若    紫

― 淡き面影 ―


都の春は過ぎ行かんとすれども
北山は桜の枝もまだたわわなり


匂いやかな緑
光弾くせせらぎ
澄み渡る山の気


うららなる景色を眺めつるも
胸の想いは晴れぬのか


ほのかに憂い漂わせ
そぞろ歩く源氏の君


ゆかしき庵の前にて
ふと足を止むれば


こはいかなる幻のしわざか


つつましくも清らかな
小柴垣の奥


軽やかに走り来たる
いとけなき乙女子


その顔(かんばせ)は
なつかしき御方の面影を
写したかとおぼされるほど


はらはらと
風を遊ばす黒髪
ふっくらと
桜色に染めし頬
春の陽射しを宿す
つぶらなる瞳


ああ
なんと似ていること


目を奪われるたび
こころは乱れ騒ぐ


いっそ
ひとときたりとも忘れ得ぬ
御方への想いにすりかえて


その小さき手をとり
宿命(さだめ)の輪が回るより早く
我がもとに
連れ去ること叶うならと


みつめるまなざしの熱さなど
気取りもせず
無邪気なさまの幼子


紫の香も淡く
そのほほえみは
ほころびかけたる
つぼみの愛らしさ


いつか
黒髪が裾まで流れ
たおやかなる女人となりし時


比翼の鳥のごとく連れそわんと
ひそかに夢を生ずるも


今はまだ遠く
見定まらぬ先のことなりき


時は春
清浄なる北山の懐に咲き初むる
一輪の若紫