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翌朝、アルフォンスはいつもと変わりない態度でエドワードに接した。けれど、エドワードの顔をまともに見ることが出来なかった。
あの鎧が、かつてアルフォンスの魂を定着させていたものであることは疑いようもなく。地下室の錬成をしたのはエドワードで。エドワードはアルフォンスに地下室を見せようとはしなかったので、その鎧の存在にアルフォンスは気付かなかった。見ていれば、アルフォンスにはその鎧が、写真で見たエドワードの隣に居た鎧だとわかった筈なのに。
エドワードが自分から鎧の存在を隠そうとしたことが、またアルフォンスには不愉快だった。エドワードとの間に秘密があること自体が腹立たしかった。ましてや、それが失われた自分の時間に関わることであれば尚更だ。
そう思いながらも、アルフォンスにはわかっていた。一番腹立たしいのは。悔しいのは。エドワードが呼んだ、あの鎧の名前が。
エドワードが寝言で囁くアルフォンスの名前と同じ響きを持っていたことだ。
(兄さんは、誰を求めている?ボクがここにいるのに、誰を?)
それを思うと気が狂いそうになる。やっと取り戻したエドワードを。得体の知れない誰かに奪われるような気がして。
今ここに居る自分の存在を、否定されたような気がして。
そして、エドワードはそんな不自然なアルフォンスの態度に気付く様子もなかった。そのことが、アルフォンスは寂しくもあり、悲しくもあった。エドワードは物思いに沈んでおり、アルフォンスのことをその瞳に映していなかった。
(何を考えているの?兄さん…。誰のことを…?)
あの鎧のことを考えているのだろうか、と思うと、アルフォンスは悔しさで居たたまれなくなる。自分ではなく、あの鎧がエドワードに愛されているのだと思うと、遣る瀬無い。
(それは…兄さんを助けたのはボクじゃなくてアイツだったのかもしれないけど…)
アルフォンスはその事実に今更ながら悔しさが募った。
エドワードをこちら側に連れ帰った時の記憶は、今のアルフォンスにはない。エドワードは、鎧姿のアルフォンスがエドワードを助けたのだと言う。
どうして自分ではなかったのだろう、とアルフォンスは思う。エドワードを取り戻す為に錬金術の修行をし、2年と言う月日を耐え、そしてあの場所までエドワードを探しに行ったというのに。
実際にエドワードを助けたのは今ここに居るアルフォンスではない。
(どうしてボクじゃなかったんだろう…)
アルフォンスはきつく唇を噛み締めた。
「なぁ、アル。ちょっといいか?」
そう言ってエドワードがアルフォンスを誘ったのは、数日後の夜のことだった。アルフォンスはエドワードのあの声を聞くのが辛くて…おそらくは、夢の中でエドワードが呼んでいるのが鎧のアルフォンスの名前なのだと思うと辛くて、エドワードと共に眠ることを止めていた。
エドワードは訝しそうにしていたものの、何かに心囚われている様子の彼は、深くは追求しなかった。
「どうしたの?兄さん」
アルフォンスが問うと。
「ちょっと相談があるんだ。来てくれるか?」
と、神妙な面持ちで言う。
「いいけど…」
不審に思いながら、アルフォンスはエドワードに付いて部屋を出た。そして、エドワードが向かっている先があの地下室なのだと知り、不安と嫌悪に胸がざわつくのを感じた。
エドワードが地下室のドアを開ける。部屋に置いてあるランプに火を入れる。
ぼんやりと、部屋の中の様子が浮かび上がった。壁際の鎧が照らし出される。
入り口に立ちすくむアルフォンスに構わず、エドワードは真っ直ぐに鎧の元へと歩いて行った。そして、入り口のアルフォンスを振り返る。
「アル。この鎧が、以前おまえの魂を定着させていた鎧を復元したものだ」
鎧に手を掛けながらエドワードが言う。
「…うん」
アルフォンスは、そう返事をするだけで精一杯だった。
「ここに…」
言いながら、エドワードが鎧の胸の部分を外して床に置く。鎧の内部が現れた。エドワードは、その内側に指を這わせる。
「オレの描いた血印があった」
「………」
アルフォンスはその血印を思い描いてみる。それはエドワードと魂が繋がっている証のように思えた。鎧のアルフォンスを羨ましいと思った。
「鎧の頃の記憶がおまえにはない。…なあ、アル。オレと一緒に、あの、人体錬成の錬成陣がある場所にもう一度行ってくれないか?」
思いも掛けないエドワードの申し出に、アルフォンスは言葉を失う。
「あの場所に行って、おまえの記憶を取り戻そう」
エドワードはどこか必死な様子でそう言った。
そうして、アルフォンスが止める間もなく、エドワードは自分の指を噛み切って、その血で鎧に血印を描く。
「これで、何もかも元のアルと同じだ」
エドワードがそう言うのを、アルフォンスは遠くに聞いた。どくん、と魂が震えた。強い眩暈に襲われたかのように、視界が歪む。
「アル?」
アルフォンスの異変に気付いたエドワードの、不審げな声が聞こえた。
「うわあああ!!!」
その叫び声を上げているのが自分だともアルフォンスはわかっていなかった。とにかく、気持ちが悪かった。魂が揺すぶられ、激しく混乱した。
「あああああ!!!」
そうして、アルフォンスは一瞬だけ、気を失ったのだろうか。気付いた時、泣きそうな顔で自分に駆け寄ってくるエドワードが見えた。そして、背中と足には冷たい壁と床の感触。床に座り込んでいるのだ、とわかっても身体が思うように動かない。その時。
アルフォンスは見た。
エドワードの背後で、ゆっくりと鎧が動いた。
がしゃり、と鉄の軋む音をさせて。一歩を踏み出す。
「…兄さん」
鎧の中に反響する声。けれど、それは間違いなくアルフォンス自身の声と同じものだった。
その声に硬直したのはアルフォンスだけではなかった。アルフォンスに駆け寄ろうとしていたエドワードの足がぴたりと止まり。
エドワードは、恐る恐る背後を振り返った。
「なんてことするの。全く」
呆れたような声音が、その鎧から再び零れた。
「ア…ル……?」
エドワードの声が震えていた。アルフォンスからその顔は見えなかったが、多分、泣きそうな顔をしているのだろうと察する。
「アルフォンス…なのか?」
エドワードの震える問いに。
「そうだよ。ボクだよ。兄さんが呼び戻したんでしょう?」
と、鎧は答えた。
「本当に…?」
尚も問いかけるエドワードに、鎧が笑い声を上げた。
「もう、兄さんってば本当に疑り深いんだから。門の向こう側でもボクのことなかなか信じてくれなかったし。今のボクには血印もあるし、紋章もあるよ?」
おどけて言う鎧に。
「あ…」
ぶるり、とエドワードの身体が震えた。
そして次の瞬間、エドワードは鎧に向かって駆け出していた。
「アル!アルフォンス!!!」
そのまま、鎧の巨体に抱きつく。鎧は、優しい手つきでそんなエドワードを抱きしめた。
「アル。アル。オレのアルフォンス。良かった。逢いたかった…!」
エドワードが涙声で言う。必死に鎧にしがみついている。
「しょうがないなぁ、兄さんは。門の向こうで逢ったじゃない。もう寂しくなったの?」
まるで子どもを宥めるように鎧が言う。
「だって、こっちに戻ってきたらおまえ、居なかったじゃないか!オレ、心配したんだぞ!」
必死に鎧の顔を見上げるエドワードに。鎧はもう一度、しょうがないなぁ、とため息のような声を出した。
「ボクはちゃんと居たでしょう?今だって、あそこにちゃんといる」
鎧の視線の先に、座り込んだままのアルフォンスの姿を見つけて。エドワードは戸惑うように、鎧の顔に視線を戻した。
「…だって、アルは…鎧の時の記憶はないって言うし。それに、向こうで会った時のおまえが、真理の門の前で鎧のおまえと会ったって言ってたから…だからオレ…」
「うん?」
俯いてしまったエドワードの言葉を促すように、鎧がその顔を覗き込む。
「…オレ…門の内側に、おまえが居るんじゃないかと思ったんだ。アルの記憶が失われているのは、その魂の一部が、門の内側にあるせいじゃないかって…アルの肉体を取り戻すのと等価交換で、アルの魂の一部が持っていかれたんじゃないかって…」
エドワードは必死に言い募る。
「そんなこと、オレは許さない。おまえが、そんなところに独りぼっちで取り残されているなんて…そんなこと、絶対に許さない!!!」
「…うん。それで…?」
鎧が優しく促す。
「…だから、もう一度錬成をしようと思ったんだ。アルの身体に直接に魂を入れるのは、さすがに危険だから、この鎧に再び魂を移して、それから生身のアルに移せないかって考えてた…」
エドワードの声が小さくなる。無茶なことを言っているのは、本人にもわかっているのだ。
「…本当にしょうがないなぁ」
鎧は何度目かの台詞を呆れたように言いながら、その手は優しくエドワードの髪の毛を撫ぜた。
「ボクはずっとそこに居たよ。あの生身のアルフォンスの中にね。あの身体の中で眠っていただけなんだ」
「だって…」
エドワードが縋るような目をして鎧を見上げた。
「ボクの記憶があると、色々と都合が悪いんだよ。だから大人しく眠っていたのに、兄さんがこの身体に血印なんか描くから、引っ張り出されちゃった」
怒った風でもなく、鎧が言う。
「だって…逢いたかったんだ。おまえに。寂しかったんだ。おまえが居なくて…」
縋りついてくるエドワードを、鎧のアルフォンスは愛しいと思った。けれど。視線を生身のアルフォンスへと向ける。
彼が傷ついていることは、もちろん、鎧のアルフォンスにはわかった。アルフォンスは、アルフォンス自身だからだ。
「そんなことを言ったら駄目だよ、兄さん。今、兄さんの隣にいるボクと、ふたりで生きていくんだ」
鎧のアルフォンスの言葉に、エドワードはいやいやをするように首を振る。
「嫌だ。オレはおまえのことも、失いたくない…」
困ったな、と鎧のアルフォンスは思った。この愛しいエドワードは、アルフォンスを求めている。エドワードの中で、今のアルフォンスも、過去のアルフォンスも等しく同じ人間だ。それは鎧のアルフォンスにしても同じこと。けれど、記憶を失っているアルフォンスは違うのだ。彼は、鎧のアルフォンスのことを知らない。だから、自分自身だとは認知できないだろう。
「困ったなぁ…」
しがみついて離れないエドワードの背中を摩りながら。鎧のアルフォンスは心の底からそう思った。
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