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この頃、兄さんの様子が変だ。いらいらと怒りっぽくなったり、そうかと思うとふさぎ込んだり。そして時々、悲しそうな苦しそうな瞳をしたりする。
ボクはそんな兄さんを見ているのが辛くて、「どうしたの?なにかあったの?」って訊いてみるんだけど、「何もない」って、兄さんは顔を背けてしまう。心配で、心配で。ボクがどんなに心を痛めていたか、兄さんは気付いていないだろう。
そんなある日。自分の機械鎧の手入れをしていた兄さんが、ボクを呼んだ。
「アル。こっちに来い。錆止め塗ってやるから」
鉄の鎧だから、自然と錆が浮いてくる。ボクはおとなしく兄さんの前に座った。兄さんが錆止めを右手に付けて、ゆっくりとボクの身体に塗っていく。
「賢者の石を見つける前に、この鎧の方がぼろぼろになったりしてな」
兄さんは、軽く、笑いながら言った。
「…石を見つける前に、オレが死んじまったり…」
低く続けられたその言葉に、ボクはびっくりする。
「それは困るよ!この身体のまま兄さんを失ったら、ボクはどうやって死ねばいいの?」
兄さんは怪訝そうにボクを見上げる。
「生きて、自分で石を探すってのは?」
ボクは、とんでもない、と首を振る。
「兄さんがいないのに、石を見つけてどうなるのさ」
「大佐に人体練成してもらうとか…」
「あの人がそんなことしてくれると思う?ってゆうか、ボクが言いたいのは、兄さんがいないのに、元の身体に戻ったって仕方ないってことだよ」
「?アル…?」
兄さんは不思議そうにボクを見上げてくる。やっぱり、わかっていないんだ、兄さんは。
「あのね、兄さん。ボクが賢者の石を探しているのは、兄さんの身体を元に戻したいからだよ。ボクの身体のことなんて本当はどうでもいいんだ。…でも、出来るなら。もう一度兄さんに触れてみたい。その温もりを感じたいって、そう思うから。だから、ボクは元の身体に戻ろうと、兄さんと旅をしている。だからね、兄さんがいないのなら、意味がないんだ」
ボクは、噛んで含めるように言った。でも、兄さんは納得できないというように、眉間にしわを寄せた。
「アル。元の身体に戻れば、オレだけじゃない。もっとたくさんの人と触れ合える。おまえは、そのために、元の身体に戻るんだ」
兄さんの方も、ボクに言い聞かせるように、ゆっくりと言う。
「兄さん!」
もどかしくなって、ボクは声を荒げた。どうしたら、ボクの気持ちをわかってもらえるのだろう?
「アル」
兄さんが優しい瞳をしてボクに触れてくる。感触はなくても、兄さんに触れられるのは嬉しい。そんなことも、きっと兄さんは知らないんだろうけど。
「オレがいる限り、おまえのこの身体を駄目にしたりしやしない。安心しろ。だけど、もしもオレがおまえを残して死ぬようなことがあったなら…。おまえは自分で生きろ。何としてでも、生きるんだ。…大佐は、あれで意外と信用できる。人体練成が可能な錬金術師を見出してくれないとも限らない。オレのいなくなった後は、大佐に相談するんだ」
「そんな話、聞きたくないよ!」
ボクはたまらず叫んだ。
「どうしてそんな話をするのさ?何で兄さんが先に死ななきゃならないんだよ!兄さんはボクが守る!絶対に死なせたりしない!」
兄さんは悲しそうな表情でボクを見た。
「…オレもおまえの為でもなきゃ、死ぬつもりはないんだけどな。何が起こるかわからないだろ?オレは国家錬金術師だし、いつ戦争に狩り出されるかもわからない。それでなくても、何等かの事件に巻き込まれる可能性もあるし…」
だから、おまえを残して逝くのを思うと心配なんだよ、と兄さんは笑った。
「もしそうなったら、オレのこと…恨んでいいから」
辛そうに笑って、兄さんは言う。きっと兄さんは、ボクがこの身体のことで、兄さんを恨んでいるかも知れないと思っているのだろう。そうでなければ、こんな言葉が出てくる筈がない。
「兄さんの馬鹿」
子どものように、ボクは言った。バカバカバカ大バカ。ボクは悔しくて、悲しくて、肉体があったなら、きっと泣いていたと思う。
「兄さんは、なんにもわかってない」
ボクは鎧の身体で、小さな兄さんを抱きしめた。すっぽりと腕の中に納まる。こんな小さな身体で。兄さんは、あまりに大きなものを背負っている。兄さんのことを天才だ、と言う人達もいる。それを誇らしく思うと同時に、悲しくも思う。兄さんが天才でなければ、ボク達は、こんな重たい荷物を背負うことはなかっただろう。
このひとを、守る力がボクにあったなら。
「愛しているんだ…」
言葉はすべり落ちた。
「兄さんを、愛しているんだ」
兄さんの身体がびくり、と震えるのが見えた。困惑したように、というより、何かを恐れるかのような表情をして、兄さんはボクを見上げた。
ああ、一生、言うつもりはなかったのに。
「ごめんね。気持ち悪いこと言って。でも、わかって欲しいよ。ボクにとって、兄さんがどんなに大切なひとなのか。…兄さんは、何も知らないんだ。例えば今、兄さんにキスできない自分が、どんなにもどかしいかとかね。ボクの思いは、ちっとも兄さんに伝わらない。肉体があったなら、もっと上手に伝えられるのかと思う。兄さんにキスできたなら。自分の腕で抱きしめられたなら。ボクの思いのありったけを込めるのに。そういう意味では…ボクは兄さんを恨んでいるのかも知れない」
今度は、はっきりとした怯えが兄さんの顔に浮かんだ。兄さんは、ボクに恨まれることを恐れている。ボクをこんな姿にしたことに、負い目を感じているから。
ボクは悲しくて。どうしたらいいのかもわからない。
「わかってよ…、兄さん」
呟いたボクに、兄さんは戸惑った表情を向けた。
わかってよ。あなたを愛しているんだよ。ほんの少しだって、あなたのことを恨んだりしていない。ただ、ボクはあなたの傍にいて、あなたと生きていきたいだけなんだ。あなたを傷つけるものがあるのなら、それらからあなたを守っていきたいだけなんだ。あなたに愛して欲しいとか、そんなことも望んではいないのに。そんなボクに。どうしてあなたは別れの可能性を口にするのか。それが、ボクにとっては死の宣告に等しいとも知らないで。
「アル…、泣いているのか…?」
兄さんが優しくボクの頬に触れた。
「兄さん…!」
ボクは兄さんを強く抱きしめる。兄さんは、黙って抱き返してくれた。
ボクが泣いているって、あなたが気付いてくれるのなら。
肉体なんかなくたって、関係ない。ボクはそんなことを思っている。こんな思いは到底、兄さんには伝わらないだろう。その証拠に。
ボクは兄さんが小さく呟いた声を聞き逃さなかった。
「肉体さえ戻れば…おまえの方が、オレから離れて行くんだろ…?」
こんな身体になるずっと前から。ボクがあなたを愛していたことを。どうすればあなたに伝えられるだろう。きっとあなたは、子どもの頃の話だと笑うのだろうから。いつまでたっても、ボクの思いは伝わらぬまま。
元の身体に戻って、あなたがボクから離れていくのを、恐れているのはボクの方だというのに。
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