「今回の顛末に、ジャルジェ大佐も一枚噛んでいたと言うわけか?」
ベルサイユ宮の奥深く、ブルボン王朝の繁栄を取り仕切らんとする政治家、参謀の中でもとりわけ危機的状況に敏感な者たちが、重い扉の中で語り合っていた。
「いえ、そういうわけではないようで。このような結末になりましたのは・・・恐らく偶発的な事だったのでありましょう。調べましたところジャルジェ大佐本人は事の真相をまだ知らされてはいないようですし・・・第一、大佐はここ暫くの間、宮廷への伺候を禁じられていたのです。急ぎ謹慎中の動向を探りましたら領地へ視察へ出掛けていたようで、謹慎期間ほぼ丸々の間、屋敷を留守にしていたようです。他に内情を知る者が居ないかについても追窮しましたが、ポリニャック一味と結託している様子はなく、内密に策を練った形跡もありません。大佐は・・・タイミングよく利用されただけなのでしょう」
「謹慎中に領地の視察だと?・・・ジャルジェ家の人間の考える事は分からんな・・・。まぁいずれにせよ大佐は何も知らんと言う事は分かった。一報を聞いた時にはこれも近衛の役割のつもりなのかと耳を疑ったが・・・何も知らぬまま、ただ濡れ衣を着せられたとなれば・・・・・ましてや大佐は女性なのだし、随分と気の毒な話だ・・・」
二人の男、国家運営の中枢にいるといっても過言ではないセヴィニエとマルセルの会話は、聞きようによっては不謹慎とも言える程の安堵感に満ちていたが、ここに至ってやや重苦しい空気が漂うようになっていた。
同情というよりは、実質何の対策も講じられなかった自分たちの無力さを恥じるかのような微妙な間を置き、マルセルが口を開く。
「・・・放置すれば、大佐の立場に関わる問題です」
「謹慎明けの不祥事、どう弁明しようと普通ならば・・・相当に重い処分が下るだろう・・・」
「報告では一部の王族が近衛連隊長の解任を国王陛下に要求したそうです」
予想外の出来事がおき、予想通りの行動を取る者たちがいた。
こうして全てを把握してから顛末を振り返ると、誰が加害者で誰が被害者であるかなどは概ね無意味な事であり、重要なのは亀裂が入らず無事に歴史が作られていく事であるということがよく分かる。しかし、よく分かったところで実際には何もできずに傍観する立場に甘んじてしまった己を思うと、不運なクジを引いてしまった者に対して罪悪感が沸いてくるのは自然な事であった。
「いい機会とばかりにか?特にド・ゲメネ公爵などはな・・・個人的恨みを晴らす千載一遇のチャンスだと思ったのかもしれん。実際は流産と聞いて喜んでいるであろうに」
深い溜め息をついてからセヴィニエは言葉を続ける。
「国王陛下は事情をご存知だから、それについては心配ない。むしろ大佐自らが除隊を願い出て来るような事態になってはまずい。ことがことなだけに洗いざらい打ち明ける事は難しいまでも・・・少し負担を減らしてやらねばなるまいな」
アントワネット懐妊のニュースが一気にベルサイユを駆け巡ったと同時に、ここではそれが偽りであることが分かっていた。アントワネットの身近で世話をする女官の中には、色めき立った噂には流されず、ひたすら事実を凝視するタイプの人間もいるのだ。第一そんな大袈裟な事を言わずとも冷静な判断力さえあれば今回の一件は嘘八百だとすぐに見抜けただろう。
「月のさわりと妊娠の兆候が自覚できるまでになる時間の間隔にどうにも無理がある」との報告が内々に上がって来たのですぐさま詳細を調べると・・・お粗末な程に無計画な茶番劇である事が判明した。
まず、全国民待望のお世継ぎであるかもしれない妊娠の確認に、宮廷医師が一切関われない等という馬鹿げた話があるだろうか?
これについてはあえて調べるまでもなく不都合が露呈した。それどころか判定した者は医者ですらなかったのだから気が抜ける。
そこで思案の末、考えたことはただひとつ。栄光あるブルボン王朝の存続とアントワネット王妃の立場について、危惧を抱いた人間が大概大雑把ではあるが繋ぎにひとつ、大芝居を打つつもりなのだろうと・・・結論から言うとそういったものとは目的が異なるようだが・・・危機を乗り越えるという意味で、不本意ではあっても・・・私利私欲から出た芝居だと分かってはいても・・・その片棒を担ぐのも致し方ない状況だった事は否定できない。
無論どこかの時点で、今回のように終わりにする事を前提で、である。
ほんの一時の目くらましにしか過ぎないが、外交問題を考え、王妃を取り替えるよりは遥かに楽な処置であったから。
それに・・・悪いのはアントワネット様ではないのだ。現状では誰を王妃に迎えたところで世継ぎは望めないであろう事はほぼ間違いない。これからは国王ご自身にしっかりと自覚を持って戴かねばならない。
嘘は大きい方が人はよく騙される。とはよく言ったものだが・・・それよりも今回の出来事は多くの人間の待ち望んだことだっただけに、多少の矛盾は全て無視され、早々と盛り上がってしまったのが悪かった。
人々の願望が愚かな虚構を許してしまった・・・。
結果としては少々の時間稼ぎができたものの、現実から目を逸らした短絡的作戦に、やはり反省と後悔とを、我々はすべきであろう。
何よりアントワネット様ご自身が・・・泣いて真実を打ち明けたお姿が苦く心に刻まれる。
仕方のない事なのだ。月のさわりどうこう以前に・・・秘密にしている事がある。
女性にばかり矛先は向くが、御子が生まれない原因は、陛下にあるのだから。
「至急、ジャルジェ大佐と話がしたい」
傍観しているだけで許されるはずがない。
軽減できる痛みなら・・・今からでも手を尽くさなければ。
|