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アニばらワイド劇場


第20話「フェルゼン名残りの輪舞」 ~恋心~





朦朧とした意識の中で、男は雨の音を聴いていた。

だんだんと自分を取り戻していく過程で、こういう感覚は一番確かで当てになるものなのかもしれない。
習慣というのは意識していないから習慣なのだ。眠りから覚め、まだたっぷりと酒が残り、じんわりと耳鳴りさえしている心許ない感覚器官ではあったが、それでも今いる場所が普段の寝台でないことくらいは直ぐに思い出せた。つまりは、雨音の聴こえ方が違っていた。

いつもなら目が覚めて、暫くの間・・・と言ってもほんの数秒単位の話だが・・・しっかりと意識が身体に戻って来るのを待ってからでないと、今日の天気がどうであるかなんて、詳しいことは分からない。立付けよく頑丈な窓ガラスは外の物音をこうまで筒抜けにはしないから。ところがどうだ、それ程大雨でもないのに・・・と言うか、この降り方はちょっと地面を湿らす程度のにわか雨ってとこだろうな。・・・ともかく、今朝は雨音の奴に起こされた。
それに比べれば、嗅覚の方はだいぶこの環境に慣らされたもんだと、なんだかちょっと愉快な気持ちにもなる。あまり高級ではない香水の匂いで・・・それで最初の頃は大抵目が覚めたものだ。今はどうかな・・・好きな匂いかどうかの細かい注文はしようと思えばいくらでもつけられるけど、それが寝てられない程気になるかと言えば・・・そんな事はなくなっていた。

あるいはこうやって・・・・・思い切って逃げ出してしまえば、いつかは全ての事が新しい環境に馴染んで・・・順応していくものなんだろうか?
それは意外と、やってしまえば想像よりも簡単にできてしまうものなんだろうか?


いまだ酒の支配から抜け切れず半分は鉛のように重たい身体をゆっくりと起こし、隣で寝息をたてている女を気遣いながら、男は曇った窓に手を差し伸べる。そしてそのまま、硬直気味の体を思いっきり伸ばそうとしたが・・・全身いかにも言うことを聞かないという雰囲気だ。そのうえ図らずも飛び出した深呼吸よりもだいぶ間抜けで豪快な大欠伸が彼の情けなさを強調していた。

濁った鏡のような窓ガラスに映ったその姿は、どう見ても褒められたものではなく、それが欠伸をした本人にとっても結構おかしい事だったのだろう。欠伸は途中で笑い声になり、制御できずに思いっきり噴き出してしまった。・・・そしてどうやら・・・女を起こしてしまった。



「・・・なに・・・どうしたの?」

女はまだ完全に目を覚ましたわけではなく、隣の物音が一応脳に認識されたので、半分は無意識、半分は気を使って、なんとなく声を出してるようだった。


「悪い・・・だらしない男だなぁ~俺って。ごめん、もっと眠って」

男は女に向かい慌てて謝ってみたものの、笑いを堪えきれずいつまでもクスクスいっているので、今度は完全に起こしてしまったようだ。寝返りをうって何やら怪訝そうな面持ちでこちらを覗き込む女を見つめて、男はもう一度、小さく「・・・悪い」と呟いた



「雨なの?」

何がおかしいの?と訊いてくるとばかり思っていた女の質問は、そうではなく、まずは今日のお天気からだった。

「雨が降ると何かいいことでもあるの?」

・・・雨が降るといいことか・・・どうだったかな・・・・・

「ねえ?」

女の声が「ねえ」でようやくハッキリしたものになった。


「いいことも悪いことも・・・たぶん何も起こらないよ」

男は答えたが、それはもうひとつ女にとっては望んだ回答ではなかったようだ。
ちょっと眉間に皺を寄せ、シーツを顔の半分あたりまで引っ張りあげながら、ようやく「ねえ・・・今どうして笑ってたの?」と訊いてきた。




この女の部屋へ来るのは何度めだったか?途中まではいちいち勘定していたが今ではもう分からない。じゃあ付き合って何年経つんだったか・・・?関係を持つようになって・・・というべきか。実際のところ、会うのは殆どがこの部屋で、今腰掛けているベッドからそう遠くへは行ったことがない。そう・・・それだけの仲だ。



「ねえ、アンドレ・・・あたしの声、ちゃんとあんたの耳に届いてるぅ?」

今度はベッドから半身を起こして、白い腕を絡ませながら、男の耳元で甘ったるい声で女が囁いた。


     


ポーラという名前のこの女性、・・・そういう行為の最中でさえもどこか上の空でいるような俺を・・・まぁぶっちゃけ商売だから細かい事はどうでもいいのかもしれんが、根気よく面倒みてくれる異性のひとりだ。年は26くらいだったかな・・・確か俺より2つか3つ上のはずだ。でも彼女は意外な程に童顔で、特に寝顔なんかは本当に若く見えるから、あんまり年上と思ったことはなく・・・それどころか長い夜の間に「何か話して、なんでもいいからあたしの知らないことを話して聞かせて」と頑固にせがんでくるところなんかは、不思議なくらいに無邪気で幼くて・・・とても年上だとは思えない。

正直、彼女は魅力的な女性だと思う。

最初の夜に一戦交えたあとで、彼女は「ジュリエッタって言うのは仕事する時の名前なの。本当はポーラ。安っぽい名前でしょ~?全然気に入ってないの」といきなり本名を教えてくれた。と言っても、別に俺から尋ねたわけじゃないが・・・。で、その後「でも、やっぱりポーラの方が呼ばれ慣れてるから・・・今からあたしのことポーラって呼んでいいわよ」ときたもんだから「しかし、俺は客で、君にとってこれは仕事だろ?ジュリエッタ」と答えてやった。そうしたら「言い忘れたけど《ジュリエッタ》は高級娼婦なんだから、あんたのお小遣いじゃ一晩だって買えやしないのよ」って。

いきなり妙なことを言われて、なんだそりゃ?と笑ったが・・・とにかく、それ以来彼女は「ポーラ」になった。

     


ポーラ・・・ちっとも安っぽい名前じゃないさ。英語は話す?イギリス人が使う言葉。それではね《ポーラ》は星の名前・・・北極星のことをポーラスターって言うんだ。暗い夜に目印になってくれる・・・北極星は心強い味方なんだよ。

・・・誰の味方になるの?

船乗りとかじゃないかな。

・・・じゃ、海賊とかも入るわね?

そうそう、たぶんね。

なんかカッコいい・・・。ポーラって、まあまあいいかも。

うん・・・まあまあいい名前だね。

ちょっと・・・あんたまで「まあまあ」ってなんなのよ?失礼しちゃう。ポーラが一番よ!他にどんな素敵な名前があるって言うの?


        
      


「オスカル!」

振り向いた彼女は珍しい色のブラウスを着ていた。
いつの間にか雨はやんで、もうすっかり地面も乾いている。馬のたてがみが風に揺れて、時折気持ち良さそうに嘶く声が、明るくなりだした午前の空に吸い込まれる。
・・・俺だけがまだ混沌としていた。昨日は飲み合わせが悪かった・・・分量を欲張ったつもりはないが、最後にやったカルヴァドス。ブランデーというより、あれじゃ消毒液だ。酒場のおやじ・・・年代物だからと随分もったいぶった出し方をして、一体どんなリンゴを絞ればあんな悪い酒が出来上がるんだ?お蔭で今日の二日酔いはいつもよりだいぶ手強い。吹き抜けていく少し湿った風によって酒臭さはある程度緩和されているとは思うが、髭・・・髭はまだ剃っていない。こんな格好でオスカルのお出迎えに遭うとは!
・・・もっとも彼女はたまたま外に居ただけだろうがな・・・
少し奥のバラ園にはロザリーの姿も見えた。


淡い紫色のブラウスを着たオスカルは、今日は非番なので普段よりだいぶリラックスした顔をしている。
薄曇りの空から届く柔らかい光を受けて、ああ・・・君は今日も美しい!!
・・・なんて呑気なことを考えていては駄目だ。朝帰りなのはバレている。今更引き返すのも変だし、第一ここで取り繕わなきゃならない理由があるってわけでもない。
こういう時に慌てて言い訳できる関係ってのは・・・・・



「おかえり」

今日のオスカルは随分と優しい。
一瞥もくれずに行ってしまう可能性も十分にあったが、「おかえり」などと・・・


「・・・ただいま帰りました」




酒と香水の混じった匂いを身体にまとって、アンドレはバツが悪そうに笑っている。
何処で何をしてきたかぐらい直ぐに察しがついたが、私がそれについてどうこう言えたものではなく・・・続ける言葉に困る。するとアンドレの口から懐かしい名前が飛び出した


「カルヴァドス・・・久々に飲んだ。おまえとアラスでやった時以来だから・・・何年ぶりかな?しかし昨日のやつは酷かった!アラス亭おやじの秘蔵品とは大違いだ。まるで酒とは思えない代物で・・・あれは恐らく、バラ園の殺虫剤になるぞ!・・・土産に持ってくれば良かったかな・・・ロザリーなら案外喜んだかもしれん」

バラ園を指差し、アンドレは眩しそうに目を細め、笑っている。・・・おかしな男だ。


「カルヴァドス・・・そうか、カルヴァドスの匂いか・・・」


「他にも匂うものがあった場合には・・・そっちはあまり気に留めてくれるな」

薄く髭が伸びたあごを掻きながら、もう片方の手で彼は馬のたてがみを優しげに梳った。・・・・・・。




・・・何を言ってるんだろうなぁ俺・・・。
しかし、この気まずさもなかなか味わい深い。昨日のカルヴァドスよりよっぽどだ。



二人の会話がちょうど途切れたところで、ばあやが駆け足でやって来た。そしてアンドレを見るなり「朝からなんだい!?あんたはっ!だらしない格好でお嬢さまに近付くんじゃないよ!」と一喝し、尻を思いっきり蹴飛ばした。
悲鳴を上げるアンドレを無視し、ばあやはオスカルに来客を告げる。

振り向くと、フェルゼンが笑いながら佇んでいた。


「アンドレー、おまえ一体何をした?」




朝帰りの男がふたり・・・。
漂わす香水の匂いに相手の女性の姿が垣間見える。


今日は何を話しに来た?
私に・・・今度は何を打ち明けるつもりだ?


長い午後の始まりを告げるよう、ゆらゆらと漂う雲の切れ間から、太陽の光が地上にゆっくりと降り注いだ。



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