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エドワードは、そのままアルフォンスの側で食事をし、アルフォンスの側で眠った。片時も側を離れない、という強い姿勢は、誰にも口を挟ませなかった。
エドワードは、アルフォンスの眠るベッドの端にうつ伏せて眠っていた。
静かなエドワードの寝息の響く部屋で。そっと、金色の瞳が開かれた。
目を覚ましたアルフォンスは、寝息のする方へと、わずかに頭を振り向ける。と、そこに眠るエドワードの姿を捉えて。
「…兄さん……」
掠れた声で、アルフォンスはエドワードを呼んだ。
「兄さん」
今度は、上半身を起こし、手で揺り起こす。
「…ん……」
くぐもった声を上げて。エドワードは、うっすらと目を開けた。そして、自分を覗き込んでいるアルフォンスの姿を見つける。
「!アル!!」
エドワードは、がばっ、と飛び起きた。
「目が覚めたのか!身体は大丈夫か?どこかおかしなところはないか?痛くないか?苦しくないか?」
一息に捲くし立てるエドワードに。アルフォンスは、きょとん、として。それから、まじまじと自分の身体を見た。
「うーん…。別に、どこも何ともないみたい」
「本当か!?」
「うん」
必死の形相のエドワードに、アルフォンスは笑ってみせる。安心させる為に。
「…よかった…」
ほーっ、と、エドワードは安堵の息を吐き、どかっ、と、椅子に身体を投げ出して座った。
「まったく、無茶して、心配させやがって…。あの練成陣を見た時には、心臓が止まるかと思ったぜ」
エドワードが苦笑する。
「…ごめん。ああするしかなかったんだ。どうしても、兄さんに会いたかった」
アルフォンスの強い瞳が、薄明かりの中で光っている。
「…アルフォンス……」
鎧のアルフォンスは、頼りになる弟だった。そして、今、目の前に居る、少年の身体をしたアルフォンスもまた。
とても、強く、逞しい男の顔をしているように、エドワードの目には見えた。
「兄さん…」
アルフォンスが、そっとエドワードの頬に触れる。
「………!」
感極まったように、エドワードは、アルフォンスの胸へと飛び込んだ。その身体に縋り付く。
「…かった。会いたかったよ。アルフォンス…」
嗚咽まじりに、エドワードが告げる。
「ボクもだよ、兄さん…」
アルフォンスの声も、涙に滲んでいた。
窓の外は、透明な紺色に染まっていた。それは、既に夜の闇ではない。朝の光をたたえた、夜明けの空の色だ。
明けていく空が、ふたりを抱いていた。
これから、一日が始まる。
完全に夜が明けきっても、ふたりは抱き合ったままでいた。
そこへ、軽快な足音が聞こえる。ロゼの足音だ、と、エドワードはぼんやりと思った。
「エド、朝食運んで来ましょうか…」
果たして、ドアを開けて声を発したのはロゼで。けれど、彼女の言葉は半ばで途切れた。
「アル!気が付いたの!?」
その声が、驚きと、喜びに溢れた。
「ロゼさん。お早うございます」
エドワードを抱き締めたまま、アルフォンスは、にこりと微笑んで彼女に言った。
「よかった…!ああ、早く皆に知らせなくちゃ!」
ロゼは踵を返し、またぱたぱたと音をさせながら、走り去って行った。
それから、アルフォンスは皆に取り囲まれ。自分が2日間眠っていたことを知った。
皆と話す間も、アルフォンスはエドワードの手を離そうとはしなかった。また、エドワードもアルフォンスのベッドの脇から動かなかった。
ひとしきり、皆がアルフォンスの無事を喜んで、会話が途切れた後。
アルフォンスは、遠慮がちに問うた。
部屋の隅で、静かに自分たちを微笑んで見守っている人物。
金髪に、金色の目をした、彼に。
「あなたはどなたですか」
と。
一瞬、その部屋に居た誰もが、息を呑んだ。問われた本人と、ベッド脇のエドワードを除いては。
「何言ってんだよ、アル。親父だよ。おまえ、忘れたとか言うなよー?」
笑いながら、エドワードが言う。その言葉に。他の面々は顔色を変える。
「え…お父さん?ボク達の?…ボク、初めて会うよね?」
きょとん、とアルフォンスがエドワードに問う。
「ああ?本当に忘れてんのか?軍に追われて、リゼンブールに帰ってきた時に、会っただろーが」
アルフォンスは、しばし考え込んで。
「えっと…それって、ボクが鎧だった時のことかな…?」
と、訊いた。
「そうそう」
と、エドワードは機嫌よく答えるが。
リゼンブールでアルフォンスと生活を共にしていた全員が、硬直した。なぜなら。アルフォンスには、自分が鎧だった頃の記憶など、無いからだ。もちろん、そんなこと、誰もアルフォンスに教えていない。なのに。一体、何故。アルフォンスがそれを知っているのか。
「そっか…。あなたが、お父さんなんだ」
改めて、アルフォンスはホーエンハイムを見る。
「今度、ボクと話をしてくれますか?」
微笑んで、アルフォンスは言った。
「ああ、もちろんだよ」
ホーエンハイムも、穏やかに笑って答えた。
そのやりとりに周囲が息を詰めて聞き入っている中。エドワードは、ひとり嬉しそうに笑っていた。アルフォンスの側に居られることが、嬉しくてたまらないのだというように。その喜びを。その幸せを。全身で表していた。
「ねぇ、兄さん」
そんなエドワードを愛しげに見ながら。
「いっぱい、話をしよう?これまでのこと。ボク達、話したいことが、たくさんあるよね?」
アルフォンスが笑う。
「おう!そうだな!」
エドワードが笑って了承する。
「じゃあ、申し訳ないですけど…」
ふたりきりにしてください、と。アルフォンスは、笑顔で全員を追い出した。
まずは腹ごしらえだ!とエドワードが言うので、ふたりは食事をした。
ふたりで一緒に食事をするのは、エドワードにとっては11歳の時以来だから、感動しきりだった。
そんな兄を、アルフォンスは苦笑しながら見守る。
アルフォンスにとっての空白の時間は、エドワードのそれに比べて短い。
アルフォンスは、まず、そのことをエドワードに説明しなくてはならなかった。
食事を終えて。
「じゃあ、まずはボクの話を聞いて?」
アルフォンスは、ひとつ息を吐くと、話し始めた。
「ボクの記憶は、兄さんが思っているのとは、違うと思う」
「?」
「あの時、ボクと兄さんは、ふたりで母さんを練成しようとしていた。あの時、確かに練成反応があったよね?」
「あ、ああ…」
何故、今更そんな話を始めるのかと。エドワードの瞳が不安げに揺れる。
「でも、その後の記憶がボクにはない。気が付いたら、兄さんがいなかった」
「え……?」
「何か、いろいろあったけど、よくわからない。とにかく、兄さんがいなくて。…それから、ウィンリィだって名乗る女の子が、どう見てもずっと年上のお姉さんだった」
エドワードは愕然とする。アルフォンスの幼い身体。
「アル…、おまえ、年はいくつになった?」
エドワードは、カラカラに乾いた口で、やっとそれだけを言った。
「13歳になったよ?でも…兄さんはもっと年上みたいだね」
アルフォンスが、寂しそうに笑った。
「10歳からの記憶が失われたのか…!」
エドワードは愕然とする。そうだ。錬金術は等価交換。アルフォンスの身体が、失われた10歳のものであるだろうことは、エドワードも察していた。けれど。まさか。
記憶が失われるなんて…!
エドワードは、例えようの無い悲しみに襲われた。
錬金術は等価交換。
10歳の身体に、10歳の記憶。
けれど、それでは。あの4年間のアルフォンスの記憶は。一体、どこへ行ってしまったのか。あの、エドワードを支えてくれたアルフォンスは。一体、どこへ行ってしまったのか。
「兄さん、泣かないで…?」
アルフォンスが、気遣わしげにエドワードの顔を覗き込む。
「え……?」
言われて、エドワードは初めて自分が泣いていることに気付いた。触れた自分の頬が、濡れている。
「誰も、何も教えてくれなかった。錬金術の最中の事故で、ボクの時間が止まっていたこと。兄さんがいなくなったこと。そんなことぐらい。ボクには、全然わからなかったよ。一体、何がボクと兄さんの身に起こったのか。ずっと、兄さんのことを考えていた。どうすれば、兄さんにもう一度会えるのか、そのことばかり考えていた。だって、信じられる?兄さんが死んだなんて」
アルフォンスは言葉を切り、エドワードを見つめた。
「それは…」
エドワードが口ごもる。
「ボクは、もう一度師匠のところで錬金術を学ばせてもらうことにした。それだけが、兄さんに会える手段だと思った」
「………」
「それでね、リゼンブールに帰った時には、ロゼさんといっぱい話をした」
「ロゼと?」
エドワードが不思議そうに問う。ロゼのことは、10歳のアルフォンスは知らない筈だ。
「ロゼさんとは、ボクと兄さんが旅をしている時に出会ったんだってね?だから、彼女だけは、ボクの知らない兄さんの話をしてくれた。それを聞くのがボクの楽しみだった。そして、とうとう…」
アルフォンスが、静かに笑う。
「ロゼさんが、最後に兄さんに会ったひとだったって、知ったんだ」
「!」
エドワードの脳裏に、あの時の記憶が甦る。長い、長い、あの1日。
「ロゼさんは、ちょっと口を滑らせただけだった。でもボクは、しつこくロゼさんに頼んで、やっと、兄さんの最後の様子を聞くことが出来たんだ。そこがどんな場所で、どんな状況だったのか」
エドワードが、ごくりと唾を飲み込んだ。ロゼは殆ど何も知らない筈だ、と思う。
「ロゼさんも、あまり詳しいことは、どうしても教えてくれなかった。でも、ボクの為に、兄さんが自分自身を犠牲にしたんだろうって、教えてくれた。だから、自分を大切にしなさいって、ロゼさんは言ったよ。…でも、ボクにはすぐにわかった。兄さんが何をしたのか。
だって、錬金術師が自分自身を代価にして、他人を救うために行なうことなんて、人体練成以外に無いよね?」
微笑むアルフォンスに。エドワードの全身を震えが走る。アルフォンスは、とても辛そうに笑っていて。わかっていたこととはいえ、そのエドワードの行動に、アルフォンスがどれほど心を痛めているのかが伺えた。
「それから、ボクは遺品として残されていた兄さんの荷物の中から、錬金手帳を持ち出して、日々、その暗号の解読を模索したよ」
兄さんの暗号、難しいんだもん、とアルフォンスは笑う。まるで、なんでもないことのように。
「でも、ボクが必要としたのは、その最後のページ。あの、走り書きの数ページだけだった」
エドワードは血の気が引くのを感じる。あの時。あの状況で。研究者としての性なのか。エドワードは、記したのだ。それを。
「そこには、人体練成の方法について、記されていた」
エドワードは苦悶に満ちた表情で、目を瞑る。アルフォンスは、そんなエドワードを労わるように、優しく頬を撫ぜた。
「兄さん、そんな顔をしないで。あのメモのおかげで、ボクは兄さんに会えた」
「オレがあんなメモを残したから…おまえは、人体練成なんて、無茶なことをした!!」
エドワードが、自分への怒りに唸る。
「オレの行なった人体練成は、術者自身を代価にする方法だ。おまえ、わかっていてやったのか?もしもオレの練成が成功したとしても、おまえが死ぬんだぞ…!」
エドワードは、強い力で、アルフォンスの肩を掴む。
「わかってたよ。でも、兄さんはそうやって、ボクを取り返してくれた」
「!?」
それを言われると、エドワードに返す言葉はない。エドワードは、苦しげに喘いだ。
「…違う…そうじゃない。そもそも、自分を犠牲にしてオレを救ってくれたのは、おまえの方なんだ…」
アルフォンスは覚えてはいないだろう、そのことを。エドワードは、曖昧に告げた。
「…うん。そうだね」
予想に反して、アルフォンスは納得したように、頷いた。そして、屈託なく笑った。
「なんだか、ボク達、同じことを繰り返しているね」
「………」
どう答えればいいのかわからずに、エドワードは困惑した瞳をアルフォンスに向けた。
「…門を潜ったからね。そこで、いくらか、失われたボクの記憶を見たよ。母さんの練成に失敗したこと。ボクの身体が持っていかれたこと。兄さんがボクの魂を練成して、鎧に定着させたこと。ふたりで身体を取り戻す旅をしていたこと。ボクが賢者の石になったこと。…兄さんが死んだこと。ボクが、賢者の石を使って、兄さんを練成したこと」
アルフォンスは、言葉を切って、にこりと笑う。
「ボクが見たのは、これだけ」
詳しいことは全然思い出せないけど、これだけの記憶を整理するのに、2日も掛かっちゃったんだね、と笑う。そんなアルフォンスの話を。
エドワードは、痛みに耐えるかのような顔で聞いていた。
「兄さん、そんな顔しないで?」
アルフォンスは、そんなエドワードの様子に心を痛めながら、そっと、エドワードの頬を両手で包んだ。
「ボクのしたことは、間違っていなかった。あの時は、ただ、兄さんが死ぬなんてこと、許せなくて。それだけで、兄さんを練成したけれど。
兄さんなら、何とかしてくれる。ボクには出来ないことも、兄さんには出来る。それは、間違っていなかった。
兄さんは、ボクを練成して。尚且つ、こうして生きていてくれた。ボクがあのまま生き残っても、どのみち、あのひとたちに賢者の石として利用され、死んだだけだっただろうから」
エドワードは、苦しげに目を伏せる。
「…それは、悪かったと思っている。おまえを残して死ねないって思っていたのに。あいつにむざむざとやられて。…でも!生身の身体を取り戻したのに、オレを練成する必要なんか、なかっただろう!?…たまたま、オレが死んでいなかったから、おまえは人体練成をする必要がなくて、代価を支払わずに済んだけど、もし、オレが死んでいたら、おまえは…!」
エドワードが悲痛な声で叫ぶ。
「…信じられなかったし、耐えられなかった。兄さんが死んだなんて」
アルフォンスが、静かに告げる。エドワードは絶句した。
「兄さんが、ボクの為に死んだのなら。ボクだって、兄さんの為に死んでもよかった」
「バカなことを!」
怒鳴りかけるエドワードに、変わらずアルフォンスは微笑み掛ける。
「それに、練成の瞬間、兄さんに会えるかもって思ったし…」
その一瞬の為に、人体練成を行なったのかも知れない、と。アルフォンスは言った。
「………」
エドワードは、告げる言葉もない。あまりにも深すぎる、アルフォンスの愛。
「兄さん、泣かないで…?」
アルフォンスが、指でその頬を拭う。けれど、その涙は止まらなかった。
「………アル」
「何?兄さん」
「愛してる」
「………」
アルフォンスは、震えながら泣き続けるエドワードの身体を。強く、強く抱きしめて。
「ボクもだよ、兄さん。愛してる。この世の何よりも」
強く、告げた。
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