感覚・1

 トン、トン、トン、と、たどたどしい音がする。
「兄さ〜ん。まだやるの?」
 振り返ったアルフォンスの顔は、涙で汚れて。鼻水を啜り上げている。
「まだまだ!ほら、続けろ」
 悲惨な状態になっているアルフォンスの顔を。エドワードがタオルで拭う。ズビッ、と鼻水をかんで。
 目と鼻を赤くしながら、はぁ、とアルフォンスはため息を吐いた。
 その手に持っているのは、包丁と、玉ねぎ。
「こんなんで、本当に泣けるようになるのかな」
 疑わしげなアルフォンスに。エドワードは心外そうに声を上げる。
「当たり前だろ!現に今、おまえ泣いてるし。こうやって、泣く行為の神経回路を作っていけば、そのうち自然と泣けるようになるって!」
 エドワードの言葉を聞きながら。
「でもさぁ、玉ねぎを切ると泣けるのは、玉ねぎに含まれた辛味成分が空気中に散って、鼻や目を刺激するせいだろ?それって、生理的な現象で、感情で泣く行為とは違う気がするんだけど…」
 アルフォンスが反論する。
「ボク、まだ上手く包丁も使えないし。もう、疲れちゃったよ。昨日やった、泣ける話をたくさん読むっていうヤツの方が、いいんじゃない?」
 アルフォンスの提案に。エドワードも反論する。
「だって、おまえ全然泣けなかったじゃん!あんな方法じゃ、いつになったら泣けるようになるのかわかんねーよ。こんなのはな、身体に覚えこませた方が早いんだって!」
 言い張る兄に。はぁ、と、アルフォンスは、再びため息を吐いた。
 自分の為に、エドワードが一生懸命に考えてくれることは、嫌なわけじゃない。むしろ、以前に漏らした、「涙が出ない」という自分の言葉を、兄が覚えていて、こうして治そうとしてくれていることは嬉しい。嬉しいのだが。
「兄さんのやり方は強引すぎるんだよ…」
 アルフォンスは、こっそりと呟いた。
「何だよ?」
「何でもありません。だよねー、兄さんってば、一緒に本を読んでても、自分ばっかりぼろぼろ泣いちゃってさー」
 だから、あの方法が嫌なんだよね?と、聞かれて。エドワードは真っ赤になった。
「な、誰が、いつ!泣いたってんだよ…!」
「トイレに行くフリして泣いてたでしょー?兄さん、顔見られないように俯いてるんだもん。バレバレ」
 アルフォンスの言葉に、エドワードは更に真っ赤になった。
「ちがっ…ちげーよ!ト、トイレに行きたかったんだから、しょうがねーだろ!それで、それで、焦って躓かないように、下を見てたんだよ…!」
 必死に言い募るエドワードに。
 ぷっ、とアルフォンスは噴き出した。
「!!何、笑ってる!!!」
 赤面したまま、慌てるエドワードがかわいくて。アルフォンスは、笑いを収められない。
 不思議だと思う。泣くことは出来なくても、笑うことは出来る。エドワードは、顔の筋肉が正常なんだから当たり前だろう、などと言うが。筋肉が正常でも。それを動かせるかどうかは、また別問題だと思うのだ。しかし、自分は笑える。
 それはきっと、エドワードが側にいるせいだと、アルフォンスは勝手に思っている。
「はいはい、わかりましたよ。また兄さんを泣かせるわけにもいかないからね。ボクは地道に玉ねぎを切りますよ」
 おどけてそう言い、アルフォンスは、たどたどしい手つきで玉ねぎを切り始めた。
「泣いてないっつーの。手を使えば脳も活性化するし、リハビリにもってこいだろ」
 エドワードはそう言って、しばらく隣でアルフォンスの手つきを見ていたが。
「んっ!?」
 突然、声を上げた。
「なにー?兄さん」
 既に涙でぐすぐすになっているアルフォンスは、玉ねぎを切り続けながら訊いた。
「ちょ、ストップ!目、痛いっ」
 それは当たり前である。隣にいれば、当然、エドワードも空気中に広がる成分の影響を受ける。
「大丈夫?」
 そう言って、アルフォンスがエドワードの方を向いた瞬間。
「痛っ!」
 今度は、アルフォンスの方が声を上げていた。
「!どうした、アル!?」
 エドワードが、その声に反応して、痛みに瞑っていた目を開ける。
「あー…包丁で、切っちゃった…」
 どうやら、慣れない作業なうえに、エドワードの方に気を取られて、指を切ってしまったらしい。
 血がにじむ人差指を。
 エドワードは、血相を変えて掴んだ。そのまま、自分の口に含む。
「に、兄さ…っ」
 アルフォンスは慌てた。熱い口内を指が感じている。濡れた舌がアルフォンスの指を舐めまわし。ちゅうっ、と吸われた。
 途端に、びくん、とアルフォンスの身体が震えた。
「兄さん…っ何してるの!」
 必死で、アルフォンスはエドワードの身体を押し返した。
「え…消毒」
 きょとん、とエドワードが言う。
「もう!そんな消毒の仕方があるかよ…っ!」
 アルフォンスの言葉に。
「…あー。そうだよな。唾液で消毒はまずかったか。逆に細菌が入るかもしれないしな」
 うん、と納得して、エドワードは、掴んだままのアルフォンスの手を、水道の流水で清める。
「よし、じゃあ、塗り薬を取ってくるから、待ってろよ!」
 エドワードは、呼び止める間もなく、駈け出していく。
「兄さんってば、おおげさなんだから…」
 言いながら、アルフォンスは自然と、微笑を零していた。
 あたたかい、と思う。心が、あたたかい。
 だから、エドワードといると、自分は笑えるのだと。アルフォンスは、そう思う。そして。
「身体の反応…」
 ふと、呟いてみる。先程感じたエドワードの口内の感触。その瞬間、感じたことのない感覚が、アルフォンスの身体を震わせた。
「…確かに、兄さんの言う通り、身体で知るのが早いものもあるのかもしれないな」
 アルフォンスは、微かに笑った。
「兄さんに触れると、心が震える。身体が、心に干渉する」
 アルフォンスは、無邪気に走ってくる兄の姿を視界に捉えながら。
「今度、あんなことしたら。どうなっても知らないからな」
 と、満面の笑みを浮かべた。

 

<あとがき >
2004.8.13作。
「始まりの時」の続き第1弾。…新婚で蜜月なふたり…?すみません。私にはそうなんです。ただの兄弟ほのぼのだなんて、そんな…!
しかも、ありがちなネタでサムイ…。救いは、ラストのアルが、ほのかに黒いところですか(笑)。←救いなのか。それは。
でも、私的には、兄弟が幸せなら、それで満足です。明るいやりとりが書けて、嬉しいvこのまま、幸せ一直線でいきたいところ!
第2弾もありますので、こんなノリでオッケーな方は、また読んでみてください。
2004.8.23.up


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