1788年 3月末日
再び運命が動き出す。
昨日付けでフランス衛兵隊 B部隊に入隊。
アランの助けもあり、ひと足先に滑り込む。
あの日浴びるように飲んだ酒が今日は ほとばしる血流となって熱く身体を突き上げる!
歩き始めた人形は、またしても唐突な行動に出て周囲を慌てさせている。
予定よりも1日早く現れたオスカルは宿舎で俺を見つけるや否やさっそく怪訝な顔つきで・・・・・
まぁ かなりイラついてるようだったが、最終的には ああ そうかと納得したようだ。
独りになったつもりでいたのか?
俺はお前を諦めはしない。
絶対に、絶対に 諦めはしない。

4月1日
案の定、オスカルは隊員たちの激しい抵抗に遭い、閲兵式は中止と思われた。
だが しかし、オスカルも近衛の時とはだいぶ方針を変え、見事にことを成し遂げる。
実力行使とくれば、たとえどんな猛者であろうとオスカルに適うはずもない。
このやり方でどこまでいけるのか・・・・・
オスカルが精神的にもつのかどうか・・・・・・・・・。
昨夜のアランの言葉からして、近いうち事件は起きるだろう。

4月2日
昨日の今日で様子見というところか、意外に隊員たちはおとなしい。
オスカルに負傷させられた男だけが終始目をぎらつかせ、ひどい悪態をついている。
悪い予感がする。
耳を澄ませ 目を見開け!
午後、パリ特別巡回のメンバーに選ばれる。
これまではあえて足を踏み入れなかった最下層地区にまで警戒網は広がり、人手も足りない。
パリの風景が、日毎に変わる・・・。
廃墟のように荒れ果てた街並みを、今日は清涼な風が颯爽と吹き抜ける!
オスカルは・・・・・・青が とても似合う。

「・・・・・不思議と、わくわくするな」
目は文面を追いつつ、複雑な笑みを浮かべている。
衛兵隊入隊と同時に新しくした日記の冒頭に、宣するように大きく書いた“運命のひと オスカル”の文字を指でなぞりながら、当のオスカルは呟いた。
「これを・・・誰かにこっそり読まれたらとか、そういう事は考えないのか?」
「士官学校に通う子供じゃあるまいし、ひとの寝床にまでわざわざやって来てこんなものを盗み見しようなんて、そんなお節介な奴は此処にはいないよ」
おどけながら俺がそう答えると、オスカルはクスッと笑い「そうか」と微かに頷いた。
「それに、まぁ・・・読まれて困るようなもんでもないしな」
「・・・・・・・・・」
「片想い日記ってとこかな?きっと読んだ奴の方が恥ずかしくなって、困るんだろうな」
言ってみて、少し照れ臭くなった。
なんせロマンスに縁のない連中だから。
さすがにもう“隊長のスパイ”ではないにしろ実際ここで俺が周囲からどう思われてるのかなんて事は分からない。身分違いの不毛な恋に身をやつす哀れな従僕か、逆にこんなご時世にもまだゆらゆらと叶わぬ恋愛感情に漂っていられる気楽な男なのか・・・・・
アラン、そう あいつなんかは自分から詮索しておきながらいつも話の途中で笑い出すじゃないか。
小さく深呼吸をする。
それから目を閉じて、日記をめくる微かな紙の音と傍らの静かな息遣いに耳を澄ます。
ふと オスカルの細い腕に肩を抱かれ、ふわりと香しい温かさを感じたかと思うと、頬に愛しい人の唇が触れる。
そうだな・・・どうせなら、最後の頁では思いっきり自分で自分を讃え、心ゆくまで幸福に浸ってみるのもいいかもしれない。
オスカルに出逢えた幸せに。
オスカルを愛し続けた幸せに。
そして今、こんなにもオスカルから愛されている幸せに・・・。


頁が進むにつれ明らかに乱れ心許なくなる文字が、視力の低下をはっきりと物語っていた。
絶望と希望と、焦燥と諦観と・・・彼の心の動きが時折激しく波打つように認められている。
そしてアンドレが日々紡いだ揺れ動く文字の狭間には、いつも私がいた。
彼は消えゆく光の中で、私を・・・私をいつも、見つめていた。
どうしようもない程 止めどなく溢れ出す熱い感情のままアンドレにすがりつく。
今更ながら愛しくて、もどかしい程に愛しくて、ともすれば泣いて崩れ落ちそうになる弱い自分と闘いながら・・・・・・。
「アンドレ、愛してる」
そっと頬に口づける。
“オスカル”・・・私の名前を呼ぶその声が、遥か昔・・・出逢う前から好きだった。
“オスカル、愛しているよ”・・・無理をして耳を塞いで来た一言が、今はこんなにも胸をときめかす・・・。
“オスカル、俺も心から・・・お前を愛しているよ”
美しいメロディーのようなアンドレの声を聴きながら、心地良さに瞳を閉じる。
懐かしい香りをした貴方の頬の上を私の唇は静かに滑り、やがて唇同士が至福の出逢いを果たす。
軽く抱き上げられ寝台に腰をおろすと大きな安堵感に包まれた。
髪を梳る甘やかな指の動きとゆっくりと優しくはむようなキスがいつまでも、いつまでも続けばいいと・・・夢中でアンドレの肩を引き寄せる。
うっとりと夢見心地で過ごすひと時に束の間の安らぎを感じても、時は流れる。
残酷な朝の光が窓辺からじりじりと忍び寄り、やがて夢は醒めてゆく―――
1789年、7月13日。
私たちは、運命の扉の前にいた。


「これの続きは・・・どうする?」
オスカルが残り少ない日記帳を広げながら呟いた。
口づけの甘い余韻の中、正直、俺にはもう必要ない。そう思った。
暗闇の中で独りペンを走らせていたのは昨日の話。
今は・・・・・光のもとで、正々堂々と「愛している」と叫びたい。
そうさ、時代なんて変わっても、変わらなくても―――
俺はオスカルだけを愛している。
「アンドレ・・・?」
「片想い日記は、もう・・・終わりでいいよ」
そう告げるとオスカルは微笑んで「では、新しいものを・・・今度は二人で書こう」と、耳元で優しく囁いた。
「え?・・・」
「夢を書こう。二人の・・・これから叶えたい夢を、全部」
「お前の夢か・・・・・待ち切れないな。今すぐに聞きたいよ」
「待て。アンドレの夢を聞くのが先だ」
オスカルが突然スッと立ち上がる。
気の短さでは俺をはるかに上回る彼女はいつの間にか日記帳を小脇に挟み腕を組んだかと思うといつもの隊長らしい格好で俺をすっかり見降ろしている。
おかしくなって思わず吹き出した。
「そうだなぁ・・・夢というか、先ずはこの幸せをおばあちゃんに知らせたい」
何故だかオスカルは目を見開いて満足そうに頷いている。
「驚くだろうなぁ・・・。なんて言うだろう?怒るか、喜ぶか、とにかくショックで寝込んだりしてな」
別にふざけて言ったつもりはなかったがオスカルは一瞬顔をしかめ、何故か日記帳で頭を軽く小突かれた。その後、どんな楽しい想像をしているのだろう。「ばあやは別に驚かないさ」と、クスクスとくすぐったそうな笑い声のオスカルは何やら意味ありげに俺の顔を覗き込む。そして、「それとアンドレ、怒られる時は一緒だ」
そう言って子供の頃のように俺の手を取り、ぎゅっ・・・と力を込めた。

「で・・・オスカル、お前の夢は?」
優しく微笑みながら私を見上げる瞳にとくんと胸が高鳴った。
同時に身体の奥から込み上げる慟哭のような甲高く響く自分の声を聞く・・・
覚悟を決めたつもりでいた。
もう思い残すことはない・・・自分は救われたのだと、思っていた。
だがどうだろう?ひとたび肌が触れ合えば全身でアンドレを求める私がいる・・・
見つめ合えば更に深くアンドレを愛したい欲求に駆られ、激しく身悶えする自分がいるではないか・・・!
失いたくない!失いたくない!!美しい・・・素晴らしい・・・この時を・・・・・
遠くなりかけた意識の中、アンドレの声がする。
「オスカル、叶えたいんだ。お前の夢を」
『嗚呼、この一瞬が・・・この一瞬が、永遠に続きますように・・・・・・!』
精一杯心の中で叫んだ言葉、それは愛する人には到底届けられるはずもなく、一粒の涙となった。

「あ・・・すまん・・・アンドレ」
限りある時間を泣いて無為に過ごすなど愚かなことだ。
我に返り慌てて夢について想いを巡らす。
夢 ―――――
自分の人生には無縁のものだと とうの昔に切り捨ててきたもの。
ぼんやりと脳裏に浮かぶベールの揺らめき、色鮮やかな花束と澄んだ空気の心地よさ・・・・・・
「私の、私の夢は・・・今日の戦いが終わったら・・・・・・・その時に、聞いてくれるか?」
「分かった。楽しみだな」
温かい大きな掌で私の両手を包み、アンドレは少年のように高揚した表情で嬉しそうに笑って そう言った。
“オスカル・・・オスカル、愛しているよ”
アンドレの奏でる美しいメロディーのようなその呼び声に、いつしか教会の鐘の音が優しく重なって聞こえ出す。
そうだ・・・私の夢は、どこか遠く・・・白い花びらの舞う平和な世界の片隅で・・・・・。
<つづく>

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