今はまだ眠っていても

 裸足でも歩けるように、すべらかな石で道が作られている。
 その上を、アルフォンスとエドワードは、ぺたぺたと歩いていた。目の前には、湯気を立てる岩風呂。その湯気は、夜空へと立ち上っている。
「わー。相変わらず、綺麗な景色だね。やっぱり露天風呂っていいよね」
 アルフォンスが、楽しそうに言った。

 アルフォンスが身体を取り戻してから。エドワードは、アルフォンスにつきっきりで、リハビリに取り組んだ。その甲斐あってか、アルフォンスは人並みの生活をこなせるようになり。そのお祝いに、温泉に行くことにしたのだ。
 言い出したのは、エドワードの方だった。かつて、ふたりが賢者の石を探して旅をしていた頃。奇妙な宿に泊まったことがあった。「ニホンリョカン」という異国の様式をそのまま取り入れた宿で、そこには、地下から湧き出る天然の湯を使った風呂があった。
 アルフォンスは、その異国の風情にかなり興味を持ったようで、しきりに「楽しい」と言っていた。そんなアルフォンスを見て、エドワードもまた、楽しかったのだ。
 だから。エドワードは、あの時、一緒に湯に浸かることのできなかったアルフォンスと。今度は一緒に温泉に入りたかった。
 エドワードの提案に、アルフォンスは喜んで。それならば早く行こう、と、ふたりは遠いこの場所まで足を運んだのだった。
 以前、訪れた時と同じシーズンオフを選んで。田舎町の温泉旅館には、やはり客はふたりだけだった。したがって、温泉もふたりの貸し切り。何から何まで、あの時と同じ。ただし、アルフォンスの身体を除いては。

 嬉々として、露天風呂に入るアルフォンスに。エドワードも続いて入りながら。
「気をつけろよ、アル。結構、足元滑るから…」
 言い差して、エドワードの方が、足を滑らせた。
「うわっ!?」
 ぱしゃん!と、エドワードの手が湯を叩く。
「危ない!」
 咄嗟に、アルフォンスの腕がエドワードを背後から抱えた。
「大丈夫?兄さん」
 アルフォンスが、心配そうに覗き込む。
「だ、大丈夫だ。サンキュ」
 慌てて身を起こそうとするエドワードを。よいしょ、とアルフォンスが抱えあげた。
「アル!?」
 背後から抱き込まれて。アルフォンスの足の間に座らされる。そのまま、エドワードの背中は、アルフォンスの胸へと抱き寄せられた。それに驚いて、エドワードは身体を離そうと、両手を振り回した。
「わっ!兄さん、暴れないで。また滑ると危ないから、ボクが支えていてあげるよ」
「いい!離せよ!」
 なおも暴れるエドワードを。アルフォンスは、背後から腕を回し、ぎゅう、と抱きしめて、その動きを封じる。
「おとなしくしていてよ、兄さん。せっかくの温泉なんだから、ゆっくりしよう?」
 そう言われれば、エドワードも強くは出られない。
「…だって、恥ずかしいだろ。こんな格好」
 ほんのりと頬を赤らめて、エドワードが言う。
「何が?どうせ、今日はここ、ボク達の貸し切りだよ?」
「そーいう問題じゃねぇ!」
 きょとん、と言うアルフォンスに、エドワードは顔を赤くして怒鳴る。
「何、恥ずかしがってんのさ?とにかく、ボクはこうしていたいの!…兄さんとお風呂に入るなんて、何年ぶりだろう」
「う…」
 エドワードは、抵抗を諦める。そして、はぁ、と息を吐いて。背中を、アルフォンスの胸に預けた。小柄なエドワードは、今では大きく成長したアルフォンスの胸に、すっぽりと収まってしまう。
「そうだな…。おまえとこうして風呂に入れるなんて、夢みたいだ。…嬉しいな」
 エドワードの言葉に、アルフォンスが微笑む。
「うん。嬉しい…」
 アルフォンスが、ぎゅうっ、とエドワードを抱きしめた。
「お、おい、アル…」
 身じろぐエドワードに構わずに。アルフォンスは、エドワードの結い上げた髪に顔を埋める。
「兄さんの肌って、すべすべで気持ちいいね」
 アルフォンスの言葉に、エドワードは真っ赤になる。
「バカ!何言ってんだ。そりゃ、温泉の湯のせいだ」
 アルフォンスの手が、エドワードの身体を確かめるように、触れていく。
「こら、アル。あんまり触るなって…」
 湯の熱さのせいだけではなく、エドワードの体温は上がり始めていた。エドワードは、訳がわからなくなってくる。アルフォンスに触れられると、身体が熱くなる。それが何故なのかなんて、理由はわからないけれど。
「だって、気持ちいいんだもん…」
 アルフォンスは、うっとりと囁いた。
 アルフォンスにとって、この場所は思い出の場所だった。以前、ここを訪れた時には、アルフォンスは、まだ、自分の本当の気持ちに気付いてはいなかった。
 アルフォンスの本当の気持ち。
 エドワードを好きだという気持ち。
 それが、兄弟という枠を超えるものであることに。当時のアルフォンスは、気付いてはいなかったのだ。ただ、ここで。常と違うエドワードの姿を見て。アルフォンスの胸が騒いだことは事実だ。そして、自分が変わっていく予感も。ここで、初めて感じたことだった。
 その後、予感したとおりに。アルフォンスは、エドワードへの自分の気持ちを自覚していった。今では、エドワードを兄としてではなく、愛しているのだと、はっきりと知っている。
「兄さんも気持ちいい?」
 耳に直接、言葉を落とすと。エドワードの身体が、びくり、と震える。それを見て、アルフォンスは笑みを浮かべる。かわいいなぁ、と思う。
 アルフォンスの眼前に晒されたうなじも、赤く染まっている。後れ毛が貼り付いていて、アルフォンスは、そこに唇を寄せたい衝動に駆られる。
「もう、オレ出る!なんか、あっついし!」
 エドワードが、立ち上がろうと、アルフォンスの腕の中で身体を動かす。
 アルフォンスは苦笑した。
「はいはい。のぼせちゃいけないからね。じゃあ、出ようか」
 そう言いながら、アルフォンスは、片手でエドワードの腕を取って抱き起こすと、そのまま、反対の手でエドワードの腰を抱く。
「なっ…アル!」
「また滑ったら危ないから」
 エドワードの抗議の声を軽く流し。アルフォンスは微笑んだ。
「ユカタ、着せてあげるね」
 その言葉に、エドワードは顔を真っ赤にする。
「そそそ、そんなの、自分で着れる!」
「そう?」
 前に来た時には、自分から、アルフォンスに着付けをねだったくせに、と思う。鎧の自分だと平気で、生身の自分だと駄目なのか、と、アルフォンスは首を傾げる。
 エドワードは、まだ、自分に恋はしていない。
 アルフォンスは、それを知っていた。けれど。
「…愛しているよ、兄さん」
 思いを込めて、そう囁いた。
 一瞬、エドワードが息を詰めたのが、わかった。
「…オレだって、そうだぞ」
 一瞬の後。エドワードが、そう答える。その答えに、笑みを零して。アルフォンスは思う。今はまだ、恋ではない。けれど、いつかの自分がそうであったように。
 今日ここで、エドワードの内に、恋の芽が芽吹けばいい、と、アルフォンスは思った。

 

<あとがき >
2004.9.24作。
「展覧会」出展作品。テーマは「温泉」でした。実は、オフラインで出した温泉本「The funny day」収録作品「いつもふたりで」の続編として設定しています。我ながら、「全然内容のない話だな…」という感じなのですが、思い立ったその日に1時間で書いたものなので、勘弁してください(言い訳になってません)。推敲は30分ぐらいだったと思う。ところで、うちのアルは何がなんでも兄さんに告白しないと気が済まないのでしょうか?
2004.9.27.up