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アニばらワイド劇場


第13話「アラスの風よ、応えて・・・」 ~地平線~





訪れた時にはいつも思う。

アラスにはパリとは異なる時間の流れがあるようだ。
時に速く、時に遅く・・・。気忙しく追い立てるものがない田舎の風景の中では常に自分のリズムで時は刻まれてゆく。

何年ぶりかでここへ来て、私が出会った衝撃的な場面の数々・・・このタイミングでこの地に居合わす事が出来た事を、私は神に感謝しなければならない。

アラスに着いて、最初の数日間は瞬く間に過ぎ去った。
疲れきった民衆は皆笑顔をなくし、枯れた大地のうえに立ち尽くす。
知らぬ間に人々との間にできた僅かな隙間は、我々が目を伏せている間に取り返しのつかない大きな隔たりとなって、いつしかフランス全土を飲み込んでしまいそうな・・・そんな気さえする。

耳は澄まさなければ何も聴こえない。目は見開かなければ何も見えはしない。
手遅れにならないうちに・・・出来る限りの事をしなければ。まずは手の届くところから。

村に医者を置くことにした。その手配に丸二日を費やし、領主として、出来る限り配慮する事を約束した。常駐してくれる医者を探しに奔走している間、私の目には民の生々しい貧困ぶりが絶えず映され、今までの価値観がどれだけ間違ったものであるのかを思い知らされた。

貴族とは搾取するだけの存在でよいのか?考えるまでもなく、答えは出るだろう。
人々から希望の光を奪う元凶として・・・まずは高すぎる税金がある。だから、可能な限り負担を軽減できるよう領主として、現段階で出来うるだけの対策を講じた。
第一に、働く当人が納得し、満足できる幸せな人生を送ること。
・・・夢物語ではなく、それが当然の世の中でなくてはならない。


いま動ける事、すべてをやり終えて眺めたアラスは・・・あの時と少しも変わらない。
まるで時が止まったかのような懐かしい風景に、改めて胸が高鳴るのを感じ、隣を見た。



「アラスはちっとも変わらないなぁ・・・すべて、あの頃のままだ」

以心伝心と言うのだろうか・・・?ずっと私たちは同じことを考えていたのか?・・・むしょうにおかしくなり、吹き出してしまった。


「なんだ?おまえだって、いま俺と同じことを考えていたんだろう?」



    


記憶に残る初めてのアラス。
あれは私が七歳でアンドレが八歳、・・・彼が引き取られて来て二年程経った頃か。
父と母、姉上とばあや、それに数名の召使を連れて・・・視察というよりは賑やかな家族旅行の気分で出掛けた初めての領地、アラス。隣にアンドレがいるのが嬉しくて、いつも厳しい父上が穏やかに笑っているのが嬉しくて・・・つい羽目を外してしまったっけ。

父上の用件が終わるまでと遊びに入った森で、私とアンドレは迷子になった。
森に来たことなどは誰も知らない。「言えば止められるから!内緒で探検に行こう!」そう私が言ったから、アンドレは黙って笑いながらついて来た。
・・・あの時、私たちは何を探していたんだっけ・・・そう・・・木の実だ。赤い色をした小さな木の実。深い森の外を飛び交う小鳥たちが、その時はなんだかとてもお腹を空かせているように思えて、何か食べられるものを取って来てやりたいと思った。
ばあやのバスケットを木の実でいっぱいにするまでは帰らない。そう言って、止めるアンドレの言葉をきかずに森に入り・・・案の定、私たちは出られなくなった。


日が暮れるまではあっと言う間だったのに・・・夜は長かった。
・・・後先考えずに奥に入った自分が情けなくて、吹き抜ける夜風と静寂と暗闇が怖くて・・・初めて体がぶるぶると震えた。全部私のせいなのに・・・私のせいで迷子になったのに・・・一言も責めずに顔を覗き込み、「寒くないかい・・・?」と繰り返し尋ねて来るアンドレだけが、彼だけが頼りだった。

どのくらいの時間を二人寄りそって過ごしただろう?
それまでの寒さが一段と増して、体がきゅうぅ・・と締め付けられるように感じた後・・・夜が明ける気配を感じた。
朝の匂いに嬉しくなって二人で走ったら、気配のする方へ無我夢中で走ったら・・・突然森を抜けて、どこまでも大地を見渡せる広い丘のうえに出た。

私たちは朝日を見渡せる、小高い丘に立っていた。



ゆるい楕円を描く見事な地平線が、瞬く間に朱色に輝く一筋の線になり、今まさに、アラスの町が柔らかい暖炉の色で包まれていく・・・。そんな瞬間が目の前にあった。

それまで、私たちは朝日というものを見たことがあっただろうか?
暗闇を抜けて、寒さに堪えて・・・私たちはあの時、生まれて初めての日の出を見た。
たまらない生命力を感じた瞬間だった。



朝日に頬をオレンジ色に染めたアンドレが、冷え切った私の体を背後から優しく包み込むようにして、「ね・・・オスカル・・・生きてるよ・・・」って呟いた。

・・・あれは私たちのことを言ったのか・・・?
それとも、太陽の生命力について言ったのか・・・?
結局、確認しないままだ。


ただただ、凍える大地を赤く染めて・・・この世の事すべてを抱きかかえるようにして昇った太陽。
それと同じものが、いま目の前にあった。
パリへ戻る前にもう一度、どうしても見ておきたくて・・・ここへ来た。



彼は覚えているだろうか?いま尋ねたら、答えてくれるだろうか?
・・・以心伝心ならば、きっと同じことを考えているだろう・・・?



「アンドレ、あの時の・・・生きているとは・・・どっちの意味だ?」


再び頬をオレンジ色に染めて、あれから大きく成長したアンドレが、楽しそうに「あれはな・・・」と語り始める。





天上にはまだ数多の星が煌く中、アラスの地平線が天と地を穏やかに分けて、どこまでもどこまでも・・・眩しく輝き続けていた。



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