大切なもの

 ふっ、と、ベッドの上で目を覚ます。
「気が付いた?」
 大きな鎧が、オレの顔を覗き込む。
「うわあっ!?」
 驚いて、オレは飛び退いた。壁際に貼りついて、最大の距離を取る。
「大丈夫。怪しいひとじゃないから」
 のんびり手を振る鎧に。
「充分、怪しいだろっっ」
 オレは怒鳴った。

「あー…つまり。道端で倒れていたオレを、ここまで運んでくれたってのか?」
 うんうん、と鎧は頷く。オレは胡乱な目で彼を見た。
「全っ然、記憶にねぇ…」
 それどころか、ここ数日の記憶すら曖昧だ。
「貧血でも起こしたんじゃないの?君、随分、顔色が悪いよ」
 ゴツイ風態の割に、幼い少年の声で、鎧が言う。
「あー…、母さんが死んでからこっち、ばたばたしてたから…」
 オレの呟きに。
「…お母さんが亡くなったの?」
 鎧が、訊いてくる。その声は、淡々としていて。同情されることに辟易していたオレには、好もしく響いた。
「ああ。病気で。突然。あっけなく」
 にかっ、とオレは笑って見せた。
「他に家族は?」
「いない。親父はどこにいるのか知らねーし。オレ、兄弟もいないしな」
「そう…」
 天蓋孤独というヤツだ。でも、オレに特に感慨は無い。
「ひとりで、これからどうするつもりなの?」
 訊かれて。オレは、自慢げに胸を張った。
「オレ、錬金術が使えるんだ。この町で、錬金術で仕事させてもらおうと思ってる」
「錬金術が使えるの?」
「おう。なんでも修理できるぜ。あんた、なんか直して欲しいものがあるか?」
 運んでくれたお礼に、と声を掛けると。
「ううん。ボクは、あんまり物を持たないから」
 鎧はそう言って、首を振った。
「…そういえば、あんた、ここの人間じゃないよな?」
「うん。旅をしているんだ」
「へぇ…ひとりで?」
「うん。兄さんと一緒だったんだけどね。…死んだから」
 はっ、とオレは息を呑む。
「死んだ…」
「うん。つい、この間。事故でね」
 鎧の声は変わらない。いっそ、明るい声だ。けれど。
「…ひとりで旅するのは、寂しいだろ?」
 オレは、遣る瀬無さに眉を顰めた。
「平気だよ。兄さんは、死んでもボクの側に居てくれるし。兄さんがボクに残してくれたものだけで、充分過ぎるぐらいなんだ」
 鎧は、微笑んでいるようだった。オレの胸が、ずきん、と痛む。大切なひとを失った痛み。
「君も、そうでしょう?大切なものを、沢山、お母さんから貰ったんだよね?だから、ひとりでも生きて行けるんだよね?」
 こくり、とオレは頷く。
「…ねぇ」
 鎧の声が、不意に暗くなった。
「君、錬金術が使えるって言っていたけど…まさか、お母さんを蘇えらせようなんて、思ってないよね?」
 突拍子もない問いに、オレは驚く。
「はあ!?死んだ人間を蘇えらせるなんて、出来る訳ないだろ!」
 オレがそう言うと、鎧は安心したように、肩の力を抜いた。
「…そう、そうだね。その通りだ」
「どうして、そんなこと言うんだ?」
 訝しんで訊くオレに。
「ボクの兄さんはね、それをして、死んだから。人体錬成をしようとして、死んだんだ。だから、君は、決してそんなことをしちゃ、いけないよ。自分の命と引き換えにしても、死んだ人間は蘇えらないから」
 声が出なかった。
「…あんたの兄さんも、錬金術を?」
 やっと出た声は、掠れていて。
「うん。兄さんは、天才だったんだ。それに、努力家だった。だから、無謀な夢を見てしまったんだね。誰も、成し得なかった人体錬成を…母さんを蘇えらせるなんて夢を」
「あんたの母さんも死んだのか?」
 驚いて、オレは問う。
「うん。君と同じ。ボクも、ひとりなんだ」
 変わらず、明るい声。オレが何か言おうと、言葉を探している間に。
「さて。そろそろ行かなくちゃ」
 鎧は立ちあがった。2メートルはあろうかという、巨漢だ。
「もう、行くのか?」
 慌ててオレは、ベッドから飛び降りる。
「うん。先を急ぐ旅なんだ」
 鎧は、そう言うと「じゃあ、元気でね」と、手を振って出ていった。

 変なヤツだな。あんな幼い声で。あんな厳つい鎧を着て。きっと何か事情があるんだろう。母親も兄も亡くし、オレと同じでひとりぼっちで。でも、オレには家や、この生まれ育った土地があるけど、あいつには帰る家があるんだろうか?
 ぐるぐるとオレの頭の中で、言葉が渦巻く。だけれど、それが誤魔化しであることに、オレは気が付いていた。オレの思考は、本当は、ただ一点に集中している。
「…なんだろう。何か、大切なものを失ったような気がする…」
 この、喪失感。鎧が去ってから、オレの心に生じたもの。なんだか、あの鎧に懐かしさすら覚える。どこかで会ったことが、あっただろうか?
「あんな強烈なのに会ったら、忘れるわけねーよなぁ…?」
 首を傾げながら。ふ、と自分の唇に当てた、右手の指が。冷たかった。
 機械鎧。
 数年前、事故にあって、オレは右腕と左足を失った。ガキの頃から世話になっている人が、機械鎧技師だったから、オレは失った手足を機械鎧にしてもらった。片手では、錬金術が使えない。
 ぐぅぅー…。
「うわ、腹が鳴った!つか、昼じゃねーかっ」
 オレは途端に現実に引き戻される。現金な性格だ。
「早くピナコばっちゃんのトコ行かねーと!時間に遅れると、ウィンリィのヤツ、怒って締め出しやがるからなー」
 ベッド脇の椅子に掛けてあった、赤いコートを羽織り、オレは家を飛び出した。

 オレは、いつも通りにロックベル家の扉を開く。
「わりぃ、ウィンリィ。寝過ごしちゃってさ…」
 襲ってくるだろう、罵声に備えながら、愛想笑いを浮かべた。
 けれど、その日のロックベル家は、いつもと違っていて。重い空気に、オレは眉を顰める。
「…どうしたんだ?何かあったのか?」
 ピナコばっちゃんが、キセルを蒸かしながら、静かにオレを見た。ウィンリィは、オレに背を向けている。その背中が、震えていた。
「…ウィンリィ?泣いているのか?」
 驚いて、オレは一歩、ウィンリィの方へと踏み出した。床が軋む。
「…エド……」
 振り向いたウィンリィの顔は、予想どおり涙に濡れていて。滝のように流れるそれを、オレは呆然と見た。一体、何が、気丈な彼女をこんなにまで泣かせているのか?
 どん!と、ウィンリィがオレの胸にぶつかってくる。嗚咽で肩を震わせて。しゃくりあげる声が部屋に響いた。
「ど、どうしたんだよ…、何があったんだよ?」
 どうすればいいのか、わからなくて。オレは、ウィンリィの身体に触れることさえ、躊躇った。その間にも、オレの服の胸元は、ウィンリィの熱い涙で濡れていく。
「…もうっ…会えないかも知れない…っ。もう、2度と、会えないかも知れない…っ」
 ウィンリィの口から、途切れ途切れにそんな言葉が零れた。
「ウィンリィ?」
「戻って来るなんて…っそんなの、いつよ…っふたりの望みを叶えるって、一体、いつなのよ…っ!」
 ウィンリィが叫ぶ。彼女の指が、オレの胸に食い込んだ。
「ふたりで、何年、探したと思ってるのよ…。それでも見つからなかったのに、今度はひとりで、一体、何が出来るっていうのよ…っ!」
 オレは困惑する。ウィンリィは誰の何の話をしているのだろう。誰の為に泣いているんだろう?
「ウィンリィ」
 ピナコばっちゃんが、静かに呼んだ。
「約束を、しただろう?あの子と。だったら、その約束を果たしながら、待つしかないよ。私やおまえが何と言ったって、あの子を止めることは出来ない。それは、わかっているんだろ」
 ピナコばっちゃんは、暗い声でそう言うと、ウィンリィの肩に手を掛けた。
「ほら、いつまでもしがみついていると、エドが困るだろう」
 ウィンリィは、うな垂れて、オレから手を離した。

 ウィンリィが部屋へ閉じこもってしまった為、オレはピナコばっちゃんとふたりで、昼食を食べた。
「エド。寝過ごしたって言ってたけど、具合でも悪いのかい?」
 パンをちぎりながら、ばっちゃんが訊いてくる。あの鎧が、顔色が悪いと言っていたから、ピナコばっちゃんも、それで心配しているのかもしれない。
「全然!夕べ、徹夜で本を読んでいたから、それでさ…」
 元気に笑って見せ、ふ、と違和感に囚われる。徹夜で本を読む…いつものことだ。オレは、夢中になると時間を忘れてしまうから。でも、それだけじゃなかったような気がする。もっと、切実に。何かを急いでいたような…。
「エド?」
 呼びかけられて、はっとする。
「顔色が悪いよ。本当に具合が悪いんじゃないのかい?」
 ピナコばっちゃんが、オレの顔をじっと見る。心配を掛けちゃいけない…。
「大丈夫だって…あ!そういえばさ、オレ、さっき、変なヤツにあったぜ」
 オレは、ピナコばっちゃんの気を逸らせようと、話題を変える。
「それが、おっかしいんだ。そいつ、すっげえ、デカイ鎧を着込んでさ。2メートル以上ありそうだった!どんなゴツイ大男かと思ったら、しゃべると、子どもみたいな声なんだ」
 変だろ?と、オレが笑うと。何故か、ピナコばっちゃんは、痛みを堪えるかのような表情をして、視線を逸らせた。

 ロックベル家を出て。とぼとぼと、ひとり家へと帰る。いつものこと。母さんが死んでから、これがオレの日常。なのに、なんでだろう?隣に、誰かがいたような気がするのは。
「ウィンリィ…?じゃ、ないよな…」
 独白しながら、もやもやとした胸のわだかまりを持て余す。
 去っていく鎧の後ろ姿が思い出された。彼は、兄に死なれたのだと、言った。
「あいつも、こんな風に思いながら、歩いてんのかな…」
 そう思いながら。はっ、と気が付いた。あの鎧。懐かしい筈だ。あれは、オレの家にあった、装飾品の鎧だ。
「…そうだ…。思い出した。火事で全部焼けたと思っていたのに…」
 オレの家は、母さんが死んだ後、焼失している。ひとりで家に居たオレが、火を出してしまったのだ。その時に、自分の手足を片方ずつ失った…。
 今ある家は、自分で錬金術で作り直したもの。母さんの思い出が宿るものは、何も残っていない。
 けれど、あの鎧は…。
「ちくしょう、あいつ、とんだ火事場泥棒だぜ…!」
 オレは、ぎりっ、と唇を噛み締めた。
 あの鎧は、唯一、オレに残されたもの。オレの大切な、たったひとつのもの。あれは、オレのものだ。誰にも渡さない。
 あの喪失感の理由がわかり、オレは心が晴れる気がした。
「そうとわかれば…ぜってー取り戻す!!」
 オレは、駅に向かって走り出した。急ぎの旅だと言っていた。だとすれば、もうこの町を出ている可能性が高いだろう。あの目立つ鎧なら、行き先ぐらい、駅員が覚えているに決まっている。
「っしゃあ!首洗って待ってろよ!鎧ヤロウ!」
 がーっ、と雄叫びをあげながら、オレは駅への道を、全力疾走した。


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