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アニばらワイド劇場


第29話「歩き始めた人形」~記憶~



あまりにも広大な敷地を擁するベルサイユ宮殿なので、普段なかなか足を運ばない場所というのがあった。
必要性というよりも、むしろ足を踏み入れないことが礼儀に近い、我々にとってそこはまさに別世界であった。
広義で言えば同志ともいえる存在でありながら、与えられた役割は天と地ほどに遠くかけ離れ、昨今では益々その任務の間に大きな隔たりができつつある。

彼らの存在理由を一言でいうなら「弾除け」であった。


王室にとって、じわじわとではあるが日に日に脅威となりつつある民衆・・・万が一ではあるが、彼らが大暴動を起こさないとも限らない。荒れたパリ市内を日夜巡回し事件の芽を摘む。暴動に繋がるような集会があれば取り締まり、もしもの時にはこの者たちが先頭に立って鎮圧に向かうのだろう。だが、いざその時が来れば王室がフランス全土から別途大軍を召集することになるのは必至。

彼らは有事の前の無残な弾除け。

敷地内を吹きすさぶ荒涼とした風を肌に感じて、猛然と不安がつのった。


       


事前に立ち入りの許可を取り、任務の変更等不都合がないか確認してからの訪問であったが、それでも目の前の将校は訝しげな表情を崩さなかった。むしろ、この行き届いた配慮の方を警戒されている気がしないでもない。が、今後のことも考え・・・その辺りは出来る限り気を使えと、先日の異例とも言える王后陛下直々の接見時からこれは堅く命令されている事である。


「今日はどういったご用件で?」

扉を開け部屋に入って来たダグー大佐は軽く一礼すると私より先に言葉を発した。
その声のトーンといい背筋をピンと伸ばした静かな佇まいといい、実年齢よりも彼はだいぶ落ち着いて見える。が、実際は私と10歳も違わないのではないか?
この数日間で調べ上げた経歴により、思っていたよりもこの軍人が若いであろうことは想像がついた。

見慣れた近衛仕官とはだいぶ趣を異にした彼の前で、思いのほか長い時間私は沈黙してしまっていたようだ。ダグー大佐は「先日伺いました件でまだ何か?」と、気付けばただでさえ渋い顔を益々固く曇らせている。



オスカル・フランソワが理由も曖昧なまま現在の任を解いて欲しいと王后陛下に願い出られたと・・・近衛連隊長辞任の一報を聞かされたのは最後の閲兵式が行われる、その日の朝であった。

そのように重大な事柄を何故こんな突然にと、聞いた瞬間はもとより式の間中混乱を隠せなかった私ではあったが・・・やがて連隊長がなさる事すべてが衝撃であり、鮮烈であった過去を思い出す。そして、このような去り際は彼女にとっても我々にとっても逆に自然であるのかもしれないなと・・・強引に納得しようと努める事で私はなんとか平静を保っていた。
いや、私だけでなない。連隊長の就任から彼女と共に歩んできた隊員の多くが・・・同じ想いでいたに違いない。


連隊長の身に一体何が起きて、このような突然の辞任に至ったのか。その理由を追及しようとは思わない。
ただ、彼女が新たな配属先に望んだ条件というのが気にかかる。それについては直接話を聞いた王后陛下が私以上に混乱していた為に真意の程は明らかではないのだが、目も合わせず「近衛隊以外ならば何処へでも」という言い方が、まるで「王妃マリー・アントワネットから遠ざかりたい」その一心でそう言っているようだったと・・・哀れなくらいに悲嘆に暮れ、涙すら浮かべておられたので、お掛けする言葉がなかった。

幸い・・・というか何というか、オスカル・フランソワがどんなに優れた軍人であろうとも国境警備隊や海軍に入隊できるはずはない。彼女の功績がどんなに素晴らしいものであるにせよ、女性であるという事実は流石にベルサイユを離れてもなお軍籍に身を置けるものではなかった。
第一、そのような無謀な転属を王后陛下が認めるわけがない。よって新しい配属先はフランス衛兵隊B中隊と決まったわけだが・・・ある意味国境を守るより数倍、数十倍危険な労働がかせられる。現在のフランス衛兵隊とはそれ程に過酷で厳しい部隊であった。
その過酷さを・・・本当に王后陛下は理解していただろうか・・・?
いや、理解しておられたからこそ、あのような異例の接見であったのだろう。

自分と距離を置こうとする連隊長の様子を気遣い、王后陛下は極力口を挟まぬおつもりではあったようだが・・・陸軍総司令官であるブイエ将軍と現在のB中隊副官であるダグー大佐を呼ばれ直々に、“女性”であるオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェを特別に隊長として就任させる旨を伝えたのだった。



       


「何度も時間を取らせ、申し訳ない。今日は王后陛下の使いではなく・・・個人的に、大佐に伺いたい事があってやって来ました。約20年前のことだが・・・覚えておられるだろうか?」

「ひょっとして、陸軍士官学校のことでしょうか」


思った通り、多くを語らずとも彼は解ってくれた。

これから連隊長の片腕となる男、大佐という地位につきながら与えられている役職が衛兵隊B中隊の副官というのは不当に低い立場のようにも思われた。が、ある状況が巡って来て・・・ふと「すべてが運命だったのでは?」と思う事も、この世にはある。
『運命』だなどと・・・ここへきて何かと大袈裟な捉え方をしてしまう癖を自嘲しながら、私はダグー大佐に視線を戻す。


「厳密には17年前、1769年頃の事だと思うのだが・・・・・少女の頃のオスカル・フランソワを覚えておられるか?」

「・・・少女とおっしゃいますが・・・あの時の様子は・・・とてもお転婆などと言う形容で済むものではありませんでした」

この間まで面識のなかった二人の軍人がいい年をして厳つい軍の指令室にて少女云々の思い出話をする事になろうとは、あまりに思いがけない事であり、また・・・これがオスカル・フランソワの結びつける不思議な縁のひとつなのだと・・・不意に私たちは張り詰めていた糸がするするとほどけるような気恥ずかしく暖かい感覚に包まれた。

「私は国王の命令で近衛隊長を選抜するその日に、場外ではあったが・・・士官学校の特待生であったその少女に、こてんぱんに打ちのめされました」

「それは・・・随分昔の出来事とはいえ、お気の毒です。しかし、無理もありませんな」

緊張の解れたダグー大佐の顔に笑顔らしきものが浮かび、やがて声を上げて笑い出した。若干驚いたが・・・つられて笑う自分に17年という歳月が思ったよりも軽やかに重なり、不覚にも急に目頭が熱くなったので・・・慌てて咳払いをした。

「彼女に勝てる者は士官学校内には誰ひとりおりませんでした。どういうわけか強かった。なんの訓練もしないうちから、なんと言いますか彼女には独特の霊気のようなものがあった。・・・血筋というものを、私はあれ程印象的に感じた事はありません」


笑ってはいても背筋は相変わらずピンと伸ばしたまま、恰幅のよさとはまた違う適度な威厳に満ちたダグー大佐の雰囲気が、同じ軍人として妙に清々しかった。それに「霊気」とは・・・・・実に的を得た表現をしたものだ。

そう、オスカル・フランソワが人を惹きつけてやまないのは彼女自身から発せられる霊気のせいだ。決断力や統率力や・・・そんなものはみな後から付いて来る。ひとたび行動を共にすれば、彼女の霊気にあてられる。何よりも己の為に・・・彼女を求めずにはいられなくなる・・・・・・



      


数々の名誉ある勲章の中で近衛連隊長の真新しい階級章が、男の胸でひときわ目立って輝いていた。
同じ軍人ではあっても、目の前の男は自分とは全く異なる道を歩んで来たのであろう。洗練された立ち居振る舞いの全てに違和感と距離感を感じる。しかし一方で“貴族”という名の同胞が抱える得体の知れない不安感には妙に共鳴するところがあり、ジェローデル大佐の体から滲み出る危機感はわずかな会話の中でも十分自分の琴線に触れ、不思議なくらい気持ちを揺さぶるものがあった。



ふと、空気が変わった。とダグー大佐は感じた。更に重く、灰色の幕が覆うように・・・目の前の男の表情が深刻に曇っていくのが分かった。


「私が推したのだ。初めて自分を負かした相手に、どうしようもなく惹き付けられて。この人以外に隊長は考えられないと思った。・・・あの時、彼女を隊長にと・・・何がなんでもオスカル・フランソワを軍人として迎え入れるようにと・・・激昂した国王に、私が進言したのだ・・・」


ジェローデル大佐は私ではない何処か遠くを見つめながら、そう語った。

暫く沈黙があり、目が合った瞬間、ジェローデル大佐は苦しげな声で小さく「運命だと思った」と、呟いた。


         


ダグー大佐が静かに語り出す。

「あの頃の私は既に生徒ではなく、指導する立場でもなく、その見習いといった状況でジャルジェ准将の活躍を見ておりました。フランスがオーストリアと同盟を結んで、ルイ14世陛下の崩御以来再びフランスが輝きだした瞬間だった。新しい時代に向け国中が活気に満ちていた。そして・・・目の前の少女はその象徴だった。我々の想像を超える時代がやって来るのかもしれないと、恐らくあの時いた誰もが感じておりました。・・・貴方だけではありません」

硬く一本調子だったダグー大佐の口調が柔らかく穏やかになり、ジェローデル大佐の心をどうしようもなく揺さぶった。

「あの時の少女を“隊長”と呼ぶ日が巡って来た事に、不思議な縁を感じます。もちろん、隊長が私を覚えてるはずもありませんが・・・」

ダグー大佐は再び表情を引き締め背筋を伸ばすとゴホッとひとつ、咳払いをした。



「大佐・・・話を聞いてくれて感謝する」

微かな安堵感に包まれ、ジェローデル大佐は数日ぶりに心が何か温かいもので満たされる感覚に酔った。



「ところで・・・関係があるかどうか解りませんが・・・」

ダグー大佐のやや意味深な口調で再び緊張感を取り戻したジェローデル大佐は、今度は安堵感とは似て非なる感情が複雑に湧き上がって来る感覚に苛まれた。

「つい昨日の事ですが、我々の部隊に突然入隊を切望するという者が現れまして・・・本来の審査基準で言うなら認めるべきではない事例でしたが、恥ずかしながら現在の衛兵隊には慢性的に人材が不足しているという状況もあり、多少の不都合には目を瞑り、入隊を許可しました」

「多少の不都合とは?」

「目を負傷しているのです。恐らく片目の視力は完全に失っているでしょう。それに、身元を偽っている可能性が高い。それでも不適合にならなかった理由として、志願者は基本的な身体能力には優れ、王家の軍隊の一員として問題なく通用する品格と常識を十分に兼ね備えており、要は現在街に溢れる浮浪者の類ではなかったこと。更に、是非とも彼をB中隊へと太鼓判を押す現役の隊員がおりました」

「男の名前はアンドレ・グランディエか?」

「身元を偽っているという部分がこれで確定しました。しかし偽名ではなかったわけで・・・採用を取り消すつもりはありません」


「・・・衛兵隊の人事にまで私が口を挟む所以はない」



        



従僕として付き添うのではなく、わざわざ一兵卒として入隊を志願するとはどういうわけだ?
目の怪我に配慮して連隊長が護衛の役目を解いたのならば・・・奴は自発的に後を追ったか?
無謀だが・・・・・なんと自由で、羨ましい男。私には・・・私にはそれをする資格も権利もない。


・・・・・本当に、そうか・・・・・?



別世界からの帰り道。
殺伐とした風の感触がやがてじわじわとした高揚感に変わり、たまらなく愛しいあの人の香りが眼前によみがえる。

オスカル・フランソワ、貴女と運命を共にしたい・・・渇望とも言える、このような狂おしい感情が私の中に生まれた事は・・・貴女が起こした、果たして何番目の奇跡にあたろうか・・・?




出逢いの日から17年。いつしか我が命より尊く大切な貴女を、願わくば、私ひとりのものに・・・・・!!!





                    
 
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