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アニばらワイド劇場

第37話 「熱き誓いの夜に」 〜木漏れ日〜


1789年、7月12日 フランス衛兵隊 兵舎。

A中隊に続いていつ出撃命令が出てもおかしくない状況の中でB中隊の宿舎は朝から重苦しいムードに包まれていた。

家族に手紙を書こうとしつつも溜め息ばかりついてうな垂れる者。上の空でトランプ遊びに興じる者。布団に潜って震える者。
不自然な静寂の中で堪らない焦燥感に苛まれるも、残された時間に何をしたらよいかは分からない・・・じりじりと過ぎる時間の中で心ばかりが疲労する感覚に宿舎の誰もがぐったりしているようだった。


「よう!」
扉が開いて隊員の一人ルイ・マローが皆に声を掛ける。そしてさも珍しい光景を目撃したと言わんばかりの興奮した面持ちで仲間を見渡した。

「なんだか知らねえけど隊長がさっき司令官室の窓から飛び出して来てよ。よっぽどの非常事態なのかと・・・・・」

「なんだと!隊長が窓から?・・・おい、テロリストでも侵入したんじゃ・・!?」

ルイが話し終わるのを待たずにジャンが叫ぶ。
澱んだ空気を切り裂くように緊張感が走り、隊員たちは顔色を変えて一斉に立ち上がった。
だが、ルイは緊急事態を知らせに来た様子ではなく、それどころかニヤニヤと笑っているので、一堂は顔を見合わせ、再び腰を下ろし、怪訝な様子でルイを眺めた。


「なんだってんだよ?隊長がどうしたって?」

「だからよ、突然司令官室の窓から飛び出して来たんだよ。ぴょーん!てな」

「・・・あん?・・・猫でも追っかけてたのか?」

ピリピリしたムードが急速に緩んで部屋のあちらこちらでクスクス笑いが聞こえた。


「いやそれが、追いかけてたのは猫じゃなかった」


     


歩哨の交代時間にはだいぶ早かったが部屋で油汗かいてるよりかは外に居るのがいいだろう。そう思ってルイ・マローは独り、兵舎内をぶらぶらと歩いていた。

戦闘装備を整えパリへ出動せよ・・・かぁ。
とうとう火の海になっちまうんだな・・・・・・。
どうかしてる・・・ったく、花の都パリが泣いてるぜっ!!!

眉間に皺を寄せブツブツ言いながら歩いていると、窓ガラスの軋む音が聞こえ、ギシギシと開いた僅かな隙間から人が飛び出して来るのが目に入った。

隊長だった。

あまりに非日常的な光景だったので最初はピンと来ずに「そうか、あそこは司令官室か」等と呑気に構えていたルイだったが、上官が何やら慌てた様子で傍らをすり抜けて行くのを見てようやく「はっ?」となった。


「た、隊長・・・どうかしたんですか!?あの・・・ちょっとー・・・」

ルイは振り向いて声を掛けるもオスカルは広場の方へ向かって駆け出していた。


     


「・・・でな、興味あるだろ?俺も当然、後を追ったわけよ。そしたら、建物の陰に隠れながら深呼吸を繰り返す隊長がいてよ。で、いよいよ何事かと思ったら・・・その後・・・アンドレの奴と、いい感じだったわ」

何やら得意そうに話すルイの様子に怪訝そうな顔を益々しかめてジャンが尋ねた。

「あのよ・・・窓から飛び出してって・・・何か?こんな時に隊長とアンドレは追いかけっこでもしてたって言うのかよ?」

「そんなわけねーだろが!!いい感じだったって言ったろ!?事情は知らねえが、先回りした感じだったなぁ」

何故か自分のことのようにムキになり、ルイは続けた。

「それでさ、“供をして欲しい たまにはな”だとよ。こんな感じで手まで握っちゃってさ。羨ましいこったね〜・・・夢のまた夢のそのまた夢だけどよ、俺もあんな風に誘われてみたいもんだね。・・・って、今までそんなこと考えた事なかったけどよ・・・へ、へへへ・・・むしょうに、こぅ・・・熱くなっちまったぜ。この辺がよ・・・・・」

うっとりとした表情のルイはジャンのごつい手をぎゅっと握り自分の胸に当て、果敢なげに溜め息をついてみせた。
ジャンはくすぐったそうに「けけけっ」と笑い、片方の手でルイの頭を小突くと「気持ちわりぃから止せやい!」と怒鳴った。

やがて大きな笑い声がして、口々に呟く声が聞こえた。


「・・・何がなんだか分からねえけどよ・・・」

「そもそも隊長はなんで窓から出入りしなきゃなんねぇんだろな・・・?」

「おぅ。思えば最初っから、分からねえんだよな、あの二人」

「けどよ、いい感じなら、・・・まぁ良かったんじゃねえか!?」


チラチラとお互いの顔を確認しながら不思議と和やかなムードに包まれ、隊員たちはそれぞれホッと息をついた。


「あれ・・・?特ダネだと思って張り切って知らせに来たのによ・・・アランとラサールはいねえのか?」
くるくると部屋の中を見回して、ルイは「ちぇっ」と小さく舌打ちしてみせた。


「ところでルイ、おまえ隊長の後つけて聞き耳立ててたのかよ!まったくデリカシーの無い野郎だな、こら!」

首根っこを太い腕でがっしり押えられ苦しそうに笑うルイにジャンは柄にもなく説教を垂れる。そして、その後苦笑いしながらそっと耳打ちをした。


「おい、今のな、アランはともかく・・・ラサールには、ちとショックな話かもしれねえぜ?」




なんとも言えず穏やかな雰囲気に包まれた部屋の窓を、誰からともなくギシギシと鳴らし全開にする。


「さぁー、換気だ換気だっ!!」

叫んだ兵士一人ひとりの顔に明るい夏の陽射しが降りかかる。

気持ちがほんの少し、前向きになった瞬間だった。



     


心地よい夏の風に吹かれてオスカルは目を閉じた。
瞼に残る景色は明るい。ふと、懐かしい声が聞こえて、馬の足を止めた。

「アンドレ、少し寄り道して行こう」


振り返るとアンドレは笑って「いいよ」と答えた。


丘の上に広がる花畑は燦燦と輝く太陽に照らされて素晴らしいグラデーションを描いている。誰が手入れをしているものか見事な程に咲き乱れる花々は毎年少しづつその色合いを変えながら季節を彩り、オスカルの心を和ませていた。

造り込まれたベルサイユの庭園とは違う自由な息吹に全身を包まれ、オスカルは再び目を閉じる。
鳥のさえずりと重なって耳の奥に微かに響くのは遠い過去の“声”だった。


オスカルは涼しい風が吹く木立に馬を繋ぐとアンドレに近寄り、小さな、小さな声で「・・・眩しくはないか?」と尋ねた。

アンドレは相変わらず笑顔で、自分も馬を繋ぐと大きく深呼吸をし「気持ちいいなぁ」と呟く。そして太陽を掴まんばかりの大袈裟な仕草で伸びをした。




    


「供をして欲しい。たまにはな」

オスカルは笑いながら「屋敷までの道はもうひとりでは物騒だからな」と続けた。

俺の手を取りいつになく明るく振舞うオスカルを感じて、ある暗い予感が脳裏をかすめた。だが咄嗟に、俺は気付かない振りをする。
おまえと、肌が触れ合うのはいつ以来だろう・・・・・。
子供の頃とは違う、おまえの複雑な事情を含んだ笑い声が切なく響いて胸がズキッと痛んだ。

こんな時は・・・何も聞かず、抱き締めてみたらどうだろう・・・?
名案だ!と一瞬思うも、思い留まることにした。


「・・・どうしたんだ?珍しいこと言って」

精一杯自分を抑えて・・・手を握り返すに留めた俺は何故だか妙に照れ臭くて、せっかく傍にいるおまえの瞳を真っ直ぐに見つめることが出来なかった・・・。


オスカル・・・どうした?何があった?今、どんな気持ちでいるんだ・・・?


声に出して訊くことが出来ればどんなにいいだろうと思う。
そして、きっとそれは・・・おまえも同じだ。

お互い、こんな大人の対応、出来るようになったのはいつからだろう・・・?

俺たちの複雑な笑い声が重なって消えて・・・次に訪れた僅かな沈黙の時間が愛しくて、思わず湧き上がった感情をぐっと堪える。


「・・・頼られるのっていいな」

重ねた手にぎゅっと力を込める。
優しく笑うおまえの顔を覗き込んで「誰が襲って来ようが俺がちゃんと守ってやるよ」・・・そう言おうと思って、言葉に詰まった・・・肝心なところで。



やっぱり・・・名案だ!!と思ったのだから・・・自分を信じて、抱き締めていれば良かった・・・。



      


「いい風だな」

アンドレは遠くを眺めながら呟いた。
森を抜け、吹き渡る風は緑の匂いを運んで一層心地よく二人を包み込む。

「この丘から見える景色が好きで・・・あの頃はよく来ていたっけ」

「庭園の花壇を見慣れた私に“もっと綺麗な場所がある”と言っていた。それで初めて見た時・・・」

「“本当だ!”って、おまえ喜んで、陽が暮れるまで走り回ってたっけなぁ」

オスカルはやんちゃっだった昔を思い出したようにクスクスと笑った。


「・・・あの頃と変わらず、此処は綺麗だな・・・・・アンドレ・・・」



少しなら見えるのだろうか・・・?それとも完全に光を失って・・・・・・
アンドレの横顔をじっと見つめながらオスカルは胸に手を当てた。不安で胸が押し潰されそうで、たまらなかった。


「手入れされた薔薇も綺麗だけど、自然に咲く花だからかな・・・ホッとするんだ。この景色を見ると・・・」



「おまえにとって、一番大切な場所は此処か・・・?」

「今のうちに目に焼き付けておきたいもの・・・って意味で言ってるのなら、違うかな」


オスカルはビクッとしてアンドレを凝視した。
罪悪感にも似た感情がじわじわと湧き上がり目を伏せる。心のうちを見透かされているようで言葉がなかった。


「オスカル、おまえだよ」

アンドレは優しく微笑みながらもう一度「おまえだよ」と囁いた。


「もし、今日を限りに光を失うとしたら、目に焼き付けておきたいものはおまえだ」


アンドレの言葉が心に響く。体が熱くなって、それから視界がじんわり滲むのを感じた。

泣いている・・・・・こんな時なのに妙に客観的に、自分を分析してしまうのは何故だろう?
彼を想う気持ちが今にも溢れ出し、駆け寄って、縋り付きたい・・・なのに、身動きできずにいる私は・・・・・・。




「そうだな・・・花に囲まれて想うから今日は特別なのかもしれないが、ドレス姿のおまえを、もう一度見たいな」

ハッとしたオスカルはゆっくりと目を閉じ、両手で顔を覆った。


「とても、綺麗だったから・・・・・・・」



違う・・・違う・・・違う・・・・・・アンドレ、それは・・・・・・・
他の男性の為に着飾ったのだ。そんな私の姿など・・・・・そんなもの、思い出して欲しくはない・・・・・・





「・・・なぁオスカル、俺なら大丈夫だ。・・・何も、心配しなくていいよ」


       



「見てごらんよ、オスカル?綺麗だろ!?」


目の前いっぱいに広がる花畑を見て目を丸くしたオスカルは「わー!!」と歓声を上げて馬車の窓から飛び出した。

扉を開閉する為の蝶番はとても固くて僕たちでは開けることができなくて・・・だから、オスカルは窓からぴょーん!と飛び出した。
仰天し「なんてお行儀が悪い!」と叫ぶおばあちゃんに手を振ると、木漏れ日の中、オスカルは軽々と立ち木を飛び越え、走って行く。


オスカル、君に見せたかったんだ。
一面に咲いた色とりどりの花の美しさを・・・初めて会った時から世界で一番、大切な君に・・・。



       


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