『魁の剣』に関する雑感

                          

平成21年1月16日


藤堂平助は、魁(さきがけ)先生と呼ばれていたそうです。
戦いの時、真っ先に突進したからで、若いながらも、みなから尊敬をこめて、そう呼ばれていたと・・・

もともとは、北辰一刀流の出で、後に近藤勇に見込まれて新選組に参加した伊東甲子太郎の弟子だったのです。
だからこそ、伊東が御陵衛士として、新選組から離れた時、藤堂も行動を共にしました。
自分なりの思想もしっかり持った藤堂は、幕府寄りの近藤たちより、伊東の目指す尊王攘夷をこそ、理想と思ったのでしょう。

小柄ではあったが、剣術は強かったとの証言があります。
しかも、なかなか品のいい美男子だったとのことで、土方歳三、原田左之助と並び、イケメン幹部(笑)の一人だったのですね。
そうそう、さる大名のご落胤と言う噂もあったそうです。

沖田総司、斎藤一、そしてこの藤堂平助が、ほぼ同い年で新選組幹部では最年少。
どこかとらえどころのない沖田、年のわりにかなり渋い斎藤に比べ、藤堂はいかにも年相応の溌剌とした若さを持つイメージがあります。
いかにも、きびきびと小気味いい剣を振るいそう。
だからこそ、真っ先に戦闘に駆け出すのも、似合っていたのでしよう。

藤堂の悲劇は、なんと言っても御陵衛士としての道を選んでしまったことでしょうか。
油小路の変は、避けようのない運命。
でも、藤堂が自分の決めた道を後悔したとは思えないのです。
理想とする国の未来を信じて、新選組と袂を別った。
これも、信念のまま剣を振るって先駆けた、藤堂ならではの生き様だったのかもしれません。

この詩は、昨年サイトのキリ番を踏んで下さった千華さんへのカウプレとして、web拍手の御礼ページ用に作った詩をあらためて推敲し、手を加えたものです。
最近、とある事情から(笑)、藤堂さんにはまってしまったと言う千華さんへ、心をこめて贈らせて頂きたいと思いますm(__)m


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