青 天



「ふ〜ん・・・」
「なんだよ、総司」
土方歳三の仏頂面が、さらにむすっと不機嫌そうになる。
先ほど、その土方の手元から強引に奪い取った冊子を、沖田総司は熱心に読んでいた。
「豊玉発句集」とあるそれは、土方がひそかに書き綴っている俳句集だった。

「いや、面白いなあと思って」
総司はくすぐったそうな顔で、まだ句集から目を離さない。
「面白いって・・・おまえな」
「だってね、よくわからないんだもの。土方さんらしいのか、らしくないのか」
総司はくすくすっと笑いをもらした。
「やっぱり、面白いとしか言いようがない」
「総司!」
土方の怒鳴り声に、ひゃっと首をすくめる。

「いや、いい風情だなあと思えるのもあるんですよ、たとえば・・・」
総司は、涼やかな声で読み上げた。
水音に添えてききけり 川千鳥、とか。 三日月の水の底照る 春の月、とか」
一瞬、土方の顔に満足気な微笑が浮かびかける。
ふん、そうだろう、と言いたげである。
「でもねえ、こっちはいささか・・・」
今度は、笑いをこらえた声で、
春の草 五色までは覚えけり
「なんだ、悪いか! じゃ、おまえは七草全部言えるのか!」
「それと、これも・・・」
土方の声を聞いていないかのように、総司は続ける。
梅の花 一輪咲いても うめはうめ

ついに、総司はこらえきれず、ぶっと吹き出した。
「うめはうめ、って・・・ 土方さん、なんだかかわいいなあ」
「ばかやろう!」
土方は、総司の手から俳句集を取り上げると、そのままこぶしで、ぽかっと総司の頭を叩いた。
白皙の面が、かすかに紅潮している。
一方、総司は浅黒い顔を崩して、笑い転げる。
「いたたた・・・、あはは、すみません、あははは・・・」
「おまえ、笑うか謝るか、どっちかにしろ!」
土方は、照れ隠しのためか、不機嫌極まりない。

ようやく笑いをおさめた総司は、悪戯っぽさを残した瞳で、土方を覗き込んだ。
「土方さん、白牡丹て誰のことです?」
「な、なんだと・・・」
ふいを衝かれ、思わず声に動揺が出る。
白牡丹 月夜月夜に染めてほし、ってあったじゃないですか。あれって、誰か女の人のことじゃないんですか」
「ば、ばか、何を言ってる、牡丹は牡丹だ!」
「そうかなあ。だって、妙に艶っぽい句に思えましたよ」
憎たらしいほど無邪気な、総司の声。
ぐっと言葉に詰まって、土方は総司をにらみつけた。
そんな土方に頓着なく、総司は、目の前に美しい何かを見ているような、やわらかい口調で続けた。
「土方さんに、白牡丹にたとえてもらえるような人って、どんな人かなあ。きっときれいな人なんでしょうね」

いきなり、言いようのない切なさが、土方の胸に湧いた。
浮いた話ひとつない、目の前ののどかな青年の顔をみつめる。
おまえも恋をするのだろうか。
それとも、そんな思いすらも、すり抜けようとしているのか。
とらえどころのない風のような、どこか世間の欲を超越した無心さを、土方は総司に感じていた。

総司の剣の腕前は、まるで神がかり的である。
いっさいの不自然さを感じさせず、軽やかな舞いのような動作のまま、鋭く的確に相手に斬りつける。
いつもはおどけているか、笑っているかのような総司の顔が、刀を手にした時だけは、能面のように表情を無くす。
ぎくしゃくした殺気など漂わせず、何かに憑かれたように、縦横無尽に刀を振るい、敵を斃して行くのだ。
その様は、土方が見ていてさえ、身が震えるほど冷徹で、迷いがない。

けれど、土方は知っていた。
決着がつき、戦いが終わりを迎えたと気づいたとたん、憑き物が落ちたような総司の顔に、たとえようのない戸惑いや苦渋が滲むのを。
寄るべない子供のような顔だ、と土方は思った。
血糊のついた刀や、身体に散った返り血を、おぞましげに見やり、ぶるっと何かを振るい落とすように肩を震わせた後、大きく何度も息をつき、そしてようやくいつもの総司の顔に戻るのだ。

そんなふうに、自分を律しなければならないくらい、普段の総司は、殺戮とはほど遠い、平穏な優しさを持っている。
それでいて、剣から離れることはできない。
天性の剣客なのだ。それも、神に選ばれたかと思えるほど、まれに見る壮絶な冴えを持った剣客。
考えれば、これほど皮肉なこともないように思えた。

( もし、剣など必要ない時代に生まれていたら、お前はどう生きたのだろうな )
平凡に田畑を耕していたか、それとも道場主にでもなっていたか。
いや、どちらも想像がつかなかった。
やはり、こうして命を張って刀を振るう、それが一番総司らしい気がした。
( 宿命と言うやつか・・・)
もちろん、そんな生き方は、土方自身も同じであるはずだった。
けれど、ことさら総司には切なさを感じた。
おまえはいいのか、この生き方で。後悔していないのか。

願うこと あるかも知らず 火取虫、かあ」
くったくない総司の声に、土方は我に返った。
「これって、わたしたちのことですかねえ」
「え?」
総司は、ふいに目を細めて、開け放した障子越しに空を見上げた。
午後の陽射しが眩しい、とでも言うように。
「だって、遮二無二、火に飛び込んでいくようなものですものね、今のわたしたちって」
「総司、おまえ・・・」
「地獄の炎に魅入られているのかな」

すっと背筋が冷え、土方は焦りを隠して、必死に無愛想な声を作った。
「ばか、さっきも言ったろう。虫は虫、ただの虫だ。おまえ、何だってそう、花や虫を人間に結び付けたがる?」
「詠んでいるのが土方さんですからね。そりゃ句だって、一筋縄ではいかないでしょう」
達観したような穏やかな口調で言ったきり、総司は空を仰ぎ続けた。
何を思っている? 何が見えているんだ、おまえには。
一瞬、総司がひどく遠く、おぼろげな存在に感じられた。
土方は、総司の横顔をみつめ、声をかけようとした、が・・・

「でもね」
くるっと、総司は土方を振り返った。
その目は、いつもの澄んだ明るさを湛えている。
「願うことがあるからこそ、火にも飛び込むんです」
怪訝そうな土方の顔を、総司は臆することなくみつめる。
「ただなんとなく火に巻き込まれたんじゃ、死に切れませんよ。何かを願い、覚悟を持って・・・ だから火だって怖れないんです」
「総司・・・」
ふふっと笑って、総司は立ち上がった。
「そうですよね、土方さん」

わかっていたのか。自分がどこへ向っているのか。
奔り出し、たとえ止まることができなくなっても、後悔しないのか。
土方は、座ったまま、ひょろりと細長い総司の姿を見上げた。
どっしりとした大木のようなたくましさとは、ほど遠い。
けれど、どんな激しい風にも、たわみながらも決して倒れない、青々とした竹の、しなやかな強さが感じられた。

ああ、そうだ。
俺だって、わかっていたはずではないか。総司がどんな奴なのか。
こいつは今更、迷いや怖れなどで、つぶされはしない。
いつだって、しっかりと覚悟を決めている。

「ついて行きますよ、どこまでも、ね」
あっけらかんとした声で言うと、総司は、まるでそれが誓いの言葉でもあったかのように、ぴんと背筋を伸ばした。
丈の高い、凛とした立ち姿が、空の青に映える。

そうだな、ついて来い、どこまでも。
たとえ修羅の生き様であろうと、俺たちが選んだ道だ。
一緒に駆け抜けようじゃないか。
声には出さず、土方は不敵な笑いで総司に答えた。
青空に、遠く、鳥の鳴き声が響き渡った。

            
 <完>