1万HIT記念小説

夢の扉の向こうで。(明日は君に。・6)

 

 エドワードは、夢を見ていた。
 ぼんやりとした空間。景色も無く、何処とも知れない。
 けれど、遠くに見知った背中が現れる。その後姿に。
(アルフォンス?)
 一瞬、その名前を思い浮かべて。すぐに打ち消す。
(違う。あれは。あの後姿は…)。
 「彼」だ。「彼」の後姿だ、と、エドワードは悟る。アルフォンスよりも大きな背中。
 エドワードは、その後姿に向かって走る。「彼」の名前を呼びながら。
 そのエドワードの声に、彼が、ゆっくりとエドワードを振り返る。その姿に。
 エドワードは目頭が熱くなるのを感じた。
 彼はエドワードにとっては、特別な、大切なひとだった。
 人体錬成を行なった時に潜った、真理の扉の向こう側の世界で出会った。向こうの世界のアルフォンス。エドワードを見つけ、支え、愛してくれた、唯一人のひと。
「逢いたかった!」
 エドワードの言葉は本心からのものだったが。
 何故か彼は悲しそうに笑って、エドワードを見た。
「ボクも逢いたかったよ。エド」
 優しい声音で、そう言ってくれるけれど。その声、その表情は。エドワードの知っている「彼」ではない。
 いつも、笑ってくれたのに。
 そう、思う。こんな彼を見たのはただ一度きり。別れを告げた、あの時だけだ。
 そう思うと、エドワードの胸は締め付けられる。
 大好きだった。大切だった。だから。幸せになって欲しいと、心の底から願っていた。
 なのに、彼がちっとも幸せそうでないのが。自分のせいなのかと思うと、エドワードは遣り切れない。
「なあ、そんな顔すんなよ…」
 そう言って、彼を抱きしめる。
「エド。大好きだよ。愛している」
 囁かれる言葉。強く、抱きしめてくる腕。
 その腕の中で。エドワードは泣きそうな気持ちになった。

 目が覚めると。夜が、白々と明けようとしていた。
 エドワードは身体を起こし、深くため息を吐く。
 隣には、身体を取り戻した13歳のアルフォンスが眠っている。エドワードよりも5歳も年下の、幼い顔。その安らかな寝顔を見て。エドワードは顔を歪める。
 エドワードがこちら側に帰って来てから。アルフォンスは、片時もエドワードの傍から離れようとはしない。もちろん、エドワードもそのことに異存はなく。むしろ嬉しくて。
 幸せで、幸せで、満ち足りている。
 アルフォンスが隣にいるのが。笑ってくれるのが。ただもう、単純に嬉しい。
 けれど。
 そんな日々の中に入り込んでくる、夢。
 「彼」の夢を見るのは、今日が初めてではない。
 その夢は夜毎エドワードの元を訪れる。その度に、エドワードの心はかき乱される。
 あれは、ただの夢なのだろうか?
 向こう側に残してきた彼のことが、気になって仕方ない。
 彼が、向こう側であんな風に悲しげに微笑んでいるのだとしたら。
 そう思う度に、エドワードの心は切り裂かれそうになる。

 大事だよ。
 大切なんだ。
 幸せに、なってくれ。
 
 多分、これは自分のエゴなのだろう、と、エドワードは自嘲的に笑った。


 その日の夢の中で。
 エドワードは「彼」に言った。
「なあ。明日の晩、あの公園で待っていてくれよ。ほら、おまえといつも一緒に行った、あの公園だよ」
 エドワードの言葉に、彼が寂しげな笑顔を返す。
「わかった。待ってるよ。ずっと」
 少しも嬉しそうでない彼に。エドワードも悲しくなって。泣きそうな顔で笑った。
 彼には、こんな約束。なんの慰めにもならないのだ。それがわかるから、悲しかった。
「約束だぞ」
 エドワードは精一杯、微笑んだ。

 その翌日の夜。エドワードは、隣に眠るアルフォンスを置いて、そっとベッドを抜け出した。
 季節はまだ冬。冷たい空気の中、白い息を吐きながら家の傍の丘へと登ると。そこに巨大な練成陣を描く。意識を集中して、錬成を開始した。
 眩しい錬成光が巻き起こる。その中で、エドワードは練成陣の上空を睨み付けていた。
 凄まじい錬成反応に持っていかれそうになりながら、それに耐える。自分の力を振り絞り、ただ求めた。
 「彼」のいる世界を。

 唐突に、真理の門はエドワードの前に現れていた。いつそれが現れたのか。エドワードにはわからない。けれど、彼は開かれたその門へと足を踏み出した。
 この向こうで。彼が待っている。
 その思いだけを胸に。真理の海の中をエドワードは行く。全ての感覚を狂わされながら。翻弄されながら。けれど、その先には扉がある。
 たどり着いたその場所で。エドワードは、渾身の力を振り絞って、その扉を開けた。

 見慣れた公園。エドワードは「彼」の名前を呼ぶ。
「エド」
 彼は、そこに居た。
「よかった!来てくれたんだな!!」
 エドワードは、感極まって彼に飛びつく。と、冷やりとした彼の身体に驚く。
「すげぇ冷えてる…。いつから待ってたんだ?」
 こちらの世界の季節も冬。こんな寒空の下で彼を待たせたことを、エドワードは後悔した。
「うん…。今日で3日目の夜、かな」
 返された言葉に、エドワードは驚きに目を見開く。
「3日…って。え?オレがおまえと約束したのは、夕べのことだったよな」
 困惑して問うエドワードに。
「あの夢のことなら、4日前のことだよ」
 エドワードは愕然とした。真理の海で時間が歪んだのかもしれない。
「ご、ごめん…!オレ…」
 エドワードはオロオロと謝罪の言葉を探す。けれど彼は、にこりと微笑んだ。
「いいよ。夢の中の出来事だから。ボクも信じてたわけじゃなかったし」
「………」
 エドワードは言葉を失う。ただの夢だと思いながら。それでも、彼は3日もの間、エドワードのことを待っていてくれたのだ。エドワードの胸に熱いものが込み上げる。
「なのに、エドに本当に逢えるなんて、嬉しいよ。凄く」
 彼は本当に嬉しそうに微笑んだ。久しぶりに見る笑顔。それでも。やはりどこか、憂いの色があって。それがエドワードを切ない気持ちにさせる。
「…なあ、おまえ、ちょっと顔色悪くないか?こんな寒いところで待たせたから、風邪をひいたんじゃ…」
 心配するエドワードに。
「3日間、食事をしてないからね。そのせいじゃないかな?」
 そんな言葉が返されて。
「食事をしてない!?」
 驚きにエドワードは声を上げる。
「だって、ここでエドを待っていたから」
 当然のことのように言われて。エドワードは、胸に冷たい痛みを感じる。
(ああ、なんてことだ。どうして、こんなにも深い思いをオレにくれる?)
 誰かに想われることが、こんなにも痛いことなのだと。エドワードはこの時、初めて知った。

 エドワードは、無理に明るい笑顔を作って、彼を見上げた。
「さ、来いよ!」
と、手を差し出す。
「どこへ?」
 彼が、問いながらもエドワードの手を握る。
「この扉の向こう。オレのいる世界へ」
 エドワードは微笑んで。来るか?と目で彼に問う。
「行くよ。君となら、どこへでも」
 彼が、笑った。

 エドワードは、彼を抱き抱えるようにして扉を潜った。しかし、やはり腕の中の彼の感触は消えてしまう。その時、エドワードの胸を不安が過ぎった。なんの知識もない彼を、この扉の内側に引きずり込んで。もしかすると、彼はこの門を抜けられないかも知れないのに。
 エドワードの中には、確信があったのだ。彼は、夢でエドワードと繋がっている。それは、魂の一部を共有しているようなものなのだと。だから、エドワードの存在に引かれて、無事にこの門を抜けることが出来る筈だと。
 けれど、実際に真理の海に踏み込むと。不安が膨れ上がっていく。
 本当に大丈夫なのだろうか?
 ここで彼を失うようなことにならないだろうか?
 そんな不安の中で。エドワードは目指す扉にたどり着く。そして、その扉を押し開いた。

 門を抜けると。彼は、エドワードの隣に居た。どうやら同時に抜けたらしい。エドワードは自分の考えが間違っていなかったことに安堵した。
 彼が、ぼんやりとした目で周りを見る。
「驚いたか?ここが、オレの世界だ!」
 エドワードが自慢げに言った。
「ここが、エドの世界…」
 彼は呟き。
「…これも夢?」
と、エドワードに問うた。エドワードは、その言葉に泣きそうになる。けれど、力強く笑って言った。
「ああ!いつもの夢だ」
 そうだよね、と彼も微笑む。
「ほら、ぼーっとしてないで、行くぞ!」
 勢いよくエドワードが彼の手を引っ張った。
「え?どこに行くの?」
 彼は抵抗なく引っ張られながら訊く。
「せっかく来たんだ。この町を案内してやるよ!」
 エドワードは満面の笑顔を向けて言った。

 夜の町をふたりで歩く。エドワードの家。近所の牧場。エドワードたちが修復した納屋。
 あちこちを、エドワードは面白おかしく説明しながら案内した。
 そして。
「これが、オレの母さんの墓だよ」
 エドワードが指差したその、墓碑に。彼は、静かに膝を折り、祈りを捧げた。
「…ありがとう。母さんの為に祈ってくれて」
 エドワードが言うと。彼は、そっと立ち上がり。
「ううん。ボクの方がお礼を言っていたんだ。エドを産んでくださってありがとうございますって…」
「…!」
 エドワードは、胸が一杯で何も言えなくなる。
(ああ、どうして。そんなにも、おまえは…)
 どうして、自分なんかをそんなにも愛してくれるのか。エドワードはその事実に、酷い痛みを覚える。
(オレは何をしてやれる?おまえの為に何をしてやれる?)
 エドワードは自問しながら。彼を連れて、最初の丘まで戻った。そこから町を見下ろす。
「ここから町を一望できるんだけど…。夜だから何も見えねーな」
 残念そうなエドワードの声に。
「もう充分だよ」
と、彼は微笑んだ。
「ここに来れてよかった。エドの町はとても綺麗なところなんだね。自然が一杯で、とてもエドに似合っている」
「………」
「やっぱり、ここが君のいるべき場所なんだな」
 深い深い慈愛の笑み。
「…うん。ここが、オレの生きるべき世界だ」
 エドワードは、噛み締めるようにそう言い。
 ふたりは、顔を見合わせる。お互いに、切なさがその瞳に滲んでいた。本当に、住む世界が違うのだ、と、その事実を確認する。
「もう、夢が覚める時間かな?」
 東の空が白々と明けかかっている。
「…そうだな」
 エドワードは、意識を集中し。再び、練成陣へと向かった。エドワードの手が練成陣に触れると、眩しい錬成光がほとばしる。その眩しさに、彼が目を細める。巻き起こる錬成反応。
(来る!)
 エドワードの身体を、その予感が駆け抜けた時。真理の門は現れた。

 彼の手を引き、エドワードは再び、真理の海を渡った。
 無事に、あちら側の世界へと彼を送り戻す。
 扉の内側から足を踏み出さないエドワードを振り返って。元の公園へと降り立った彼は、寂しそうに微笑んだ。
「…また、君とお別れ?」
 その言葉はエドワードの胸を打った。
 けれど、彼に言わなければならない言葉があった。
「よく、聞いてくれ。オレは夢の中にしか存在しない、幽霊だ。そんなものに、いつまでも拘っていちゃ駄目なんだ。明日の朝には全て忘れて。そして…幸せに、なってくれ」
 彼は黙ってエドワードを見つめている。
「おまえが見た夢は、オレが全部持っていくから。オレが全部、覚えているから。おまえはもう、忘れていいんだ」
 彼は、にっこりと微笑んだ。
「そうだね。こんな変な扉で別の世界に行ったり。本当におかしな夢だ。エドは、ボクの夢の中の、架空の存在なんだね」
「そう。そうだよ」
 ほっ、と安心して。エドワードは口元を緩めた。

 忘れて。
 忘れて。
 そして、幸せになって。

「じゃあな。これで、夢は終わる。元気でな」
 扉が、ゆっくりと閉じ始める。エドワードは、切なさに泣きそうになりながら。それを、ぐっ、と堪えた。
「うん。君も元気で」
 彼が、手を振っている。
 その最後の姿をエドワードが目に焼き付けて。扉がエドワードの視界を塞いだ瞬間。
「…本当に、夢だったらよかったね」
 扉の隙間から。小さな呟きが、耳に届いた。
「…!!!」
 慌ててエドワードは扉を見上げたが。その時には既に扉は消えていた。
 混乱した気持ちのまま、エドワードは真理の海を渡った。どうやって帰ってきたのか全く記憶になかったが、気が付けば、エドワードは元の丘へと帰ってきていた。扉は跡形も無い。
(オレは失敗したのか…?)
 最後に聞いた彼の言葉が蘇る。
(あいつは…オレのことを「夢」にしてくれなかったのだろうか…)。
 自問しても答えは無く。ただわかっているのは。もう、夢の中でさえ、彼に会うことは出来ないのだ、ということだけだった。

 すっかり夜が明けてから。エドワードは、とぼとぼと家へと帰った。家の前では、アルフォンスが寒そうに身体を丸めて立っていた。
「兄さん!」
 エドワードの姿を見つけると、駆け寄ってきて、その冷たい身体で抱きついてきた。
「こんな時間にどこに行ってたの?どこにもいないから、心配したよ!」
 その冷たい抱擁は、「彼」を思い出させる。尤も、エドワード自身も冷え切っていたのだけれど。
 今度はアルフォンスに「彼」を重ねている自分に、エドワードは自嘲の笑みを浮かべる。
 思えば、自分と「彼」の関係は。冷えた身体を寄せ合うような。そんなものだったのかも知れない、と思った。
「ああ。悪かったな、アル…」

 暖かい体温を分け合える。そんな誰かと。彼が、幸せになれますように。

 エドワードは、冷えた身体を、ぶるり、と震わせて。そう願った。

 

<あとがき >
2005.3.18作。1万HIT記念小説第1弾は「明日は君に。」特別編でした。
このシリーズは完結していましたが、皆さんの感想の中で「彼」がかわいそう、という意見が多く(でも皆さんアルエドなので、ストーリー自体にご不満があるようではなく。笑)、私としても考えるところがありまして。今回、記念小説という形で、特別に書いてみました。
多分に蛇足的な話ではありますが、エドが帰った後、「彼」がどんな思いをしているのか。エド自身に知らせるべきではないかと思ったのです。
そうはいっても、「彼」とエドとの関係が変わるわけでもなく、切なさの上塗りでしかないことは否めません。エドが「彼」の為に何かをしたいと思っても、それらは全て空回りしてしまうのでしょう。
それでも、エドが「彼」をどう思っているか。少しでも伝わればいいと思います。
2005.3.24.up