Siren
      

〜セイレーン〜   


黒々とした海原を
すべり行く風
ざわめき ざわめき


雲はまるで銀色の絹のよう
月を隠し透かし
時には晒し


ちらちらと瞬く
あれははるか遠い岸の灯り?


いや
そう願う心が生んだ
ただの幻か


この船は流され
すでに舵もきかない


永遠の波間を
さ迷い続けるだけ


時の歯車は
止まってしまったのか


どこまでも
どこまでも


果てしない夜
果てしない海


ああ
聞こえる


これは歌声


震える風の隙間を
軽やかに縫って


細く美しく
胸の奥底に満ちて来る


どこから?


まわりはただ
漆黒の波ばかり


聞こえるはずのない
哀しいほど澄んだ声


凍てついた瞳から
ぽろぽろと剥がれ落ちた
水晶の涙のような


君の歌声・・・


会いたいと
愛しいと
ただひたすらな祈りにも似て


歌はしなやかに
私を取り巻き
心を絡め取って行く


ふいにうねる波
せつなさごと体が揺さぶられ


傾く 傾く


君は誰のために
歌っている?


痛いほどに待ち焦がれて
凍えるほどに忘れられて


ひとりぼっちのセイレーン
横顔すらも見せぬまま


君の歌声に沈められ
海の底で眠りにつくなら


たぶんそれが
私の運命


さあ 歌うがいい
魂を吐き出すように


すべて すべて
聴いていてあげるから


傾く 傾く


雲間から漏れる月が
ナイフの形に光る


闇に吸い込まれるその瞬間
たしかに私は耳にした


歌声とは違う


嬉しそうな
楽しそうな


望みを叶えた者だけが放つ
晴れやかな笑い声


・・・ああ、ようやく来てくれたのね
・・・ずっと ずっと


・・・待っていたの





《セイレーン》
ギリシア神話に登場する海の精。
美しい歌声で船乗りを魅了し、船を難破させたと言われる。