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3 ミュンヘン
エドワードが扉の向こうに消えてから。
彼は、呆然とそこに立ち尽くしていた。涙も拭わず。もう、エドワードが帰ってくることのない、その部屋に。日が暮れて、周りが闇に包まれても。彼は、そこから動くことが出来なかった。
それから数日、彼は、その部屋で暮らした。エドワードが消えただけで、他には何一つ、変わっていない部屋。
それは、嘗て彼が、一度エドワードを失った時と似ている。けれど、あの時には、エドワードが帰ってくるという希望があった。ホーエンハイムの存在があったから、それは確固たる事実に限りなく近かった。
けれど、今回は。
完全に、エドワードの存在を失ってしまったのだ。
そのことをまず理解する為に、彼は数日を費やした。けれど、理解は出来ても、納得は出来ない。
彼は、ぼんやりと思う。
どうしてなんだろう、と。
どうして、自分はエドワードを失わなければならなかったのだろう、と。
どうしても、納得することが出来ない。
数日の後、彼はその部屋を後にした。
ゆっくりと扉を閉め。もう二度と、ここに来ることはないのだ、と思った。
とぼとぼと家路に着く。
風景が、滲んで見えた。
ああ、自分は泣いているのだ、と彼は思った。
エドワードのことは、諦めよう。
初めから、自分は彼にとって、弟の代用品でしかなかった。
初めから、叶う想いではなかった。
けれど、彼は最後に言ってくれたではないか。
忘れない、と。好きだ、と。
その言葉だけで充分だ、と彼は思う。
そうだ。充分じゃないか。
そう、思うのに。
『いつまでも変わらず、君ひとりを愛しているよ』
心に誓った、嘗ての言葉が。胸に刺さって血を流す。
「いつまでも変わらず、君ひとりを…」
愛し続ける、と、彼は口の中で呟いた。
その誓いは、今では迷いの迷路のように。
彼の心の中で、出口のない森となり、広がっている。
ああ、どうしてボクは。君を諦めなくちゃいけないんだろう?
4 リゼンブール
やがて、エドワードが落ち着いた頃を見計らって。
アルフォンスは、ゆっくりとエドワードの背中を撫ぜていた手を止める。
その優しい行動も。エドワードの中では、鎧姿のアルフォンスと重なって。切なくて、また泣きそうになった。
なのに。
「そんなに泣くほど、あのひとのこと好きだったんだ」
その、優しい弟から漏れた言葉はそんなもので。
エドワードは驚きに目を見開く。がばっ、と抱き締められていた身体を起こして、アルフォンスの顔を見た。
「な!何、言ってんだよ…!」
一体、自分が、誰の為に泣いていたと思っているのか。
思い切り誤解しているアルフォンスに、エドワードは腹立たしさを感じる。
「だって、あのひとのことを思い出して、泣いてるんでしょ?」
不満げに、アルフォンスが言う。
バカだ、こいつ。
エドワードは、そう思う。エドワードの心の殆ど全部は、この、弟で埋められている。それなのに、当の本人はこんなことを言って、勝手に拗ねている。
「…バカアル!そう思いたけりゃ、そう思っとけよ」
エドワードも、すっかり頭にきてしまって、そう言い捨てると、アルフォンスの腕から逃れようとした。
けれど、アルフォンスの腕がそれを止める。
「なんだよ、その言い方!まるでボクが悪いみたいに…。言っておくけど、悪いのは兄さんなんだからね。開き直らないでよ」
「………」
口を尖らせて言うアルフォンスを。エドワードは睨んだ。
「なんでオレが悪いんだよ。おまえが勝手に誤解して拗ねてるだけじゃねーか。…放せよ」
エドワードが身を捩るが。アルフォンスは、逆にその腕に力を込めた。
「嫌だよ。せっかく会えたのに、どうして離れなくちゃならないんだよ。冗談じゃないよ。3年だよ?3年も兄さんに会えなくて、やっと会えたのに」
「それはこっちの台詞だ。…さっきから、おまえは文句言ってるけどなぁ。おまえはこっちでひとりじゃなかっただろ!?ウィンリィがいて、ばっちゃんがいて、師匠がいて、シグさんがいて、村の皆や、他にもいっぱい、支えてくれる人がいただろうが!
オレなんかな、全然知らない世界に飛ばされて、知ってるやつなんかいなくて。親父とふたりきりだったんだぞ!…そんな時に、あいつがオレに声を掛けてくれて、親切にしてくれたんだ。助けてくれたんだ!」
「………」
エドワードの言葉に、アルフォンスは押し黙った。
「バカアル!おまえなんて、何にもわかってない!」
「…兄さん。…ごめん」
アルフォンスは、小さく謝る。エドワードの言うとおりだと思った。自分も、エドワードを失って随分と心細い思いをしたが、エドワードに至っては、更に心許なかっただろう、と考え及ぶ。
「おまえの謝罪なんか知るか!さっきだって、もう言わないって言ったくせに、またこんな話持ち出して、ねちねちと…。なんだよ…!オレの気も知らないで…!」
エドワードは、目を赤くして、泣きそうな顔で怒っている。その顔を見て、今更ながら、アルフォンスの胸は痛んだ。泣かせたいわけではないのだ。ただ、自分は…。
「ごめん。兄さん、本当にごめん。…ボク、変なんだ。兄さんが他の誰かと…って思ったら、我慢できないんだ」
アルフォンスは、自分の気持ちを持て余し。エドワードに助けを求めるように、その瞳を覗き込んだ。
「……ねぇ、兄さん。ボクはどうしちゃったんだろう?」
そんな、自分の気持ちに戸惑っているようなアルフォンスを。エドワードは、静かに見つめた。
「…別にどうもしねぇよ。オレだって、おまえのことで心が一杯…」
エドワードの言葉に。
「兄さん、それ本当?」
縋るような目で、アルフォンスはエドワードを見た。
「ああ」
エドワードは頷くと。そっと、アルフォンスと額を合わせた。
「この3年間、ずっと。おまえのことばかり考えていた」
いや、正確には、7年前のあの時から。エドワードの心は、ずっとアルフォンスのものだ。
「兄さん…。ねぇ、これからは、ずっと一緒だよね?」
アルフォンスの言葉に。エドワードは微笑む。
「ああ。おまえが望む限り、ずっと」
そう答えたエドワードに。アルフォンスは、何故か不満げに声を上げた。
「そんな愛ならいらないよ。ボクは、兄さんが泣いて嫌がったって、兄さんを離さない」
アルフォンスのその言葉に。エドワードは目眩を感じる。
ここにいるのは、だれ?
10歳のアルフォンスは、エドワードを兄としてしか見ていなかった。
鎧姿のアルフォンスは、エドワードを束縛することを恐れていた。
そして、今ここにいる、13歳のアルフォンスは。
兄を慕う以上の気持ちでエドワードを愛し。その心を隠したり、抑え込んだりすることをしない。
それは、彼の失われた人生を含めて。その全てが、アルフォンスの中に納まっているのだと。
エドワードは、そんな風に思った。それは、あまりにも希望的観測に過ぎるかもしれないけれど。
「ははっ…」
笑いがこみ上げてきて、エドワードは思わず、声を上げた。
「もう!なんだよ。ボクは真剣に言ってるのに」
アルフォンスが頬を膨らませる。
「あはは。ごめん。なんか、嬉しくて」
エドワードは、アルフォンスに抱きついた。
「愛しているよ、アルフォンス。おまえがオレの全てだ」
これからは。何にも捕らわれることなく。ただアルフォンスを愛していいのだと。アルフォンスに愛されてもいいのだと。エドワードは思った。
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