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その日、エドワードとホーエンハイムは。黙々と本を読んでいた。
「親父。今日は出掛けないのか?」
本に目を落としたままで、エドワードが訊く。
「ああ。この本を今日中に読み終えてしまいたいからね」
同じく、本に目を落としたまま、ホーエンハイムが答える。
「でも今日は…」
エドワードが言い差した時。
「…っ!」
ホーエンハイムが、エドワードの背後を見て、息を呑んだ。
その気配に、エドワードは顔を上げ。訝しげにホーエンハイムの視線を追って、背後を振り返った。
巨大な扉が。
そこに、突如として出現していた。
「な…!」
エドワードは目を見張る。それは、幾度か潜り抜けたことがある。ずっと、ずっと探し求めていた。
真理の門。
突然の出来事に、ホーエンハイムもエドワードも立ち竦んでいる。その時。
扉が、ゆっくりと開いていく。向こう側から、その扉を押し開けている人物がいる。
エドワードは、その人物を凝視した。
渾身の力でその扉を押し開ける人物の顔は、下を向いていて、エドワードには見えない。
やがて、扉が完全に開ききると。その人物は…。その、金髪に、少年の身体を持つ人物は、ゆっくりと顔を上げ。正面に対するエドワードを、まっすぐに見た。
ふたりの視線が絡まる。
「ア…ル……?アルフォンスか!?」
記憶の中の彼とは違う。目の前に居るのは、10歳の子どもではなく。おそらくは、14、5歳の少年。
「兄さん!?兄さんなの!?」
アルフォンス、と名前を呼ばれて。扉から出て来た少年、アルフォンスも、目の前の人物に呼び掛ける。彼の記憶の中でもまた、エドワードは11歳の子どもだったが。目の前に居る人物は、記憶の中の彼よりも、随分と大人びて見えた。
「おまえ、どうして…」
エドワードは、呆然と呟く。
「いや、人体練成は成功していたのか?おまえ、ちゃんと生身の身体を取り戻せたんだな!?」
歓喜にエドワードの声が震える。
「うん…うん、うん!そうだよ、兄さん!ボクは、ちゃんとした人間だよ!」
「アルフォンス…!!」
エドワードの瞳から、涙が零れ落ちた。
「アルフォンス!!」
エドワードはアルフォンスに駆け寄り、その身体を抱きしめた。
「アル…アル。暖かいな。柔らかい…アルフォンスの匂いがする…」
すり、とエドワードがアルフォンスの頬に、自分の頬を摺り寄せる。その頬は濡れていて。
「兄さん…会いたかった。ずっと、探していた…やっと。やっと、会えたね…!」
アルフォンスの声も、涙に濡れている。
「アルフォンス…!!」
ふたりが、そうやって抱き合っているのを。ホーエンハイムは、見守っていた。しかし。
「時間がないのかも知れないぞ」
彼は、鋭い声でそう告げる。
エドワードとアルフォンスは、同時にその声を振り返った。
「時間がない…?」
エドワードが聞き返す。
「扉は開いた。アルフォンスがこちら側に来る為に、開いた扉だ。その時点でこの扉の役目は終わっている。この扉が役目を終えて消えてしまえば、錬金術を使えないこちら側では、もう二度と扉は呼び出せない」
「そうか!」
エドワードは表情を引き締める。
「行こう!アル、親父!この扉の向こうへ。あちら側の世界へ!!」
3人は並んで扉の前に立つ。エドワードは真ん中に立ち、自分の左側に立つアルフォンスの手を握った。
「アル。わかるな?光に向かって行け」
「うん!」
それからエドワードは、自分の右側にいるホーエンハイムの手を握った。
「親父。…帰るぞ!」
強い瞳でそう告げる。
「ああ、帰ろう。エドワード。アルフォンス」
ホーエンハイムは、エドワードの手を、強く握り返した。
そうして3人は。扉の向こうへと、足を踏み出した。
そこは、もう、エドワードは何度も潜り抜けた空間だった。しかし、真理は、何度でもエドワードを圧倒する。
繋いだ両手は、既に感覚がない。
そのことに一抹の不安を覚えながら。エドワードは、真理の海を渡った。
懐かしい景色が、エドワードの目の前に広がっていた。
重い扉を押し開けて。抜けたその先には。
彼の故郷。リゼンブールの景色が広がっている。それを目にして。エドワードは、自分が帰って来たことを知った。
はっ、と背後の扉を振り返る。扉はまだ開いている。
「アル!アルフォンス!!親父!!」
エドワードはその内側へ叫ぶ。
間を空けず、突如として、その暗闇の中から人影が現れた。
「親父!」
エドワードが歓喜の声を上げる。それから。
「アル、アルは!?」
必死の形相で、扉へと片足を踏み出す。
「……ん」
小さな声がエドワードの耳に届いた。
「アルフォンスか!?」
エドワードが扉の中を覗き込んで叫ぶ。
「…さ…」
声が近付いてくる。
「兄さん!」
やがて、その声の主が姿を現した。エドワードは、伸ばされたアルフォンスの手を掴み、自分の方へと力任せに引っ張った。
アルフォンスが、その勢いでエドワードの胸へと飛び込む。ふたりはそのまま、その場所へ倒れこんだ。
「アル…アル。よかった…」
エドワードが、アルフォンスを抱き寄せて、ぎゅうっと抱き締める。
「兄さん…」
アルフォンスは小さな声でエドワードを呼び。
そのまま意識を手放した。
突如として、重みを増した身体に。エドワードは慌てる。
「アル!アル!?どうした!!?」
アルフォンスの蒼白な顔を見て、自身も色を無くすエドワードに。
ホーエンハイムは、その肩を力強く叩いた。
「落ち着け、エドワード。緊張の糸が切れただけだろう」
その言葉に。
「本当かよ…?」
そう呟いて。
エドワードは、扉の消えた、その場所を見る。
そこは、かつてのふたりの生家。その焼け跡。
そして、扉があったその場所には。
巨大な、練成陣。
エドワードは、自分の腕の中で目を閉じるアルフォンスを見る。
そっと、その前髪を掬う。
アルフォンスの額にあるのは、赤い練成陣。乾いた血の色。
裸の上半身にも、数個、同じ血で描かれた練成陣がある。
その練成陣が、滲んだ。水の雫が、ぽたぽたとその上に落ちる。
エドワードの瞳から、静かな涙が零れ落ちていた。
「アルフォンス…」
かつて、自分がしたことと同じことを、この弟がしたのだと。
エドワードは悟った。
気を失ったアルフォンスを抱え上げ、エドワードはロックベル家へと駆け込んだ。
突如として現れたエドワードとホーエンハイムに驚くロックベル家の人々を無視して、エドワードはアルフォンスをベッドへと横たえ、医者を呼ぶように指示した。
そして今、医者の立ち去った部屋で。エドワードは険しい顔をして、アルフォンスの手を握っていた。
「…よかったね?エド。アルフォンスは、過労で倒れただけで…」
遠慮がちにウィンリィが話し掛ける。本当に聞きたいことは他にある筈なのだが、エドワードの背中はそれを拒絶していた。
部屋の中には、依然として意識を失ったままのアルフォンス、その側に座るエドワード。それを見守る形で、ホーエンハイム、ウィンリィ、ピナコ、ロゼの姿があった。デンは、部屋の隅でおとなしく蹲っている。
「エドワード」
ホーエンハイムが呼び掛ける。
「アルフォンスは大丈夫だ。しばらく寝かせておいてやろう」
そう言って、ホーエンハイムがエドワードの肩に触れようとすると。
一瞬早く、エドワードが振り返った。激しい怒りの形相で。
「大丈夫だって!?何を根拠に言っているんだよ!外傷が無いからって、無傷だとは限らないだろ!もしも身体の内側から何かを持っていかれていたら…!どんな障害があるかわからないんだぞ!!…アル……!!」
激昂したエドワードは、最後には苦しげに眉根を寄せ、切なげな掠れた声でアルフォンスの名前を呼び、その、握ったアルフォンスの手を自分の頬に押し付けた。
その様を見て、ウィンリィが驚愕にその場に凍りつく。ロゼは、心配げに眉根を寄せ。ピナコはじっとエドワードを見据えた。
エドワードの言葉を直接受けたホーエンハイムは。変わらず、穏やかな声で言葉を紡いだ。
「落ち着け、エドワード。アルフォンスは、おそらく何も代価を払っていない」
「!?」
エドワードが弾かれたように振り返る。
「なぜなら、アルフォンスは、何も得ていないからだ。アルフォンスが行なったことは、扉を呼び出して、潜ること。それだけだ」
「……あっ」
エドワードの瞳が見開かれる。
「現に、同じく扉を潜った私も、おまえも、何も代価を持っていかれていない。だから、アルフォンスも大丈夫だろう」
その言葉を聞いて。エドワードは、まじまじとアルフォンスを見つめた。
「でも、代価は術者から奪われるものだろう。オレや親父が無事だからって、アルが大丈夫だという証明にはならない」
エドワードはアルフォンスの手を握る力を強める。
「親父も、あの練成陣を見ただろう?あれを行なって、無傷だということがあるのか?」
縋るように問うエドワードに。
「扉を呼び出すことは、力のある錬金術師にとって、そんなに難しいことではないよ。現に、ダンテは自在に扉を呼び出すことが出来た」
ホーエンハイムは告げる。
「………」
エドワードは沈黙した。
「確かに、アルフォンスは無茶な練成を行なったが、練成する必要がなかったが為に、我々のところまでたどり着いた。アルフォンスは潜り抜けただけなんだ」
わずかに、エドワードが息を吐いた。肩の力が、幾分か抜けて。
「そうか……」
深くそう呟くと。
「よかった、アルフォンス…」
彼は、祈るように、アルフォンスの手を自分の額に押し当てた。
アルフォンスの様子が落ち着いているということで、エドワードを除く全員が、リビングへと場所を移した。
「あの、一体あいつ、今までどこに居たんですか!?」
もう我慢できない、というように、ウィンリィがホーエンハイムに詰め寄る。
「うーん。それを答えるのは、難しいな…」
ホーエンハイムは苦笑した。
「生きていたんなら、どうして帰って来なかったんですか!?私たちがどんな思いでいたか…!エドの墓なんて作って、無理矢理、あいつがもう居ないんだってことを自分に納得させて…でも諦められなくって…!!」
ひっ!と、高い嗚咽がウィンリィの口から漏れた。彼女はぼろぼろと涙を零しながら、唇を噛み締めた。
ロゼが、気遣わしげにウィンリィの背中を優しく撫ぜる。
ホーエンハイムも、そんなウィンリィを痛ましげに見た。
「…すまなかったね。でも、エドワードも、どうすることも出来なかったんだ。この3年間、エドワードが1日も休まず、ここに帰る為に奔走していたことは、事実だよ」
だから、許してやってくれないか、と、ホーエンハイムは言った。
「あの…」
それまで黙っていたロゼが、ウィンリィの背を撫ぜながら、ホーエンハイムに顔を向ける。
「エドは、また義手になっていましたよね?…私が最後に会った時には、両手両足が戻っていたのに…」
ロゼが、辛そうに眉根を寄せる。
「うん、あれは…再び失ったんだ。アルフォンスの人体練成を行なった時にね」
「そうなんですか…」
ロゼは悲しげに瞳を伏せた。
エドワードは。眠るアルフォンスを、静かに見つめていた。
と、控えめなノックの音がする。しかし、エドワードは返事をしなかった。エドワードにとっては、目の前のアルフォンスの存在だけが、今の全てだったからだ。
ひっそりと慎重に、部屋の扉が開かれた。
「エド。夕食の支度が出来たの。食べない?」
なるべくエドワードの邪魔にならないように。囁くような声で、部屋に入って来たロゼが言った。
「……」
エドワードは答えない。
「ここに、運んで来ましょうか?」
気を悪くした風もなく、ロゼは微笑んだ。
「アルが目を覚ました時、あなたの方が疲弊していたら、アルが怒るだろうから」
続けられる、柔らかな声に。
「……ロゼ?」
振り向かずに、エドワードは声を発した。
「何?」
ロゼが優しく答える。
「あんた、あれからずっと、ここで暮らしていたのか?」
エドワードは、抑揚の無い低い声で訊いた。
「ええ。あれからずっと、お世話になっているの」
「あの時の子どもは?」
「元気よ。今日は友達の家に預かってもらっているわ」
なにせ、あの子がいると騒がしくて。アルもゆっくり休めないだろうから…。と、ロゼは笑みを含んだ声で言った。
「……あんたは、今、幸せか?」
その、エドワードの言葉に。
「ええ。私は、とても幸せよ」
ロゼは、満面の笑顔で答えた。
「じゃあ、食事、ここに運んでくるわね」
ロゼはそう言うと、部屋を出て行った。その小さな足音を聞きながら。
エドワードはロゼの言葉を反復する。
(私は、とても幸せよ)
エドワードは、アルフォンスの顔を見た。
「…おまえは、この3年間、幸せだったか…?」
呟きに、答えるべき人物は。ただ、静かに眠っていた。
エドワードは、その眠るアルフォンスの前髪を、優しく梳いた。
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