A color of love 

 

 天界には、天使達が住んでいる。神に最も近い場所に居ると言われる彼らは、天界で生活を営み、社会を形成していた。その最小単位は人間と同じ、家族である。
 ここに、一組の家族が居た。父ホーエンハイム、母トリシャ、ふたりの息子…兄エドワード、弟アルフォンスの4人家族である。
 しかし、父のホーエンハイムは天界宮に上がって特別な仕事に従事しており、母のトリシャもホーエンハイムの身の回りの世話をするために同行していた。
 その為、兄弟はふたりきりで生活をしていた。天使としてはまだ幼いが、エドワードが16歳、アルフォンスが15歳。平穏な天界では暮らしていくのに何の支障もなかった。

 その朝、アルフォンスは羽根の付け根に激痛を感じて目覚めた。痛みに顔を顰め、その場所を片手で押さえる。
 原因はわかっているし、その痛みは日常化しているので、今更慌てることもない。
 アルフォンスは痛む場所に当てた手に、意識を集中した。手のひらに自分の浄化の力を集める。すると、しばらくして痛みは治まった。
「こんなの、その場しのぎでしかないことはわかっているけど…」
 アルフォンスは起き上がってベッドに腰掛けると、重いため息を吐いた。
 エドワードにだけは、このことを知られるわけにはいかなかった。知られてしまえば、エドワードと共にいられなくなるから。

 アルフォンスが身支度をして階下に降りていくと、エドワードがキッチンで何かを作っていた。
「兄さんおはよう」
 アルフォンスが声を掛ける。
「アル、おはよう」
 エドワードが満面の笑みで振り返った。毎朝この笑顔を見ることが、アルフォンスにとっての幸福だった。エドワードの弟であることを神に感謝する。
 天界での家族は、伴侶を得た者が神に願い出て、子どもを授かり、成立する。天使は人間のように性別があるわけではなく、生殖機能がないので、子どもを自らの身体で作ることが出来ない。天使を作るのは、神である。
 であるから、たまたまホーエンハイムとトリシャが子どもはふたり欲しいと願い、神がそれを聞き届け、その息子として選ばれたのがエドワードとアルフォンスであったに過ぎない。
 アルフォンスがエドワードの弟になれたのは、偶然の幸運なのだ。
 アルフォンスはその幸運を、毎日、神に感謝する。
「何を作ってるの?」
 アルフォンスがエドワードの手元を覗き込めば。エドワードは果物を絞ってジュースを作っているところだった。
「美味そうだろ?」
 エドワードが嬉しそうに笑う。
「うん、とっても。でも兄さん、朝はジュースだけじゃなくてミルクも飲みなさいって言われて…」
 言い終わらない内に、アルフォンスはエドワードにギラリ、と睨まれた。
「動物から分泌された白濁色の液体なんか飲めるか!」
 エドワードの機嫌は急降下である。
 天界には天界の植物があり、天界の動物が居る。それらは天使の衣食住の為に存在している。果実は常に実っており、天使の喉を潤す。その葉や茎は加工されて生活の道具になる。動物は家畜のみ(聖獣は動物ではない)が存在しており、その乳や毛は、やはり飲料や生活用具となる。
 天使は液体しか口にしない為、果汁と動物の乳が食事となる。そんな中で、エドワードのように動物の乳を飲まないというのは、かなりな偏食であった。
「フルーツだけだと生育が悪くなるって知っているでしょう?兄さんが本当にボクより背が低いことを気にしているんなら、飲んだ方がいいと思うけど」
 アルフォンスの言葉に。エドワードは更に目つきを悪くする。
「うるせーよ!余計な世話だっ」
 エドワードはそう言うと、アルフォンスに背を向けて力任せに果物を絞り始めた。量だけは沢山飲もうとしているようである。
「…量の問題じゃなくて成分の問題だってわかってるくせに…」
 アルフォンスは呆れた声で呟いた。
「何か言ったか、アル!?」
 その言葉を聞き咎め、エドワードが低い声で唸る。
「ううん。何も」
 アルフォンスはため息と共に答えた。

 エドワードとアルフォンスはまだ一人前の天使ではない。天使としての勤めを勉強する為に学校へ通っている。
 午後、アルフォンスは学校から帰宅した。エドワードとは学年が違う為、行きは一緒に出るが、帰りは別々になる。
「はぁー」
 荷物を置いて、アルフォンスはリビングへと下りてきた。と、そこでまた、羽根の付け根に鋭い痛みを感じる。
「…っ!」
 アルフォンスは痛みに顔を顰めた。そのまま蹲る。痛みは日々強くなり、痛みに襲われる間隔も短くなってきている。アルフォンスはそのことに恐怖した。このままでは、いずれエドワードに知られてしまうだろう。
 ちょうどその時。
「ただいま」
 ドアの開く音。エドワードの声。
 ザッ、とアルフォンスの背中が恐怖に強張った。早く隠さなければ、と思い、手のひらに浄化の力を集める。しかし。
「アルー?」
 ガチャリ、とリビングのドアが開く音がして。
「アルッ!?」
 無常にも、蹲る姿をエドワードに見られてしまう。
「どうしたんだよ!?大丈夫か!?」
 エドワードが駆け寄る。
「だ、大丈夫だから…っ」
 アルフォンスは羽根の付け根を手で隠すのに精一杯で。心が乱れて浄化の力を手のひらに集めることが出来ない。
「羽根が痛いのか!?見せてみろって…!」
 必死でその場所を隠そうとするアルフォンスに、エドワードも必死で取り縋った。
「やめ…兄さん…っ!」
 アルフォンスの抵抗も虚しく、アルフォンスの片手はエドワードの両手によって押しのけられてしまう。
「!?」
 あらわになったその場所を目にしたエドワードは驚きに目を見開き、それから戸惑いに視線を揺らした。
「アル…?」
 窺うようにエドワードがアルフォンスの顔を覗き込もうとする。
「…なんだよ」
 低く答えるアルフォンスは、床に着くほどに身体を折り曲げ、顔を伏せている。
「羽根の付け根…ピンク色に染まってる…なぁ、これって…」
 戸惑いがちにアルフォンスに向かって話し掛けるエドワードに。
「っ!なんでもないよ…っ!」
 アルフォンスは再び自分の手で痛む付け根を覆い、その部屋から逃げ出した。
「アル!?待てよ、アル…っ!」
 エドワードの声が追い掛けてきたが、アルフォンスは自室へと飛び込んだ。

 ひとり取り残されたエドワードは呆然とする。
「アルの羽根…ピンク色だった…」
 天使の羽根は、その状態によって色が変化する。ピンク色の場合は…。
「アルが誰かに…恋している…?」
 エドワードはその事実を上手く把握できなかった。アルフォンスからそんな話を聞いたことは無い。それに…。
「随分と、痛むみたいだった…。あんなに辛そうにして…」
 通常、天使の羽根の色が変わるのは、負の原因と正の原因のどちらかによる。誰かに恋をした時、天使の羽根はピンク色に変わり、それは正の感情であることから、本来痛みは感じない筈なのだ。
 けれど、アルフォンスは酷く痛みを感じている。また、その羽根の色が変わっているのを隠していたようでもある。
 つまり、アルフォンスは報われない恋をしている。自分の気持ちを抑え込んでいる。恋をしている気持ちが正ではなく、負に捻じ曲げられているのだ。だから痛みを伴う。それも、あれほどの痛みを感じるのなら、それはアルフォンスの心の痛みを反映している筈なのだ。
 それを思うと、エドワードの胸が痛んだ。
 大切なアルフォンス。たったひとりの弟。その彼があんなにも苦しんでいる。助けてやりたい、と、エドワードは思った。
 けれど、一体何が出来るというのだろうか?エドワードは悲しげに顔を歪め、そこに佇んでいた。

 その夜、アルフォンスは食事に降りてこなかった。一食ぐらい食事をしなくても大した影響は無いが、エドワードはアルフォンスの好きな果物でジュースを作り、アルフォンスの部屋のドアをノックした。
「アル?食事を持ってきた。入るぞ?」
 エドワードの問い掛けにも答えはない。エドワードは構わず中に入った。明かりも点いていない部屋の中で、アルフォンスはベッドの上で身体を丸くして横たわっていた。
「アル…痛むのか?」
 ぼんやりと月明かりに照らされて。アルフォンスは身じろぎもしない。けれど、近寄ると痛みに強張った様子が窺えた。
「アル…」
 エドワードはジュースをベッドサイドに置くと、そっとアルフォンスの羽根に触れた。
「…っ!兄さ…?」
 アルフォンスが苦しげな息遣いの下からエドワードの名を呼び、固く閉ざした目を薄っすらと開けた。
「今、楽にしてやるからな…」
 エドワードがアルフォンスの手を退けて、自分の手をアルフォンスの羽根の付け根にそっと置く。
「っやめ…っやめてよ、兄さ…っ」
 アルフォンスはそれを拒絶しようと身を捩った。けれど、エドワードは優しい手つきでアルフォンスの羽根の付け根を撫ぜる。エドワードの癒しの力がその両手に宿り、アルフォンスの痛みを癒していく。
「…っ!」
 しばらくして、アルフォンスは息を吐いた。
「痛み、治まったか?」
 エドワードが心配そうに訊いてくる。
「うん…。ありがとう、兄さん」
 アルフォンスはエドワードの顔をまともに見ることが出来ず、視線を逸らしたまま小さく答えた。
「…なぁ、アル?どうしてそんなに気持ちを抑え込んでいるんだ?恋をすることは悪いことじゃない。その気持ちを受け入れさえすれば、痛みは伴わないってわかっているんだろう?」
 遠慮がちにエドワードが言う。アルフォンスは視線を逸らしたまま、苦渋に満ちた表情を浮かべた。
「…兄さんには、わからないよ」
 アルフォンスがポツリと呟いた。
「アル…」
 エドワードの悲しげな声。
「兄さんは恋をしたことがないだろう。ボクの気持ちなんてわからないよ」
 アルフォンスはエドワードの顔を見ないように、視線を床に落としている。エドワードに酷いことを言っている自覚があるから。彼を傷つけていることから、目を逸らしたかった。
「それは…そうだけどさ。でもオレ、おまえの力になりたいよ…」
 淋しげな笑みを浮かべて、エドワードはそう言った。

 翌朝、アルフォンスが階下へと降りていくと。その音を聞きつけたエドワードが振り返る。
「おはよう、アル」
 いつもと変わらない笑みがアルフォンスに向けられる。そのことにアルフォンスの胸が痛んだ。エドワードを傷つけたのは夕べのことだというのに。エドワードは何事もなかったかのように笑ってくれる。
「…おはよう、兄さん」
 アルフォンスが答えを返すと。
「ジュース出来てるぞ。ミルクも用意したし」
と、ふたつのコップをアルフォンスの前に置く。
「…ありがとう。でも今はあまり欲しくないんだ…」
 塞ぎこんでいるアルフォンスの様子に、エドワードの顔が心配げに歪んだ。
「あ、じゃあ半分ずつにしろよ。このジュースとミルク、ミックスしてもおいしいっておまえ言ってたじゃん。そしたら栄養も偏らないし…っ」
 エドワードはそう言って、別のグラスにジュースとミルクを半分ずつ注ぎいれる。そのエドワードの必死な様子が健気で。
「…ありがとう、兄さん。貰うよ」
 アルフォンスは椅子に座り、エドワードの差し出すグラスを手に取った。エドワードも向かいの椅子に座る。
「兄さん。夕べはありがとう。迷惑掛けてごめんね」
 アルフォンスが沈んだ声音で言う。
「何言ってるんだよ!そんなこと気にするな。…その、痛みはよくなったか?」
 エドワードは遠慮がちに訊く。
「…兄さん。兄さんの気持ちはありがたいけれど、もうこのことには関わらないでくれるかな」
「…え?」
「これはボクの問題で、兄さんには関係のないことだから」
 告げられた言葉に、エドワードはうろたえる。
「関係ないって…そりゃ、関係はないかも知れないけど、でもおまえのこと、放っておけるわけないだろ?何かオレに出来ることがあったら、何だって…」
「兄さんに出来ることなんてないよ。だから何もしないで」
 がたん!と、エドワードはテーブルに両手をついて立ち上がった。
「そんな…そんなの、無理に決まってるだろ…!おまえはオレの大事な弟で、そのおまえが苦しんでいる時に知らんふりしてろって言うのかよ!」
 エドワードは激昂する。
「そんな、辛そうな顔を見て…あんな痛みに耐えているおまえを見て、オレが平気でいられるとでも思ってんのか!」
 エドワードがテーブル越しにアルフォンスに掴みかかった時。
「つっ…!」
 アルフォンスが突如痛みに顔を顰めた。
「アル…?」
 その苦痛に満ちた表情に怯んで、エドワードはアルフォンスの胸倉を掴んだ手を離す。
「ぐぅっ…!」
 アルフォンスは羽根の根元を押えて身体を折る。
「アルフォンス!!!」
 エドワードの絶叫を聞きながら、アルフォンスは意識を失った。

 アルフォンスが目覚めた時。
 優しい手がアルフォンスの羽根をゆっくりと撫ぜていた。その気持ちよさに、アルフォンスは目覚めてもしばらくうっとりと横になっていた。
「…アル?目が覚めたのか?」
 柔らかく問われて、そこにいるのがエドワードだと知る。
「兄さん…っ?」
 慌てて身体を起こそうとするが。エドワードの手にやんわりと止められた。
「ボク、どうして…」
 戸惑うアルフォンスに。
「今朝、おまえ倒れたんだよ」
 優しい、でも心配げな顔でエドワードが告げる。
「まだ痛みはあるか?」
 問われて、アルフォンスは痛みが去っていることを知る。
「ううん。痛くない…。兄さんが治してくれたの?」
 訊けば、エドワードは曖昧に頷く。
「学校…休んだんだ。ごめん…」
 アルフォンスが申し訳なさそうに言うと。
「いいよ。今朝のはオレのせいだし。ただでさえアルは不安定になっているのに…オレが逆なでするようなこと言ったから…」
 エドワードの悲しげな声が返る。その声に、アルフォンスは泣きたい気分になる。
「違うよ。兄さんが悪いわけじゃない。ボクが…」
 その後は言葉にならなかった。痛みの原因はわかっている。エドワードが「大切な弟」だと。アルフォンスのことを大事だと、そう言ってくれたから。それが嬉しくて。歯止めが利かなくなったのだ。エドワードを愛しいと思う気持ちが膨れ上がり、抑えきれなくなって、アルフォンスの羽根の色を変える。それを抑えようとするから、激痛が起こる。
 もちろん、アルフォンスにはよくわかっていた。何もかも、自分のせいなのだと。
 自分が、エドワードを深く愛してしまったせいなのだ、と。
 そんなことを露ほども知らないエドワードが、優しくアルフォンスの羽根の付け根を撫ぜている。アルフォンスはその感覚にゾクリ、とした。
「兄さん。…羽根に触らないで」
「あ、ごめん…」
 アルフォンスの不機嫌に聞こえる声に。エドワードは慌ててその手を退けた。
「なあ、アル…。オレ、考えていたんだ。何で、おまえがそんなに辛い恋をしなくちゃいけないのかって…。おまえがそんなに愛している相手が、どうしておまえのことを愛さないなんてことがあるんだ?」
 不安げに瞳を揺らしながら、エドワードはそんなことを訊く。アルフォンスは苦笑した。エドワードは本当に何も知らないのだ、と思う。
「あのね、兄さん。ボクが好きだなって思っている相手が、ボクを好きだなって思ってくれるなんていうのはね、奇跡みたいなものなんだよ。そうそうあることじゃないんだ」
「なんでだよ?皆、自分の伴侶を見つけて家族を作ってるじゃないか」
 納得が行かない、とエドワードが反論する。
「彼らがその伴侶を見つけるまでに要した時間はどのぐらいだと思う?100年?200年?」
 そう問われればエドワードは返答に窮する。父親のホーエンハイムとて、トリシャと出会ったのは400歳の頃だったと聞いている。
「…ボクはまだ15歳だ。伴侶を得るなんて…愛した相手に愛されるなんて、まだ無理だよ」
 悲しそうに笑うアルフォンスを見て。エドワードは腹立たしく思う。
「なんでだよ!オレはそんなの嫌だ!アルがこんなに苦しんでいるのに…アルを苦しめている奴をオレは許せない!オレはそいつが憎い…!」
 激情を抑えきれないエドワードに。アルフォンスは笑みを零した。
「憎んだりしたら駄目だよ、兄さん」
「だって…!」
「憎悪は負の感情だ。羽根の色が変わってしまう。憎悪の色は真紅。兄さんの羽根が真っ赤に染まったら、兄さんは堕天使として捕らえられてしまう。そうしたら、もう一緒に居られなくなるんだよ?」
 寂しそうなアルフォンスの瞳に。エドワードは怯んだ。
「だから、そんなことは言わないで…」
「アル…」
 エドワードは何故だか泣きたくなった。胸が、酷く痛んだ。
「兄さん、ごめん。ボク少し眠りたい…」
 アルフォンスが力なく言った。
「あ、ああ、わかった。じゃあオレは隣の部屋にいるから…何かあったら呼べよ?」
 頻繁に起こる痛みに疲弊しているのだろうアルフォンスを気遣い、エドワードはそっと立ち上がった。
「うん。ありがとう、兄さん」
 アルフォンスが、そっと笑う。
「水臭いぞ、バカ…」
 エドワードはそのアルフォンスの笑顔を見て、切なさに胸が押し潰されそうになる。
 アルフォンスの部屋を出て、エドワードは隣の自室へと入った。ベッドに腰掛ける。
 先ほどのアルフォンスの言葉が胸を締め付ける。アルフォンスは憎んではいけない、と言った。負の感情を持ってはならないのは天使として当然のこと。
 けれどアルフォンスは。「一緒に居られなくなるから」と言ってくれたのだ。そのことが、エドワードは嬉しい。
 大好きで、大切なアルフォンスだから。いつまでも一緒に居たいのはエドワードも同じ。アルフォンスもそれを望んでくれることが、エドワードには嬉しかった。大切な、大切な、たったひとりの弟。
 なのに、そのアルフォンスが。その苦しい恋についてはエドワードに関わるなと言う。常に無い冷たい言葉で。態度で。エドワードのことを拒絶する。それを、辛いとエドワードは思った。
 そして、そんなにまでアルフォンスに想われている相手は誰なのだろう、と思う。
 これまでは、アルフォンスの苦痛を癒すことにばかりに気がいって、アルフォンスの相手が誰なのかなど考えなかった。けれど今は、とても気になる。アルフォンスがエドワードを拒絶してまで想っている相手。あれだけの苦痛を引き起こすほどに想っている相手。
「…なんか、胸が痛ぇ…」
 エドワードは自分の胸を苦しげに押さえ、低く呟いた。

 それからの数日間は、何事もなかったかのような日常が続いた。
 アルフォンスの痛みは治まったわけではないのだろうが、アルフォンスは平気そうな素振りをしていたし、痛みに襲われた時もエドワードから隠れるように自室に閉じ籠もってしまう。
 エドワードは、アルフォンスの痛みを癒してやることすら拒絶されて。その度に、悲しさと辛さにその胸を痛めていた。

 その日の朝も、いつも通りだった。
 アルフォンスは痛みであまり眠っていないのか、以前よりも起き出す時間が遅くなっていた。その為、朝食の用意はエドワードがするようになっていた。
「おはよう、兄さん」
「おはよう、アル。ジュースとミルク、用意出来てるぞ」
 エドワードがいつも通りに笑ってグラスをテーブルに置くと、アルフォンスは椅子に座りながら、申し訳なさそうにエドワードを見上げてきた。
「ごめんね。いつも兄さんにさせちゃって…」
 そんなアルフォンスに、エドワードは笑ってみせる。
「バカ。そんなこと気にするなよ。おかげで、毎朝ミルクを押し付けられることもなくて、オレは却って嬉しいぞ?」
 エドワードがおどけて言うと、アルフォンスは苦笑した。
「もう、駄目だよ兄さん。ミルクは飲まないと」
 アルフォンスが優しく言う。
「嫌いなのもは嫌いなんだ」
 エドワードも軽く返す。
「仕方ないなぁ、兄さんは」
 アルフォンスが優しく微笑んだ。
 その時。
「…?」
 不意に、エドワードが首を傾げた。
「どうしたの?兄さん」
 それに気付いたアルフォンスが問う。
「ん?うん…何か羽根が痛むような…?」
 片手で羽根の付け根を押さえながら、エドワードが戸惑うように言う。
「え!?どうしたの?どこか具合が悪いの!?」
 エドワードの言葉に驚いて、アルフォンスが立ち上がる。
「見せて!」
 アルフォンスは慌ててエドワードの背後に回り、羽根の付け根を見た。
「色は変わってない…羽根の状態も見た感じ健康そうだし…兄さん、どこが痛むの?」
「うーん。羽根の付け根のもっと奥の方…?この間から時々痛むんだ。でも大した痛みじゃないし、大丈夫だよ、アル」
 エドワードは笑って言うが。アルフォンスは真剣にエドワードの羽根を見つめる。
「…どこも悪くないように見えるけど…」
 しばらくして、アルフォンスはまだ納得していない顔で呟いた。そして。
「…もしかして…?」
 何かに思い当たったように呟くと、アルフォンスの表情が険しくなった。
「な、なんだよ、アル?」
 その顔に驚いてエドワードが問う。
「痛むのは羽根の付け根の奥の方なんだよね…?もしかして兄さん、新しい羽根が生えてきているんじゃないの?」
「は?」
 エドワードはきょとん、とアルフォンスを見る。けれど、アルフォンスの顔は怖いぐらい真面目で。エドワードは戸惑う。
「新しい羽根って…何の話をしているんだ?アル」
 アルフォンスの言っている意味がわからなくてエドワードは問うた。
「2対目の羽根だよ!兄さん、本当は4枚羽根の天使なんじゃないの!?」
 アルフォンスがエドワードの両肩を強い力で掴んだ。
「…っ!」
 微かな痛みにエドワードは顔を顰める。
「落ち着けよ、アル。そんなことあるわけないだろう?4枚以上の羽根を持つ高位の天使は初めから決められた枚数の羽根を持っている。彼らは皆天界宮にいる。誰でも知っていることじゃないか」
「そんなのわかるもんか!稀に羽根の力を体内に封じたまま生まれてくる天使だっている。父さんだってそういう6枚羽根の天使だ。兄さんだって…!」
「親父の場合は強すぎる力を神に封じられていたからだろう?」
「兄さんだってそうかも知れない!」
 ぎりり、とアルフォンスの指がエドワードの肩に食い込んだ。
「…っ!」
 エドワードが痛みに顔を顰めるが、アルフォンスはそれに気付きもしない。
「もしも兄さんが4枚羽根の天使だったら兄さんは天界宮に連れて行かれてしまう!そうしたらボクは兄さんと一緒に居られなくなる…っ!」
 アルフォンスの激情に。エドワードの胸が燃えるように熱くなった。その熱が全身に一気に広まるのをエドワードは感じる。
 アルフォンスが。いつも冷静で、穏やかで…優しいのに、たまにエドワードに冷たい態度を取るアルフォンスが。
 今、エドワードと離れたくないと、全身全霊で叫んでいる。その気持ちがエドワードを包み込み、エドワードの心を高揚させていく。
 ズキッ!
 今度は鋭い痛みが羽根の付け根に走り、エドワードは思わず身を折る。
 今はそんな痛みなど気にしている余裕はないのに。今はただ、アルフォンスの気持ちに応えたいのに。エドワードはもどかしく思う。
「兄さん!?大丈夫!?」
 苦しげに身を折るエドワードに。アルフォンスは我に返り、肩を掴んだ手を放した。
「痛むの?」
 そして、再びエドワードの羽根の付け根に手を遣り覗き込む。
「!」
 その瞬間。アルフォンスの身体が強張ったのが、視線を床に落としているエドワードにも気配で察せられた。
「…アル……?」
 苦しい息の下から、エドワードが窺うように呼び掛ける。
「…兄さん…」
 エドワードは、それまで火照っていた身体に冷や水を被せられたかのように、身を凍らせた。アルフォンスの声は、これ以上はないぐらいに冷ややかだった。
「………」
 エドワードは自分から声を発することも出来ず、ただ、身を折ったままで息を殺していた。
「…兄さんのここ…羽根の付け根。…薄っすらとピンク色になってるよ」
 告げられた言葉にエドワードは驚いた。
「ええ!?」
 慌てて身を起こす。驚きに、痛みどころではなかった。なにしろ、心当たりなど何もなかったからだ。
 自分の羽根の付け根を見ようと身を捩るエドワードに。アルフォンスの冷たい視線が注がれる。
「…知らなかったな。兄さんが誰かに恋をしていたなんて。誰?ねぇ、相手は誰なんだよ?」
 アルフォンスが、エドワードを睨みつける。その視線の鋭さにエドワードは怯えた。
「兄さん、答えろよ。どこのどいつだよ!兄さんが恋してる相手って…!」
 再び、ぎりりと両腕を掴まれて。エドワードは痛みに声も無い。
「…ッル!アル…ッ落ち着けって…!知らない…オレ、誰にも恋なんかしてない…っ!」
 エドワードの叫びに。
「嘘だ!いくら兄さんが嘘を吐いても、羽根の色はいつでも真実を映す!兄さんは誰かに恋をしている!」
 恐ろしい形相でアルフォンスは怒鳴った。
「知るかよ!オレは誰にも恋なんかしてない…っ!」
 エドワードはアルフォンスの手を振り払おうともがく。
「畜生!これで兄さんとは一緒に居られない!ずっとずっと一緒に居たかったのに…離れたくなかったのに!」
 え、と思った時には、エドワードはアルフォンスに抱きしめられていた。強い力にエドワードの背がしなる。
「…っアル!?」
 どうして一緒に居られないなどというのか。エドワードには全く理解できなかった。エドワードにしても、ずっとアルフォンスと一緒に居るつもりだというのに。何故、出来ないというのか。
「…ボクは、兄さんに恋している!兄さんの側に居る為に、必死で心を抑えていたのに…!」
 その言葉に。どくん、とエドワードの心臓が高鳴った。今、アルフォンスは何と言ったのだろうか。もう一度聞きたい、とエドワードは思った。
 けれど、その言葉に同調するかのように、アルフォンスの羽根が付け根からどんどんとピンク色に染まっていく。今やそのピンク色はアルフォンスの羽根の3分の1を染め上げていた。
 それが、エドワードへの気持ちが本当なのだと伝えているようで、エドワードは身の内を炎に焼かれるような、自分でもどうしようもない熱に身体を炙られる。
「もう終わりだ。もうボクは兄さんの側には居られない…!」
 そんなエドワードの心の内も知らず、アルフォンスは血を吐くように言葉を吐き出す。エドワードは、おず、とアルフォンスの頬に手を伸ばした。
「…どうして。終わりだなんて、アル…」
 エドワードに恋をしているというのなら。側に居てくれればいいではないか、とエドワードは思った。
 アルフォンスはエドワードの頭を自分の胸へと押し付ける。
「…終わりだよ。だって、きっとボクは堕天使になる。兄さんが恋した相手を憎んで憎んで憎んで…ボクの羽根は真紅に染まるだろう」
 衝撃的な言葉だった。エドワードに言える言葉は何もない。けれど、アルフォンスの窒息するほどの痛い気持ちが、エドワードの心を侵していた。
「…る。あるふぉんす…」
 くぐもった声でエドワードはアルフォンスの名前を呼ぶ。エドワードには、それ以外に何も言葉はなかった。
 その時。我を失っていたアルフォンスは視界を過ぎる色に気が付いた。沸騰しすぎて朦朧としてきた頭で、僅かにそちらに視線を向ける。すると。
 アルフォンスの抱きしめるエドワードの、アルフォンスの眼前に広がる大きな羽根が。一面ピンク色に染まっていた。
 先ほどまでは、確かに付け根の周辺が淡く色付いているだけだった。それが、今はその羽根の先までピンク色に染まっている。
「な…んだよ、これ…」
 アルフォンスは愕然とした。
「どういうことだ…!?」
 羽根の色付く範囲は気持ちの大きさに比例する。けれど、羽根全体が…その先の1本までも色付くということなど、有り得なかった。少なくとも、今のこの状態では。
「どうして全部の羽根が染まっているんだよ」
 アルフォンスはエドワードに問い質した。
「そんなの、オレにはわかんねぇよ…!」
 エドワードからはそんな答えしか返らない。
 全ての羽根がピンク色に染まるのは。
 その思いが通じた時。その恋が叶った時。つまり、相手と両思いになった時だけ。
 それなのに、今、エドワードの羽根は見事にその色を染め上げている。
「兄さん。一体誰を…」
 苦しげにアルフォンスは呻いた。
「知らねぇよ!そんなことどうだっていい。それよりもおまえはどうなんだよ!オレの側に居たいっていうなら側に居ろよ!堕天使になるなんて許さない…!」
 今度はエドワードがアルフォンスに掴みかかる。
「兄さん…」
「わかってんのか、アル。オレにとって大切なのはおまえだけだ。他の誰かなんて知らねぇよ。オレはおまえさえ居ればそれで…」
 エドワードは、ひた、とアルフォンスを見上げた。
「それだけで…いいんだ」
 そのエドワードの顔を見て。アルフォンスは唐突に理解した。
「兄さん…ボクが好きなの?」
「当たり前だろ!」
「兄さんの羽根がピンク色に染まったのは…もしかして、ボクのせい…?」
「………」
 エドワードは答えない。
「兄さん…?」
 窺うように、アルフォンスがエドワードに呼び掛ける。
「…だから、そんなのオレ、わかんねぇって言ってるだろ…っ!ただ、オレは嬉しくて…おまえがオレのことを好きでいてくれたことが凄く嬉しくて…それで…」
 エドワードは話しながら俯いてしまう。
「兄さん…」
 アルフォンスの顔に満面の笑みが浮かんだ。
 アルフォンスには、今のエドワードの言葉だけで充分だった。アルフォンスの気持ちはエドワードに届いていたのだ。
 そして、エドワードはそれと知らずにアルフォンスのことを受け入れてくれていた。エドワードの心がそれを認識しなくても、エドワードの心を反映する羽根にはその色が現れた。
 そこに痛みが伴ったのは、多分、アルフォンスが他の誰かに恋をしていると思っていたエドワードが、無意識に自分の気持ちを抑制しようとしたからではないのか。そう思って、アルフォンスは思いもしなかった幸福に、どうにかなってしまいそうだった。
 優しくアルフォンスに呼ばれて。エドワードが顔を上げてアルフォンスを見る。その時。
 ふわり、と。アルフォンスの羽根の色が変わっていった。淡い綺麗なピンクの色がその羽根を覆いつくす。最後の1本まで。
「アル…」
 あまりに美しい光景を見て。エドワードは呆然とアルフォンスの名前を呼んだ。
「これで、兄さんとボクは伴侶になった。ボク達はずっと一緒に居られる」
 アルフォンスが笑っている。
「ずっと…一緒?」
「そうだよ」
「ああ…それなら、凄く嬉しい…」
 エドワードの呟きに。アルフォンスは切なさに目を細め。優しく優しくエドワードを抱きしめた。
「兄さんを失うのが怖くて、兄さんに酷いことを言った。ボクに勇気がなかったばかりに兄さんを傷つけて…ごめんね」
 辛そうなその声に。エドワードは苦笑する。
「何言ってんだよ。オレなんか、まだ自分の気持ちもよくわかってなくて…羽根に教えて貰わなきゃ、おまえと離れ離れになっちまうところだったんだぞ?…ありがとう、アルフォンス。オレを好きになってくれて。オレに恋していると教えてくれて」
「兄さん…っ」
 ふたりはきつく抱きしめあった。

 羽根を染め上げる淡いピンク色が優しく揺れている。それは、天使の恋の色。
 気持ちを繋げる恋人達の色。

 

 *「アルエド天使祭り2」様へ愛を込めて。お疲れ様でした。そしてありがとうございました。2005.8.31.*

<あとがき>
2005.8.30作。「アルエド天使祭り2」様の最終日に開催された絵茶にて発表した小説。
このお話は8月24日の「アルエド天使祭り2」様の絵茶にて御先蓮様が描かれた天使の羽根がピンク色であったことから、「ステディな相手が出来たら白い羽根がピンク色に変わるとかだったらいいなーv」と私が萌え萌えしてしまった為、出来上がった作品です。
天使祭り様が終了されるに当たり、最後に何か…と思っていたところでしたので、頑張って書かせていただくことにしました。こんなに長い話になるなんて自分でもびっくりです。これを実質3日間で書いたのは自分としても快挙かと思います(笑)。
設定上、初めからラブストーリーとして書いていましたので、ちょっと恥ずかしい。コテコテでごめんなさい。ありがちな話でも見逃してください…(砂)。
でも私は書いていてとても楽しかったです。ラブストーリー好きだ…!
天使祭りさんには色んな萌えを いただきました。素敵なアルエドラーのお知り合いも出来ましたしv本当に感謝しています。だから、この小説を贈ります。
2005.9.16.up