冷たく干乾びたものが手首に巻き付いて離れない。
痛い・・・痛い・・・!!このままでは殺される。あの城の、薄暗い地下牢に閉じ込められて、私もきっと殺される。
重い扉、湿った空気、悲鳴が聞こえたもの・・・あそこへ行ったら、もう生きては戻れない。ドレスも髪の毛も腕も脚も胸も全部っ!!粉々に切り刻まれて、きっと私も殺される。
・・・悲鳴は誰があげていたの?私より先に閉じ込められ、犠牲になった女の子?
違う・・・悲鳴は私があげていた。私が必死の思いで叫んでいた・・・
だって・・・私は生きていたいから・・・・・
この人の目は私を見ていない。
あの城で・・・この人はずっと人形を抱えて暮らしているに違いない。
だって、この人の目は人間を見ていない。
・・痛いっ!!私は人形じゃないから、そんな風につかまれたら痛いの!!
そう・・・あんたが人形よ・・・腐ったガラス玉の目玉をぎょろぎょろさせて・・・夜な夜な獲物を探して這いずり回る恐ろしい人形・・・子供の頃お父様の書斎で偶然見かけた本にあったわ・・・あんたは‘あれ’に似ている・・・
アイアン・メイデン。
初めてあんたを見た時、背筋が凍りついたわ・・・‘あれ’が私の目の前に現れた。悪夢が・・・悪夢が現実となって私の前に現れた・・・。
お母様おかしいでしょ?アイアン・メイデンはマリア様のかたちをしているんですって。マリア様が罪人を串刺しにして、ズタズタにして・・・殺してしまうんですって!!
書斎の‘アイアン・メイデン=鉄の処女’は毎晩私の夢に現れ、私を苦しめた・・・・・
でも、忘れられたのよ。悪夢はもう終わったはずだった。
それなのに!お母様・・・おかしいでしょ?
ねえ、私が何も知らないと思ってらっしゃる?公爵は処女が好きなのよ。あれ以来、何処に行っても私の周りは同じ話題!好奇の目でぎらぎらしながら絶え間なく喋り続ける人たちから、この先自分がどうなるか嫌という程聞かされたわっ!
ド・ギーシュ公爵・・・自分が‘アイアン・メイデン’のくせに処女が好きなんてね。
気味の悪い銅像のような姿、ドス黒い皮膚に薄ら笑いを浮かべた顔は、夢の中でぽっかりとお腹を開けて私を見下ろしていたアイアン・メイデン。
私は切り裂かれる・・・
・・・狂ってる!何もかも狂ってるわ!!助けて・・・気持ち悪いから寄らないで・・・お願いだからこっちに来ないで!!
な・・・なにをしたの・・・?
ひざまずいた腐った目玉の男が、私の手をべろりと、舐めた・・・?
ねっとり生温い不快な感触が私の手をゆっくりと撫でて、同時に私の全身を厚い鳥肌が覆った。
もう駄目だ。私のこの手は、もう生きていられない。
誰かこの手を斬り落として下さい!!斬り落として・・・切り刻んで棄てて下さい!!
・・・ああ、そうか・・・あの城の女の子は、自分でバラバラになったのかも・・・ね。
嫌だ・・・怖い・・・怖い・・・怖い!!!
ここから逃げなきゃ・・・外へ出なきゃ。
お願い、誰か助けてっ!!
・・・・・・だって、だって、私は死にたくない・・・!!!
遠くへ逃げよう・・・誰も追いつけない遠いところへ。
お母様は・・・私がいなくなってちょっと困るわね・・・。でも、もう私はここには居られない。
そうだ・・・オスカル様・・・あの方は私が居なくなることを、ほんの少しなら哀しんで下さるかしら・・・?
・・・私は?哀しくはありません。
だって、オスカル様の白いバラと一緒に行きますから。
怖いひとの居ない世界へ行って、新しい世界へ行って・・・自由になって・・・私は幸せになります。

錯乱状態にあったポリニャック夫人をようやく部屋へと帰し、我々近衛隊で一応の検死がとり行われる事となった。
時計の針は12時を回り、惨劇は既に昨日の出来事となった。が、しかし、静まり返る部屋の中で悲しみはいっそう深まり・・・受けた衝撃はむしろ時間と共により深々と、我々の心臓までえぐっていくかのような感覚に襲われる。
駆け付けた現場は正視に耐えない有様だった。
状況報告からしてシャルロット・ド・ポリニャック嬢は正常な精神状態を失くしていたのだと思われる。
何があったのか全身ズブ濡れの状態で、強風の中あろうことか足場のない塔にのぼり、白バラを高く掲げブツブツと何かを呟いているかのような仕草を見せた後、なんら躊躇する事なく頭部から真っ逆さまに飛び降りた。。・・・どう考えてもまともではない。
心神喪失状態だったとはいえ、これはキリスト教徒にあるまじき行為、自殺と断定していいだろう。
だが・・・発狂はシャルロット嬢の責任ではない。自殺が神への冒涜行為と言うのなら、それに追いやった責任は誰がとるのだろうか・・・。
神は一体、誰を罰し、誰を救うのであろうか・・・。
シャルロット嬢は大権力者の持つ猟奇的趣味嗜好の犠牲者であり、繁栄への脅迫観念にとりつかれた愚かな親に生贄とされた被害者だ。
目の前で我が子を失いながら・・・ポリニャック夫人はまだ自己弁護の羅列で、己の愚行を後悔するどころか、警備の不行について怒鳴り散らす始末・・・。
狂った形相で泣き叫びながら、連隊長の肩を揺さ振る姿は・・・誰の目にも絶望的だったに違いない。
大声で罵られながら、それでも一瞬たりとも目を背けることなく、連隊長は夫人の形相を見つめ続けた。
醜い・・・これ程までに醜いものがこの世にあろうかという醜態の極みを直視したうえで、連隊長は涙をこぼした。涙を・・・・・。
あの修羅場で彼女が流した涙が、天に旅立つ娘にとってはどれ程の供養になったことだろう。
シャルロット嬢は・・・残酷なことだがまだ美しい・・・まだ美しいまま逝けたのだ。
せめてもの・・・それがせめてもの救いであると、いま私は目の前の連隊長の為に、そう思う。
地上に激突した衝撃で、哀れな娘の右耳周辺の顔面は無残に破壊された。
他に目立った損傷箇所として・・・まずは十指すべての爪が剥がれ濃紫色に変色、更に・・・右手の甲だけ酷く擦れたような跡があり、上皮が完全に失われた部分が妙に赤々と・・・亡くなった今でも血液の鮮やかな色を浮かべている。
数時間前までは生きていたのだ。生きて・・・これから先もずっと・・・当たり前に続いてゆく命だったのだ。
連隊長が遺体に一歩近付き、そのまま身を屈め、皮膚のめくれ上がった右手に接吻をするかのような仕草を見せた。感傷から我に返り、私は驚いた。
そして、壊れて横たわった娘の耳元に、今度は微かな声で・・・連隊長は言葉をかけた。
何を話したのかは聞き取れず・・・だが、こちら側に向いた美しいままのシャルロット嬢の死に顔が・・・不思議なことだが、微笑んだように見えたのだ・・・。
私も、あまりの展開に正気を失ったのだろうか?
いや・・・そうではない。
シャルロット嬢は天国へ導かれているのだろう。
来世は誰の犠牲になることなく望む相手と穏やかな暮らしを・・・・・それまで少しの間、静かに休むのがいい。
遺体に別れの挨拶をして、連隊長が振り向いた。
いつものように深く強く・・・どこまでも遥か遠くの場所を見渡せるかのような瞳をして、彼女は微かに微笑んだ。
彼女は、彼女たちは・・・微かに微笑んだ。
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