|
それは多分、弟のアルが4歳か5歳の夏だった。だから年子の兄であるオレは、5歳か6歳だった勘定になる。
オレは金魚の柄の浴衣を着て、アルは朝顔の柄の浴衣を着ていた。
その浴衣は隣に住む幼馴染の女の子、ウィンリィのお下がりを母さんが仕立て直してくれたもので、その日は夏祭りだった。
オレとアルはふたりで手を繋いで近所の神社へ出掛けたのだ。
どうしてウィンリィが一緒ではなかったのか。どうして母さんもいなくて、ふたりで出掛けたのか。その辺の事情は覚えていない。
見上げるような長い石段の向こうには、ぼんやりと明かりが見えて賑やかな音楽や人の声が聞こえてくる。
その音にわくわくしながら、オレとアルは手を繋いで不安定な階段を登って行った。
赤い鳥居を潜ると、そこは夜空も明るく照らす眩さで、あちらこちらの夜店から呼子の声や楽しそうな歓声が上がる。
母さんから貰ったいくらかの小銭を握り締めてオレ達は夜店を見て歩いた。
初めにやったのは金魚すくい。
金魚すくいの道具(輪っかに薄い紙を張っているポイというもの)を、アルはすぐに水浸しにして破いてしまっていた。オレは前に屋台のおっちゃんに教わっていたので、紙を破ることなく、金魚を何匹も掬っていく。
「にいちゃん、すごい!」
「ぼーず、やるじゃねぇか」
アルが隣ではしゃぐ。金魚すくい屋のおっちゃんも褒めてくれる。周りにいる他の客も感心して見ている。オレは得意になった。
「へっへー」
金魚を10匹ほど掬ったところで、既に半分は破れていた紙は、とうとうべろりと全体が剥がれてしまった。
その10匹の金魚を、おっちゃんに5匹ずつに分けて袋に入れてもらい、オレとアルは1袋ずつ金魚の袋を持って歩き出した。アルは嬉しそうに袋の中の金魚を見ている。
「アル、なにかたべるか?」
オレはりんご飴が食べたいな、と思っていた。でもアルが指差したのは、たくさんの袋がぶら下げられている綿菓子屋。
「あれがほしい」
「わたがしがたべたいのか?りんごあめのほうがおいしそうじゃないか?」
オレの言葉に。
「…れんじゃ、ほしいの」
小さくアルが答えた。
ああ、と納得する。アルはテレビで見る戦隊もののヒーローが印刷されている綿菓子の袋が欲しいのだ。
「そっか。じゃあかおうぜ」
にかっと笑うと、アルが嬉しそうに笑った。ふわふわに膨らんだその袋を持ったアルの手を引いて、オレはりんご飴を買いに行った。大きくて真っ赤なりんご飴にわくわくする。
「おっちゃん、おっきいほういっこくれ」
お金を差し出すオレに「おっしゃ」とおっちゃんが威勢よく答える。するとオレの手を握るアルの手に、きゅ、と力が籠もった。
「ん?」
りんご飴を受け取って隣のアルを見ると、なぜかもじもじとしている。
「どうした?アル」
不思議に思って聞いてみると。
「ん、とね…」
アルは口篭りながらチラチラと、オレの持つりんご飴を見る。
「…りんごあめがくいたいのか?」
聞いてみると、こくん、と小さく頷く。
アルはもう綿菓子を買ってしまったけれど。
「ちいさいのでいいよな?」
オレが聞くと、アルは嬉しそうに頷いた。
ふたりでりんご飴を齧りながら、あちらこちらの店を見て歩いた。
「にいちゃん。あれ」
アルがひとつの店を指差す。
「くじびき?」
アルが指差したのはくじが当たると景品が当たるものだ。
「やめとけよ。あれははずれだとつまんないものしかくれないぞ」
オレが言うとアルは泣きそうな顔で。
「れんじゃ、ほしい」
と言った。
見ると、1等はヒーローのビニール人形だ。
オレは困って辺りを見回した。
「あ、アル!あっちのほうがいいぞ」
オレが見つけたのは射的の店だ。アルの手を引いてそちらに行く。
ずらりと並んだ景品の一番上の段に、ヒーローの乗り込むロボットの人形があった。
「ほらアル。がったいロボだぞ」
「がったいろぼ!」
アルが目を輝かせる。
「オレがとってやるよ」
オレは自信満々に言った。ポケットに手を突っ込んで残った小銭をかき集める。
「…かね、たりねぇな。アル、おまえはいくらのこってる?」
アルのポケットに手を突っ込んで小銭を取り出す。ふたりの小銭を合わせても、射的1回分しかなかった。
「よし、1かいでとってやるからな」
オレは意気揚々とおもちゃのピストルを手にした。慎重に狙いをつける。ぱんっ!とピストルからコルクの弾が飛び出し、狙うロボットに当たった。しかし。
ロボットは倒れなかった。
「はい。残念」
店のおっちゃんにピストルを取り上げられる。
「ちょっとまてよ!いまのあたってたじゃねーかよ!」
怒鳴るオレに、おっちゃんは面倒くさそうに手を振って。
「当たっても倒れなきゃ景品はやれないよ」
と言った。
「なんでだよ!あたったんだからくれよ!」
台に乗り上げて抗議するオレをおっちゃんは睨むと。
「駄目駄目。おまえの弾にはロボットを倒すだけの威力がなかったんだよ。どうしても欲しけりゃ、もう一回やってみるんだな」
ぴんっとオレの額を弾いた。
「なにしやがんだ、このオヤジ―――!!!」
オレがガバッ!と台に飛び上がると。
「なんだ、この小僧!」
おっちゃんの形相が変わった。しかし。
「にいちゃん!!」
くん!と浴衣の裾を引っ張られる。振り向いて見下ろせば、アルが泣きそうな顔をしてオレを見上げている。
「にいちゃん、もういいよぉ。ボク、ろぼっといらないよ…」
アルの目に涙が滲み始める。
「ちっ」
オレはとんっ、と台から飛び下りた。
「つぎはようしゃしねーからな!オヤジ!」
オレは捨て台詞を吐いて、半泣きのアルの手を引きその場を離れた。
しばらくどかどかと歩き。オレは神社の入り口付近で足を止めた。
「なくなよ、アル」
振り向いて、アルの顔を浴衣の袖で擦る。
「…だって…っ」
アルはしゃくり上げる。
「なんだよ、こわかったのか?」
顔を覗き込むオレに、アルはこくん、と頷いた。大人の男に怒鳴られて幼いアルは怖かったのだ。
オレはため息を吐き、アルの頭を撫ぜた。
「だいじょうぶだよ。あんなやつ、オレがいっぱつでたおしてやるから」
そう言っても、アルは泣き止みそうに無い。
その時、オレの目の端に明るい色の玉が映った。
「アル、どんぐりあめだ!これかってかえろう」
どんぐり飴は夜店で一番安い。これなら残った小銭で買える。
アルの手を引っ張って店の前まで連れて行く。色とりどりの飴に、アルの目がきらきらと見開かれた。
「アル、なにがくいたい?」
「ん…とね、いちご」
「いちごな。オレはコーラ!母さんやウィンリィはどれがいいかなぁ…」
「んとね、めろん!」
「あはは。アルはメロンもくいたいのか」
「ちがうの!おかあさんはーめろんがすきなの!」
「えー?そうだったかぁ?」
オレは楽しくて笑っている。アルは一生懸命にどんぐり飴を見ている。ここは鳥居のすぐ側。飴を買ったら、母さんが待っている家に、ふたりで帰ろう。な、アル…。
エドワードは暗闇で、ぽっかりと目を開けた。
「兄さん?起きたの?」
その僅かな気配にも敏感に気付いて、エドワードの弟のアルフォンスがエドワードを覗き込む。
一瞬、エドワードはここがどこで、自分が何をしているのかわからなかった。けれど、目の前に居るその人が誰なのかだけはわかる。
金属音を響かせて動く、鎧の巨体。
「…アル」
エドワードは寝起きの掠れた声でその名前を呼んだ。
「こんな夜中に起きるなんて珍しいね」
アルフォンスの言葉に。エドワードはゆっくりと身体を起こした。
「ん…なんか懐かしい夢見てた」
田舎の民宿には冷房などなく。エドワードは汗にべたつく身体に眉を顰める。
ベッドの脇にある窓は開けられ、そこから生ぬるい風がどんよりと吹いていた。
「懐かしい夢?」
「昔の夢…」
エドワードは髪をかき上げつつ窓の外を見た。
と、そこへふわりと小さな光が舞った。網戸に止まったそれは、1匹の螢。
「わぁ。螢だ」
アルフォンスが声を上げた。
「近くに川でもあるのかな?」
言いながらそっと覗き込む。
その幼い様が、エドワードの中で夢の中のアルフォンスと重なり合う。
「待ってろ、アル。オレが捕まえてやる」
エドワードはそう言うと、そっと網戸に手を掛けた。
「えっ駄目だよ兄さん…」
アルフォンスの制止の声も虚しく、立て付けの悪い網戸はがたり、と不快な音を立てて軋んだ。
その途端に、蛍は飛び去ってしまう。
「あ…」
その光が行く軌跡を、エドワードは呆然と見送った。
「わりぃ…おまえに捕まえてやろうと思ったのに…」
呆然と呟くエドワードに。アルフォンスはため息を吐いた。
「どうしたの?兄さん。らしくないこと言っちゃって」
その声に、エドワードはアルフォンスを見上げた。
「…おまえが喜ぶかと」
エドワードの顔は、本人は無意識なのだろう、まるで泣く寸前の子どものようで。アルフォンスはしばらくそのエドワードの顔を凝視した。
「…変な兄さん」
アルフォンスは、くすりと笑いを漏らした。
その笑いに我に返ったように、エドワードも照れ笑いをする。
「そうだな…」
「さぁ、兄さん、眠りなよ。まだ真夜中なんだから」
アルフォンスはエドワードを寝かしつける。
「ああ…」
答えて、エドワードはごろり、と横になった。窓の方を向き、アルフォンスに背を向ける。
そんなエドワードをアルフォンスは見ていた。
眠りは遠ざかり、そこには夜の闇だけがあった。
エドワードは思う。
親の庇護を失くしてから。自分たちは、何て遠くに来てしまったのだろう、と。
自分は、弟を何て遠くまで連れて来てしまったのだろう、と。
祭りの明かりは遠い。石段の上で光っている。自分たちはそこに向かって一段一段、階段を上っている。けれど、時々足を滑らして落ちる。
自分は両手両足の温度が違っていて。弟は、その姿が人間ではない。
いつになったらあの赤い鳥居を潜り抜けられるのだろう?
けれど鳥居は。確かにそこにあるのだ。そこに向かって上がっていくしかない、と。エドワードは目を閉じた。
|