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アニばらワイド劇場


第30話 「お前は光 俺は影」 ~薫風~



半年間のあいだ薄暗かった兵舎が最近ようやく明るくなったような気がする。そう言って、兵士の一人が嬉しそうに笑った。

4月も中旬になり、暖かくなり出した大気は冬の間じっと息をひそめていた草木の命を一気に芽吹かせる。
特に、今朝の陽射しは格別だった。

普段ならば、夜が明ける瞬間の寒さでとりあえず目は覚めるもののそれから始まる朝支度は地獄だった。
冷たい石畳の通路を寒気がきんきんと音を立てるように走っては起きようとする気持ちを何度でもくじけさせる。しまいには半べそかきながらやっとの思いで布団から這い出るのだが、袖を通した軍服が夜間の冷気でうっすら湿ってるのを感じると、その感覚はまたも大きく俺たちの気持ちを萎えさせた。

やがて周囲から大きな溜め息と共に「うえー・・・」やら「畜生・・・」やらといった低い呻き声が聴こえ、誰かが激しく咳き込む音がしたかと思ったら当番の者が「早くしろや~っ!!」と寝起きのしゃがれた声で怒鳴りながら面倒臭そうに部屋のドアを蹴飛ばして行く・・・。

こんな一日の始まり、憂鬱と言わないで何と言おう。

だからって、別に家に帰りたいとは思わない。帰ったところで何が変わるという事はなく・・・パリの、今はもうスラム街といっていい程に荒れ果ててしまった地区にある自宅に居るのと比べれば・・・食事にありつける。
どんな環境であろうとここなら毎日3食、飯が食えるのだから・・・やはり素晴らしい・・・!
起床時、辛いのを一瞬我慢しさえすれば・・・たいして美味くはないのだけど、何か胃袋に入れさえすりゃ~気分も自然と前向きになろうと言うものだ。で、前向きになった途端に「たいして美味くない」等と贅沢な事を考えていたことが家族に対して申し訳なく思えてきたりして・・・母や弟が今日一日、飢えないで過ごしてくれる事を固いパンをじっと見つめ願う俺。

それが今朝のパンはちょっとだけ柔らかいような気がして「やっと春が来たんだなぁー・・・」と思った。
穴ぐらのような食堂だけに余計、窓から射し込む陽の光が昨日よりずっと明るい事が分かる。そっと手をかざすとやんわりと温かくて、のろまな俺が珍しく背筋を伸ばして、みんなよりもちょっと早く外に出て、大きく深呼吸なんかをしていた。

         


誰かが小走りで近付いてくる音に気がついてアランは振り向いた。

「班長っ!春っすね!!今年の冬はいつ終わるのかってくらい長くてウンザリしたけど・・・、やっとこさ春が来たっすね!!」

どんなに背筋を伸ばしてみたところでB中隊で一番のチビ、ラサールが嬉しそうに話しかけてくる様子は、犬みたいだ。そして班長と呼ばれた男、アランは彼の頭をその度にころころと撫でてやりたい衝動に駆られ、実際撫でてやる。
犬っころみたいなくしゃくしゃな顔で嬉しそうにしているラサールの目線が随分と眩しそうなので、改めて今朝の陽射しが昨日までのそれとは違うのだと思う。

「そうだな。春が来たんだなー・・・」

自分も大きく伸びをして「あーーーーー」と唸ってみると、頭上でバタバタと鳩の飛び立つ音がした。それでアランもなんとなく嬉しくなり、改めて「春が来たなぁ!」と叫ぶと犬っころラサールの背中をぽんっとやる。
あははははっと笑ったラサールにつられて周囲の何人かが笑い声を上げた。



「今日はパリ市内の特別巡回っすよね!俺そのメンバーに選ばれてて・・・今日の巡回経路、うちのすぐ近くまで行くはずなんです!それで、今まではちょっと抜け出して、お袋や弟の様子みて来れたんですけど・・・今日は・・・あの・・・その・・・新しい隊長が一緒だったら、そんなこと許されないですよね・・・?」

楽しげだったラサールの表情が少し曇り背中を丸めるものだから益々チビになる。

「そうだなぁ。普通はそういうこと、しねえわなぁ・・・」

仕方ないと思ったのか小さな溜め息をつくと意外な程に早い立ち直りを見せ、またラサールは笑顔になった。



「なんか・・・こんなこと言うと変に思われるかもしれないんですけど・・・新隊長が来てから兵舎が明るくなったような気、しませんか?」

ラサールの奴、何を言い出すのかと思えば・・・・・しかし、それは至極単純で当たり前かつ健全な発想のような気が・・・しないでもない。そしてそんなことを屈託無く言ってのけるラサールが妙に新鮮で可愛く思え、再び“春”の到来を実感する。

「そうだなぁ・・・兵舎が明るくなったような気、するかもしれねえなぁ~」

麗らかな陽の光の中ですっかり気分の上がったアランはニヤニヤしながら続けた。

「ったく・・・おめえはいいなぁー・・・あれが春風に感じられるなんざぁ結構大物じゃねえか、おい。でもな、ボケッとしてたらあの春風、あっという間に竜巻みたくなって、運河の果てまで吹っ飛ばされるぜ。気をつけろよ!」

「は?竜巻?・・・班長、何を言ってるんですか?それに気をつけろって一体何に・・・」

せっかくからかってやったのに、ラサールには俺の言いたかった事がいまいち通じなかったようだ。だが、分かってか分からないでか・・・と言うか、どういうつもりなのか逆にこっちが分からないのだが、奴は照れつつもなんとなく胸を張り、あははははっと笑っている。
そんなラサールを見て、久しぶりに愉快な気持ちになったのは事実で、しみじみ・・・春が来たんだなー・・・と思う。
まぁ・・・仕事が始まればそんな悠長な気分ではいられないだろうが、4月の朝の風景。今までとは違う明るく爽やかな風が吹き抜けたような気がして・・・久々に楽しい一日の始まりだった。


         

翌日。
面会日の今日はよほど緊急の事態でない限り休養日なので、多くの隊員が普段よりもずっとリラックスした表情で思い思いに寛いでいた。面会日と言っても全員が家族持ちなわけではなく、いても会いに来るとは限らない。なので、実際は仲間同士で談笑して過ごすのが多くの兵士にとっては普通のこととなっている。

そんな穏やかな時間の中で起きた、あれはここへ入って初めて見る凄惨な集団リンチの現場だった。


新しくやってきた女隊長とほぼ同時期に入隊した片目の男、アンドレ・グランディエを「新隊長のスパイだ」と決め付け、猛然と敵視した数人が彼を襲った。

ここまで酷くはないが軍隊というところはわりと頻繁にこのての揉め事が起きるもので・・・終わってみればだいたいが原因なんかはたいした事なく、ただストレス発散したいが為に誰かがターゲットにされ、パァーと暴れて、次の標的がいればそっちへ移行していって・・・そんな殆ど恒例とも言える隊員同士の他愛もない諍い、そんな現場ならば何度も見たことがあったし、自分が殴られた事も一度や二度ではなかった。ところが、今回のリンチは違った。起こる前から一部の連中に根暗で鬱々とした空気が充満していて・・・本人たちにしてみれば他に言い分があるのかもしれないが、リンチに至った理由は嫉妬、それが全てだったんだろうと思う。
そこそこ腕に自信があった男が、しょっぱなあんな惨めな負け方をした事。それについて自分の引き際が悪かったせいだなんて全く考えない事がそもそも問題だと思うのだけど・・・とにかく自尊心を徹底的に傷付けられて何かしないではいられなかったんだろう。でも、“陰でこっそり”というところが惨めさの上塗りになるだけだ。と俺は思う・・・
あんな事をして、気が晴れるものなのだろうか?
結局、班長からの評価もあれで滅茶苦茶になったわけだし、何より・・・アンドレ・グランディエは自分を痛め付けた相手のことなんて全く恐れていない。それどころか、誰であったのかさえ覚えてないのじゃなかろうか?
ストレス発散したかったのはむしろ彼の方で、あの時一方的に喧嘩を吹っ掛けられたのはむしろ好都合だったのかもしれない。
それくらいに、なんというか・・・“覇気”があったのは彼だった。

俺は、あの騒ぎを十分止められるところにいたのに最後まで何も言わずに見物していたアラン班長を見て、「買われているのは彼の方だ」と直ぐに分かった。
のろまだ、犬っころだといつもからかわれている俺が感じるのだから、俺以外の人たちも当然そう思ったに違いない。


それまでの数週間、あくまで陰口の範疇ではあったが彼は女隊長の手先だひもだと罵られ、隊長も「あの女、軍隊に自分の男を潜入させて俺たちの一体何を探ろうって言うんだ?」と訝しがられ、・・・リンチに加わった5人に至ってはもっと下世話な噂をしていたし、B中隊の中でとにかく二人は、事実はどうあれ散々な言われ方をされていた。
それが、あの出来事があったおかげで事態は収束したと言っていいんじゃないだろうか?
卑怯な真似をした5人に最後ぐっと凄んだ班長の目が実際マジだったので・・・その効果も勿論あるだろうが、それよりもアンドレ・グランディエが思ったような腰抜けでなかった事がみんなを落ち着かせる事になったんだと思う。だからこそ、彼は班長の『友達』なのだろう。

考えてみれば・・・『アラン・ド・ソワソンの友達』って、アンドレ・グランディエ以外に俺たちは知らないのだった。



アラン班長の友達、アンドレは散々殴られ蹴られボコボコにされはしたものの、B中隊でそれなりの評価を得る事となった。
・・・そしてこれはみんな見ていなかった事だろうが・・・隊長に介抱、とまではいかないけど怪我の手当てをされている最中、心底彼は大事にされていた。



「これで万が一使い物にならない身体になった場合は即退役を命じるぞ」

確かそんなような・・・味気ない言葉を投げ掛けてはいたけど、彼に触れる隊長の手は震えていた。
受けてしまったダメージがどれ程のものなのかを用心深く探りながら身体に触れていく手が時折怖々と、遠慮がちというか何と言うか・・・になるのだけど、その仕草にはとても大切なものを触る時の優しい緊張感があった。

そんな感じでありながら言葉少なく、ろくに目も合わせない二人のなんとも言えない様子を見ていて・・・・・
てか、「なに覗き見してんだ!」と言われたら、あの・・・その・・・困るんだけど、何故かその場が気になって・・・動けなくて・・・遠くから見ていた二人は少なくともスパイや、腹に一物あるような感じではなく・・・・・「何か全てに、深い事情があっての事なんだ」と思わせた。


隊長は・・・何故女なのに隊長なのだろうか?

物凄くシンプルかつ基本的な疑問で、俺は頭がいっぱいになりそうだった・・・。

       


日に日に陽射しが強くなり、緑が萌え、空気が澄み、眩しさが増す季節。

思わぬ方向からやって来て、硬かった種を何やら不思議な力で芽吹かせようとする、それは生まれて初めて感じる薫風。

吹き抜けていく鮮やかな色をした風は春から初夏へ。そして、やがては灼熱の真夏の厳しさの中を、どのように吹き渡るのだろうか?

どのように吹き渡るのだろうか・・・・・?



              
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