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深夜、エドワードが麻酔で昏睡している頃。ふたつの人影が、ひっそりとエドワードの病室へ入ってきた。
「兄さん…」
人影の内のひとつはアルフォンスだった。ベッドに横たわるエドワードを見て息を呑む。
枯れ木のように痩せ細り、青白さを超えて顔色を失くしているエドワードの姿。アルフォンスは予想も出来なかったエドワードの衰弱振りに声を詰まらせた。
「アルフォンス。背負って連れて行くか?」
そんなアルフォンスの感傷を遮るかのように、もうひとつの人影…ロイが潜めた声で問い掛けた。
その声に、アルフォンスは目尻に滲んだ涙を拭うと、
「はい。ボクが背負って行きます」
と答えた。そうしてベッドの側で身を屈める。
ロイは意識の無いエドワードを抱き起こすと、アルフォンスの背に乗せる。意識のない身体が落ちないように気遣いながら、ふたりは、こそりと病室を後にした。
ふたりはアルフォンスが普段研究室として使っている建物へと急いだ。深夜とはいえ、誰かに見咎められでもしたら面倒である。ロイの大佐という肩書きがあれば言い逃れの術はいくらでもあるが、今は時間が惜しかった。
誰の目にも触れず、ふたりは無事に目的地にたどり着くことが出来た。部屋へと飛び込む。
「大佐。アルフォンス君」
そこで待機していたのはロイの副官である、リザ・ホークアイ中尉だ。夕刻、エドワードに麻酔を打った看護婦が彼女であったことは、ここにいるふたりだけが知っている。
「麻酔は効いていますね」
アルフォンスがベッドへとエドワードを横たえるのを見ながら、リザが確認する。
「ああ。君に医術の心得があって助かった」
ロイもエドワードの様子を確認しながら言った。
「麻酔ぐらいでしたら。戦場で役立つこともあろうかと思いまして学びました」
もちろん、前線など戦いの激しい場所で麻酔を使用しての手術など出来はしないが、それほどでもない場所であれば、病院のような施設を使用することが出来る。そして、戦争中は医者や看護婦の手が足りなくなるのが常だった。その時に自分に何か出来るように、というリザなりの考えだった。
「ありがとうございます。中尉」
アルフォンスが頭を下げる。
「私に出来ることがあれば何でもするわ。それよりも今はエドワード君を」
「はい!」
リザに言われて、アルフォンスは準備を始めた。
アルフォンスは横たわるエドワードを見下ろす。今、部屋にはアルフォンスとエドワードのふたりきりだった。ロイとリザには別室で待機してもらっている。
「兄さん…」
アルフォンスは、眠るエドワードの髪をそっと撫ぜた。あの美しかった金髪が。今は艶もなく、乾いた感触をアルフォンスの手に伝える。
そっとその手のひらをエドワードの頬に滑らせる。かさかさと荒れた感触に、アルフォンスは泣きそうに眉根を寄せた。
あの、美しく、健康だったエドワードが。太陽の似合う笑顔が。今は、こんなにも色を失くし、死に逝こうとしている。
「駄目だ、そんなの。ボクが兄さんを助ける。今度はボクが助けるんだ!」
アルフォンスはそう言うと、ベッドのエドワードを抱き上げた。そのままドアを開け放った隣室へと運ぶ。
そっと、その身体を床に横たえた。
そこには、ちょうどエドワードの身体が納まるほどの大きさの錬成陣。
エドワードがアルフォンスの人体錬成に使った錬成陣はもっと巨大なものだった。アルフォンスが作った錬成陣は、それとは似て非なるもの。エドワードの身体を作り出すのではなく、修復する為の錬成陣だ。
「大丈夫だ。ボクには出来る。必ず成功する」
アルフォンスは自分に言い聞かせるように、低く何度も呟いた。そして、机の上の赤い水の入った小瓶を取り上げる。
「出来る。ボクは兄さんを助ける」
アルフォンスの瞳が強い光を放った。
エドワードは全く意識なく眠り込んでいる。
そのエドワードの側に座り込み、アルフォンスは赤い水をかざす。そして、錬成陣に手を置いた。
赤い光が発せられる。その光の中で、アルフォンスは精神を研ぎ澄ませた。
エドワードの指先から。全ての細胞をあるべき状態へと修復していく。
それは、長い長い作業の始まりだった。
別室で、ロイとリザはじっと耳を澄ましていた。研究施設は防音も優れていて。ふたりの耳には何の音も届かない。
「…大佐。そろそろ夜が明けます」
リザの言葉にロイは時計を見た。時計の針は午前3時半を指している。4時を過ぎて病棟にエドワードを連れ帰るのはどうしても人目につく。それに、エドワードを連れ出したのがちょうど真夜中頃。こんなに長い時間を要する錬成なのだろうか、とふたりの頭を不安が過ぎる。もしかすると、何事か起こっているのでは…?
その可能性に、ロイはサッと立ち上がる。
「様子を見てくる」
「私も行きます」
足早に出て行くロイに、リザも後を追った。
ロイが研究室のドアを開ける。そこは無人だ。その部屋を通り抜け、錬成の用意をしてあった隣室へと足を向ける。
何の物音もしないことが、ふたりの不安を煽った。
けれど、万が一にも錬成の邪魔をしてはいけないと、そっとドアの外から中の様子を伺う。
「アルフォンス君!」
リザが叫ぶ。アルフォンスは力なく床に横たわっていた。
ロイはズカズカと部屋の中へ入ると、アルフォンスの状態をチェックする。
「呼吸も脈も正常だ。気を失っているだけだろう」
ロイはそうリザに言うと、錬成陣の上で眠るエドワードへと近付いた。
「…こちらも、呼吸も脈も正常だ」
そのことに、リザが安堵のため息を吐く。
「ホークアイ中尉。私は鋼のを病室へ連れて行く。アルフォンス君を頼む」
「はい。わかりました」
リザはロイと入れ替わりに部屋へと入った。
翌朝、ロイは老医師を訪ねていた。
「エドワード・エルリック殿の精密検査をしろ、ですと…?」
不機嫌に老医師はロイを見た。
「彼の容態は随時報告している筈ですが」
「今の彼の容態を知りたいのだよ」
老医師の言葉にロイはそう告げる。
「…今更、精密検査をしても新たな結果などは出ないと思いますが」
弱っていくばかりの身体。そんなエドワードの身体に負担を掛けるのが嫌なのだろう、老医師はロイに食い下がった。
「上への報告に必要なのだ。彼の処遇に関わるのだよ」
ロイの言葉に老医師は眉根を寄せた。不愉快さを隠しもしない。
「…わかりました」
軍の命令であれば逆らう訳にはいかない。老医師は渋々頷いた。
エドワードは不審に思っていた。
鎮痛剤の投与がなくなったのだ。その為、頭がクリアですこぶる気分がいい。しかし、あれだけ酷かった全身の痛みや不快な感覚が全く無くなっているというのはどういうことなのだろう、と考える。
いくら考えてもわからなかった。
その内に、点滴だけではなく、水を与えられるようになった。今までは口から摂取するものは喉を通らないか、吐いてしまうかだったのが、少しずつではあるが飲めるようになった。
やがてそれらに野菜や果物のジュース、スープ等も加わった。それらをエドワードは飲み下すことが出来た。久しぶりに口にする味のある食物。エドワードはそのおいしさに涙が出るほどに感動した。
エドワードは自分の身体について考える。どれだけ考えても答えはひとつだった。
死を待つだけだった自分の身体は。今や生きる力を持つ身体として。回復している。
それが、エドワードの答えだった。
その日、ロイがエドワードの病室を訪れた。
エドワードは病室に入ってきたロイを睨み付ける。
エドワードの身体は回復し、じきに普通食も食べられるようになるという。そうなれば今度は、衰えた筋肉を回復させる為にリハビリが始まることだろう。
医者も看護婦も経過は順調だという。エドワードは元の健康な身体に戻るという。エドワードもそう思う。けれど。
それは、どうしてだ?
それが、エドワードの中で解決されない疑問。そして、その答えを知っているのはおそらくは、目の前に居るこの男なのだ。
エドワードがこの病棟に運ばれてからというもの、エドワードにまともな意識が無いにも関わらず、毎日のように病室に顔を出していたというこの男が。エドワードにまともな思考能力が戻ってきてからというもの、ぱたりと顔を見せなくなった。
医者や看護婦が言うには、ロイは相変わらずエドワードの容態を気にして、毎日のように病棟に足を運んでいるという。しかし、エドワードの前に姿を現すことはなかった。
「調子はどうだね?鋼の」
エドワードの視線を受けて、ロイは口の端を上げて笑って言う。
「…おかげ様で。すこぶる調子はいいよ。不自然なほどにね」
エドワードの含みを持たせた言葉に、ロイは軽く笑う。
「順調ならいいことではないか。そんな風に言うものではないよ、鋼の。」
エドワードはギリギリとロイを睨みあげた。回復しているとはいえ、まだ自力で身体を起こすことも出来ないのが悔しいと思った。
「あんた、何をした?」
エドワードはストレートに言う。ロイがエドワードの前に姿を現さない理由。それは、この問いをエドワードにさせない為だったとしか思えないのだ。
「なんの話かな」
ロイは笑う。
「惚けんなよ。あんたがオレの身体に何かしたんだろう」
まだ怒鳴るだけの力はない。エドワードは低い声でロイを問い詰める。
「いや?私ではないよ。知りたければ早く自力で立ち上がれるようになることだな、鋼の」
ロイの答えに、エドワードは眉根を寄せる。
「まあとにかく。元気そうで安心したよ」
ロイはそう言うと踵を返した。
「待てよ。まだ話は終わってない…っ」
エドワードはその背中に言葉を投げる。
ロイが振り返った。
「鋼の。養生したまえ。早く弟君に会う為にも」
「!」
アルフォンスのことを引き合いに出され、一瞬エドワードは息を呑む。その隙にロイは病室を出て行った。
「…アル…」
エドワードはぽつりと呟く。言われなくても。アルフォンスに会えるのなら。自分の身体がどうなっていようとも構わない、とエドワードは思った。
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