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アニばらワイド劇場


第22話「首飾りは不吉な輝き」 ~斜陽~




王妃マリーアントワネットが離宮に引きこもって数ヶ月。

ベルサイユはかつての喧騒を忘れ、伺候する貴族の数も日に日に減り、宮廷からはもう殆ど活気というものが感じられない状態になっていた。

一方、かつて王妃を取り巻いていた噂好きの貴族たちは、“お気に入り”という特別待遇を得て、その一部がトリアノン離宮に出入りもしくは滞在を許され、相変わらずの権勢をふるっている。
が、しかし、それもさして意味のあることではなく、立ち入りを許可された者たちが己の優位性をどれだけ誇示してみたところで所詮そんなものは子供じみた自慢行為でしかない。
そんな状況の中で無駄に澱んだ“特別特権階級”の貴族たち。
彼らは、それでも日々宮廷と離宮を行き来しては、一般の貴族たちに激しい疎外感を植え付け、益々ベルサイユに対する国民の信頼を傷付け失墜させる手伝いをする。


ベルサイユから、かつての誇りと優雅さが無残に剥がれ落ちてゆく。
その微かな音がじわじわと聞こえ始めた秋の終わりのことである。

王妃お気に入りの貴族たちの中には、実のところそれ程身分の高い者はいない。ましてや威光を放つ舞台が実質ベルサイユから離宮プチ.トリアノンへと移った今となっては、むしろ歪んだ勢力の届く範囲は以前よりも狭くなった感があり、その代わり、歴代続く正真正銘の大貴族たちの勢力は拡大し、もともと王妃を疎ましく思っていたであろう者たちの間ではこの度の状況は決して歓迎とはいかないまでも、都合の悪いものではなかったのである。


      



完璧な夜はないベルサイユではあったが、それでも大抵の者が寝静まったであろう時刻に、オスカルは人気のない宮殿の廊下をひとり歩いていた。

近衛隊関連ではないところから呼び出しが来るのはそう珍しい事ではない・・・しかしこんな真夜中に、まともな用件でない事は彼女にも容易に想像できたであろう。
治安も不安定になりつつある今日。護衛も宮廷と離宮で倍必要な状態になっている為、以前と比べて近衛士官の労働時間も延び、夜勤も常態化してきていた。
そんな中で、目立って意識し出したのは半年ほど前だろうか・・・
オスカルは余計な視線に気を捕らわれることが多くなっていた。

ふとした隙にじっとりと纏わりつくような・・・
非常に不可解でいて重苦しい空気が彼女を悩ますも、むげに拒否できたものではなく、今までは気付かない振りをしてなんとかやり過ごすのが常であった。
対応策のないこの状況、しかし・・・今夜でそれを終わりにできるかもしれない。
確信に近いその思いが今この瞬間、オスカルを動かしていた。




その男がローアン大司教の友人だと知った時、うっすらとではあったが嫌な予感がしたものだ。
公爵の身分につくその男、直系の王族でこそないものの持てる権力の程は絶大で、大司教という地位にあるローアンと同様、フランス各地のカトリック教会管区の長として強大な統治権を誇っているという。
もともとは聖務職の血統なのだろうか・・・?
いろいろと謎の多いこの男、ローアンのようにあからさまな素行の悪さは耳にしないが、かといって良い噂と言うのもこれまで聞いた事がない。夫人はいるのだろうか・・・?いればこれだけの力を持つ公爵夫人だ、まったく表に出ないと言う事もないだろう。すると、まだ男は独身なのだろうか?

薄暗がりの廊下をここまで来る間、気分は既に滅入るところまで滅入っていたオスカルだったが・・・背筋を伸ばし、ゆっくり深呼吸をして、気持ちを立て直そうと暫し扉を睨みつける。そして、いざ扉を叩こうとした瞬間・・重々しい音を立ててそれは開き、中から上等な身なりをした恰幅のよい・・・これは執事だろうか?初老の男がと深々と頭を下げた。

「ようこそおいで下さいました」



驚愕のうちに部屋へと招き入れられ、呼び出された時刻の非常識さを丁寧に詫びる召使の声を意識の遠くで聴きながら、オスカルはそれを見つめた。


上層階まで吹き抜けになった部屋の壁という壁がステンドグラスで造られたこの特殊な空間を、この宮殿の一体何人がこれまで目にした事だろう?

通された部屋の思ってもみない構造に再び驚愕し、更にその明かりに魅せられた。


あれは蝋燭だろうか・・・?

最初壁と思ったステンドグラスは実は巨大な衝立状のものであった。
それが何層も・・・壁との隙間にある数多の明かりによって真夜中でも昼間のようにくっきりと、神話の世界の英雄たちを色とりどりに照らし出していた。
太陽光線よりも妖しく柔らかに揺らめく光は、これまでに見たどの教会のステンドグラスよりも感動的に信仰心をかき立て、やがて穏やかな温もりで体中を包み込んでいくかのようだった。



こんな、こんな場所がベルサイユに存在するとは・・・・・





「リールの教会にあったものを運び込みました。」


背後からの声に我に返る。
振り向いたオスカルの視線の先に男が佇んでいた。

ローアンとは対照的に、だいぶ痩せ型のひょろりと背の高い男が、黒いベルベッドだろうか?見慣れない高尚な衣服を着て、薄い光を放つシャンデリアの下に居る。
灯りが乏しいので細かい表情まではよく見えないが、それほど悪い人相の人物ではない。ただ・・・およそ健康的ではなかった。人形のように青白い肌をしている。光の加減か眼窩が若干落ち窪んだように見え、その中の眼球は“私”を見ていない。

造られた世界で生涯幻想を眺めて暮らす者・・・このような目をした人間はベルサイユには少なくない。



「ご存知だろうか?パリからはだいぶ遠い・・・ベルギーとの国境近くの街です。善良な市民が暮らす素晴らしい所だが・・・複雑な歴史に翻弄されてきた悲しみの街でもある。15世紀には大規模な宗教戦争に巻き込まれ、多くの民が犠牲になった。その街の取り壊しになる教会から・・・私が引き上げて来ました」

黒いベルベッドの男はその体型から想像するには不思議なくらいの太く深い声で、目の前のステンドグラスがそこに在る理由を説明した。



「・・・リールの民は大変勤勉だと聞き及びます。ご領地ですか?」


「まぁ、そんなところです。そう・・・勤勉な民が作り上げたこの芸術作品を壊してしまうのは惜しい。たまらなくなって持ち帰り、修復させました。見事なものでしょう?」

男は満足そうに衝立を見上げ、微かに溜め息をつくと右手を胸の高さまで持ち上げ、手の平で光をすくう。
救われたステンドグラスは男の上に様々な色彩を優しく投げかけていた。


「見事だと思います・・・他に言葉もありません」


ステンドグラスから視線を戻した男が、物静かだった口調を変え、一歩二歩とオスカルに近付く。


「ついに心が動いたか・・・!これをお見せしたかった・・・太陽の光では駄目だ・・蝋燭の明かりでないと。魅力が半減してしまう。だからこのような時刻に来て戴いた。・・・君の為に私はこれを運び込み、君の為に完成させた。しかしまだ完璧ではない・・・君がここに居て初めて、神が宿る・・・」

先ほどまで男を包んでいた聖職者の面影は生々しい男のそれにとって変わり、不可解な視線と共に体温すら感じ取れる程の至近距離で、ねっとりとした懇願が始まる。


「なんて美しい・・・そして気の毒なひとだ・・・。私なら君を救ってあげられる・・・私が守ってあげる。何が望みだ?ドレスを着たことは?軍服姿の倒錯した君も大変に魅惑的だが、私の手で更に素敵にしてあげられるんだ・・・」

思っていたより展開は速く、男は早々と我を失なった。
背中からオスカルの腰や胸に手を回し、ゆっくりと弄りながら悩ましげに溜め息をつく。


「・・・くっくっくっ・・・オスカル・フランソワ。真正面から口説いてみたところで、残念ながら君はなびくまい。それくらい私にも分かる。高貴な身分のわりには身の程をわきまえていると思わないか?ふふふ・・・君の好きな話をしよう。いくらだ?いくらで私のものになる?」






ジャンヌか・・・この男は私がジャンヌからの賄賂を受け取ったと思い込んでいる。
金でどうにでもなる人間だと思われたのか・・・・・随分な話だ。だが、これでハッキリしたことがある。ジャンヌの資金源はローアン・・・。ただの金づるか?パトロンだとしたら、ジャンヌ・・・一体何が目的で動いている?



「おや?そのしかめっ面はどういうわけかな?何か気に障ることでも言ったか?まぁいい、込み入った話は後でじっくりするとしよう。オスカル・フランソワ・・・仲良くしよう。朝までいられるのかい?私は君の自然な姿が見たいんだがな・・・」

手を取り、腰のあたりをしきりと撫で回しながら、奥の部屋へと誘おうとする男の手を、オスカルは厳しく払いのけた。

びっくりした顔の男を冷たく見つめ返すオスカル。





「陽射しを入れた方がいい」


「・・・何を言っている?」


「貴公の頭が取り返しのつかぬところまで腐り果てる前に、少し日光消毒された方がよい。・・・失礼」


あんぐりと口を開け佇む男をそのままに、オスカルは踵を返しステンドグラスの魔窟を後にした。




     



幾分精彩を欠いたステンドグラスから届く同情の光に照らされ、高貴な男は呟く。

「不自由なひとだ、オスカル・フランソワ・・・。分かってはもらえないのか?君こそが私の太陽だというのに・・・・・」



ベルサイユ宮の奥深く。哀れな主の言葉に、フランス一のステンドグラスが心なしか虚しく傾く音がした。


                 
             

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