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その日、ふたりはいつも通り、向かい合って夕食を摂っていた。
食事は、ロックベル家からお裾分けしてもらったものを、自宅で食べる、というスタイルにしていた。一緒に食べれば手間もないのに、とウィンリィは言うが、アルフォンスの、まだそんなに器用ではない指では、食事にも倍の時間が掛かるし、場合によってはエドワードの手伝いを必要とする。ウィンリィは気にしない、と言うが、アルフォンスやエドワードは、そんな姿を彼女に見せたいとは思わなかった。
「なぁ、このスープ、塩辛くないか?」
エドワードが、アルフォンスに問い掛けた。
「え、そう?」
問われたアルフォンスは、小首を傾げる。
「塩辛いって。これ、きっとウィンリィのヤツが作ったんだぜ。ったく、ピナコばっちゃんには塩分控えめなものを食べさせなきゃならないだろーに」
ぶつくさと文句を言うエドワードに。アルフォンスは、曖昧な笑みを浮かべた。
「アル、本当に塩辛くないか?」
重ねて問われて。
「…うん、ボクは別に」
アルフォンスは、そう返すしかなかった。
エドワードが、眉間に皺を寄せて、アルフォンスを見る。
「絶対塩辛いって。おまえ、一度水飲んでから、もう一回スープ飲んでみろ。わかるから」
そう言って、エドワードはキッチンへと立った。
そんなに、このスープの味が気に食わないのか、と、アルフォンスは苦笑する。
「ほら、これ飲めよ」
水を差し出されて。アルフォンスは、素直にそれに従った。
「…アル?」
水を飲むアルフォンスに、エドワードが呼び掛ける。
「何?」
コップから口を離して、アルフォンスが、エドワードを振り返ると。
エドワードは、複雑な表情で、アルフォンスを見ていた。
「兄さん?どうかした?」
不思議に思って、アルフォンスが訊くと。
「アル。それ、水じゃない」
その言葉に驚いて、アルフォンスは、自分の手のグラスを見る。
「えっ!?何、兄さん、何飲ませたの!?」
慌てるアルフォンスに。
「…それ、食塩水だ」
兄の言葉に、アルフォンスは硬直した。
「アル。おまえ、味がわかってないんだな?いつから?初めからずっとか?塩辛さだけか?他の味覚はあるのか?」
矢継ぎ早に質問される。
アルフォンスは唇を噛んだ。
「何で、オレに黙ってた!」
叱り付けるように、エドワードが口調をきつくした。
「…ごめんなさい。初めのうちは、よくわからなくて。味がある、とか、ない、とか。そういうこと自体が、よくわからなかったから…。でも、その内、他の感覚が元に戻って来るに連れて、味覚が鈍いのかな、とか思い始めて…。しばらく様子を見ていれば、自然に戻るかな、とか考えて…」
ポツポツと説明するアルフォンスに。エドワードは、くしゃ、とその髪を撫ぜた。
「些細なことでも、オレに言えよ。言ってくれなきゃ、オレにはわかんないだろ」
優しい口調の兄に。アルフォンスは、素直に頷いた。
「うん。ごめんなさい。兄さん」
しょぼん、とするアルフォンスに。もういいよ、と、エドワードは再び、アルフォンスの髪を撫ぜた。
「それにしても、何が原因だ?単に感覚が鈍ってるだけか?麻痺してるわけじゃないよな…。それとも、味蕾の機能が正常に働いてないのか。もしくは、ミネラルの不足…」
次々と、エドワードが仮説を立てていく。それにも、アルフォンスは、首を傾げるしかなくて。
「アル。味覚の状態を確認しよう。わかりやすいのは、やっぱり苦味か甘味だろ。どっちがいい?」
真顔で訊いてくる兄に。
「…甘味がいい…」
アルフォンスが、僅かに顔を顰めて答えると。エドワードも苦笑した。
「…だよな」
ちょっと待ってろ、と言い置いて、エドワードは再びキッチンに消えた。
そして、戻って来た彼は、小振りな瓶を持っていて。
「それ何?兄さん」
きゅぽん、と蓋を開けるエドワードに、アルフォンスが問い掛ける。
「ん?メイプルシロップ」
ほら、と、瓶の中身を見せる。
「おまえと食べようと思ってさ。買っておいたんだ。好物だったろ?」
そう、言われて。
「…うん」
アルフォンスは、胸が詰まる思いだった。こんな些細なエドワードの行動が、とてつもなく嬉しい。
「あ、スプーン持ってくるの忘れた」
いざ、アルフォンスに食べさせようという段階で、エドワードはそれに気付いた。「じゃあ、取って来る」と、アルフォンスが口にする前に。
「ま、いっか」
と、エドワードの声がして。椅子に座ったままのアルフォンスの前に、エドワードが立ちふさがり。アルフォンスの口元に瓶を差し出した。
「ほら、口開けろ」
そう言われて。瓶ごと舐めさせられるのかなぁ、と、アルフォンスは不安になりながら。言われるままに、口を僅かに開ける。と。
エドワードが、自分の指でシロップを掬って、アルフォンスの口へと運んだ。
「!?」
思ってもみないエドワードの行動に、アルフォンスは呆然とする。
とろりとした液体が、口中に広がり。それが口の端から零れ落ちそうな感覚に、アルフォンスは、思わず、口内の液体を飲み込んだ。
その弾みに、口の中に差し入れられた、エドワードの指に舌が押し当てられ。歯が、軽くその指を噛む。アルフォンスは、頭の中が真っ白になったまま、無意識に、その指を吸った。
「くすぐってぇよ」
くすくすと笑いながら、エドワードが指を引き抜く。それを名残惜しげに、アルフォンスの舌が追ったことに、エドワードは気付いていないのか。彼は、アルフォンスの顔を真面目に覗き込んできた。
「どうだ?甘いか?」
その真剣な表情を見ながら。
「……甘い」
と、アルフォンスは答えた。
「そっか、甘いか!」
ほっとしたように、エドワードが笑った。
「兄さん。もう一口、食べたい」
アルフォンスがねだると、「おう、いいぞ」と、機嫌良くエドワードは答えて。再びその指にシロップを掬う。
「ほら、口開けろ」
もう一度、繰り返される行為。
正直なところ、アルフォンスには、よくわかっていなかった。甘い。確かに、甘いと感じるが。それが、シロップの甘さなのか、それとも…エドワードの甘さなのか。
とろりとしたシロップを、その指ごと、丁寧に舐める。
「あっ…と」
指を伝って、シロップが手首まで流れ落ちてきて、反射的にエドワードが手を引く。
その手を掴んで。
アルフォンスは、手首に流れ落ちるシロップを、丁寧に舐め上げた。
「……っ!!」
エドワードの身体が、びくり、と揺れた。
「ア、アル?えっと、なんかもう、オレの手、べたべただし。洗ってくるから。ついでにスプーンも取って来るし」
焦ったように、エドワードが言う。
しかし、アルフォンスは、その手を放さなかった。
手首から、手のひら。そして、親指から、小指まで。ひとつひとつ、丁寧に。舐め上げ、しゃぶっていく。
「……っ!アルッ!やめろってば!アルッ」
エドワードが、アルフォンスの肩を押し返し、手を引こうとするが。アルフォンスは、びくともしない。
「アル…ちょ…も、やめ……」
エドワードの顔が、真っ赤になって。アルフォンスの肩に突っ張った手と、身体を押しつけた背後のテーブルがなければ、エドワードの身体は、くず折れそうになっていた。
ちゅっ、と、最後の小指の先に音を立ててキスをして。アルフォンスは、エドワードの手を握ったまま、彼の目を見つめた。
「…な…に、すんだ…よ、…っの、…カ」
掠れた、途切れ途切れの声で、エドワードが抗議した。
「何って、…兄さんが、あんまり甘いから。味わってた」
ちゅ、と、再び小指の付け根にキスをされて。
エドワードは泣きそうに顔を赤くする。
「…甘いのは、シロップだろ…。この、バカ…」
エドワードの悪態に、アルフォンスは笑みを浮かべて。
「そうなのかな?ボクには、兄さんが甘いのだとしか、思えない。ボクが、感覚を思い出すのは、いつだって、兄さんが関わっている時だけだ」
「何…言って…」
エドワードが、戸惑った瞳をアルフォンスに向ける。
「だって、兄さん…」
アルフォンスは椅子から立ちあがり、殆ど力の入っていないエドワードの身体を。ぐいっ、と抱き寄せた。身体を密着させる。
「わかる?兄さん」
エドワードは、身体を硬直させた。押しつけられた、下半身に。それを感じて。
「ア…ル…?」
怯えたように、自分の名を呼ぶエドワードに。アルフォンスは、苦笑した。
「うん。まだ、いろんな感覚が、充分に戻ってもないのにさ。兄さんに触れただけで、ボクの身体は、こんな反応を示す」
あまりのことに、エドワードは、今度こそ、泣きそうになった。急にそんなことを言われても。ましてや、そんなに熱い、アルフォンスの身体を思い知らされても。
どうすればいいのか、わからない。
エドワードの戸惑いを、アルフォンスは感じとって。
「…兄さん。ボクのこと、嫌?」
不安そうに、訊かれて。
「……嫌じゃ、ない…」
エドワードは、そう答えるしかない。
「無理しなくていいんだよ?嫌だって言ってくれないと、ボク、このまま兄さんを攫ってしまうけど、いいの?」
重ねて問われて。
「さ、攫うって…」
エドワードがうろたえる。
「ベッドに攫うって、そういう意味だよ」
「……!」
思いがけない展開に、エドワードは絶句する。どうしてこんなことになったのだろう?なんでアルフォンスはこんなことを突然言い出したのだろう?
疑問ばかりが頭を巡るが、答えがあろう筈もなく。
「兄さん?」
柔らかい声音で、返事を促される。
耳元で囁かれた、それに。ずくん、と、エドワードの身体が、震えた。
「で、でも…おまえ、まだ、その、本調子じゃないんだし…そんな…そんなの、無理かもしれないし…もっと、他に、ちゃんと、順を追って…」
言い募るエドワードの唇を。
ちゅ、と音を立てて、アルフォンスの唇が、軽く塞いだ。
「出来なくても、いいんだ。ボクは、兄さんを感じたい。ただ、それだけなんだ」
全身で、余すところなく。
そう言われて。エドワードは、羞恥に、俯いた。自分の全てをアルフォンスに見せる、なんて。そんな恥ずかしいこと、どうして出来る?
可哀想なぐらい、全身を真っ赤に染めたエドワードに。
流石に、アルフォンスも苦笑した。
「…ごめん、困らせたね。もう、言わないよ」
本当にごめんね?と、耳に、押しつけるようなキスをされて。
離れていくアルフォンスの身体に。エドワードは、しがみついた。
「い、嫌だなんて言ってないだろ…!」
「兄さん?」
突然の兄の行動に、アルフォンスが、驚いたように訊き返す。
「た、ただ、オレは、おまえの身体が、し、心配だっただけ、で…。嫌だなんて、ひとことも、言ってない…!そ、それに、オレ、オレ…こういうの、初めて…だし、その、上手く、おまえに応えてやれるか、わかんないし…その、だから…」
俯いたまま、エドワードが言い募る。
「…初めてなのは、お互い様でしょ?ボクはもちろん、そんなこと出来る身体じゃなかったし、兄さんにそんなことをする時間がなかったことは、ずっと一緒にいた、ボクが一番よく、知ってる。…兄さん、ボクのせいで、自分でしたことも、殆どないでしょう?」
昼間はもちろん、夜も。眠らないアルフォンスが、同じ部屋にいたのだ。全くしたことがないわけではないだろうが、その機会が極端に少なかったであろうことは、容易に知れる。そこまでの気遣いは、まだ子どものままだった、鎧のアルフォンスには、わからなかったのだ。今となっては、エドワードに済まなかったと思う。
「ねぇ、兄さん。そんなこと、気にしないで。兄さんは、ボクと抱き合うのは、嫌なの?」
最後とばかりに、訊かれて。エドワードは、息を詰める。
「…嫌じゃ、ない…」
やがて、小さく返った答えに。
「兄さん、言っている意味、わかってるよね?ボク、兄さんを貰っていいんだと、思っていいんだね?」
慎重に、アルフォンスは確認する。
「思っていいに、決まってるだろ…!オ、オレの全部、とうに、おまえにやっちまってるんだから…!」
エドワードの言葉に。
アルフォンスは、緩やかに、微笑んだ。
エドワードのその気持ちが、自分が彼に抱く恋愛感情と同じものなのかは、怪しいところだが。彼が、自分と抱き合うことを、了承してくれた、という事実は。アルフォンスに、無上の幸福を与えた。
もし、それが恋愛感情でないのだとしても。そんなもの、自分が、これから、恋愛感情に育てていけばいいのだ。
そう、エドワードがアルフォンスの感覚を、ひとつひとつ、育てていくのと同じ速さで。エドワードの感情も、育てていけばいい。
「兄さん…」
アルフォンスは、エドワードの頬を両手で包んだ。
「大好きだよ。愛してる。ボクには兄さんだけだ…」
優しく囁いて。静かに口づけた。
たどたどしく、応えてくるエドワードが。この上なく、愛しくて。
アルフォンスは、エドワードを抱え上げた。
「ア、アル…ッ」
声を上げるエドワードに。
アルフォンスは、にっこりと微笑む。
「このまま、連れて行ってあげる」
そう、言うと。
「アル…ッ、その、オレ、も…あ、愛してる…から……」
そんな言葉が返されて。
「兄さん……!」
幸せに、アルフォンスは、腕の中のエドワードを、きつく抱きしめた。
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