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アニばらワイド劇場


第28話「アンドレ 青いレモン」~破片~




扉を開けると・・・途端に懐かしい匂いと乾いた空気に包まれる。
みつめた視線の先にぼんやりと映った赤や黄色の光の中に、遠く子供の声がした。


・・・・・あれは、私だ。

        
    



何年間も使われていない部屋の床には埃が何層にも積もって、まるで淡雪の結晶のように輝いて見えた。
久しぶりに感じる人の気配に、部屋からは緊張と安堵、その両方の空気が静かに立ち上る。長い間止まったままの時間が再び動き出したかのような微かな生命力すら感じ、思わず私は息を呑んだ。

いつのまにか大人になって、忘れてしまったものがたくさんあるような気がして・・・20年ぶりにこの扉を開けた。




「うわー・・・床が光ってるっ!・・・なんてキレイなんだろう・・・不思議の間だから、きっと此処には魔法使いがいるんだ!!」

「オスカル、上を見てごらんよ。・・・あれはガラスかな・・・光があれを通ってここへ来るから、床に届く頃には赤や黄色に光って見えるんだよ。・・・魔法使いじゃなくて残念だけど、・・・すごくキレイだね・・・」




縁が欠け、危ないからと物置の高台に置きやられてしまったステンドグラスが、天窓から差し込む光に透けて七色に輝いている。

あの頃のまま・・・ステンドグラスは太陽光を様々な姿に変え、床に不思議な幾何学模様を描き出していた。

アンドレがやって来て、毎日一緒に遊ぶようになってから、私たちはいろいろな所に忍び込んでは一人前の探検家気取りで悦に入っていたものだ・・・。
そして、この部屋は一番身近で、一番多くの謎に包まれた、もっとも“不思議”な空間だった。


「それにしても、20年そのままとはな・・・」 
どうしても声に出して言いたくて、“現代”の私が独り呟いた。


実用品としての役割はとっくに終えているのだが、何故かここに運び込まれる物たちはその後の人生が長い。
どれもこれもばあやの「捨てるには惜しい」の判断のもとにこの部屋へやって来て、この部屋で熟成され、やがて骨董品めいた風貌を身につけるようになる。
幼かった私には此処は全体が宝箱のような存在だった。

そう・・・蝶番が壊れてこの部屋の住人となった戸棚の引き出しから、錆びたナイフを見つけた事があったっけ。
長年手入れされずにいた刃がすっかり変色して赤黒くなっていたが、持ち手の部分の装飾がなかなか精巧で、それで廃棄処分の難を逃れたのであろう。
もしかしたら・・・壊れた戸棚の引き出しに忘れられたままここへ運び込まれてしまったのかもしれない。もしそうだとしたら大変に運の悪いやつだが・・・彼はめでたく私に発見され、私の宝物となり、以後数年とてもとても大切にした記憶があるから・・・それほど酷い人生でもあるまい。

彼は、赤いナイフは今、庭の樫の木の下で本格的に眠っているはずだ。


「今度、掘りおこしてみるか・・・・・」 
二言目の呟き声には、きっと、やや感傷的な響きがあったと思う。




      



5歳だった私は忍び込んだ部屋の床の色がキラキラと輝いているのが気になって、一人だったら飽きるまでそのままずっと床にしゃがみ込んで、光の様子を観察していたに違いない。だが・・・・・ひとつ年上のアンドレは直ぐその理由に気が付き、頭上のステンドグラスを指さした。

アンドレの指の先を見ようと慌てて立ち上がり手を伸ばした私の足元で、積もった埃が美しい光の粉になって目の高さまで舞い上がり、私たちは揃って歓声を上げた。
自分では気付けなかった現象に目を見張り、神秘的なものの前でまるで宝石のようにキラキラと浮遊する埃の様子に、ただ驚いた。
子供心にものを見る時の視点というか・・・知らないでいた側面に信じられないような驚きが潜んでいることに興奮し、素直に感動した。


こっそり大人に隠れていつも二人、たいていの感動は・・・アンドレと共にあった。




基本的に、私はあの頃と何も変わっていないのかもしれない。

飽きもせず、光の幾何学模様を眺めてもう何時間こうしているだろう?
動けないでいる理由くらいは・・・自分で分かる。だが、どうすればいいのかは分からない。独りで悩むのはとうの昔に慣れたつもりでいた。しかし、これ程強い孤独感を覚えたのは・・・生まれて初めてだった。
そしてどんなに悩んだところで・・・もう一緒にいるべきではない。
それが私の中にある唯一の結論だった。


いつも共にいて、感情のすべてを共有して、大人になった。
アンドレが傍にいる事がどんな時でも当たり前だった。
そう、いつしか彼は・・・自分を映す鏡になっていた。彼を見れば不思議な程に自分の心が理解できた。二人で過ごして、嬉しい時はよかった。楽しい時はよかった・・・でも、苦しい時はどうだ?痛みで耐えられない時はどうだ?・・・恋している時はどうだ?私は・・・一体、どうすればよかった・・・?

だから、私はわざと鈍感を装ったのだ。
気付かないふりをして月日を過ごすうち、本当に気付かない人間になってしまっていたのだろうか?自分が耐える事が精一杯でアンドレから目を逸らし続けていたのだろうか?直視すれば張り詰めているものが粉々に砕けてしまいそうに思えて・・・・・まともに鏡を見れないでいたのだろうか?


思えば私は、フェルゼンと同じ事を、アンドレにしていた。
フェルゼンを想っていた月日と同じ時間、私は・・・私とまったく同じ苦しみをアンドレに与え続けてしまっていた・・・。
あれ程残酷だと恨んだ運命を、何も気付かないふりをして彼に・・・!!
・・・だが、私はフェルゼンではない・・・私とアンドレの関係は・・・そんなものではない・・・。
だからこそ・・・・・・・耐え難い・・・・・・。

これまで、こんなにも近くにいたのだから、無神経な私の依存心が彼にとってはどれだけの苦痛であったか、分かるだろう・・・?
いい加減に目を覚ませっ!!オスカル!!



ふいに抱き締められた時の感覚がよみがえり、激しく身体が疼いた。
次の瞬間、全身が硬直し瞬きすらできない。乾いた眼球に涙が溢れて、やがてそれは嗚咽になった。

意識が遠のく・・・・・・・
遠く離れた場所に、もうひとりの私が居た。


どんなに耳を塞いでも聴こえる、聴こえる・・・
それは紛れもなく女の泣き声だった。
取り乱した女の泣き声が、虹色の光の中に哀しく響いていた。




今こそ、鏡が砕ける時だ・・・・・・・・。


誰かに支えられ生きて行くなんて幻想だと思う。
少なくとも・・・私にはその資格も価値もない。
粉々になったガラスの破片が突き刺さったまま、独りになれ。
今日から死ぬまで永遠に。

孤独が彼に対するせめてもの・・・贖罪だ。



バランスを欠いて放置されたままの椅子をガタッと引き寄せ踏み台にすると、オスカルは壊れたステンドグラスを倒すようにして置き直した。
何十年ぶりかで色を失った床が微かな余韻を残して鈍く軋む音がした。



人の気配が消え、やがて静寂が戻った部屋の中。
色を失い褪せた床板に憐れな涙の後が広がって、乾いて・・・なくなった。



                  
      

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