再生−再び生まれ来る未来−

 

 エドワードは病室のベッドの上で目を覚ました。部屋には誰もいない。
 身体がだるく、頭がぼんやりとしていた。それは麻酔のせいだったが、エドワードはただぼんやりと天井を見ていた。
 しばらくして看護婦が来て、何かをエドワードに向かって話し掛けてきた。エドワードはベッドに横になったまま、無音の中にいた。いつでもエドワードに付きまとっていた痛みが、今はない。そのことに開放感と、不思議な浮遊感を感じ、エドワードは再び目を閉じた。
 次にエドワードが目覚めた時、病室にはひとりの看護婦がいた。エドワードの腕に点滴の針を差し込んでいる。ちくりとした痛みは、エドワードには痛みとも認識されない僅かなものだった。
「エルリックさん、お目覚めですか?気分はどうですか?」
 エドワードの視線に気付いた看護婦が優しく問い掛けてくる。
「…特には」
 エドワードは短く答えた。眠りから覚めると、以前と同じ痛みが戻ってきていた。その痛みを表に出さず、耐える術は身に付けている。
「点滴は2時間ほどで終わります。何かあったらこのボタンを押して呼んでください」
「ありがとうございます」
 看護婦はにっこりと微笑むと、病室を出て行った。
 ひとりきりになり、エドワードは天井へと目を向けた。
 アルフォンスのことが気懸かりだった。ロイが酷い言葉をアルフォンスに言った。アルフォンスは傷ついてはいないだろうか?今、どこにいて何をしてるのだろう。自分のことで心配を掛けているのではないか。そんなことばかりがエドワードの思考を支配した。
 その日の午後、ロイがエドワードの病室を訪れた。エドワードはベッドの上に起き上がり、ロイと対面した。
「横になっていたまえ、鋼の」
 ロイの言葉にエドワードは、
「平気だ」
と、短く言葉を返す。
「…身体の方はどうだね?少しは楽に…」
「アルフォンスはどうしている?」
 ロイの言葉を遮ってエドワードが訊いた。
「…アルフォンス君ならリゼンブールで君を心配しているよ。君が呼べばすぐにこちらへ来ると思うが」
 ロイの言葉に、エドワードは軽く頭を振った。
「いや。呼ばなくていい。オレの身体のことは心配いらないと…治療をすればよくなると伝えてくれ」
 エドワードの言葉に。ロイはしばらく沈黙して。
「…わかった。そう伝えておこう。事実だからな」
と、答える。その言葉にエドワードは小さく笑う。それは微かに歪んでいた。
「悪いけど、頼むよ」
 エドワードはそう言って、ロイに笑ってみせた。
「ああ。何も心配することはない。ここで治療に専念することだ」
 ロイはそのエドワードの顔を見つめ返し、静かに言った。

 ロイが出て行った後、エドワードはまた、小さく笑った。
 治療をすればよくなるなどと、ロイが自分に思わせようとしていることが可笑しかった。既に助かる見込みなどないことは、エドワード自身が知っていた。
 仮にも人体錬成を行った身である。人間の身体のことならば、医者とは観点が違うだろうが、医者並みに把握している。
 だから、エドワードにはわかっていた。自分の身体はもう駄目だ、と。
 もしも自分が死んだなら、アルフォンスは悲しむだろうか、とエドワードはちらりと思った。
「…死ぬ間際まで、アルの姿を見ていたかったな…。アルが楽しそうに生きている姿をもっともっと見ていたかった。オレの望みはそれだけだったのに…」
 小さな呟きは。静かな病室に、ひっそりと響いた。

 アルフォンスは、軍の施設の中にいた。ロイの取り計らいで、軍の為の研究をしている、ということになっている。重要機密として完全に隔離された施設で、アルフォンスはひたすらに人体錬成の準備を進めていた。
 その手元には、小瓶に入った赤い水がある。
 ロイと執務室で対面してから数日後、アルフォンスは、やっと入室の許可が出たという保管室へロイに伴われて赴いた。
 職員の立会いの元、アルフォンスは、その小瓶を手に取って観察する。それは確かに、ドクター・マルコーが持っていたものと同種のもののようだった。
「大佐。外観だけでは判断出来ませんが」
 それが本物か偽物かは、という言葉は口にはしない。軍が保管するものに対しての暴言は記録されるからだ。
「君の研究している物質と同じ効果を持っているという報告がある」
 ロイは簡潔にそう答えた。つまり、この赤い水は錬金術師の術力を増幅させた実績があるのだろう。
「そうですか。わかりました」
 アルフォンスの答えに、ロイは頷いた。
「うむ。ではレプリカを作成したまえ」
「はい。では始めます」
 アルフォンスは持参した材料を手に、錬成を開始する。一瞬で、見分けがつかないほどの精巧なレプリカが出来あがる。
「このレプリカは君の研究に役立つはずだ」
 ロイがレプリカを手にして言う。
「はい。軍のお役に立てるよう、頑張ります」
 アルフォンスがそう言うのを聞いてから、ロイは赤い水を職員へと返した。職員はそれを確認し、記録を取ってから、ロイとアルフォンスに退室を促した。

 その赤い水がアルフォンスの手にあるものだ。
 もちろん、ただの赤い色素と液体から赤い水の効果を持つ物質など作れる筈が無い。
 アルフォンスの手にあるのは、ロイがすり替えた本物の赤い水である。今、保管庫で厳重に管理されている赤い水は何の価値もない、アルフォンスが錬成した偽物だった。
 人体錬成、賢者の石、赤い水。軍でそれらの案件に関わっていたのは、ほんの少数の上層部の人間だけ。そして彼らは全員が死んでいる。それだけそれらが危険な物質であり、彼らは自滅したとも言える。
 今では、この秘密を知っているのはロイとその腹心の部下数人、エルリック兄弟及びその周辺の一部の人間だけである。
 保管室からロイの執務室に帰って、ロイは赤い水をアルフォンスに渡してこう言った。
「今となっては、この水の力を知る者は軍の上層部にはいない。従って、この水を使うどころか、この水の存在に気を止める者すらおらんよ」
 あの保管庫に立ち入れるのは大佐級以上の軍人に限られている。そして、間違いなくその中でロイは切れる人間だ。
 今後、この水のことで問題になることはないだろう、とアルフォンスは思った。
「何。もしバレたとしても、初めからそんな効力は無かったと言い張ればいいのだ」
 続けられたロイの惚けた言葉に、アルフォンスは一瞬、ロイの評価を翻しそうになる。切れる人間で通さないのはロイの性質なのだろうか、とアルフォンスは苦笑いした。

 実を言えば、赤い水を使えば治療を行なうことは容易い。実際にドクター・マルコーは医療に使用していた。
 アルフォンスもまた、人体錬成の為に人体について勉強した人間である。人間の身体を錬成するべく勉強をした人間にとって、怪我を修復するという治療行為は、壊れたラジオを錬成で修繕するのと同じレベルなのだ。
 ただ、人体の治療とラジオの修繕で決定的に違うのは、必要となる術者の力量である。理論としては容易い。しかし、生きた細胞を錬成で作り変えるという行為は。人間の持つ力では不可能だ。
 だからこそ、錬金術師の力を増幅する赤い水が必要だった。
 そして、全身の細胞が死に向かっているエドワードの身体を作り変えるには。エドワードがアルフォンスの身体を錬成する為に用いた構築式が必要となる。そのままでは大きすぎてアルフォンスには扱えないが、それに手を加えて、今回の錬成に相応しい構築式にする。
 既に、アルフォンスの中でその理論は出来上がっていた。しかし、事が事なだけに、実際に実験をすることが出来ない。それが、アルフォンスの不安要素だった。
 実際に錬成を行なってから、失敗でした、では取り返しがつかないのだ。
「動物実験でも出来ないかなぁ…。大佐に頼んでみようか…」
 そんなことをアルフォンスが考えていた時。そのロイからアルフォンスに呼び出しが掛かった。

 アルフォンスがロイの執務室へ出向くと。人払いをし、ひとりでアルフォンスを待っていたロイは、厳しい表情で口を開いた。
「状況は悪くなっている。鋼のの身体が思わしくない。近頃では痛みが酷く、やむを得ず薬を使っている。強い薬でなければ効かん。それだけに副作用も酷い。悪循環だ。アルフォンス・エルリック、一刻も早く鋼のの錬成を行なえ。取り返しがつかなくなる前に」
 その言葉に、アルフォンスの顔も緊張に強張った。そうだ、時間はそんなにないのだ、と思う傍ら、既にそこまで悪化しているのか、と苦しく思う。
「わかりました。すぐに準備をします」
 アルフォンスは腹を決めた。

 エドワードはぼんやりと目を開けた。見慣れてしまった病室の天井が目に映る。
 近頃は鎮痛剤のせいで痛みを感じなくなったが、その分、身体のあちこちが他の不快感を訴えている。頭もあまり働いていない、というより上手く意識を集中させることが出来ない。
(ちくしょう。鎮痛剤なんかいらないってのに…)
 エドワードはまとまらない意識の中で歯噛みする。痛みなら我慢できる。けれど今のこの状況…自分の意識を保てない状況には我慢がならない。どうせ死ぬにしても、死ぬ間際まで自分でありたいとエドワードは思っている。
 しかし、老医師もロイもそれを承諾しない。痛みがエドワードの神経や精神を蝕むと思っているらしかった。そんなものは苦でもない、とエドワードは思う。痛みも苦しみも、皆この身体に引き受けてきたつもりだし、最期まで受け止められる自信がある。だからこそ。
(最期までアルの側にいるつもりだったのに…)
 エドワードは散漫な意識の中で脳裏にアルフォンスの姿を思い描いた。
(アルに会いたい…。どうしているかな。相変わらず忙しそうにしているんだろうか。皆に頼りにされて、愛されて、幸せに、楽しく暮らしているのだろうか)
 きっとそうなのだろう、とエドワードは思う。
(リゼンブールに帰りたい。こんな姿をアルに見せるわけにはいかないから、隠れて見るだけでいいんだ。アルの姿をひと目だけでも見たい)
 リゼンブールに行かせて欲しいと頼んでみようか、とエドワードは思う。老医師は駄目だというだろうか。ロイは行かせてはくれないだろうか、と考えを巡らせる。
 どうせ死は間近だ。死に逝くものの最期の頼みなら聞いてくれるかもれしない、とエドワードは思った。
 その時、控えめなノックの音がして。ドアが静かに開けられた。看護婦がカートを引いて入ってくる。そのことに、しばらくエドワードは気付かなかった。
 焦点の定まらない視線を天井に向けているエドワードの腕を、看護婦は手馴れた手つきで取る。
「エドワードさん、検査を行ないますから、麻酔を打ちますよ」
 その言葉がエドワードの耳にかろうじて入ってくる。
(検査…?今更何の?後どのぐらい持つのか大佐に報告する為か?)
 そんなことを考えて。
(ああ、アルに会いたいな…)
 エドワードはゆっくりと、物心ついてからのアルフォンスとの思い出を辿り始めた。
 時刻が既に夕刻であり、これから検査が行なわれる訳などないということを、時間の感覚も正常な思考力も失くしているエドワードに分かる筈もなかった。

 

<あとがき >
2005.9.12作。連載第4話。エドワードさんがかなり限界です。でもアルフォンスさんがとうとう始めるらしいです。
や、正直、アルとエドが絡んでないとつまらないですねー(苦笑)。早く終わればいい…(笑)。早く再会すればいい。
皆様にもふたりの再会までおつきあいいただければ嬉しいです。
2005.12.29up