある。そのエドワードの「頼み」に抗うことは出来ない。
エドワードが自分を思ってくれる気持ちは、アルフォンスにも痛いほどにわかった。けれど。
「…ずるいよ、兄さん」
アルフォンスは、うな垂れて呟いた。
エドワードがリゼンブールを旅立つ朝。
アルフォンスやウィンリィ、ピナコだけでなく、友人達が駅まで見送りに来た。
軍に入った時とは違い、セントラルの研究機関に引き抜かれるということは、こんな田舎町でも名誉なことだった。
「それにしてもエドはすごいよな」
「おまえ頭だけはよかったもんな。素行は最悪だけど」
「いやいや。エドの奴はガキの頃から勉強オタクだったんだよな、今思うと」
子どもの頃からの友人達が好き勝手なことを言う。それに対してエドワードは「うっせーよ」と返しながら笑っている。
アルフォンスも笑っていた。エドワードの門出なのだ。
列車の出発の合図が響く。
「兄さん、身体には気をつけて。無茶しないでね」
アルフォンスが最後に声を掛けた。
「大丈夫だよ。アルも元気でな」
エドワードが笑う。
「うん。兄さん、時々は帰って来るよね?手紙書くから」
けたたましく響く列車のベルに、焦るようにアルフォンスが言った。あんなに決心したのに、最後に泣き言のようなことを言った、とアルフォンスは瞬間唇を噛んだ。
エドワードはちょっと困ったようにアルフォンスを見て。
「わかった。手紙を書くよ」
笑ってそう答えてくれた。扉が閉まり、列車が走り出す。
「絶対だよ、兄さん!」
アルフォンスは列車を追い掛けて走りながら言った。
エドワードは、笑いながら頷き、手を振った。
列車がホームを出て、エドワードの姿が見えなくなっても。アルフォンスは列車の消えていく先を見ていた。
その日の夕方。
「アル」
エドワードと子どもの頃によく遊んだ丘の上で、膝を抱えているアルフォンスに。ウィンリィが声を掛けた。そのまま隣に座る。
「やっぱりここだったんだ」
ウィンリィはそう言って、隣のアルフォンスの顔を覗き込もうとして。そのまま、自分も前方へと視線を向けた。
そこには、エドワードの乗った列車を運んでいったレールが見える。その、セントラルへと続くレールを、アルフォンスはじっと見つめていた。
「…淋しくなるね」
ウィンリィがぽつりと言った。
「あいつ、人の何倍も賑やかだったし」
小さな声で続ける。そして、俯いていた顔を上げた。
「でもさ、あいつにとっては、これはいいことなんだよね。あたしだってラッシュバレーで修行させてもらって、凄くよかったと思っているし…」
淋しさを振り切るように強く言う。
「あたしにはわかんないけどさ、むっずかしいことが大好きなエドだもん。きっと嬉しいんだろうね」
アルフォンスからの答えはない。ウィンリィは隣のアルフォンスに顔を向ける。
「…だから、さ。泣かないでよ、アル」
アルフォンスは、泣いていた。じっと線路を睨んだまま。ウィンリィが来るずっと前からそうしているようだった。
ウィンリィは痛ましげに顔を歪め、アルフォンスの背中を優しく撫ぜる。
「二度と会えないわけじゃないでしょう?」
ウィンリィの優しい慰めに。
「…泣いてないよ」
嗚咽を堪えたアルフォンスの答えが返る。
「兄さんと離れて暮らすからって泣く弟がどこにいるの。子どもじゃあるまいし。ボク達はもう大人だよ?兄さんの門出を喜びこそすれ、悲しむ理由なんか無い」
一気にそう言ったアルフォンスに。ウィンリィはため息を落とした。
「そうかも知れないけど。淋しく思ったっていいんじゃないの?あんたたちは特別に仲のいい兄弟なんだしさ」
「…いくら仲がよくっても、こうして離れて行くんだ」
「アル…」
抱えた膝に顔をうつ伏せたアルフォンスの肩を、ウィンリィはそっと両手で包んだ。
「…泣かないでよ、アル。あたしも泣きたくなるじゃない…」
ウィンリィの言葉に。
「泣いて、ない、よ…っ」
アルフォンスの涙に濡れた声が答えた。
それから数年。エドワードは一度としてリゼンブールに帰ってはいなかった。
アルフォンスへの手紙は、月に一度は書いている。日常生活のちょっとしたことを、短くハガキにしたためる。アルフォンスからは毎週、丁寧な封書が届いていた。その手紙にも、書いてあるのは学校のことや、友達のこと。日常の細やかなことだ。その手紙で、エドワードは離れていても、アルフォンスがどんな生活を送っているのか、充分に知ることが出来た。
エドワードがセントラルに来た初めの頃は、アルフォンスからはエドワードの身の回りのことや、身体を気遣う手紙が多かった。休暇の時期になれば、いつリゼンブールに帰って来るのか、と毎回書いて寄越した。
けれど、エドワードが何かと理由を作って帰らずにいると、アルフォンスはパタリとエドワードの帰郷について触れてこなくなった。
エドワードはそのことに安堵すると共に、寂しくも思った。勝手だ、と思う。リゼンブールに帰らないのも勝手。アルフォンスに帰郷を乞われなくなったことを寂しく思うのも勝手。
エドワードがリゼンブールに帰らない理由は、酷く曖昧なものだった。
アルフォンスと一緒に居ることが、何故か怖かった。あんなに焦がれたアルフォンスの生身の身体。それなのに、何故かその存在が、怖くて堪らなかった。
否、怖いのはアルフォンスではなく、自分の中の何かだったのか、とエドワードは思う。
けれど、その思いも記憶も、既に遠くなりつつある。それだけの年月をふたりは離れて過ごした。
アルフォンスが大学へ進むと聞いた時、エドワードは、アルフォンスがセントラルへ出て来るものだと思っていた。アルフォンスのレベルに釣り合う大学を探すなら、自然とセントラルの大学になるだろうと思ったのだ。
それに、セントラルにはエドワードがいる。また一緒に暮らそう、と、アルフォンスはそう言うだろうとエドワードは思い込んでいた。しかし実際には、エドワードの元に届いたアルフォンスの手紙には、リゼンブールからもセントラルからも離れた、ある都市にある大学に進学を決めた旨が記されていた。そこで学びたいことがあるのだ、と。
その手紙を読んだ時、エドワードは酷く落胆している自分を自覚した。それは落胆、などという生易しいものではなく、絶望というものに近かったようにエドワードは思う。
アルフォンスに何度乞われても、エドワードはリゼンブールには帰らなかった。アルフォンスに会うのが怖い、という自分でもよく分からない理由で。
そして今、アルフォンスはエドワードの存在を必要とせず、自分の道を歩いている。
兄として喜ぶべきこと。弟がしっかりと自分の道を歩いている。けれど、エドワードの胸は絶望に、冷たく沈んでいるのだ。
エドワードは、そんな自分を心の底から嫌悪した。
「エルリック博士」
呼ばれて、エドワードは思いの淵から浮上した。
「なんだ?」
振り返ると、エドワードの研究室の入り口から若い研究員が覗いている。
エドワードはアルフォンスの手紙を懐に仕舞った。
「オルト博士がいらっしゃいました」
「わかった、すぐに行く」
エドワードはドアへと足を向けた。
リゼンブールを出てから、エドワードはセントラルで研究を続けている。
エドワードの発明は数多く実用化された為、エドワードの所属する企業は多大な利益を上げる。当然、エドワードを引き抜こうと色々な企業が彼に好条件を提示してきた。
エドワードはその中から、自分の研究心をそそる企業を選び、渡り歩いている。また、その間に優れた論文も次々と発表して博士号も取得した。
今回はある企業に、正式な所属ではなく、合同研究のメンバーとして呼ばれたのだ。その研究の主体となるのが、エドワードとオルトである。
オルトは、やはり優れた論文を発表している博士だった。エドワードも随分前から注目していた。
今回の仕事を引き受けたのは、研究内容に魅力があったということと、エドワードとオルト中心で研究を行なう、という条件の提示があったからだ。
(研究内容については外部に漏らせないから、アルへの手紙に書いたことはないけど…オルト博士と研究をすることぐらいは教えてもいいよな。きっとアルだってオルト博士には興味あるだろうし…)
エドワードは廊下を歩きながら、そんなことを考えた。エドワードとアルフォンスは、今は違う道を歩いているが、元々は共に研究を続けてきた者同士。エドワードが興味を持つような対象には、アルフォンスとて興味があるのではないか、とエドワードは思った。
(アルはオルト博士に会いたいって言うかな。そうしたらセントラルに出て来るだろうか…)
思って、エドワードはハッと我に返り、頭を振った。
(バカか、オレは。何を考えているんだ。アルに会いたいのなら自分がアルを訪ねて行けばいい。アルの方からオレの所に来るように仕向けようなんて…)
エドワードは苦しげに顔を歪めた。
(オレは、アルに会いたい…のか?あんなに頑なに拒んだのはオレの方なのに…今更、会いたいのか?)
会いたい。会いたい。会いたい。
それは、ずっとエドワードの心の中にあった気持ちだった。アルフォンスと離れたくはなかった。アルフォンスに会いにリゼンブールに帰りたかった。いつでも、そう思っていた。
なのに、怖くて帰れなかった。アルフォンスに会う勇気がなかった。
それなのに、会いたいと思う。
やはり、自分はなんて勝手でズルイのだろう、とエドワードは苦い気持ちになった。
「エルリック博士が来られました」
エドワードを先導していた若い研究員がドアを開けて言う。
エドワードは目の前のことに意識を向けようと、視線を上げた。
「エルリック博士、こちらがオルト博士です」
紹介された男が、ゆっくりと席を立ち上がり、エドワードに歩み寄る。
オルト博士は、エドワードが思っていたよりも随分と若かった。この世界では異例に若いエドワードと、同じぐらいの年頃だ。こんなに年若いふたりがリーダーを任せられるということは、それだけに、このふたりの卓抜した優秀さの証明でもあった。
「あ…」
エドワードが声を発しようとした時。オルトはサッとエドワードに右手を差し出した。
「初めまして、エルリック博士。オルトです」
強引に握手を求められ、エドワードはされるがままに右手をオルトに任せた。
「では、研究の打ち合わせをしましょうか」
オルトはエドワードにそう言うと、まだ傍らにいた若い研究員に向かい、
「しばらくこの部屋には誰も入らないようにお願いします」
と言った。
「はい。承知しました」
研究員はそう言うと、部屋を出て行った。
ばたん、というその音に封印を解かれたかのように、エドワードが口を開く。
「アルッ!?おまえ一体ここで何をしてるんだ!?」
オルト…エドワードがアルと読んだ男は、ゆっくりと微笑んだ。
「久しぶり、兄さん」
穏やかに微笑むアルフォンスとは対照的に、エドワードは動揺を露にした。
「なんでおまえがここにいるんだよ!?」
「なんでって、兄さんと共同研究する為に決まってるじゃないか」
きょとん、とアルフォンスは答える。
「なんでおまえが…オルト博士は!?」
まだ事態が飲み込めていないエドワードに、アルフォンスはクスリと笑った。
「だから、ボクがオルトなんだってば」
「はぁっ!?なんで名前が違う…」
「ボクはまだ学生だからね。騒がれるのが嫌だからって偽名を使わせてもらってるんだ」
そのアルフォンスの答えに。
「だからって…だったらオレに連絡を寄越してくれればよかったのに…」
驚きに声を荒げていたエドワードは、急に声の調子を落とした。
久しぶりのアルフォンスとの再会。そのことに、急に戸惑いと緊張を感じ始めていた。
それに、アルフォンスが博士号を取ったことを自分に告げなかったのは、その必要を感じなかったからではないのか。それほどに、アルフォンスの中で自分の存在は遠く、小さなものになっているのではないか。そう思えば、怖くてそれ以上、アルフォンスに事の次第を質す気にもなれなかった。
「あはは。いつか兄さんと仕事で会う日が来るんじゃないかと思って、内緒にしていたんだ。驚かそうと思ってさ」
暗く沈んだエドワードの思考とは逆に、アルフォンスは明るくそう言った。
エドワードはその言葉に安堵する。
「…ったく。驚いてどうにかなりそうだったぞ」
エドワードは怒ったように頬を膨らませ、アルフォンスの頭を軽く叩くフリをした。それから、小さく笑う。
「へへ。作戦成功、かな?」
アルフォンスが舌を出して言うのに、エドワードは「気の長い作戦だな」と笑った。
アルフォンスは安堵していた。会った瞬間にエドワードに逃げ出されたらどうしよう、という不安があったからだ。
エドワードがセントラルに行ってから、一度もリゼンプールに帰って来ないことに、当然のことながらアルフォンスは疑問を抱いた。
いくら仕事が忙しいとは言っても、一度もリゼンプールに顔を見せないのはおかしい、とアルフォンスは考えた。そして、リゼンプールに帰りたくない理由があるのかと考えた時。エドワードが一度も、アルフォンスに会いたいと言ってこないことに気が付いた。
自身がリゼンプールに帰れないにしても、どうしても会いたければアルフォンスをセントラルに呼べばいい。アルフォンスの方は何度もエドワードに会いたい、と書いて送っているのだから。
そう考えた時、アルフォンスは、自分に会いたくないからエドワードはリゼンプールに帰って来ないのではないか、という可能性に行き当たった。
理由はわからない。けれど、あまりにも長く、そして濃密に共にいたことが、エドワードの重荷になっていたのかと思う。アルフォンスはそれを重荷に思ったことはなかったが、鎧である自分がエドワードにとって途轍もない重荷であったのだろうことは、アルフォンスにも察せられる。それはアルフォンスにとっては辛いことだが、無理も無いことだろうと思った。
だから、アルフォンスはエドワードに会いたいと手紙にしたためることを止めた。
けれども、エドワードのことを諦められるわけもなく。アルフォンスは、エドワードが逃げられない状況を作るべく、計画を練ったのだ。
それが、別人の名前を使い、研究者になることだった。
元々、エドワードとアルフォンスは一緒に研究をしていた仲である。興味を引かれる対象、研究の方向性が似通っている。
だからアルフォンスは、企業に自分の研究を売り込み、論文を発表して博士号を取得し、自分の研究をエドワードに認識させようとしたのである。
エドワードがアルフォンスの研究に興味を示す確率は高いと踏んでいたし、それとなく企業側にもエドワードと共同研究をしてみたい、という話を匂わせておいた。後は、企業とエドワードが食いついてくるかどうかだったが、目論見どおりにその話はアルフォンスの元に転がり込んできた。
仕事であれば、エドワードは逃げられない。
アルフォンスは、そう踏んだのだ。
こうしてエドワードに再会するまでに要した時間は数年に及ぶが、いつ会えるかわからぬ日々を持つよりもずっとよかった。
久しぶりに会うエドワードは、アルフォンスの記憶の中のエドワードよりも少し大人びていた。会えないでいる間にエドワードが変わったのだと思うと少し悔しい、とアルフォンスは頭の隅で考える。
「兄さん、今、どこに住んでるの?」
アルフォンスは、そんな内面を微塵も感じさせない明るい口調で訊いた。
「あ?」
エドワードは、きょとん、とアルフォンスを見上げた。
「ボク、セントラルにいる時にはホテル住まいだったからさ。今回は長いプロジェクトになりそうだし、兄さんのところに行ってもいいよね?」
サラリとアルフォンスが言うのにエドワードは慌てた。
「はっ!?ちょっと待て…」
「また兄さんと暮らせるなんて嬉しいなぁ」
本当に嬉しそうにアルフォンスに微笑まれて。エドワードは言葉に詰まった。
確かに、アルフォンスをひとりでホテル暮らしさせるわけにはいかない。
けれど…。
「うう…」
思わずエドワードは唸った。アルフォンスをひとりで暮らさせるのは、明らかに不自然だ。だけど突然、一緒に暮らせと言われても…。
怖い。
エドワードはその思いに、再び唸った。
「…やっぱり、ボクと暮らすのは嫌なんだ?」
アルフォンスが言った。
「えっ!?嫌だなんて、そんなことある筈がないだろ?」
慌ててエドワードは言い繕う。
「いいよ、無理しなくて。思い違いであればいいと思っていたけど…兄さんがリゼンブールに帰って来なかったのって、ボクに会いたくなかったからでしょ?」
アルフォンスは辛そうに俯く。
知られていた。そのことにエドワードは愕然としたが、それを認めるわけにはいかない。アルフォンスを悲しませたいわけではなかった。
「違う。アル。帰らなかったのは仕事が忙しかったからで、おまえに会いたくないわけないだろ?」
エドワードの言葉に、アルフォンスは顔を顰めた。
「じゃあ、いいんだね?ボク、兄さんと一緒に居ても」
アルフォンスが言う。
「…当たり前だ」
エドワードはそう答えた。
そのエドワードの言葉を聞いて。アルフォンスはため息を吐いた。
「兄さんさ、無理するのやめなよ。ボクの存在が重荷だったのは、わかっているつもりだよ。ボクは生身の身体に戻ったけど…それでも、兄さんにとってボクが、負担になっているのは仕方がない」
思いも寄らないアルフォンスの言葉に、エドワードは驚く。
「何言ってんだよ!?重荷だなんて、そんなことある筈ないだろ!?オレがおまえに会いたくなかったのは…!」
思わず本音を言い掛けて、ハッとエドワードは口を噤んだ。
「会いたくなかったのは、何?」
アルフォンスがエドワードの言葉を聞き逃すまいと、身体を乗り出す。
「違…今のは間違いだ」
「いいから!兄さんの本当の気持ちを聞かせて」
「………」
「兄さん!」
偽りを許さない、真剣なアルフォンスの瞳に。観念したように、エドワードは一度、ぎゅっと目を瞑った。
「…オレがおまえに会いたくなかったのは…怖かったから、だよ」
「怖い?ボクの存在が気味悪いってこと?」
あちら側から取り戻したアルフォンスの存在が気味悪いのか、とアルフォンスは問うた。
「違う!…そうじゃなくて…オレ、は。オレは、おまえのことを…ずっと、大切に思ってきた。大切で、大切で、この世で一番大切な人間で」
そのエドワードの真摯な告白に、アルフォンスは聞き入った。
「鎧のおまえを元に戻したくて、あんなに頑張れたのも、おまえが大切だったから…。でも、おまえが生身になって気付いたんだ。…オレは、おまえが好きで、好きで、大好きで。オレの側に居て欲しいって思ってた。ずっと、オレの側に居て欲しいって…」
「そんなの、ボクだって…!」
思いも掛けないエドワードの告白に、アルフォンスは焦って声を上げる。
「違うんだ!オレはおまえをこれ以上好きになるのが怖かったんだ…!おまえのことを好きになる気持ちに歯止めが利かなくて、どんどん思いが募って、それでおまえのことを束縛するようになるのが怖かった…!」
エドワードは辛い気持ちを解き放つように叫んだ。
アルフォンスの胸は熱くなった。もちろんアルフォンスだってエドワードのことが好きだ。けれど、嫌われたのだと思っていた。疎まれたのだと思っていた。もう、自分はエドワードには必要ないのだ、と思っていたのに…。
その、エドワードがこんな言葉をくれたことに。アルフォンスは心の底から歓喜する。
「…そんなの。束縛してよ。嬉しいよ」
アルフォンスは一生懸命に言った。
「ボクだって、兄さんを束縛したいと思ってたよ。そんなこと、兄さんに知られたら嫌われると思ったから言えなかったけど…」
アルフォンスの言葉にエドワードが目を見開く。
「…オレも。嫌われると思ってた。アルを束縛して、我侭言って、アルを困らせて。側に居たら、いずれ絶対に嫌われるって…」
エドワードの言葉に、アルフォンスは泣き笑いのような笑顔を浮かべた。
「嬉しいよ。兄さんが、ボクを束縛したいと思って、我侭一杯言ってくれるなんて。本当に、嬉しい…」
「アル…」
エドワードはアルフォンスを見つめる。
「兄さんの我侭が大好きなんだ。側に居てもいいんだって思わせてくれるから。それが錯覚でも。兄さんがもっとボクに頼ってくれたら、甘えてくれたらどんなにかいいのにって思ってた。ずっと、そう思ってた…」
エドワードは、胸の奥がギュッとなった。アルフォンスが、今にも泣き出しそうだったから。
「アル、ごめん…。おまえから逃げ出して、おまえを傷つけた。駄目な兄貴でごめん」
うな垂れるエドワードを。アルフォンスは、そっと抱きしめた。
「抱きしめても…いいんだよね?これから、ずっと一緒に居てもいいんだよね?」
アルフォンスの問い掛けに。エドワードはアルフォンスの胸に顔を押し付けて答えた。
「当たり前だ。おまえがオレを許してくれるというのなら。追い掛けて来てくれてありがとう、アルフォンス」
「兄さん…」
エドワードを抱きしめるアルフォンスの腕の力が強まった。それが嬉しくて。エドワードは笑い声を漏らした。
「とりあえず、一緒に研究頑張ろうぜ。オルト博士?」
その言葉に。アルフォンスも声をあげて笑った。
「よろしくね、エルリック博士」
これから後、再びふたりが離れることがあったとしても。この日の思いがふたりの胸にある限り、再会を信じることが出来る、とエドワードとアルフォンスは思う。
たとえどんなに遠く離れてしまっても。いつでもふたりの心が側にあることを、知ったから。
|