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アルフォンスとエドワードは、暗い夜道を歩いていた。
「すっかり夜になっちゃったね」
アルフォンスが、エドワードに語り掛ける。
「そうだなぁ。ま、たいした仕事じゃねーし。明日から始めても余裕だろ」
エドワードは、駅員に書いてもらった宿屋の地図に目を凝らしながら、そう答えた。
「うーん。でも、個人で禁書を所有しているわけでしょ?当然、裏で集めたものだろうし、そんなに簡単に見せてくれるかなぁ?」
アルフォンスの問いに。エドワードは、こともなげに答えた。
「軽い軽い。銀時計ちらつかせて、上には報告しないから見せてくれって言えば、簡単に見せるに決まってる。どっちにしたって、禁書を隠し持っていることが軍に知られれば、没収のうえ、思い罰が科せられることはわかっているんだから」
「うーん」
その答えに、アルフォンスが唸る。
「平気だって。見てな。明日1日で勝負つけてやるから」
エドワードが、にやりと笑った。
(あー…、悪い顔してるなぁ)
アルフォンスは、半ば呆れてエドワードを見る。エドワードは、こういう交渉ごとにかけては、抜群の手腕を発揮する。それも、かなりいやらしいやり方だ。しかし、それが有効であることも事実であるうえ、相手にも後ろ暗いことがあるのが常なので、アルフォンスも、とりたてて咎めだてはしない。
「お!あった、あった。ここだろ、宿屋」
エドワードに言われて、アルフォンスが視線を転じると、宿屋の明かりが入り口を照らしていた。ふたりは扉を開けて、中へと入る。
「さっき電話したものだけど…」
エドワードがそう言うと、カウンタの中にいた男が顔を上げた。
「いらっしゃいませ。エルリック様ですね?お待ちしておりました」
その男は、柔らかな笑顔をふたりに向けて、そう言った。
「お手数ですが、こちらにご記帳ください」
男はそう言って、カウンタの上に宿帳を差し出す。
(ふーん。感じのいいひとだなぁ)
アルフォンスの、その男の第一印象は、そんなものだった。宿屋の対応は、もちろんそれぞれだが、こんな夜間に飛び込んでくる客に、いい顔をする所は少ない。歓楽街なら別だが、こんな田舎の宿屋は、特に夜間の客を迷惑がるし、飛び込みの客を警戒する。
しかし、目の前の男は微塵もそんな素振りを見せず、こんな田舎には不似合いな程、洗練された雰囲気だ。金髪に、やや茶色掛かった瞳。年齢は25、6歳だろうか。背が高く、身体つきも、すらりとしている割に、きっちりと筋肉が均等についているのが、洋服の上からでもわかった。
(格好いいひとだなぁ…)
同性ながら、アルフォンスがそう思っていると。
「お客様?」
男が再び、ふたりに呼び掛けた。その声に、アルフォンスが隣のエドワードを見る。
エドワードは、何故か視線を男に合わせたまま、そこに立ち尽くしていた。
「兄さん?」
アルフォンスの呼び掛けに、はっ、と正気に戻ったように瞬きをして。
「どうかなされましたか?」
男の声に、小さく笑みを作った。
「いや、なんでもない…」
そう言って、宿帳に記帳するために一歩を踏み出した、そのエドワードの頬が。心なし赤く染まっているのを見て。アルフォンスは、建物の中は暑いのだろうか、と考えた。
「1泊のご予定ですか?」
男の問い掛けに、
「いや、2、3日の滞在になると思う」
と、相変わらず赤い顔で、エドワードは答えた。
そんなものだろう、とアルフォンスも思う。エドワードが言ったとおり、明日1日で相手を説得することが出来たなら、個人の蔵書など量は知れているし、調べるのに大した時間が掛かるとも思えない。
「では、お部屋にご案内します」
男は、ふたりの荷物を持って歩き出す。エドワードが慌てて声を掛けた。
「いいよ、荷物ぐらい自分で持てる」
その言葉に、
「お客様はお疲れでしょうから、お任せください」
と、男は笑顔で答えた。
「あ、ありがとう…」
エドワードが恥ずかしそうに俯くのを。アルフォンスは不思議な気持ちで見た。
部屋に落ち着いてから。エドワードが、ベッドに腰掛けて言った。
「なあ、アル。しばらく…そうだな、1週間ぐらい、ここに滞在しないか?」
「え?どうして?何か気になることでもあるの?」
不思議に思ってアルフォンスが訊くと。
エドワードは、アルフォンスから目線を逸らしたまま、答えた。
「いや…、なんか、最近、忙しかったしさ。こういう所で、ちょっとのんびりするのもいいかと思って…」
その言葉にアルフォンスは驚く。いつでも時間を急いているエドワードが、こんなことを言い出すのは珍しい。
「どうかしたの?もしかして、具合でも悪い?」
先程、エドワードの顔が赤かったのを思い出し、熱でもあるのかとアルフォンスは慌てる。
「ち、違う。そうじゃない。ただ、なんとなく、居心地よさそうな宿だしさ…」
エドワードも、慌てて顔を上げる。
「そりゃ、ボクも感じのいい宿だとは思うけど…」
アルフォンスがそう言うと、
「だろ?おまえもそう思うだろ?」
と、笑顔で返された。アルフォンスはその顔を見て、具合が悪いわけではなさそうだ、と察する。それならば、常なら、なかなか休みを取ってくれないエドワードが、自分から言い出してくれたのだ。アルフォンスに異存はない。
「うん。じゃあ、しばらくここに滞在しようか」
アルフォンスがそう言うと、エドワードは嬉しそうに微笑んだ。
翌朝。エドワードは、アルフォンスに起こされる前に、ごそごそと起き出した。
「あれ?兄さん、もう起きたの?随分、早いね」
アルフォンスの言葉に。エドワードは笑う。
「おう。さっさと仕事、終わらせようぜ」
やる気満々の様子に、アルフォンスは苦笑する。
「でも、こんな朝早くに行ったら、先方に迷惑がられないかな?」
「じーさんは朝が早いから平気だって」
そう言うと、エドワードは元気に部屋を飛び出した。
結局。ふたりは、宿屋の朝食の時間より早くに出掛け、深夜になってから帰ってきた。
なんと、エドワードは、どんなに急いでも2日は掛かると思われた作業を、たった1日でこなしてしまったのだ。
目当ての家にたどり着いた途端、まくし立てるように本の持ち主を説得し、あれよあれよという間に話をまとめると、さっさと蔵書を調べる作業に取り掛かってしまった。そして、ぶっ通しで作業を終わらせてしまったのである。
(そんなに休みを取りたかったのかなぁ…?)
常にはないエドワードの行動に、アルフォンスはむしろ、あっけに取られた。
そして翌日。間違いなく、寝坊すると思われたエドワードは、その日も朝早くから起き出した。
「兄さん。もっと寝ていればいいのに」
せっかく取った休みでしょ?とアルフォンスが言うと、エドワードは、
「せっかくの休みなのに、寝ている方がもったいないだろ?」
と笑いながら、窓辺から見える庭を見下ろした。
「すげぇ落ち葉」
エドワードの言葉に、アルフォンスも庭を見下ろす。
「本当だ。落葉樹ばかり植わっているのかな?」
そう話している間にも、庭の木は、はらはらと葉を散らしていく。
「出てみようぜ、アル!」
エドワードは元気にそう言うと、駆け出した。
玄関の扉を勢いよく開けると、初日の夜に会った男が、玄関前の落ち葉を掃いていた。
「あ!お、おはようございます!」
突然で驚いたのか、エドワードが緊張した声を上げる。普段、物怖じしない彼の、らしくない態度に、アルフォンスは首を傾げる。
「おはようございます。今日もお早いんですね。これからお出掛けですか?」
男は、手を止めてエドワードに問う。
「いや、今日はゆっくりする予定です。あの、それで、予定を変更して、1週間ぐらい滞在したいと思っているんですが、大丈夫でしょうか?」
エドワードか訊くと。
「大丈夫ですよ。では、手続きをしておきます」
と、男は答えた。エドワードは何処か、はにかんだように嬉しそうに笑う。
「えっと、それじゃあ、1週間、お世話になります!」
その、エドワードの様子に、男も楽しそうに笑った。
「はい。一生懸命、お世話させていただきます」
そうして、ふたりは、お互いに顔を見合わせて。子どものように笑い合った。
それを見ていたアルフォンスは。何か、割り切れないものを感じる。エドワードが、出会ったばかりの人間、しかも大人に、こんなに気を許すことは珍しい。確かに、男は感じのいい人物であるし、休み中であるという開放感が、エドワードを年相応の子どもにしているのかもしれないが。
アルフォンスがそう考えている間にも、ふたりの会話は続いていく。
「掃除、手伝いましょうか?」
「お客様にして頂くことじゃないですよ」
「こんなに落ち葉が多いと、却って面白いくらいです。それと、敬語は止めてくれませんか。オレみたいな子どもに…。なんか、居心地悪いし」
「いや、でもお客様にそれは…」
そんな会話が、アルフォンスの中を素通りしていく。そのアルフォンスを現実に引き戻したのは、甲高い、子どもの声だった。
「パパー!おにわのはっぱ、あつめたよー!」
「あつめたよー!」
見ると、5、6歳と思われる少女と、3、4歳と思われる少女が、箒を手に、こちらに駆けてくる。そして、ふたりして男に抱きついた。
「娘さんですか?」
驚いて、エドワードが問うた。アルフォンスも驚く。目の前の男は、こんなに大きな子どもがいるようには見えない。
「そう。お姉ちゃんのユナと妹のリナだよ。ふたりとも、お兄ちゃんに挨拶なさい」
言われて、ふたりは、エドワードとアルフォンスの存在に気づいたようだ。アルフォンスの姿を見上げて、泣きそうになっている。
「ふぇ…」
妹のリナが声を上げかけた時。
「お兄ちゃんはエドワードだ!エドって呼んでいいぞ。こっちは弟のアルフォンス。アルって呼べよ」
エドワードが、にかっ!と笑って、アルフォンスの身体を、ごいん、と、わざと音を立てて叩いた。それに合わせて、アルフォンスは身体を、ごいんごいんと反響させる。
その様に、ぷっ、とふたりの少女は吹き出した。
「おにいちゃん、おっきいのー。こっちのおにいちゃん、ちっちゃいのー」
リナが不思議そうに言う。
「くぉら!誰がちっちゃいお兄ちゃんだー!リナの方がもっとちっちゃいだろー?」
エドワードが、笑いながらリナを抱き込む。リナは、きゃー!と、楽しそうな悲鳴を上げた。隣で、ユナも男も笑っている。
「エドおにいちゃんも、いっしょにする?ユナたち、たきびするんだよ」
ユナがエドワードに言う。
「焚き火?」
エドワードが聞き返すと、男が答えた。
「落ち葉を集めてね、芋を焼くんだよ」
「へー」
「いこういこう」
リナが、エドワードの手を引っぱる。ユナが「アルおにいちゃんも」と、そっと、アルフォンスの手を握った。そして、もう片方の手を父親と繋ぐ。
そうして全員で庭に移動して。真剣な顔をして火を点けたり。風向きによって流れを変える煙から逃げ回ったり。焼きあがった芋を、火傷しそうになりながら食べたり。(アルフォンスは、エドワードと半分にした芋を、ひとつだけ食べるふりをした)。
楽しい時間を過ごしたのだった。
ひとしきり遊んだ後。
「さて、そろそろ時間だ。片付けよう」
男の声に、ユナとリナが「はーい」と、元気に返事をする。
エドワードとアルフォンスも一緒に手伝いながら。
「ユナとリナは、これから何するんだ?」
と、エドワードが訊いている。
「ユナはがっこう、いくんだ」
「リナはねぇ、ママのおてつだいするのー」
ふたりが、それぞれに答える。
「そうか。ユナ、学校楽しいか?」
「たのしい!」
満面の笑顔で答えるユナに。エドワードが、同じく満面の笑みを浮かべて、その頭を撫ぜてやる。
「そっか!楽しんで来い!」
頭を撫ぜられて、ユナは嬉しそうに笑った。
「リナも!リナもしてー!」
横から、リナが、自分もエドワードに頭を撫ぜてもらおうと、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「リナはママの手伝いか!えらいなー!」
エドワードは、にかっ、と笑って、リナの頭を撫ぜた。
「ママの手伝いって…?」
アルフォンスが男に問う。
「ああ。妻は一応、ここの女将なんだ。リナのやっていることは、手伝いの真似事の真似事みたいなことかな」
「え?」
その言葉を聞いて。アルフォンスとエドワードは、同時に声を上げた。
「じゃあ、もしかして、あなたはこの宿のご主人?」
「嘘だろ!その若さで!?」
ふたりの反応に、男は苦笑する。
「…だよねぇ。でも、ここら辺では普通のことなんだ。年寄りがさっさと隠居しちゃうんだから、困ったもんだよね」
うちのじーさんなんて、毎日、悠々自適なもんだよ、と男が笑うのに、ふたりは、「はー、そうなんですか…」と、頷くしかなかった。
それからというもの、毎朝の庭掃除はアルフォンスとエドワードの日課にもなった。そして、エドワードはどこへ出掛けるでもなく、宿の中にいて、暇あらば、宿の主人である男の側に寄っていくのだ。
出掛けるのは、男が勧めてくれた場所ぐらい。頼まれもしないのに、自分から壊れ物の修理を申し出たり。とにかく、男の側に居たい、男の役に立ちたい、男に好かれたい、という思いが、あからさまに見えている。
4、5日もすれば、アルフォンスの方が堪らなくなった。
その夜、ベッドに横になろうとするエドワードに。アルフォンスは話し掛けた。
「兄さん。話があるんだけど」
その低い声に。エドワードは、不審げにアルフォンスを見上げる。
「どうしたんだよ?そんな硬い声出して」
アルフォンスが何を話そうとしているのか。全く思い当たらないようなエドワードの態度に。アルフォンスの心には、ふつふつと怒りが湧いてくる。
「兄さん。…兄さんは、あのひとのこと、好きになったの?」
アルフォンスの言葉が、エドワードには理解できないようだった。
「あのひと?」
不思議そうに聞き返してくる。
「この宿の主人の、あのひとだよ!」
苛立たしげに、アルフォンスは声を荒げた。
途端、エドワードの顔が真っ赤に染まったかと思うと。一瞬の後には、真っ青になった。
その反応を見て、ああ、やっぱり…、と、アルフォンスは絶望的な気持ちになる。
エドワードは、あの男のことが好きなのだ。
「な、何…、おまえ、何言ってんだよ。あのひとは、結婚してるんだぞ?子どもだっているんじゃないか。そんな…好きになんてなるわけないだろ!」
「その前に、男のひとだよ」
冷たく、アルフォンスは言い放つ。
「ボクは、ただ、あのひとのことを好きなのって訊いただけだ。兄さんがあのひとに好意を持っていることなんて、ひと目でわかることなんだから、好きだって答えればいいのに。そんな風な意味に取るなんて、兄さんが、あのひとのことを、恋愛の対象として見ているって、自分で認めたようなものだね」
アルフォンスの声は、とてつもなく冷たかった。エドワードはその声に、びくり、と身体を震わせた。
「…ちが、違う…、アルフォンス」
震える声が、告げる。
「何が違うの?今、自分で認めたんでしょう?兄さんは、あのひとのことが好きになったから、だから、ここに留まっているんだ!」
そう言われて、エドワードは絶句する。アルフォンスにとってそれは、肯定の沈黙だった。
「兄さんは、もう、ボクなんか、いらなくなったんだ…。あのひとの側に居られれば、それで満足なんだ。だったら…いらない!ボクも、ボクなんか、いらない!」
アルフォンスの悲痛な叫びの後に。間髪入れずに、がこん!という、大音響が響いた。アルフォンスの身体が振動する。
エドワードの拳が、アルフォンスの胸を思い切り殴ったのだ。
「兄さ…」
「二度とそんなことを言うな!」
怒鳴られて、アルフォンスが沈黙する。
「オレが必要ないなら、そう言っていい…。でも、自分のことをいらないなんて、そんなこと、二度と言うな」
エドワードの振り絞るような声に。
アルフォンスは逆上する。
「言わせたのは兄さんじゃないか!兄さんに必要とされていないボクなんか、存在していても仕方ない!」
「オレが居ようが居まいが、おまえはアルフォンス・エルリックだ!」
「違う!自分の存在証明の為に、ボクは兄さんを必要としているわけじゃない!ボクは兄さんが好きだから…!この世の何よりも、兄さんを愛しているから…!」
失えば、自分は自分でなくなるのだ、と。悲鳴のようなアルフォンスの叫びに。
エドワードは、辛そうに顔を歪めた。
「アル…アル。わかったよ。オレが悪かった…。でも、本当に、あのひとのことを好きなわけじゃないんだ…」
「嘘だよ!そんなの、信じられない!」
アルフォンスは、両手で顔を覆う。
「本当だ。信じてくれ。オレにとって大切なのは、アルだけだ。アルが、たったひとりの、オレの特別な人間なんだ」
真摯なエドワードの言葉に。アルフォンスは、ゆるゆるとエドワードに視線を向ける。
「…それ、本当なの?信じていいの?」
アルフォンスの不安げな声に。
「当たり前だ」
と、エドワードは即答した。
「じゃあ、じゃあ、どうして、あのひとの側に居たがるの…」
アルフォンスの問いに。エドワードは、言葉に詰まった。
「だ、から…別に、特別な意味なんて、ないって…」
「嘘だよね」
アルフォンスは、確固とした言葉を返す。
「兄さんが、あんなに他人の近くに…それも、自分から寄っていくなんてこと、これまでになかったよね?いつだって、兄さんはボクの一番近くに居てくれたのに…」
アルフォンスは、悲しそうに言葉を区切った。
「ここに来てから、兄さんはボクを見なくなった。それは何故なの?」
ふたりの間に、沈黙が下りた。エドワードは顔を強張らせている。
「…アルフォンス…」
「答えてくれないのなら、ボクは、兄さんのことを信じない。もう、一緒に旅なんて出来ない。…むしろ、兄さんはその方がいいのかも知れないけど」
「バカなことを言うな!」
怒鳴った後。エドワードは、苦渋に満ちた表情で目を瞑った。
「…話さなければ、おまえはオレから離れていくのか?」
「………そうだね」
それは、アルフォンスの本意ではなかったが、彼はそう答えるしかなかった。
「わかった。…本当のことを話す。でも、話せば、おまえはオレを軽蔑する。嫌いになる。離れていく」
エドワードは苦しげに、そう言った。
「それでも、聞かせて欲しい」
ボクのことを、本当に大切だと思ってくれているのならば、と。アルフォンスに促され、エドワードは、重い口を開いた。
「初めて、あのひとを見た時。頭の中が、真っ白になった。目が、離せなくなった。胸が苦しくて。苦しくて仕方ないのに。…どうしようもなく、嬉しくて」
アルフォンスは思わず、エドワードから目を背けた。これは、愛の告白ではないか。やはり、兄はあの男に恋をしているのだ。アルフォンスは、苦しさに押しつぶされそうになる。
「…あの人は、似ていたんだ」
エドワードの言葉に、アルフォンスは首を傾げる。似ている、とは、誰のことだろう。アルフォンスには思い当たる人物がいない。
「………」
「兄さん?誰に似ているっていうの?」
なかなか先を言おうとしないエドワードに。焦れて、アルフォンスは続きを促した。
「………おまえに」
小さな声がした。
「えっ?」
意味が掴めず、アルフォンスが聞き返す。
「…オレの中のおまえは、あの頃の…10歳のままのおまえなのに。あのひとを見た瞬間。…おまえが成長したら、あんな風なんじゃないかって…、そう思ったら、目が離せなくて。側に居たくて。笑って欲しくて。幸せな姿を、もっともっと、見たくって…!」
エドワードは、自嘲的に笑った。
「………最低だろう?」
思わぬエドワードの言葉に。アルフォンスは、慌ててエドワードの側に駆け寄る。床に膝をついて、ベッドに座るエドワードの顔を覗き込もうとするが、うな垂れるエドワードの表情は見えない。
「どうして?兄さんは、あのひとを見ていたわけじゃなくて、ボクのことを考えてくれていたんだよね?どうして最低だなんて言うのさ?」
俯いたまま、
「おまえは、元の身体に戻るために頑張っているのに。オレは…。あのひとは、おまえじゃない。それがわかっていながら、おまえの幻影をあのひとに求めた。逃げたんだ!…最低だ」
と、苦しげにエドワードは言った。
「…兄さんは、ボクと一緒にいるのが、苦痛なの?逃げたいの?」
優しく、アルフォンスが訊く。
「そんなわけない!」
エドワードが顔を上げて、即座に答えた。
「うん」
アルフォンスは、エドワードの視線を捕らえる。
「兄さんが、ボクと居るのが嫌になったのでないのなら。…ボクは、嬉しいよ」
変わらず、優しいアルフォンスの声に。
「嬉しい?なんで?オレのこと、軽蔑しないのか?」
エドワードが、切羽詰った声で問う。
「兄さんは、あのひとの側にいる時、ずっとボクのこと、思っていてくれたんだよね?だったら、嬉しいよ」
その言葉を聞いて。エドワードは、激しく怒鳴った。
「だから!そんなの…そんなの、最低だろう!?おまえを放っておいて、自分だけ、見たい夢を見ていた…!」
そんなエドワードを宥めるように、アルフォンスは、震える兄の身体を優しく撫ぜる。
「兄さん。そんなに自分を責めないで。ねぇ、ボクは兄さんが大好きなんだ。愛しているんだ。兄さんがボクのことを考えてくれるなら、どんな形だって、ボクは嬉しいよ」
アルフォンスの優しい声音に。エドワードは一瞬、呆然とした表情を浮かべた。そして。
「…おまえ、オレに甘すぎるぞ…」
と、ぽつりと呟いた。その言葉に。アルフォンスは、楽しそうに笑った。
「うん。だって、兄さんはボクの一番大切なひとだもの」
「アルフォンス…」
泣きそうに顔を歪めて。エドワードは、アルフォンスの胸に、額をこすりつけた。
そっと、アルフォンスの腕が、エドワードの身体を抱きしめる。
まるで、宝物を包み込むように。
翌朝、いつものように、玄関先の落ち葉を集めながら。
「オレ達、今日、ここを発ちます」
エドワードの言葉に、男は柔らかく微笑んだ。
「今日が約束の1週間目だね。寂しくなるな」
そう言いながら、男は、
「ちょうどよかった。今日は、いいものがある」
と、玄関脇に置いてあった籠を持ってきた。
「それは?」
ふたりが覗き込むと。そこには。
「うわぁ。栗だ!」
アルフォンスが声をあげる。
「近くに栗の木があってね。たまたま、昨日便があったから、拾って来たんだ」
籠いっぱいの栗の実は、実においしそうで。
「今日は、これを焚き火で焼こう。はじけるからね。君たち、頑張ってね」
男は笑いながら言う。
「ボクの出番ですね!任せてください!」
力いっぱい元気に、アルフォンスが言った。確かに、全身鎧のアルフォンスが、この作業に一番適しているだろう。
その、昨日までとは打って変わったアルフォンスのはしゃぎように。エドワードは、知らず微笑を零す。
「ユナ、リナ。落ち葉集めは終わったかい?」
3人は、庭へと場所を移し、焚き火の準備を始めた。
「じゃあ、火をつけるよ?危ないから、ユナとリナは下がっておいで」
男はそう言うと、落ち葉の山に近寄って行った。
その後、栗がはじけるのに大騒ぎをしたり、熱された栗を取り出すのにアルフォンスが大活躍したり。いつも通り、楽しい時間が過ぎた。そして。
「これ、あげるよ。汽車の中で食べるといい」
男が、袋に栗を詰めて、ふたりに渡してくれた。
「ありがとうございます」
ふたりは礼を言って、その袋を受け取った。
「ユナ。リナ。おいで」
男が、まだ栗を食べている娘達を呼ぶ。
「はぁい」
トコトコと、ふたりが近寄ってくる。男は、そのふたりの肩を抱いて。
「今日でお兄ちゃん達とはお別れだ。さようならの挨拶をなさい」
と、穏やかに言った。
途端。リナの顔が歪んだ。
「やだ!なんで?おにいちゃんたち、どっかいっちゃうの?」
今にも泣きそうに、声を上げる。
「お兄ちゃん達はお客様なんだよ。いつまでも、ここに居るわけじゃない」
諭すように、男が言う。
「やだぁ…やだもん。リナ、おにいちゃんと、ずっといっしょにあそぶんだもん…」
じわり、と、リナの目に涙が滲んだ。それはすぐに号泣に変わる。うわぁん、うわぁん、と、リナは大声で泣き始めた。その声に、涙を堪えていたユナも、嗚咽を漏らし始める。
「えっく…うっ…ひっく…」
ユナの、しゃくりあげながら泣く姿は、痛々しいほどで。
「リナ、泣くなよ…」
エドワードが、リナの頭を、よしよし、と撫ぜる。
「ユナちゃんも、泣かないで?」
アルフォンスが、しゃがみこんでユナの涙を拭ってやる。
「だって…やだもん。さよならするの、やだもんー」
リナは、鼻水を啜り上げながら、そう訴える。
「そんなに泣いたら、目が溶けるぞ?」
エドワードが、困ったように笑いながら言う。
「やだもん。やだもん…」
リナは同じ言葉を言い続ける。
「困ったな…」
エドワードは弱りきって、困り顔で笑う。
「リーナー。泣き止めって、な?」
エドワードの言葉に、リナは、ますます大きな声で泣き始めた。
「リナ。いい加減にしなさい。そんなに泣いてお兄ちゃんを困らせて。お兄ちゃんに嫌われてもいいのか?」
男の声に。一瞬、リナの泣き声が止まる。
「…やだ。きらいになっちゃ、いやだ」
リナは、ぎゅっ、とエドワードのコートの裾を掴んだ。
「泣かないで、ちゃんとさよならを言ってくれれば、嫌いになんかならないよ」
リナの頭を撫ぜながら、エドワードが優しく言う。
「じゃあ、ちゃんとさよならしたら、また、あそびにきてくれる?」
リナの言葉に。エドワードは、答えることが出来なかった。
なんとか姉妹を宥めて、ふたりは帰り支度をまとめた。ユナは、もう学校へ行ったし、リナは母親の所にいる。
ふたりの見送りに玄関まで出てきたのは、男ひとりだった。
「気をつけて。いい旅を」
男は、そう言って微笑んだ。
「ありがとう。お世話になりました」
「お元気で」
ふたりも、それに答える。
宿を後にするふたりに。男は、姿が見えなくなるまで、手を振ってくれていた。
宿が見えなくなってから。アルフォンスは思う。
「また会える」なんて、安易な言葉をリナに与えなかったエドワードのことを。
この、不器用で正直なひとを、愛しいと思う。そして。
ふと、気付いた。
ふたりは、あの男の名前を知らない。エドワードは、男に名前を聞こうとはしなかった。
その事実に。
アルフォンスは愕然とする。
エドワードは自分で言ったとおり、あの男に、アルフォンスの幻影を見ていたのだと。だから、彼に名前は必要なかった。
「兄さん…」
思わず、アルフォンスは呟いた。
「ん?」
エドワードが見上げてくる。
「あ、いや…」
アルフォンスは、一瞬うろたえて。
「また、会えるといいね。あの子達に」
と、言葉を続けた。
「ん…」
エドワードは、少し曖昧な返事をして。それから。
「次に会う時には、もうオレは『ちっちゃいおにいちゃん』じゃねーし、おまえも、『おっきいおにいちゃん』じゃないと思うぞ?」
と、アルフォンスを見上げて、にかっ、と笑った。
それが、ふたりが全てを取り戻した時を指しているのだと悟って。
アルフォンスは笑い返しながら。
「それはどうだろーねぇ」
と、含みを持たせた声音で返した。
「あっ!なんだ、その言い方!」
怒って、エドワードがアルフォンスを蹴ってくる。
「もー兄さん。すぐに暴力に訴えるのは止めてよ」
そんなやり取りをしながら。ふたりは、駅へと続く道を、いつも通りに歩いて行った。
2004.9.30作。
2004.11.19.up
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