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アニばらワイド劇場


運命の扉の前で 〜蜃気楼B〜



朝もやの漂う庭先から小鳥のさえずりが聞こえ出す頃、一日が始まります。
思えばこのお屋敷に御厄介になってもう半世紀近く、その間 自分なりに精一杯心を込めてお世話をして参りました。
ジャルジェ家の名のもとに、関わったすべての事が愛おしく、今はただただ感謝の想いでいっぱいでございます。

あぁ・・・今朝の小鳥の様子が普段と少し違うのは、孫のアンドレが居ないせいだと思います・・・いつもはあの子が薄暗いうちに餌を用意してやっているもので。
今朝は空の餌台の周りでしきりにあの子を呼ぶ小鳥たちの声が・・・私には、そう聞こえるんでございますが、どうにも切なく響いております。


昨夜のことがあって、旦那様は勿論、お屋敷中の者が一睡も出来ずに迎えた朝でございます。
誰も口にせずとも、はっきりと分かっているのでございますよ。
もう、あの二人は・・・お嬢様とアンドレは帰っては来ないのだと。


生真面目で頑固でお優しいお嬢様が残してくださった手紙は2通。
1通は旦那様宛に・・・お嬢様のことですから、いろいろと考え抜いたあげくに、あのような短い簡素な文面に至られたのでありましょう。その心中をお察しするにつけ、張り裂けんばかりに胸が痛みます。
旦那様は・・・・・旦那様は、一文字一文字の意味を噛み締めながら、これから長い年月をかけて、最愛のお嬢様とようやく親子の対話をされるのだと思います。心の中で・・・。
手遅れかとお思いですか?
いいえ、どんなことだって遅過ぎるってことはありませんよ。
大丈夫。旦那様のことをお嬢様は、きっと・・・きっと救ってくださるはずです。

もう1通は、ただただ狼狽え絶望に叩き落とされるはずだった私めの為に・・・
年老いて、世に思い残す事など何もない私めの為に・・・・・
なおも思いやりに満ちたお嬢様からの、それは励ましと希望の一篇でございました。


お嬢様が大切にされていた燭台の傍にひっそりと置かれた手紙は、暗がりの中そこだけ光が当たっているかのように輝いて見えました。
清らかな白薔薇の香りが漂うお嬢様のお部屋で、それが私に書き残してくださったものだと、直ぐにそう思いましたのは手紙に一輪のマーガレットが添えてあったからです。
私の好きな花、なんでございますよ。
お小さい頃にはアンドレと二人で、よく摘んで来てくださったものです。
涙と共にたくさんの思い出が溢れ出すかのようで・・・どうしてまぁ年寄りにこんな辛い思いをさせるのかと、しばらくの間 声を上げて泣きました。
それから手紙を開封して・・・気のせいでしょうかね、涼やかな風を感じました。お嬢様がすぐ傍にいらっしゃるような・・・。




愛するばあや
どうか泣かないで。

自由な心で、私は行きます。

あなたと過ごした日々に感謝しています。
たくさんの優しさをありがとう。
アンドレとの出会いをありがとう。

彼を、心から愛しています。

私たちはこの幸せを、あなたに一番に伝えたい・・・

いつも二人で、あなたのことを想っています。




それはそれは美しく丁寧に認められたその手紙は文面以上のことを物語っておりました。
恐れ多いことでございますが・・・やっと、やっと、二人の想いが通じ合ったのだと、私はもうホッとして・・・・・ええ、ええ、その後はもう号泣でございましたとも。

泣くなと申されましても お嬢様、それは無理な話でございますよ!

あ・・・、外の小鳥たちがしびれを切らして窓ガラスをつつき始めたようですねぇ?
そろそろ餌をやりませんとね、一日が始まりませんもの。
それに、旦那様のご様子も見て参りませんと・・・、夜通し肖像画を眺めていらっしゃったはずです。ええ、貴方がお描きになった肖像画です。
ご心配はご無用です。肖像画はあのままで・・・。
それで・・・こちらがお忘れになったパレットです。
後で屋敷の者に届けに行って貰うつもりでしたのに、わざわざすみませんねぇ。

それにしても・・・ずいぶんと朝にお強いんですね?ま、もっとも、年を取ると自然と目が覚めてしまいますけどね?
おやまぁ〜私ったら長々と話し込んでしまって、お引き止めしてすみません・・・なんだか久しぶりに誰かとお喋りしたくなりましてねぇ・・・・


ありがとうございます。アルマンさん。
私はね、今・・・とっても不思議な気分なんですよ・・・・・・哀しくてたまらないのに、幸せなんです。

     
     


   

  
選り抜きのエリートであるはずの目の前の軍人は、今は全身にひた走る動揺を隠そうともせず不安げに瞳を曇らせ唇を震わせている。

時刻は午前8時30分。
私の突然の訪問にはさすがに驚いた様子のジェローデル大佐だったが、場違いな私のこの服装に対し何かを指摘する等ということはなく、それどころか私がこの場にいる理由についてさえも、彼は何ら問い詰めようとはしなかった。

アンドレ・グランディエが残した日記。
彼は固唾を呑んでそれを見つめている。
今朝、私を除くB中隊全員がパリへと出動した後に、司令官室で見つけたものである。いや、見つけたというよりは託されたもの・・・そう信じて、ジェローデル大佐のもとへやって来た。


オスカル・フランソワという一人の女性を介して長いこと密に関わって来たような、そんな錯覚にも似た不思議な連帯感が我々の中に生まれたのはつい最近、1年程前のことである。 それから僅か数回のやり取りの中で、思いがけず深い部分で互いの挙止進退を観察する事になろうとは・・・。

ひどく感傷的で、苦く、果敢ない、軍人にあるまじき感情を我々は共有していた。

何も言わず端正な横顔に苦悶の色を浮かべるジェローデル大佐。
苦しみの淵にいる彼に、今の自分ならば救いの手が伸ばせるのではないか?

私が安堵したように、私が解き放たれたように・・・・・。

そう信じて、ジェローデル大佐のもとへやって来たのだ。



我々は軍人である前に人間である。
拠り所なしには生きてはいけぬ・・・
暗闇の中、一条の光を掴まんと必死にその手を伸ばす、かよわき人間である。



  


「ダグー大佐、教えて欲しい・・・・・・あの方は・・・あの方は どうされたんだ?」


遠い過去の出来事でも思い出しているのだろうか?
消え入りそうな声で、ジェローデル大佐が尋ねる。




「隊長としてではなく、妻として、闘いに身を投じるのだと・・・そうおっしゃって衛兵隊を去られました」

「え・・・?」

「夜が明けきらない、早朝の出来事でして。隊員たちの前でそのように・・・まぁ、常日頃から耳を疑うようなことをおっしゃる方ではありましたが。貴方も、それはよくご存じでしょう?」

詮索するような口調にはなるまいと努めたつもりではあるがジェローデル大佐の眉がピクリと動く。余計な気遣いだと拒絶されるに違いないが俄かに同情めいた複雑な想いが込み上げる。そんな私の様子を窺うようにジェローデル大佐は静かに日記帳を手に取ると、早くも心得たとばかりに2、3度軽く咳払いをしてみせた。

「そういう事ならば・・・いっそう疑問なのだが、これを私にどうしろと?」

怒っているのか困惑しているのか、あるいは私の心境を懸命に読み取ろうとしているのか、ジェローデル大佐は私の目を真っ直ぐに見つめ、ゆっくりと言葉を繋げる。

「恐らく、すべてはご想像の通りだとして・・・ならばこれは私にとっては耐えがたき恋敵の日記帳ということになる」

ジェローデル大佐の苦言に思わず頷く。
すると間髪入れずに”悪趣味めが”と、冗談とも本気ともとれぬ鋭い視線が飛んで来て、不謹慎ながら吹き出した。
無礼千万な私のこの態度を横目に口元がほころびつつある大佐が憎からず思え、何ゆえかじくじくと胸が締め付けられる。


「いかようにでもご処分くださいと先程申し上げましたが、その前にどうか・・・どうか最後のページだけでも、ご覧になってください」

私の、もはや懇願と言ってもいいくらいの進言に応え、ジェローデル大佐は静かに表紙をめくり日記に目を通す。

“運命のひと・・・・・”唇が微かに動き、続いて小さく・・・小さく、大佐は「オスカル」と呟いた。

時折 指で文字を追いながら、眉間に皺を寄せ、自分が関わった箇所でも発見したのだろうか息を殺していたかと思うと次の瞬間深い溜息をついている。日毎に頼りなく乱れてゆく文字を、大佐はどう理解したのだろうか?

定かではないが、無言でページを繰るその様子に一通りではない感情の動きが見てとれた。


「もう ほとんど見えなくなりかけた俺の右目で・・・・・・」

憎き恋敵が書き残した最後の一行を声に出し読み上げるとジェローデル大佐は瞳を閉じ、無力さにひずむようガックリと首を垂れた。


「続きがあるのです」

私の一言に頭を上げたジェローデル大佐が日記帳をパラパラとめくり、裏表紙の見開き部分に目を留める。


「今朝の隊長ですが、実にお幸せそうでした。なんと言うか・・・言葉が出て来ませんが、私は不覚にも妻を思い出しまして、このような非常事態のさなか大変恐縮ではありますが休暇を頂き、今日は妻の墓参りに行こうと思います」


私の言葉を聞いていたのかどうか・・・・・
ジェローデル大佐は日記帳の最後のページをじっと見つめながら「良かった」と呟き、微笑んだ。
次の瞬間、微笑みは慟哭へと変わる。

「守ってやりたかった・・・出来ることなら私がこの手で、守ってやりたかったのだ!」

感情が堰を切って溢れ出したが如くに肩を震わせ、ジェローデル大佐は泣き崩れた。


「・・・残念ながらその資格は私には無かった、しかし・・・私にしか出来ないこともある。私でなければ引き受けられない事もある!他の誰にも負けぬ・・・連隊長と私の間には軍人として、特別な絆がある。そう自負している」

突き刺さるような、男の叫びだった。


涙を拭い、椅子を鳴らして立ち上がるとジェローデル大佐は「国王陛下とマリー・アントワネット様は私が必ずお守りする」ただそう一言 言い残し、近衛連隊の執務室を後にした。



  


1789年7月13日

この世に生を受けた幸せに
あなたと出逢えた奇跡に
すべてに満たされ限りない喜びの中、いま私は生きています。
勇気と愛を、ありがとう。

いつでも、いつまでも、あなたを信じ
あなたを愛し続けます。

オスカル・フランソワ



     


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