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アニばらワイド劇場


運命の扉の前で ~蜃気楼~



足元から冷たく駆け上がるような、この感覚を・・・戦慄と呼ぶのだろうか?

たった今、ダグー大佐の口から それはアンドレ・グランディエの日記帳だと告げられた。

その書冊を取り上げる前に、何故大佐の服装が普段見慣れた衛兵隊の軍服ではなく宮廷へ伺候する際のそれなのか、B中隊は午前8時にチュイルリー広場へ進撃したのではなかったか?

次々浮かぶ疑問に息さえ止まる程の緊張感を覚えながら呆然と目の前の書冊を見つめる。


「・・・それで、私にこれをどうしろと?」


渾身の力を振り絞って・・・・・
情けない話だが 渾身の力を振り絞って、ようやく私はその一言だけを口にした。

カタカタと震える右手を左手で必死に制御しながら、恐る恐るその書冊に触れてみる。


「元衛兵隊員の男が書いた ただの日記帳です。どうされようと構いません。今朝方、私以外の全員が除隊致しました。B中隊の宿舎はまもなく閉鎖されるでしょう。私もいつ拘束されるか分かりませんので・・・・・・・後は貴方のご判断で、いかようにでもご処分なさってください」


眉ひとつ動かさずダグー大佐はそう告げた。
彼の発する一言一句に激しく動揺する私とは対照的に鉄壁ともいえる冷静さを保つダグー大佐は、いや、そればかりか蒼白な私の顔色を注意深く観察しながら、気付けば微かに諦観の微笑までをも浮かべていた。
その様子に、先程から私の全身を切り刻むように直走る絶望感という名の情動に変化が訪れる。

よりによって国家最大の有事とも言えるこの瞬間に、全員除隊とはどういうことだ?
何があった・・・?
何が、あったんだ・・・・・?


動揺から狼狽の表情に転じ、やがて愚かな好奇心に翻弄されるかのような私の体たらくを察したのかダグー大佐は眉間の皺を解き相形を緩め、いよいよ明らかな笑顔を見せたかと思うと小さな、小さな溜息をついた。

権威の失墜した王宮を守るべく、恐ろしく手持無沙汰なまま近衛の執務室に取り残されている私の前に、もはや安息の表情で立つこの軍人は ・・・一体何をしている・・・?
この大事な時に、なぜ彼女の傍にいないのだ!?


軍人・・・・・・いや、今日のダグー大佐は軍人ではなかった。

上着の丈が少々時代遅れなのではと思わなくもないが上等な生地であつらえた一式は明らかに正装であろう。派手な模造宝石やレースで飾り立てるわけでもないのに華やかで、それでいて品良く優雅に見える。
顔に似合わぬ淡いパステル調のウエストコートにほどこされた可憐な女性を思わせる小花の刺繍をいつしかぼんやり眺めながら、私はオスカル・フランソワと過ごした近衛隊時代に想いを馳せていた。

この期に及んで現実逃避ではないが、最悪の事態に直面しているであろうパリと同じ時空に存在しているとは到底思えないベルサイユの気怠い空気と、諦めと呼ぶには穏やか過ぎる微笑を湛えた同胞への違和感が、私をどうしようもなく不安定にさせていた。





「ダグー大佐、教えて欲しい・・・・・・あの方は・・・あの方は どうされたんだ?」





  


  


本部に到着し厩舎に入ると新鮮な飼い葉の柔らかな匂いに包まれた。
一度出動命令が下ると次にいつまともな飯が食えるか分からない。「お互い腹が減っては戦はできぬだ!」そう言いながら飼い葉桶にありったけの量の乾草を出したのが分かる。
ラサールだろうな・・・。
馬は一度に食べられる量が決まっているんだ。こんなに与えて、残したら風味も落ちるし片付けだって大変だ。、第一戦場で腹でも壊されたら困るって何度言ったら・・・・・
フッと笑いが込み上げる。

様子をうかがうようにこちらをじっと見つめるいくつもの視線が愛おしい。

俺のつまらない小言に相変わらずの無垢な表情を浮かべる馬たちが今朝はやけに胸に迫って、思いがけず、泣きそうになった。
手綱を握る手にぎゅっと力を込める。
光と影のような対照的な姿をした二頭の馬の背を優しく撫でると光はぶるるっと鼻を鳴らし、影は優しく頬ずりをする。

いつしか必死で泣くのをこらえていた。
背後から優しく抱き締められて・・・・・時よ 止まってくれ と、呟いた。

「一緒にいよう・・・どんな時も、みんな一緒に」

背中で聞いたオスカルの言葉に、溜まらず零れた一粒は 嬉し涙になった。

慌てて涙を拭って飼い葉桶の傍の柵に二頭の馬を繋ぐ。

「はははっ 腹が減っては戦はできぬだ。そぅら、たらふく食っておけよ!」

早朝の厩舎に響いたどうにも頼りない俺の掛け声に数頭の馬がお愛想でヒヒ~ンと応え・・・いかにも生返事なその様子にオスカルがクスクスと笑い出す。


―― 時は止まらず、続いて行くんだ ――


強く、そう自分に言い聞かせた。






「オスカル、宿舎のいつもの場所に きっとみんなは集まっているよ」


頷いたオスカルはまだ微かに星明かりが残る空の色を一瞬確かめる。
それから「その前に少しだけ・・・」と俺の手を取り、微笑んだ。




  


薄暗い宿舎の、更に個人の寝床となると普段はそこに寝る本人以外とてもじゃないが寄り付きたいとは思わない。だが何を思ったのかオスカルは探し物でもしている風に身を屈めベッドの周辺を見渡している。

「これだな」

固い枕の陰から一冊の本・・・というか、それは俺の一応日記帳なのだが・・・を取り出すと何やら満足気に振り向いた。

「中を見てもいいか?」

遠慮がちにそう尋ねられ一瞬戸惑った。
それが目当てでここまで入って来たのなら多分駄目だと言っても聞かないだろう。
あまり気は進まなかったが、もう隠すことは何もないし・・・OKした。


 ∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
  


手に取った日記帳はずっしりと厚みがあり、深い緑色をした装丁からは忘れかけていた日々の興奮や期待感が伝わった。

物語を読んで得られるそれらとは異なる 不思議な感動は、軍人として生きると決めた14の春から長いこと封印したままだ。

彼の知らないところで、その日記帳を盗み見したことは一度もない。
私はいつも隣で、書いているところを眺めていた。

子供の頃からの習慣だった。二人で同時に、今日あったことを書き始める。

たいてい箇条書きで味も素っ気もないような私の文章に比べ、じっくりと感情を込めて書く彼の日記には喜びがあった。記録ではなく『作品』といえる程に、夢があった。

とにかく、その日一日同じことを体験しているはずの身としては彼が紡ぎ出す言葉の数々が非常に興味深く、自分の作業はすぐに終わらせ 身を乗り出してアンドレの手元を見つめていた・・・
一日の終わり、それが私の何よりの楽しみだった。
剣の手合わせは火花散る対戦になり、森の散策は謎の秘宝を探す冒険になり、そう誇張しているようにも思えないのに、彼の手に掛かると私たちの一日はたちまち魔法のように輝き出した。

それを傍で眺めている時間が 心地よかった。


しかし、やがてアンドレの声が男のそれに変化を遂げる頃になると、さすがに黙って読ませてはくれなくなり・・・・・それはそうだろう。
私の一番の娯楽なんだ!頼む アンドレ!!と懇願すればする程 「お前みたいな悪趣味な奴に俺の秘密を読まれてたまるか!」と、遠ざけられた。

それは・・・そうだろうな。
笑いが込み上げる。
大作家アンドレ・グランディエの『作品』を巡って読ませろ止めろと掴み合いの喧嘩をした事すらあった、そんな日々を思い出し・・・懐かしさで溜息をついた。


「おい、読む前から溜息つくなよ。酷いなぁ!」


アンドレがなんとも言えない笑顔で的外れな苦情を申し立てている。




あれから20年、年を重ね 私の感性も多少は磨かれているに違いない。

笑顔で不満を訴える彼の隣でページをめくる。



胸 踊るようなあの頃の無邪気な感覚は失くしても・・・・・・・
アンドレの日記帳は私の・・・私たちの、一日の終わりを今でもきっと輝かせてくれるのだろうな・・・・・。



  < つづく >


  


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