|
その日、いつもは賑やかなリビングからは声がしなかった。アルフォンスは、エドワードと鎧のアルフォンスは庭で組み手でもしているのだろう、と何も考えずにリビングへと入った。
「おう。アル。休憩かー?」
予想に反して、ソファにはエドワードが座っており。何か本を読んでいるところだった。
アルフォンスは驚いて、一瞬言葉を失った。それに気付かぬかのように、エドワードが笑いながら話し掛けてくる。
「今、何を読んでるんだ?あんまり根を詰めるなよ。オレと組み手でもするか?」
そんなエドワードの言葉にアルフォンスは曖昧に微笑んで。
「えっと…あのひとはどうしたの?一緒じゃないなんて珍しいね」
鎧のアルフォンスの姿がないことが気になって、アルフォンスは辺りを見回した。
「ああ、今は買い物に出てる。…っと。じゃあおまえが外に出たらやばいな」
エドワードは組み手が出来ないと気付いて、ちょっと残念そうな顔をした。
「買い物?」
アルフォンスが聞き返す。
「おう。ピナコばっちゃんに頼まれてな。小麦粉やらジャガイモやら、重たい物をしこたま頼まれたらしいぞ」
人遣いが荒いよな、とエドワードは笑う。アルフォンスはとても笑える気分ではなかった。
鎧のアルフォンスはとんでもない怪力だ。ロックベル家でもよくその力を重宝されている。
鎧のアルフォンスは何でも出来る。皆から必要とされている。
それは、アルフォンスにとってはとても惨めなことだった。
「…あの鎧のひとさえいれば、ボクなんて必要ないみたいだね」
知らず、そんな呟きが漏れる。
「え?」
アルフォンスの低い声に、エドワードが、きょとん、とアルフォンスを見た。けれど、アルフォンスは既にエドワードを見ていない。正視できないでいた。
エドワードも、鎧のアルフォンスを愛し、必要としているのだと思えば。とても彼の顔を見る気にはなれなかった。
「結局…兄さんが取り戻したかったのは、あのひとで、ボクじゃないんだ。なのにボクはそんなことも知らないで、必死に兄さんを探して…バカみたいだ。兄さんに愛されているのはボクじゃないのに」
そのアルフォンスの言葉に、エドワードの顔が強張る。
「何言ってんだ、アル?オレがおまえを愛してないだなんて、どうしてそんなことを言うんだ。愛しているに決まってる。オレだってずっとおまえを探していた」
「それは鎧のアルフォンスのことなんだろう!?ボクのことじゃない!!!」
アルフォンスが叫んだ。エドワードは驚く。
「だから、何を言ってるんだ。オレが探していたのはおまえだよ。鎧だろうが生身だろうが、同じアルフォンスじゃないか」
アルフォンスが何にそんなに拘っているのかわからなくて。エドワードは戸惑っていた。
「同じじゃない。兄さんはあいつのことばかり愛しているじゃないか。いつもあいつのことばかりじゃないか。兄さんはボクなんか、居なくてもいいんだ…!」
「何バカなこと…アル!?」
アルフォンスは叫ぶと、部屋を飛び出していった。
「アル!!!」
エドワードがその背に叫ぶが。アルフォンスの頬が濡れているような気がして。その場に呆然と立ち尽くしてしまった。
アルフォンスの部屋のドアが乱暴に閉められる音が響いた。
アルフォンスは、自室のベッドへとうつ伏せに身体を投げ出した。枕に顔を埋めて泣く。
これでエドワードの愛情を失ってしまった、と思った。そんなもの、初めから自分には向けられていなかったのかも知れないけれど。少なくとも、表面的には存在していた幸福を、アルフォンスは自分自身の手で壊した。
どうすればいいんだろう、と思う。このまま3人で暮らし続けることは出来ないだろう。では、どうする?
アルフォンスは、エドワードを失うことが怖くて。涙が止まらなかった。
エドワードは呆然と立ち尽くしていた。アルフォンスの激情はエドワードにとっては青天の霹靂で。幸せに酔っていた頭にガンガンと響く。
「一体…何を言ってるんだ…?」
呟いて。どさり、とソファに座り込む。
エドワードにはアルフォンスの言っていることが理解できなかった。けれど、アルフォンスが苦しんでいることはわかった。
幸せだと思っていたのは自分だけなのだろうか?
思って、エドワードの胸がギリギリと痛んだ。アルフォンスは幸せではなかったのだ。何かを苦しんでいたのだ。そして、それにはエドワードと鎧のアルフォンスが絡んでいる。
「どっちにしろ…オレのせい…だよな」
エドワードは自分のしてしまったことを思い、苦しげに顔を歪めた。
しばらくすると、鎧のアルフォンスが帰ってきた物音がした。
アルフォンスはそれを自室のベッドにうつ伏せたままで聞いていた。
エドワードは鎧のアルフォンスに何と言うのだろうか、と少しだけ考える。
抱きついて、泣きついて。アルフォンスが酷いことを言ったとでも言うだろうか。
そうしたら、鎧のアルフォンスはエドワードを優しく抱きしめて、アルフォンスのことなんか要らないから捨ててしまおう、とでも言うのだろうか。
ああ、本当に要らないんだ。
アルフォンスは自嘲的に笑った。
エドワードに愛されなくて。挙句彼を傷つけてしまうようなアルフォンスは。エドワードには必要ない。
子どもの頃にはそんなことは考えもしなかった、とアルフォンスは思う。喧嘩なんか数え切れないほどした。それでもエドワードとアルフォンスは兄弟だった。それは変わらない事実。変わる筈の無い事実だったのに。
鎧のアルフォンスがその絆を無効にしてしまった。
鎧のアルフォンスはエドワードを愛し、エドワードに愛されて。エドワードに尽くして。頼りにされて。甘えられて。家族以上の絆をエドワードと築いた。
その存在がある限り、アルフォンスはエドワードに愛されない。
夕方、食事の用意が出来たと呼ぶ、鎧のアルフォンスの声が聞こえたけれど。
アルフォンスは沈黙していた。とてもあのふたりと顔を合わせる気にはならなかった。
そのまま、どのぐらいの時間が経ったのか。アルフォンスが気付くと、部屋の中はいつの間にか暗闇に沈んでいた。時計を見れば、もう真夜中になっている。
流石に空腹を感じてアルフォンスは起き上がった。
音を立てないように廊下に出ると、キッチンへと向かう。明かりの落とされたリビングを抜けて、ダイニングへのドアを開けた。その時。
ぐっ、と、ドアに掛けた手を掴まれた。大きな鎧の手。
何が起こったのかわからずにアルフォンスが呆然としていると、部屋の明かりが点けられた。
明るくなった部屋の中。アルフォンスの手を掴んだ鎧のアルフォンスと。明かりを点けたエドワードがアルフォンスのことを見ていた。
「張り込み成功だね」
いっそ、はしゃいでいるのかと思うような明るい声で、鎧のアルフォンスが言う。
その声にアルフォンスは我に返り、掴まれた手を振り解こうとする。けれど、鎧の手はびくともしなかった。
「お腹が空いているんでしょう?夕食、準備してあるから食べなよ」
そんなことを言われても、空腹感は一気に吹き飛んでいた。
「いいから、離せよ…!」
アルフォンスは唸る。鎧の手を振り解けない。それが今のアルフォンスには屈辱だった。
「離したらまた篭城するの?それじゃあ何も解決しないと思うけど」
あどけないような声音で鎧のアルフォンスが言う。それがアルフォンスの癇に障る。
「うるさいな。関係ないだろ、ほっとけよ」
常に無いアルフォンスの乱暴な口調に、エドワードはショックを受けたようにアルフォンスを見つめている。アルフォンスは、その視線を感じて居たたまれなくなる。エドワードに嫌われる。もう決定的だと思った。
「あのね、君の言っていることは、勘違いだと思うよ」
諭すように鎧のアルフォンスが言う。
「ボクの方が必要とされているとか、君は要らないとか。そんなことあるわけがない」
「………」
鎧のアルフォンスの言葉に、アルフォンスは睨みあげることで答えた。
「ボクはもうすぐ君の中に帰るし、兄さんの弟は生身の身体を持った君だ」
「アル」
切羽詰ったように声を上げたのはエドワードだった。鎧のアルフォンスがエドワードの方に振り向く。
「兄さんの目的は、そもそもそういうことだったでしょう?ボクを門の中から連れ出して、生身の身体に戻すこと。…もう、そうする時期だよ」
静かな鎧のアルフォンスの言葉。
「…っ!だって、だって…まだ方法が見つかってない。今のまま、またおまえを生身の身体の中に戻したら、おまえまた、居なくなっちまうんだろ?またオレとの記憶を無くしちまうんだろ?」
エドワードが叫ぶ。
「無くすわけじゃないよ。眠るだけだよ」
アルフォンスが優しく言う。エドワードは鎧のアルフォンスに駆け寄り。その腕にしがみついて、いやいやをするように首を振った。
「嫌なんだ、アル。オレはおまえを失いたくないんだ…」
エドワードの顔が悲痛に歪む。それは殆ど、泣き顔に近かった。
アルフォンスはそれを冷静に見る。
「…ほら。兄さんが必要としているのはあなたの方だ。ボクじゃない。だから、あなたがいつまでも兄さんの側に居てあげればいい」
冷たい声音だった。エドワードが、びくり、と身体を起こしてアルフォンスを見た。
「アル…?」
頼りない声が震える。
「ボクはここを出て行くよ。…ボクがここに居ても意味はないから」
ふい、とエドワードから顔を逸らしてアルフォンスは言った。こんな言葉、エドワードの顔を見ながらはとても言えなかった。だって、エドワードと離れたくはないのだ。自分こそ、いつまでもエドワードの側に居るのだと、エドワードを取り戻した時に思ったのに。
どうしてこんなことになっているのだろう?
そんなアルフォンスの横顔に、エドワードの食い入るような視線が向けられていた。
「…どうして、そんなこと言うんだよ。何で出て行っちゃうんだよ。何でオレから離れるんだよ。…どうしてひとりで苦しんでいる?オレじゃ駄目?オレじゃ側に居ても駄目なのか?
オレがアルを必要としてないなんてどうしてそんなことを言うんだ。そうじゃない。そんなわけない。…アルの方がオレのことを必要としてないんじゃないのか?なあ、オレのこと、嫌いになった?」
そのエドワードの言葉に。アルフォンスは目を見開いてエドワードの顔を見た。
「…なんでボクが兄さんのことを嫌いになるんだよ。ボクは…兄さんを愛しているよ。本当に。心の底から」
アルフォンスは自分の気持ちを正直に伝える。
「オレだって愛してる」
エドワードがアルフォンスを真っ直ぐに見て言った。
「…っ!」
その言葉に、アルフォンスは眩暈がしそうになる。
「嘘だ。兄さんが愛しているのはボクじゃない。兄さんが愛しているのは、そこに居る鎧のアルフォンスだ」
「ちが…」
「兄さんはボクのことなんか見てないじゃないか!いつでもそいつのことばかりじゃないか!」
エドワードの声を遮って、アルフォンスが叫んだ。
「違う。違うんだ、アル…!」
|