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アニばらワイド劇場


第9話「陽は沈み、陽は昇る」
~修道院~




「あのひと・・・死んじゃったのね・・・」

話題の人物が目の前の女にとって何か特別な縁のある人であることは、さほど敏感な人間でなくとも直ぐに感じ取れただろう。それくらいに呆然とする女の様子と意外な程に親しみのこもった声の調子は、その場の空気を変えた。
途端に興味が沸いて女の顔を見つめなおした修道女は、俗世間を離れてもこうしてわずかなネタを見つけては懲りずに詮索しようとする自分の悪癖を、あるいは少し恥じたのかもしれない。
一度覗き込んだ女の顔から視線を微妙に逸らして、それでも大いなる期待をもって、女の次の反応を待つ。


「・・・なんでそんな死に方をしたのかしら・・・」

女は独り言のような小さな声で呟くと、4、5回立て続けに瞬きをした。

「命にかえてもフランス王家を・・・あの赤毛のチビを守るんだって・・・そう言ったくせに・・・」

女は陽が降り注ぐ中庭に目を向けて、再び・・・今度はゆっくりと2回瞬きをしてから、呟いた。

「なんでそんな・・・、バスティーユなんかで死んだのかしらね・・・」


    


1789年7月17日
半ば廃墟と化した郊外の修道院ではあったが、抜け出せない高い塀に囲まれている分だけ、ここには安息があり、静寂があった。

かつて花の都と謳われたパリは・・・今どうなっているのだろう。欲望の限りを尽くしたベルサイユは・・・今どんな姿でいるのだろう。あの黄金の髪をなびかせた小生意気で不思議と懐かしい近衛隊長は・・・何故、こんなところで話題になっているのだろう・・・?

久しく思い出した事のない若い頃の記憶が、さざ波のように静かに胸を騒がせる。

「なんだか眩暈がするようだわ!」 

それだけを言葉に出し、しげしげと女を見つめる修道女にはツンとした視線を投げ返した。





かつてベルサイユ一の権力を誇り、国王の寵愛と貴族たちの羨望を一身に集めた人物。
デュバリー夫人と呼ばれ、ひたすら持て囃され恐れられた女が、そこには居た。


「ねえ、あなた。革命なんて幻想、あたしはこれっぽちも興味ないけれど、今の話には驚いたわ」

若年の修道女は、普段とはあまりに違う高飛車な態度でいつの間にか自分を見下ろしている同房の女に、不思議と新鮮な感動を覚えていた。

この女がどういう経歴の持ち主であるのかなんて勿論知っている。しかしそれを彷彿とさせるだけの器量を、これまでは見る事がなかった。何故このような穏やかな人があのデュバリー夫人なのか・・・単純に歳月はすべてを洗い流してしまうものなのか?

どうでもよい事ほど、人は熱心に知りたくなるものなのだ。
その答えが今、目の前にあった。
自分に向かって話しかけているのは紛れもなく、噂に聞いたあの『デュバリー夫人』だった。


「オスカル・フランソワって言ったわよね?ベルナールだか誰だか・・・革命家気取りのその青臭い男よ。オスカル・フランソワ率いるフランス衛兵隊が市民側に寝返ったから、バスティーユが落ちたんだって。その男はそう言ったのよね?」



三日前のバスティーユ陥落は、学のない田舎の修道女にとっても大変な出来事だった。
これこそ歴史が転換した瞬間なのだと・・・少なくとも、これをきっかけに時代の流れは急変するのだと・・・市民たちの歓喜の声はまるで伝言遊びのように興奮する人々の上を伝わり、今朝方この修道院にも届いた。・・・そしてデュバリー夫人はその報せの中に含まれたひとつの名前に、昔を蘇らせているのだ。

「オスカル・フランソワ」という名前に。



バスティーユ陥落の驚喜を轟かせた伝達の波は決して英雄を讃える為に押し寄せたのではなく、市民が自力で得た初めての勝利なのだと言う、言ってみれば極めてシンプルな結果報告でしかなかった。だが、革命演説で人望のあったベルナール・シャトレが修羅場の中で群集に向かって叫んだ名前オスカル・フランソワ。
これだけは途切れることなく波に乗り、ひどく印象的な形で今日ここにまで到達している。

「なぜ王家の軍隊が我々側に寝返ったのであろう?」という民衆にとっての最大の興味。それがオスカル・フランソワと言う名前に集約されていた。
そして・・・目の前のデュバリー夫人はその謎について、何かを語ろうとしていた。

自然に身を乗り出し、修道女は固唾を呑んでデュバリー夫人の顔を見つめた。

「オスカルはマリー・アントワネット付きの近衛の隊長だったのよ。四六時中、王太子妃に侍って・・・忌々しいくらいに仕事熱心な女だったわ。あたしの言いなりにならない数少ない貴族のうちの一人で・・・なかなか手ごたえのある相手だった。目障りだから何度も殺してやろうと思ったけど妙にしぶとくて・・・結局消せなかった。あたしが王太子妃にてこずったは全部あの女のせいなのよ!」

「ちょっと待って!!・・・今なんて言ったの?あの女って・・・言ったわよね?」


「そうよ。オスカルは女よ。女のくせに近衛隊長なんてやって・・・いつも澄ました涼しい顔をして・・・可愛くないったらなかったわよ。・・・・・あの後もずっと軍隊に居たのね・・・。まだ若いのに・・・死ぬなんて・・・」


    


思い出されるのは絶頂期の栄光ではなかった。

何もかもが脆く崩れ去り、まるで潮が引くように誰も居なくなり・・・みじめなボロ雑巾のように追放されたあの日。野蛮な男に乱暴に引きずられ屈辱的な言葉を浴びせられていた私は・・・オスカルに救われた。
何故だか分からないけど・・・あなたの前で、これ以上みっともない真似はしちゃいけないと思って・・・ようやく馬車に乗ったんだったわ・・・。

安物の馬車が軋みながら動き出し、ベルサイユがどんどん遠くなるのを感じながら、一体この女どこまでついて来る気なのかと思ったわ。
いつものように涼しい顔をして何も言わずに・・・

オスカルは何処までついて来る気だったのかしら?
私はあなたを殺そうとした人間だけど・・・あの時思ったのよ。

・・・結構、あなたのことが好きだったわ。

あの時あなたが見送ってくれたから毅然としていられた。
真っ直ぐに私を見つめる瞳に、私ったら馬鹿馬鹿しいくらいに誇りを持てたわ。


・・・何があったのかしら?オスカルの人生に・・・あの後何が起こったの?






「・・・どうしたの?急に黙りこくって。続きは?そのオスカルって人は女なのに、なんでまた軍人なんかしてたのよ?」

「将軍家の跡取りだからでしょ・・・」

「よくできた近衛の隊長さんだったんでしょ?なぜ王様を裏切ったの?」

「・・・・・・」

「・・・・・・・・・??」

「そんな事、分からないわよ。ただ・・・なんだか凄く変わってた。オスカル・・・とっても不思議な人だったのよ・・・」

ああ・・・また。
なんだか心が癒されていく。
少女のような無垢で優しい気持ちになる。



中庭から吹く風は夏だと言うのに、気のせいかひんやりとした碧い色をしているようだ。




「ふんっ!革命だかなんだか知らないけど・・・その波はもうすぐここにも来るわね。・・・これでようやく私もここから出られるわ!それに今度こそ、あの赤毛の小娘。ぎゃふんとなってる頃でしょうよ!・・・オスカルが死んじゃあね・・・あの鼻垂れ娘もついにお終いよ!」


王妃に毒づいた後、ふと遠い目をした女の頬を大粒の涙が静かに伝い落ちた。
そして、牢獄と寸分変わらない汚れた修道院の床に、小さな小さな染みを作るのを若い修道女はじっと見ていた。


「結局あたしが一番長生きなんて・・・人生なんて本当に分からないものねえ!」

そう言ってうつむき、クスクスと笑うデュバリー夫人。
湿った薄暗い修道院の中に一瞬、ベルサイユに棲む寂しがりやの貴婦人の香りが漂う。



爽やかに吹き渡る碧い風が、貴婦人を優しく撫でているようだわ・・・・・・・・
若い修道女はそんな事を思いながらデュバリー夫人を見上げて言う。


「ねえ・・・ベルサイユって、どんなところ・・・?」


クスクス笑いを続けるデュバリー夫人のブロンドの髪が、風の中でいつまでもそよそよと揺れていた。



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